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第四十四話

 少し休むとレイヤも体力が戻ってきた。廊下で休憩するのは《創始者》に見つかるのではと不安だったが、特に何事もなかった。

 でも、いつまでもこうしてばかりではいられない。

「ねぇ、マリナ」

 その時、普段の元気さを取り戻しかけていたレイヤがマリナに声をかけた。

「どうしたの?」

「サクヤたち、大丈夫だと思う?」

 今まで忘れていた、訳ではないが、余裕がなかったために考えなかったのだがサクヤと別れてからもう大分時間が経つ。そろそろ勝負が着いていてもおかしくない。

「そうね……」

 正直なところ、マリナはサクヤが妹さんを助けられたと言い切る自信はなかった。そう信じたいの山々だが、やはり戦ってきたサクヤの妹は強かった。

「そうかな? あたしは大丈夫だと思うよ?」

 レイヤがマリナの心を読み言った。

「だって、サクヤの妹の記憶はちゃんとあるもん」

「えっ?」

 マリナは、レイヤの言っていることが理解できなかった。

 そもそも記憶ってどの記憶を指しているのか。洗脳されているメグミとしての記憶か、本来のメグミとしての記憶か、或いは他の……。

「見た感じは確かに普通じゃないんだけどさ、多分本人の、意志っていうか考えてるが伝わってくるんだよね。申し訳なさっていうか、んーー、何ていうかなー、自分を責めてる感じ? みたいなのがいつも伝わってきてたよ」

 戦闘中にそんなことを考えていたのかだの、メグミにそんなことがあったのかだの、驚くことが多過ぎてマリナはリアクションが取れない。

 しかも、レイヤの特技を完全に失念していた。相手の顔を見なくとも表情が分かり、さらにそこから相手の思考を読めるというのがレイヤの特技だ。とは言え、洗脳を受けていたメグミの表情は不安定で、マリナには偽物のものに思えた。

「多分あれは洗脳じゃないよ?」

 また思考を読まれレイヤから突っ込まれた。今度はマリナの確信が否定され、言葉通りすぐには信じられなかった。

「さっき言ったけどさ、本人の意志は理解できたんだ。きっと優しい人なんだろうね。でも実際に喋ったり戦っている彼女は言葉なしに伝わってくる優しさは少しも見えないんだ。だから洗脳ではなくて、二重人格のようなものなんじゃないかな」

 思わぬレイヤの推理にマリナは嘆美した。レイヤが嘘をついてるとは思えない。これは彼女でなければ気づくことはできないだろう。だから仲間の言葉を信じるならば筋は通った言い分だし、その可能性も十分にある。

 だが二重人格というのは少し引っかかる。サクヤもそんなことは一言も言わなかったし、寧ろ彼も妹の様子は変だと言っていた。つまりレイヤの言う二重人格は、生まれつきあったものではなく、この世界に来てから植え付けられたものだということになる。

 最初のマリナの予想の誤り。それは洗脳ではなかったということ。しかしその事実は新たな不安要素となった。洗脳であれば何かがきっかけで洗脳が解け、解放されるのではないかという考えがマリナの中にあった。なのに別の人格を植え付けられたとなると、メグミは元に戻る手段があるのだろうか。

 その時だった。マリナの視界の端の遠くに二人の走る人物が横切った。

「あれは……」

 後を追おうもマリナが立ち上がろうとしたが、まだ受けた傷が鋭く痛み、顔を歪めて座り込んでしまう。

「マリナ!」

 駆けつけたレイヤに肩を借りて立ち上がると、マリナは重い足取りでレイヤに肩を借りたまま、さっき見た人物の後を追うために歩き出した。


☆☆☆



 白海恵美(シロミ・メグミ)は心の底から兄に申し訳ないと感じた。

 兄の抵抗も虚しく連れ去られたあの日から、自分のせいで兄には辛い思いをし続けてきたことだろう。時には殺しかけたこともあった。なのに兄は自分のことを求め、常に助けようとしてくれていた。敵対して初めて知る兄の存在の大きさ。そのことに気づいたときにはもうどうしよもなく遅かった。自分ではどうすることもできずに、気がつけば人を殺めようとし、街を荒廃させようとしているもう一人の自分がいる。兄と別れてからの数ヶ月という短くも長い時間はメグミにとっても辛い期間だった。

