第四話
2
翌朝、目覚めたサクヤはすぐに身支度を整えた。朝食に関しては昨晩、嫌という程自分の家事能力の無さを思い知ったために安心のトーストで済ませた。
そして今日はメグを助けることと、サクヤが生活するために街の様子の調査を兼ねて家を出る。
「あっ、とその前に」
忘れ物をしていたことを思い出し、慌てて家の中に戻る。向かった先はメグの部屋。部屋の隅にある赤いペンダントを付けて今度こそ家を出た。
そこで一度自分の左胸を見下ろした。昨日マリナが言っていた通りそこには黒一色の階級章が付いている。これが差別の元凶か。サクヤは内心でそう呟いた。
それはそうとしてまずはどうしようか。特に宛てもなく家を出たためにどうするべきか思い浮かばない。だからと言ってこうして何もしないのは、それこそ無駄な時間になるのでとりあえず街をうろつくことにした。
昨日は街をゆっくりと観て回る余裕は無かったが、こうして散策してみれば綺麗な街だ。やはりこの土道は気になってしまうが、建物の一棟一棟に汚れがなく、カラフルなレンガ本来の色を出している。 ここに噴水や川のような水がないのが非常に残念だ。
しかし、街並みは美しいのだが、家を出てから一度も住人を見かけていない。そう言えば昨日も土道のエリアでは誰とも遭遇していない。やはりここは悪い意味で特別なのだろうか。
不信感を抱きながら歩いていると、入口の開いているビルのような建物があった。危うく素通りしそうになるが、人がいないこの辺りの建物内に興味が湧いて中に入る。
だが、予想外の寂れ具合にサクヤは愕然とする。貧民エリアと呼ばれるだけあって中は電気が無く、窓も筒抜けで床には石が転がっているような狭い空間。これだけで生活が貧しいのは一目瞭然だ。
サクヤは階段を上って二階、三階と上に行く。その各フロアは同じように寂れた場所だった。
そして最上階の四階へ向かう階段の途中で、ここに来て初めて何か物事が聞こえた。吹き付けた風で石が転がっただけかと考えたが、そうではない別の音。サクヤは少し慎重になって階段を上り切り、そっと部屋の中を覗き込む。
だが次の瞬間、サクヤは身を隠すことを忘れていた。中にあったのは紛れもない人間だ。それも、夫婦二人とその娘の家族だ。
「お願いだ。私はどうなってもいい。その代わり妻と娘だけは見逃してくれ」
呆然と立ち尽くすサクヤに、夫がボロい服を纏った家族の身を庇う様に懇願する。この家族の階級章は純白だ。
ちゃんと見れば彼とも貧民である階級章が付いているのだが、それを確認する余裕がないということはよほどの人間不信になっているのだろう。
サクヤはとても見ていられなくなりその場から立ち去った。
あれがこの世界の真の姿なのだろうか。身分の低い者、つまり貧しい人たちが生活することが精一杯で、家と言えないような建物で怯えながら生活する。身分制度による差別。この身分というものが、富豪による慰みでしかないように思えてきた。
「くそっ! 何が身分だよ!」
そう吐き捨ててサクヤはまた歩き始めた。
込み上げてくる怒りを自制しつつ散策を続けていると、道がコンクリートへと変化した。その瞬間からさっきまでの閑散とした街が嘘のように、街を行き交う人影が少年の目に飛び込んでくる。
「やっぱりここは人が多いな……」
その変化の大きさに呆気に取られていたが、すぐに我を取り戻す。このエリアでサクヤは目立ち過ぎる。幸い、貧民だからと言っていきなり目の敵のように襲われるわけではないが、軽蔑の目で見られるのは気持ちいいものではない。
人目を気にしながら、街の隅々まで探索することも含めて狭い路地を多く通って移動する。
廃墟寸前建物が少なくない貧民エリアに対し、平民エリアは住宅街だということが探索によって分かった。サクヤが好んで通った路地は子供の遊び場になっていそうな場所で、ここが一番俺たちの元いた世界と構造が似ている。
そのせいもあってか、富豪に覚えていた怒りは知らず知らずのうちに落ち着いていた。
しばらく感慨に浸りながら歩いていると、ふといつまで経っても平民エリアが終わらないことに気付いた。探索した結果、この世界は横に三等分した形にエリア分けされていることを把握した。だから貧民エリアと同じ間隔ならもう間もなく富豪エリアへと変わるはずだ。
しかし、貧民エリアは短かったのに平民エリアは異様に長い。
「もう三十分は歩いたよな」
サクヤは極力人のいなさそうな道を選んで歩く。それでも時々遭遇する人から浴びせられる視線は痛かったが、気付かないふりをしてやり過ごした。
そしてようやく、道がコンクリートから石畳になり、富豪エリアに入った。
富豪エリアは石畳ということもあってか、建物一軒一軒が華やかだ。実際、この世界の家はヨーロッパ風で、日本生まれ日本育ちのサクヤにはどうしても高級そうに見えてしまう。
だが、このエリアにも人影は無かった。この世界では絶対的権力を持つ富豪と、《革命者》を取り締まる監視者が生活しているはずなのだが、そんな気配はない。
「人がいないなら人目を気にしなくていいな」
これはこれで好都合だと捉えたサクヤは隠密行動を止めて堂々と道を歩く。
少しの間同じような光景が続いた。石畳の道の両端にレンガ造りの住居があり、今はまだ朝方で点灯していないが、洋風の街灯も設置してある。
だが突然、眼前にかなり見上げるほど大きな城が現れた。
「なんだこれ……」
サクヤはその大きさに息を呑んだ。城壁に囲まれ、城の上半分だけが見える大きさは要塞レベルだ。
なぜこれほどまでのものが平民エリアから見えなかったのだろうか。
気になったサクヤは城壁に沿って一周してみることにした。
城壁は思ったより長く、歩いている間静まり返ったこの場は少し気味が悪かった。この静けさがなぜか、サクヤの行動を陰から見られている気がしてならないのだ。
周囲に意識を向けながらも歩みは止めない。傍からすれば今のサクヤは完全な不審者だろう。
城壁を一度、二度と曲がると、やがてサクヤの前に大きな城門が現れた。門だけでも高さ十メートルは下回らないはずだ。
門の中からは上半分しか見えなかった城の麓が姿を見せている。白を基調として赤の屋根瓦やゴールドの窓縁がゴージャス感を放っている。
「あなた、そこで何をしてるの?」
唯一警戒を解いていた時に背後から声をかけられてサクヤは大きく飛び退いた。