第五十話
同時に怒りに燃えていた頭の中がクリアになった。
だが、叫びをあげたのはサクヤだけではなかった。
「ウオオオォォォォォォォ!」
数日前に男と対峙した時と同じような、聞くだけで気分の悪くなる狂った叫びをあげ、男はサクヤに向かって走り出した。
突然のことに一瞬戸惑ったが、すぐにサクヤも応戦を開始する。
男が叫びをあげた後に獣のような恐ろしさととてつもない強さを誇るのは、前にもマリナとレイヤたの戦闘を見ていたために分かっていた。しかし、それも今のサクヤの前には何も影響はない。
本気だと自称する剣を握り締めてサクヤに斬りかかる。それをサクヤは後方に跳んで回避し、部屋の入口を背にする形で再び向き合う。
この部屋は元から狭い上に破壊された数台のコンピュータや装置が散乱しており、室内でドンパチやるのは行動を制限するだけだと判断して、そのまま後退し一度部屋を出た。
本来なら外に出るのが一番なのだが、ここからでは遠すぎる。仕方なく廊下の端まで移動し男が出てくるのを待つ。
男の興味が部屋の中にまだいるマリナたち三人に移らないかという不安が頭を過ったがそれは杞憂に終わった。
「ニガサナイ。キサマラ、ココデコロス」
男はもう狂っていた。前回はこんな様子見せなかったが、怒りやらなんやらでこうなってしまっているのだろう。
あまりの不気味さにサクヤは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。だが、相手は魔法を使えななければ正気を失っている。剣対剣の決闘であればお互いに条件は等しい。
これでようやくサクヤにも勝機が見えてきた。
《創始者》の背後からのそりと残してしまった三人が出ていたのを尻目に見て内心で胸をなで下ろす。ただ、合流時に体力にまだ余裕がありそうだったレイヤも最後の魔法で体力が奪われたのか足元がおぼつかない様子だ。
マリナもまだ万全な状態ではないものの初めに比べるとかなり回復した方だろう。それでもやはり激しい戦闘は厳しい。
残るはメグだが、彼女も男の手から解放されて無尽蔵のスタミナが無くなったため、ここに来て魔法使用による疲労感に襲われているようで応援を期待するのは酷だ。
ならば結局は一人で立ち向かうしかない。マリナがひょっとすると何かしらの方法で援護してくれるかもしれないが周囲に何もないために期待はできなそうだ。
いや、一人じゃないな。物理的に戦うのはサクヤだけでもここまで助けてくれた仲間の想いもちゃんとある。
「やれるものならやってみろよ。今のお前に何かができるとは到底思えないがな」
言うなりサクヤは一気に距離を詰めた。
格段に上がった彼の動きは発狂しだす前の《創始者》と同等かそれ以上の動きで近づくと、まずは水平に薙ぐ。
狂い出した割には《創始者》の動き自体は落ち着いていて後ろ動いて回避してみせた。
だがまだそれぐらいは想定の範囲内だ。サクヤの攻撃は単発で終わらず、連続して左下から剣を振り上げる。
それに対して男は剣のしたに潜り込んでサクヤの懐へと跳び込む。
これは少々意外だったために反応に遅れた。嫌な予感がサクヤは全力で左に飛び退き男と距離を置く。直後廊下の床を見えない何かが深く抉り、サクヤのいた場所は無残なことになっていた。
もしあのまま立っていたら頭から縦に真っ二つに切り裂かれていただろう。
でもこれは偶然ではない。常人なら見えない攻撃をさっきのサクヤのように躱すことが偶然だとしても、今の彼なら直感で危険は予知できる。
最早見えない斬撃など怖くないサクヤは再度男に斬りかかる。
「はああああぁぁぁぁぁ!」
一度は男に弾かれ、二度目は避けられる。それでもサクヤ連撃を止めずに剣を振り続ける。
フェイントやステップを巧妙に使ってサクヤは《創始者》に迫っていく。しかし、それでも攻撃の当たらないことに、サクヤは少しずつ苛立ちを覚え始めた。
その時だった。サクヤがふと男の後方に目を向けると、マリナが《創始者》に忍び寄っているのを見つけた。具体的には分からないが、何かしようとしているのは間違いない。
「所詮はその程度のものか、期待して損したな」
どうやら男は背後から近づくマリナに気が付いてはいない。これが魔法が使える状況下なら結界を張っているだとか言っていた気がするために悟られていた可能性の方が高いが、現状男も目で見える範囲内しか捉えることができなくなっている。
それよりも、男の口調は叫びをあげる前と同じであることの方が気になった。てっきり完全に狂乱するのかと思っていたのだがそれはどうやら違うらしい。が、そんなもの些細なことだ。