 男に連れ去られた後、メグミは不思議な装置の中に入れられて洗脳のようなものを受けた。正確には魔法によって身体にもう一つの人格を植え付けるというものではあったが、そのことを知ったのはつい最近だ。毎日のようにもう一つの人格を安定させるために装置に入れられ、毎回見る夢は連れ去られそうになる自分を必死に助け出そうとして兄がボロボロになりながら男に立ち向かっているもの。でも結果は無意味な抵抗となって兄は気を失って自分は城へと連れ去られるのだ。

 夢の中では耐えきれなくなるほど胸が痛く苦しいのに、目が覚めたときにはそんな感情の一切を感じなくなっている。そして《創始者》に命令されて兄たちとの戦いへ向かう。

 もう一つの人格が身体を支配していても、メグミ自身の意識はちゃんと残っていた。だが身体は自分の言う事を聞いてくれず、彼女の意思に反することばかりして、言ってしまっているのだ。まるで、意識は体の中にあるが、身体と意識が切り離されているような感覚だった。

 だから、自分の手で兄を一度刺した時の嫌な感触はしっかりとまだ覚えている。洗脳されていたとは言え、兄を刺したのは紛れもない自分自身なのだ。これだけは絶対にぬぐい去ろうとしてもぬぐい去れない。

 しかし、メグミ以上に刺された兄の方がよっぽど辛いだろう。激痛を味わい、死にそうな思いをしてきたのだから。

 だからこそ、兄を刺した直後に自分の情けなさと、無力さへの後悔、兄への申し訳なさから涙したこともあった。

 とくにそれにいらあ以来、心の奥底で負い目を感じ続けてきた。男に呼ばれて命令を受けるときも、命令に従って兄と戦っている時もその思いを忘れたことはない。

 サクヤは敵だ。お前の倒す相手だ。男に刷り込まれた言葉は思い出したくもないが頭の中にまだ残っている。

 だが、今日だけはいつもと命令が違った。

 街を焼き払え。

 それが今日の命令。メグが疑問を抱く間もなく彼女は入ったことのない部屋に連れ込まれた。そこはこの世界に連れ込まれる前の世界かと思わせる程コンピュータが何台か設置されていて、一台につき数本の線が接続されている。コンピュータから出ている線を辿った先には、人が丸ごと入りそうな青いカプセルがあった。

 その中に入れられると、音は完全にシャットアウトされた。無音の空間で待つこと数秒。異世界人とは思えない程流暢にキーボードを打っていた男の手が止まった。途端に金切り声のような高い音が脳内に直接流れ出す。

 これにはさすがにメグミも頭を抱えながらもがき、苦しみ、悲鳴をあげた。

 数分間にも渡って謎の音を聞かせ続けられた後、解放された時にはもう膝をついて崩れ落ちた。

「身体の中心に力を感じるだろう?」

 言われたように身体の中心に仄かな熱さがある。そして続く言葉には驚きを隠せなかった。

「これでお前は魔法が使えるようになった」

 男に反抗できる唯一のものである思考でメグミは考える。

 魔法、果たしてそんなものが存在するのだろうか。ここが異世界だということを考慮すればありえない話ではないように思える。だけど、俄には信じ難い。

 誰しもが幼い頃に一度は魔法というものに憧憬の念を抱くことはあるだろう。それはメグミも例外ではなかった。しかし実際に魔法が使えるようになったと現実離れしたことを唐突に言われると、どうも理解が追いつかない。

 なのにいくつかの魔法の名前と効果はいつの間にか頭の中に入っていた。例えば『アヴェント』。自分の剣一本のみに魔法を与え、離れた位置からでも一瞬で自分の手に呼び戻せる。他にも『ストーム・ストリーム』。炎を竜巻状に巻き上げて相手に攻撃する。

 気持ちの整理、といったものはメグミの思考でだけの問題で、身体は彼女の意識に関係なく男の指示通りに動いてしまうのであまり影響はないが、理解ができていない状態で男からの命令が続く。

「屋上から魔法で街を焼け。街を焼けば必ずシロミ・サクヤが来る。そこで、奴を殺せ」

 それだけは絶対に拒みたかった。これまでにも兄の命を奪いかけたことはあったが、面と向かってはっきりと命令されればそれがどういうものなのかという実感が改めて湧いてくる。

 自分自身を止められないのは分かっている。どうもがこうと、足掻こうとしても身体を動かすには至らない。

 男は命令するだけしておいて部屋を出ていった。残されたメグミは命令に忠実に屋上に足を向ける。

 屋上までの道中でメグミが何を思っていたのか、つい数十分前のことなのに記憶がない。あるいは、一時的に完全に支配を許してしまっていたのかもしれない。再び記憶が残っているのは屋上から見る光景が火に染まっている時だ。

 これを、私が……?

