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第四十話

☆☆☆


「来たんだね、お兄ちゃん」

 探し続けていた声にサクヤが振り向けば、煙の充満する屋上で、街から上がる炎を背にしてメグは待っていた。

 良くも悪くもメグの様子は最後に剣を交えたときと変わっていない。だからこそメグが街を破壊しようとすることが許せない。

「もう少し遅かったらこの街全体を炎に変えていたとこだよ」

 これが普段のメグではないと言っても、表情一つ変えずにこんな台詞を言われると兄としては心苦しい。

 一緒に住んでいる間に何も兄らしいことはできず、逆に助けられてばかりだったが、妹が穢されていくような気分になる。

「そんなことはさせない」

「お兄ちゃん、口では何とでも言えるんだよ?」

 たったその一言でサクヤは戦慄した。

 メグがそんなことを言うだけでもおぞましいが、今の言葉の中には深い闇があるような口調だった。だからハッタリの類のものではなく、その気になれば本気で街全体を焼き払いそうな気がする。

「何でそんなことをするんだ。どこに街を焼く理由がある」

 話し合いをしたところで無駄なだけなのは元より百も承知だ。だが、兄としては言葉を交わしたい。そうすることによって前にみたいに普段のメグが戻りかける可能性が僅かでもあるのならその道を試したい。

「理由? そんなの無くていいでしょ」

 そんな兄の希望を妹は一蹴した。

 メグの言い草にサクヤは無意識のうちに手に力が入る。

「そうしたいからそうする。それに理由とか動機なんて必要ない」

「そんなこと……」

「じゃあさ、お兄ちゃんは大切なものを取られたら、どうするの?」

 どうしてそんなことを聞くのかと疑問を抱く一方で、その答えは自分の中では明白だ。まさに今がその状況なのだから。

 メグを何がなんでも取り戻す。その意志には確かに、理由とか動機だとかは関係ない。だとしても、メグの、いや、《創始者》のような行動を許すわけにはいかない。

「それでも俺は無関係の人間を巻き込みはしない」

「本当に? レイヤって人は? 無関係じゃなかったの?」

 その問いかけにはすぐに答えることが出来なかった。メグの言う通りレイヤは本来ならこの戦いとは無縁の人物だ。それなのにレイヤをこの戦いに駆り出したのがサクヤであることは紛れもない事実である。

 原因は多分《創始者》の襲撃。あれがきっかけで奮起して男と戦うことを決めたというのもある。

「ああ。本来レイヤはここにいるべきじゃない。でも、レイヤは自分から戦うって言ってくれたんだ。何も強要したわけじゃない!」

「ふーん」

 やっぱりこれはメグではない。メグならこんな口調で攻撃的な発言をするはずがないのだ。前に戦った時にはメグは一言も発しなかった。なのに今はこんなに饒舌になっている。

 普段の妹はそのどちらでもなく、明るく振舞って優しく穏やかだということが口調からでも分かるのだ。

「そんなことはどうだっていいけどね」

 遂にメグは剣を抜いた。

 戦闘態勢に入って兄妹の言い争いは終わり、一瞬で緊張感が高まる。

 それに合わせてサクヤも鞘と剣の擦れる音を響かせながら愛剣を抜く。

 この愛剣は元からあったわけではなく、この世界に転移した時になぜか自然と家にあったものだ。だが、この世界に導かれることとなった夢で使っていたために、今はこの剣がしっくりとくる。

「さあ、そろそろ消えてくれるかな、お兄ちゃん?」

 熾烈な争いになるのは避けられそうにない。それに、本気で斬りにかからなければ確実に殺されるのはサクヤだ。

 あらかじめ覚悟は決めていたつもりでいたが、実際に剣を向け合うとどうしても躊躇いが出てしまう。

 ――こんなんじゃだめだな。

 深呼吸をして気持ちを落ち着ける。何もメグを殺そうとしてるわけではない。あくまでメグを助けるための戦いだ。

 そう自分に言い聞かせて剣を中段に構える。

 それから数秒の静寂の後、メグが地を蹴りサクヤが迎え撃つ。

 メグと剣を打ち合うのはこれで二度目だろうか。前に交戦した時に比べてメグの速さには磨きが掛かっていてサクヤは顔をしかめる。

 やはり自分たちより明らかに強い。その事実はサクヤにとっても嬉しくもあり、悲しいことでもあった。

 だが今のメグは歴とした敵だ。真っ向から立ち向かって勝てる確率はかなり低いだろう。それにここは城の屋上だ。逃げ場がなければ隠れる場所もない。

 サクヤは幾度か剣を打ち合って妹の攻撃を防ぎきると、今度は彼が攻撃に打って出る。一度距離をとって一気にメグに接近し、剣の間合いに入る直前に横移動を入れて視界から外し、一歩踏み込んで剣を振る。

