第四十八話
☆☆☆
「あれ、魔法使ってるね」
いきなり耳元で聞こえた囁きにマリナははっとした。
サクヤが一人で《創始者》と戦っている。マリナがレイヤとのコンビで勝てなかった相手だ。彼一人では絶対に勝てない。
しかし、マリナはまだ男の魔法で生み出された監視者
センチネル
から受けた傷が完治していないために何も手出しができないのだ。
「魔法?」
「うん。私たちが一度《創始者》を追い込んだ時のこと覚えてる?」
「えっと……」
レイヤの言っているのは二人の連携が男に通用し、初めて手応えを感じた時のことだろう。
「あの時は確か、私たちが追い込んだらいきなり叫び出して、狂ったように強くなって」
「その通り。じゃあさ、さの時に《創始者》は去り際になんて言ったかは?」
「剣が違う限り本気ではない……?」
「そう。正確には剣がお前たちの持っているものでない限りまだ俺は本気ではない、だよ。その言葉が事実なのはあたしらが戦って分かったでしょ?」
マリナが少し冷静さを欠いていたとは言え、男は魔法を使わずとも剣技でも強くなっていた。その原因が男が手にする剣だということは明白だった。
「だったらおかしいところなんてないはずよ」
「よく見て。さっきから角度や強さとか、サクヤはサクヤなりに考えながら剣を振ってる。なのにあいつが防ぐとき、あいつの剣は少しも弾かれてないでしょ?」
指摘されて初めてマリナは細部を注視した。すると、指摘通り、弾かれているのはサクヤ剣ばかりで、《創始者》の剣は微塵も弾かれていない。
「石の壁を斬ろうとしたら剣って弾かれるよね? それと一緒で力の差が大きすぎない限りどっちもの剣が弾かれるはずなんだよ。でも、《創始者》と戦った時に弾かれないほどの力は無かったんだ」
「だとしたら、どんな魔法を使っているっていうの? 私にはとても魔法を使った様子はなかったわ」
「多分ここに来る前に仕組んでたんだと思う。これはあたしが魔法を使えるようになってから調べて分かったことなんだけど、魔法って二つ同時に使えないんだ」
改めてマリナは男の動きに目を凝らす。そして、過去の戦闘を一つ一つ思い出してみる。
まずレイヤの村が襲撃されたとき。
あのときは早々にマリナはやられて気を失ったために覚えていることは少ないが、男の使った魔法は確か、村を焼いた魔法と、彼女を横から襲った強力な炎魔法だけだ。それからも魔法を使っていれば分からないが、マリナの知る限り、二個同時に魔法は使われてない。
その他も、《創始者》がお気に入りのレストランを焼き払ったときや、さっきも決して魔法を同時に使うことはなかった。
魔法を作り出したのは男だ。なのに同時に二つ以上の魔法を使うことができないという制約があるのならば、それが付け入る隙となる。
「でもこめん。それがどうしてなのかまでは分からない? 何せ、魔法を作ったのが《創始者》みたいだからね」
マリナでなくても、誰もレイヤを責めはしないだろう。なのに彼女は罪悪感を抱いて金髪のツーサイドアップを儚げに揺らした。
魔法を同時に二つ以上使えないことが分かっただけでも充分大きな要素だ。
肩を借りたままだったレイヤの腕をゆっくり解いた。
「マリナ?」
「もう大丈夫よ。ありがとう」
レイヤに笑顔を向け礼を言うと、マリナはメグミに近寄った。レイヤもまだ心配そうに後をつける。
「メグミさん、あなた、魔法が使えるのよね?」
「はい」
「なら、弱点とかって分かる? 《創始者》を倒すための決定的な何かみたいなもの」
「は、はい、一応……」
戸惑いを隠しきれずにいるメグミに対してマリナは真っ直ぐと続ける。
「それを教えてくれないかしら? この負の連鎖に終止符を打つために」
「……分かりました」
☆☆☆
今のままでは埒があかない。
斬り方を軽く工夫しているとはいえ、闇雲に剣を降るだけでは良くも悪くも現状は維持するだけだ。
サクヤは一度距離を開ける。
体力も少しずつ消耗してきた。このままでは《創始者》が何もしていないのに自分から倒れてしまう。そんな事態だけは絶対に避けなくてはいけない。
サクヤの額には汗が滲んでいた。
そう言えば、彼が剣を持ち始めた頃も同じようなことがあった気がする。『遊び』と称して行っていた模擬戦も初めは真剣で行っていた。
模擬戦では、単なる実力不足に加えて真剣という恐怖からマリナやレイヤの足元にも及ばなかった。ある程度渡り合えるようになったのは真剣から竹刀に変わって少ししたぐらいからだ。
決して実力が追いついた訳じゃない。サクヤなりの戦法を取ったり、彼女たちの戦術に慣れ、対応したからに過ぎないのだ。
今でもレイヤたちと比べたら実力はまだまだ劣っている。それでもまともに戦うにはどうしていただろうか。
――思い出せ。
マリナやレイヤと模擬戦をしていたとき、どのように戦っていたか。
少なくとも今みたいなスタイルではなかったはずだったが。もっと、相手の意表を突くようなことをしていたような。
「そうか、フェイントだ」
魔法が無くてもサクヤよりも遥かに強い相手にどこまで通用するか分からないが、試す価値はある。
それに、男はサクヤの攻撃に合わせて剣の角度を変えて対処していることも分かった。だったら尚更有効だ。