 今までなんか比べ物にならない凄絶な光景に絶句――話すことは元から無理だが――するしかなかった。

 この景色を目の当たりにして自分はどんな表情をしているのか、とても気がかりだが、鏡がないため叶わないことだ。それ以前に、自分の身体なのに自由に身体を動かせないため見る術なんてない。

 しばらくして、男の予言した通りサクヤが姿を現した。

「来たんだね、お兄ちゃん」

 口が勝手に動く一方では来ないで欲しいと思っていた。こんな汚れた自分は見て欲しくない。兄の前では清純な姿でいたかった。

 だが、メグミの思いに反して兄妹は戦いへと展開していく。

 一対一で戦う分にはやはり魔法の使えるメグミが有利に進んでき、追い込んだも思ったとき、サクヤ自ら屋上から身を投げたのにはさすがに二人の(・・・)メグミは唖然をとした。

 まさか自分から命を捨てるとは。と一瞬は思ったが、兄がそんなことをできる人間ではないことをメグミは知っている。

 結局、噴水の中に消えた兄を見届けて一息ついて――気分だけ――メグミの身体はサクヤを逃がさまいと後を追いかけた。

 噴水に着くと、兄の姿はなかった。沈んだまま上がってきていないのかとも思えたが、すぐ横に石畳が濡れている箇所に気づき目で濡れた石畳が続く先を目で辿る。

 すると、跡は城門の方への伸びていた。

 どうやらサクヤは無事なようで、城の外へと向かったらしい。

 外に出られると逃げる場所なんていくらでもある。跡を辿れば問題ないが、それを隠すもしくは消すことも可能なのだ。とりあえず跡が続いている限りはそれを追ってメグミは歩き出した。

 それからは意外にも呆気なくサクヤは見つかった。見るからに身体はボロボロなのにどこにも隠れようともせず、道の中央をフラフラになりながら歩いていた。

 やはりあの高さから飛び落ちた代償というのは大きかったようだ。おかげでこの勝負は簡単に終わらせられる。

 サクヤもメグミに気づき数言言葉を交わすと戦闘は再開された。

 剣を打ち合っていると、サクヤは普通に耐えているように見えるが、彼の持つ手に力は入っていない。防御に徹するのがやっとな状態であるのは瞭然だった。

 しかし直後、異変が起こった。

「|我は光に宿りし希望なり《アイ・アム・ア・ディザイアー》」

 謎の言葉を口にしたサクヤの全身から突如現れたオレンジ色の不思議なオーラに、メグミは戦慄した。

 こんなものは見せかけだと言いのけたかったがメグミの直感的な本能がこれは危険だと警告している。

 それは、サクヤの剣筋を身を以て体感すれば、さっきまでとの差は歴然としていた。

 フラフラとして力のまるでなかった剣筋にメグミも打ち負ける程の力が込められていて、逆にメグミが押し込まれそうになる。

 このままではまずいと、メグミからも反撃を試みるとサクヤは大きく飛び退いて距離をとった。間合いが空けば魔法が使えるメグミの方に部がある。

 チャンスとばかりに魔法を連続で使う。

「ライトニング・バレット」

 一発目は躱される。

「ストーム・ストリーム」

 続いて出した範囲攻撃技も一度は切り裂かれた。だが魔法はそれだけで終わらない。追尾(ホーミング)機能でもあるのかと思える動きで斬られたところを自動修復し、サクヤを取り囲むように炎が襲いかかった。

 炎が消えるとサクヤはまだ立っていたが、重症は与えられたようだ。

 ここまで来れば勝負はあったも同然だろう。そのことにメグミは、また兄を傷付けたのかという罪悪感に駆られた。

 どうすることもできないとは、これ程心苦しい思いはもうしたくない。ならいっそのこと、サクヤの手によって殺されてしまった方が街も人も襲わずに済む。その方がメグミにとってはありがたい。