「それはこっちのセリフだ。お前こそ魔法が使えなくなってしまえばその程度のものか」
「なに?」
「自ら作り上げたとはいえ、魔法なんてものは借り物の道具に過ぎない。道具に依存しすぎた結果、中身の本体は弱体化していき、道具が無くなったときに残ったのは非力な本体だ」
明らかに《創始者》はサクヤの挑発に乗り、冷静さを欠き始めている。余裕ぶっているのは口だけのようだ。
そんな男に近づきつつあるマリナに目を遣ると、もうかなり接近していた。普段の《創始者》なら結界など無くても気がつかないはずがない距離にまで彼女は距離を詰めているのに、未だに気づく素振りを見せない。サクヤの挑発に乗って周囲が見えていないのか、それとも本当に魔法が無くてひ弱になったのか。
どちらにせよ、決めにいくならそろそろ頃合だ。
「ほざくな。お前らが何をしようと勝ち目はない。魔法など無くても、元はそれで富豪に上り詰めたのだからな」
「そうか、哀れな奴だな」
「なんだと?」
「なら教えてやるよ。お前が背後に敵すら気付かないで余裕ぶってるほど落ちぶれたってことを!」
言うなりサクヤはマリナと挟撃するつもりで走り出した。
《創始者》が信じられないといった表情で振り返る。同時にマリナが確実に心臓を狙った一突きを入れるが男は身を捩って致命傷を避けた。
だがまだ終わらない。振り向いたことによってサクヤへの警戒が無くなりそこにサクヤが一撃で仕留めようと急所を狙って一閃する。
「はあああぁぁぁぁあああ!」
それでも男は富豪としての意地を見せ、今度も致命傷を避けようとサクヤの攻撃の軌道上に剣を出した。
完全に決まりだと確信していたサクヤはこの状況でもまだ確実にサクヤのスイングの軌道を見極めてそこに剣を出す判断力に驚かされたが、能力を使っているサクヤもまた、落ち着いていた。
防がれると判断すると、狙いを男から男の握る剣にターゲットを変更し、刀身を全力で叩く。
すると高らかな金属音を響かせて《創始者》の手から離れた剣は、宙を舞い、男の後方、マリナたちの前へと落ちた。
「う、ぐぅ」
数歩後ろによろめいた男は右手を押さえながら呻いた。
丸腰になった《創始者》にもう恐怖はない。一応まだ武器を隠し持っていないかと疑ったが、魔法に固執し、まさか装置を破壊されると思ってなかった男は何も手を打ってないだろう。
「分かったか。それが借り物の力だ。楽して、ではないしれないが、自身の力のみで強くなろうとせず、道具を使って力を得ようとした結果だ」
「ばかな……この俺が……ありえん!」
「それが現実だ。認めろよ。お前はもう勝てない」
「うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさいウルサイウルサイ! オレハマケナイ、ゼッタイニ」
サクヤはそれ以上見てられなくなった。もうこれは人と言えるレベルではない。これでサクヤも躊躇は無くなった。
ゆっくりと黒剣の切っ先を向ける。丸腰相手に恐ることは何もない。
「もう終わりだ」
そう宣告すると男は表情をさらに歪めた。
「マダダ。マダオワリハシナイ」
「いや、終わりだ」
地を蹴った少年の表情は憎しみや怒りといったものは消え、憐れみの目で男を見据えていた。その双眸が最後に見たのは、極限まで両眼を開き、口もガタガタと震え、恐怖に怯える獣だった。これならサクヤがマリナにコイン収集をさせられた時に戦ったモンスターの方がよほどマシだろう。
「ア、アヴェント」
富豪は剣を呼び戻す魔法名を発声したが、当然にも起こらない。
「憐れだな」
この後に及んでまだ魔法に頼ろうとする男に抱く最後の感情がそれだった。
勢いを緩めず、切っ先を向けたまま狂いきった男に詰め寄ると、サクヤはそのまま男を貫いた。確かに伝わってきた嫌な感触に表情を渋らせるも、男にかける情けなどあるはずもない。
これが《創始者》に与えた初めての致命的なダメージだったが、もう男は動けないだろう。それでもまだ油断はせずに慎重に剣を抜いた。
刺されてもまだ死なないという謎の生命力を見せつけられる、ということはありそうだったが、特に何事もなく富豪は倒れ、数ヶ月に渡る長い戦いに終止符が打たれた。
それを見て、少し離れた場所にいた少年の仲間と家族、マリナ、レイヤ、そしてメグミの三人が駆け寄ってくる。
ここに四人の《革命者》が誕生し、前代未聞の四人同時に富豪へと昇格した。
彼らの胸に付いている貧民の真っ黒の階級章、平民の真っ黒に白い線が一本入った階級章、監視者 の真っ黒に白い線が二本入った階級章はそれぞれ金色のものへと変化していたが、彼らが気がついたのはまだ先のことだ。