男と睨み合いタイミングを伺う。
まだ男は一歩も動いてないために自分から動き出さない限り展開はしない。
――という推測が結果的にサクヤの隙だとなってしまった。
彼が気持ちを決めている最中に正面から高速で迫り来る男への反応が僅かにだが遅れた。加えてこのタイミングで動き出した男対する驚愕で目を丸くする。
そのせいで考えていたプランを実行に移せず、今度ははっきりとサクヤが不利な状況へと追いやられる。
今まで攻撃してこなかったせいか、男の攻撃一つ一つに手が痺れるほど重い。
何とか受けているものの、せめて後数回が限界だ。
サクヤは大きく後ろにステップを踏む。
「ばかな……」
一瞬自分が本当に後ろに跳んだのか疑った。しかし前方の景色は遠ざかっているし、しっかりと地を蹴った感触もあった。
なのに、男の姿が迫ってくるのだ。
さらに不気味なことに男は不敵な笑みを浮かべていた。
背筋に悪寒が走ったサクヤは後退するのを止め、咄嗟に剣を出す。直後、手に強い衝撃が伝わり、危うく剣を落としそうになった。
「フッ、よく防いだな」
剣が全く見えなかった。もし剣を出してなければ確実に斬られて死んでいた。
今のは魔法だったのだろうか。いや、剣を通して伝わった感触は物理的なものだ。つまり、男の今の攻撃はただ剣を振っただけだということだ。
剣どころか残像すら見えない攻撃。そんなことが可能ならそれは時を司る神、クロノスにも等しい力と言っても過言ではない。
攻撃モーションも見えないのなら、男の斬撃はもはや回避する方法がない。なら男の前に敵う者はないことになる。
この時、サクヤはこの世界に来るきっかけとなった夢を思い出した。
剣など一度も扱ったこともなかったサクヤが剣を握り、メグを奪われたくない一心で勝てるはずもない相手に必死に食らいついていた。夢では結局サクヤの意識が途切れて終わったのだが、今の状況ととても似ている。
だが夢に残されたものもあった。彼の愛用してる黒剣を初めて実際に手にしたときに得た、マリナと同じような力。得た力のおかげでメグを助けることはできた。
この力を使えば、少しは粘れるのだろうか。
躊躇している場合ではない。使うしか選択肢はないのだ。
「我は闇を……」
――お兄ちゃん。
突如聞こえた声にサクヤは唱えかけていた祝詞を止めた。
敵対していたときはすぐに気付けなかったが、今はもうメグの声だというのが瞬時に分かった。恐らく、脳内の直接話しかけている方法は同じだろう。
――もうちょっとだけでいいから頑張って。
何をするつもりだ。
――すぐに分かるよ。だからお願い。もうちょっと時間を稼いで。
声は途切れた。妹の頼みなら聞かずにくたばるわけにはいかない。
メグは耐えろとは言わなかった。ただ時間を稼いで欲しいと、それが妹から頼まれた内容だ。だったらわざわざ戦う必要はない。
時間を稼ぐに最適なのは言葉を交わすことだ。不自然にならないように男とやりとりをすれば自然と時間は稼げるはずだ。
「今の攻撃は……?」
咄嗟に浮かんだのは自分の中で答えの出ている問だった。しかし男は自信があるのか、こういった内容はご丁寧に教えてくれる。
彼の判断は正しかった。
「普通なら見えないよな。単純に人の視覚できない速さで剣を振っただけだが」
まあ大体はサクヤの推測さした通りの内容だっが、一つだけ素で気になった。
「人の視覚できない、だと? 同じ人間のお前が神の力でも手にしたつもりか」
「そうさ。最早俺は人間を超越した創造者だ。貴様らの視認できないレベルに至っているのは至極当然のこと。何もおかしくはあるまい」
何を言ってるんだ。神の力など、そんなの存在するはずがない。人間が神になるなどこの世界でも、元の世界でも最大の禁忌だ。だからこそ不可能だしあり得ない。その禁忌を犯してしまった時には世界はいとも簡単に滅びへと向かうだろう。
サクヤは両の拳を力の限り握り締めた。
男の言葉を全力で否定してやりたかった。だが、目の前でこれ程の力を示されてしまったら、信じたくはないが自分の中のどこかで《創始者》は本当に神のような存在なのではないかという思考が巡っているのだ。
いつしかサクヤはメグに時間を稼いで欲しいという頼みを忘れ、怒りを男にぶつけようとしていた。
少年の眼前にいるのは、妹を攫い、別の人格を強引に植え付けてサクヤたちと戦わせようとした憎き敵だ。誰がなんと言おうと、例えそれが神であってもサクヤは許しやしないだろう。
「ふざけるなよ」
少年は声を落として呟いた。
「何が神だ。お前のやっていることはただの我侭だ。その傲慢さで何人殺した。何人巻き込んだ。何が神だよ。何が身分だよ。ふざけんな!」
「ならば貴様は何ができる? できやしないさ。己の無力さを知り悔いているがいいさ」
「うるさい!」
語気を強めたサクヤはほとんどヤケになって走り出した。この瞬間、男が不気味に口端を持ち上げたことなど気付くはずもなく。
――お兄ちゃん、伏せて!
脳内に直接響いたその声でサクヤはようやく僅かに冷静さを取り戻した。そして声の指示に従って強引に横に飛び退き地面に突っ伏す。
直後、良く分からないが爆音が部屋に、いや恐らくは城全体に響き渡った。