 などと考えている間にも自分の身体は兄にトドメを刺そうと距離を詰め、回避されてもなお、魔法によるアシストで追撃する。

「ボルケーノ・アクセル」

 攻撃魔法ばかり使ってきたために、自分の動きを速くするという支援魔法はサクヤにしてみれば意表を突かれたらしく、反応が完全に遅れた。

 メグミは千歳一隅のチャンスを逃さなかった。

 振り下ろした剣はサクヤの左肩を抉り鮮血が飛び散る。

「ぐぁっ!」

 今までサクヤが何度も致命傷を負いながらも命を繋げてきたのは、彼の近くにいつも仲間がいたからだ。しかし、現在この場にいるのはメグミとサクヤの二人だけ。いくら叫ぼうと、喚こうと、仲間のいる場内まで声は届かない。

 サクヤからしてみれば絶体絶命、メグミからしてみれば千歳一隅。誰が見ても結果は明白な状況の中、いきなり声がした。


『俺なんか、死んでも構わないんだ』


 兄の声だった。

 ほぼ反射的に焦点を合わせるが、どうやら肉声ではない。という確認をしたと同時に彼の胸に赤く光るものがあるのに気がついた。

 その正体をメグミはよく知っている。なぜならあれは彼女の持ち物だから。兄からプレゼントされて大切に毎日つけていたものだ。

 自分のものを代わりに兄が毎日持っていてくれたことに僅かながら嬉しさは感慨深いものを感じた。

 だがそれよりも、メグミは驚きを隠せなかった。自分の意志で(・・・・・・)自分の身体の一部を(・・・・・・・・・)動かせたことに。

 さすがに手足を動かすということは不可能だったが、男の魔法による支配が弱っているのは間違いない。前にサクヤの夢に入って話せた時は、もう一つのメグミの人格を安定させるという魔法の途中でアクシデントが起こり、支配が弱まったところに乗じて自分の兄に呼びかけたのだ。

 あの時状況は似ている。だからメグミは脳内で兄に声をかけた。


 ――そんなことないよ。


 声はしっかりと兄に届いたようだ。


 ――死んでもいい人なんていないよ。


 いつまでメグミがこうしていられるかは分からない。言いたいことは早めに言い終えてしまう方が得策だ。


 ――お兄ちゃんにだって、必要とされる人はいるはずだよ。


 例えば私とか……。と言いたかったが、さすがにそれは直接発生せずとも気恥ずかしくて言えなかった。

 でも、メグミの言葉は事実だ。マリナとレイヤ。この二人のことは何一つ知らないが、メグミも戦いの中ながらも自分の意識で(・・・)しっかりと見ている。兄には確かに、この世界で仲間、いや、友達と呼べるような信頼のおける人に出会っているのだ。

 メグミの意識が一瞬だが霞んだ。

 そう、前もサクヤの夢に入った後、もう一つの人格の支配力が戻れば、元のメグミは意識を失った。つまりこれは、植え付けられたもう一つの人格の支配力が戻りつつある予兆だ。

 もう長くはない。


 ――だから死んでもいいなんて言わないで……。


 最後の言葉がちゃんと伝わったのか、確認する前にメグミの意識は途切れた。

 そして二人の戦闘は再開された。実際には戦闘と呼べるようなものではなく、次々とメグミの繰り出す攻撃をサクヤが受け止めるという一方的なもので、彼女の最終的な刺突も躱すことなく、サクヤは剣を腹で受け止めた。結果、メグミは二度も実の兄を刺したこととなった。

 元のメグミが目を覚ましたのは、その直後だった。何が起こったのか分からない彼女の右手に持った剣は深々と兄を貫いていて、妹を抱く兄の胸ではペンダントが再度光っていた。

 そして、

「やっと……取り戻した……」

 耳元で兄の声を聞いた途端に、メグミの胸に熱いものが込み上げてくるのを抑えきれなかった。

 彼女の想いは男に魔法で植え付けられた支配よりをも凌駕する程強いもので、彼女の気持ちは煌めく涙となって滴った。

 たくさんの罪を犯した妹を、兄は許してくれるだろうか。いや、許してもらえなくても構わない。それが自然であり当然な形だ。

 だが許すも許さぬも、サクヤがいなくなってしまっては元も子もない。自分でこの事態を招いておきながらおかしな話だが、何が何でも兄の命は繋がなくてはいけないのだ。

「ごめんね、お兄ちゃん」

 止めどなく溢れ出す涙を、メグミはもう堪えようとはしなかった。代わりに彼女は、永遠にこんな思いしなくて済むように、そっとメグミも兄を抱きしめた。

 メグミの身体の主導権は、この時をもって、本来あるべきところへと返還された。

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