3 噂話と本当の味
あれから毎週金曜日に、佐倉は図書室を訪れた。本を返し、世間話をして、新しい本を借りていく。いつの間にか最初に借りた児童文学のシリーズをすべて読み終えた。それから、流行りのミステリーなどをえて、今は太宰治の「人間失格」を読み始めた。難しそうだと笑っていたが、きっと彼は気に入るだろう。
木曜日の昼休みの時間だった。五時間目の国語の辞書を忘れ、他のクラスの友達から借りて、教室へと帰る途中のことだった。
廊下の窓から、中庭にいる佐倉を見つけて足が止まる。
生徒も少ないその中庭で、身体で女子生徒を隠すように木に手をついている。声も聞こえないこの距離からでも、男女の関係を匂わす雰囲気が分かった。
佐倉の表情はあまり見えない、しかし女の子は笑っている。そして誘うように、佐倉の頬に片手を伸ばした。
そしてそのまま、当然のように彼女にキスをした。
きっと、キスをされた彼女も恋人ではないのだろう。やはり佐倉全は私から遠い場所にいる人なのだ。
悲しみを感じた訳ではないけれど、毎週図書室に本を借りに来る佐倉を思い出すと、心がざわついた。キスをしていた佐倉とイメージが一致しないから。
未だに楽しそうにしている佐倉たちから目を背け、私は教室へと戻った。
「おかえりー。辞書借りられた?」
「うん。」
教室では三上美子がスマホをいじっていた。美子は、一番仲のいい友人だ。私と違って、交友関係が広く、明るい人気者のだ。入学式で仲良くなってからずっと仲がいい。
「ねーねー。知ってる?」
「何を?」
自分の席に座ると、美子は私に顔を近づけていたずらっ子のように笑った。その拍子に、美子の茶色いふわふわとした髪が揺れる。真っ黒で硬い髪の私は美子の髪が羨ましい。
「全くんのこと!」
なかなかタイムリーだ。しかし、私は何事もなかったかのように振る舞った。図書室でのことは真美には言っていない。美子は噂好きで口が軽い。しかも友達が多いのですぐに広まってしまうからだ。
「佐倉くんがどうかしたの?」
「T高のモデルやってる子と腕組んで歩いてたらしいよ」
「へえ。でも、めずらしいことじゃないよね。佐倉くんモテるし」
「今回は本命なんじゃないかって噂よ。ほら、全くんここんところ大人しかったじゃない」
「そうなの?」
「そうなの!」
美子は大きくうなずいてみせた。美子から佐倉の噂をよく聞くが、彼女ができたという噂はいちども真実だったためしがない。
「ほら、全くんって誘われたらすぐ遊ぶじゃない?でも最近は誘ってもノリが悪くなったって先輩が言ってたの。」
「ふうん」
「もう、興味ないの?全くんよ?みんなのアイドル全くんよ?」
「あ、あいどる?いや、確かにイケメンだけど…」
「下手な俳優やアイドルよりよっぽどイケメンよね~。眼福よ」
「そっか」
確かにイケメンだ。あそこまで整った顔立ちはなかなかいない。というか、彼を超えるイケメンを私は見たことがない。
「はあ…一度でいいから抱かれたい!」
溜息をつきながらそんなことを言う美子に、苦笑いしかでない。
「言ったら抱いてくれるんじゃないの?」
「違う!」
「え!?」
美子は急に大きな声を出して、椅子から立ち上がった。そして私に指を突き付ける。
「分かってない!実希は全く持って分かってないわ!」
「は、はあ…」
「いい?全くんの顔はね、神が作った最高傑作よ!私は彼と肉体関係を持ちたいわけじゃないの!あの顔を近くで見たいだけよ!
抱かれてる時が一番近くで見られるかもしれないわ!しかし!!抱かれて捨てられて遠くへ見送るより!今のファンという位置から!!存分に!あの顔を!眺めていたいの!!!」
「う、うん。わかったから、ちょっと落ち着いて?」
熱弁をする美子に何事かとクラスメイト達も一瞬視線を向けたが、美子だと確認すると視線を戻した。
しかし見られてはいなくとも恥ずかしいので、美子の腕を下に引っ張って座らせる。しばらく鼻息も荒かったが、大きく息を吐くと腕をくんで威張ったようにこう言った
「全くんが本気で好きならともかく、ファンなんてだいたいこんなもんよ」
「そうなの?」
「まあ、頭の空っぽな女は違うかもね。ステータスとして全くんが欲しいんだろうけど…烏滸がましいわ」
「厳しいね」
「当然よ。あ、そうだ。全くんの新しい写真を手に入れたの!見せてあげるわ」
美子は鞄を探り出しが、見つける前にチャイムが昼休みの終わりを告げた。
「残念、また見せるわね!」
そう言うと、私の返事も聞かずに美子は自分の席へと帰って行った。相変わらず美子は自由だ。
美子が言っていた写真というのは、非公式で出回っている佐倉の写真だ。隠し撮りから、友人が流した写真まで様々だ。学校にいるときや私服姿、中学時代の写真まで出回っている。画像ではなく、ブロマイドで出回っているのは学外やインターネットへの流出を防ぐためだ。
美子はサクラのブロマイド集めを趣味の一つとしている。
本人が気にしているのかは知らないが、佐倉も大変な生活をしているのかもしれない。まるで芸能人だ。
(じゃあ、あのキスはスキャンダルだ)
先生が教室に入ってきて、五時間目の授業が始まった。
国語の先生は優しいおじいちゃん先生だ。ゆっくりとした話し方が眠気を誘う。
私は机に突っ伏して、目を閉じた。
きっと、明日はいつものように佐倉は図書室にくるだろう。そして噂なんかなかったかのように、私と世間話をするのだ。
そんな佐倉が、私にとっての佐倉全の姿だ。
「噂話と本当の味」はこれで終わりです。
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