 これはレイヤと初めて模擬戦をさせられた時に彼女が使った技だ。

 技を使ったサクヤからしてみれば会心の一撃だったのだが、メグはこの攻撃を予期していたらしく、動きに反応して防いでみせたが、それはまだ想定内だ。

 そのまま鍔迫り合いに持っていき、力勝負にすると思いきや、黒剣をメグの剣にスライドさせて刃の根元の方へ滑らせて手元を狙う。

 これにはメグも対処することはできなかった。唯一できたことは剣を離して距離を取る緊急回避だ。

 手放された剣は見た目こそ普通の剣だが、見かけによらず重たげで鈍器のような音を立てて地面に落ちる。

 サクヤはその剣を取らせないようにと、落ちた剣の前に立つ。

 これでサクヤの勝利は手堅いだろう。いくらメグと言えども丸腰でサクヤには勝てない。何かの隙に剣を奪還されなければ大丈夫だ。

「メグ、もういいだろう」

 勝負は決したも同然だ。これ以上は無駄な戦いにしかならない。

「…………」

 急に黙り込むメグ。彼女の目にはやはり感情はなく、相変わらず何を考えているのか全く分からない。

 しかし、口角が僅かに上がった気がした。直感的に脳がこれは危険だと警鐘を鳴らして全力で飛び退く。

 同時にメグは無機質な声である名を呼んだ。

「アヴェント」

 刹那、サクヤの後ろに転がっていた剣が宙に浮き、吸い込まれるようにしてメグの手に収まった。

「ウソだろ……」

 その光景をサクヤは信じることができなかった。サクヤの妹であるメグは当然この世界の住民ではない。《創始者》が前にした発言からすると彼女は魔法を使えるはずがないのだ。なのに今、目の前で起こった現象は、どうやっても物理的には証明できない、魔法と言うしかないものだった。

「それだけじゃ私に勝てないよ」

 目を丸くして動けないでいるサクヤに対してメグが強気に告げる。

 《創始者》が嘘を吐いていたとでも言うのか。だが皮肉なことにこれまで男が虚言を弄したことはない。敵にも関わらず、男は嘘だけは絶対につかないという、なぜか妙な確信がサクヤの中に渦巻いていた。

 なら、なぜメグが魔法に使える。その答えはうっすらと浮かびつつあった。

 男に弄られていたのは記憶のようなものだけでなくもっと根本的なものにまで至っているのではないかということだ。

 そうなれば、自分たちの力だけでメグを助け出す方法なんてあるのだろうか。

 考えている間にもメグは間合いを詰めてサクヤに襲いかかる。動揺のあまり剣を弾くこともできず、サクヤは壁際へと押し込まれていく。

 一歩、また一歩と後退しながら繰り出される攻撃を避け、ついに彼は背中にコンクリートの固さと冷たさを感じた。

 背後を振り向けば、背中までの高さの壁の下には数十メートルという高さの下に地面がまちかまえている。ここから落ちるようなことがあれば間違えなく死ぬ。

 正面にはゆっくりと獲物を仕留めるように剣を構えるメグがいる。もう絶体絶命だ。

 全力で思考を巡らせてこの危機的状況を乗り越える方法を考える。メグが剣を振り下ろす直前に回避して体術に持ちこむか。

 いや、それではダメだ。そもそも一度避けたたけではさすがにメグも反応して体術には持ち込ませてくれないだろう。

 ならばどうすれば……。

 サクヤは冷や汗を掻きながら横目で城の下を見る。

 このまま何もしなければメグに斬られて死ぬか、ここから落ちて死ぬかの二択だ。そこでサクヤは見つけたあるものに僅かな希望を見出す。

 もし噴水に飛び込むことができれば、無傷とまでは言わないが現状を打開できるかもしれない。

 メグが剣を振りかぶる。

「やるしかない……っ!」

 この賭けは噴水の深さに次第だ。深ければ水中の浮力によって勢いは抑えられ、浅ければ自由落下の勢いのまま底に衝突し死亡だ。

 一撃でトドメを刺そうとメグが剣を振り下ろしかけたその瞬間、サクヤはまず自らの愛剣を噴水目掛けて投げ落とし、次いで壁の上に上って遥か下方へと身を投げ出す。

 剣が空を切り、標的を見失って戸惑うメグの姿があっという間に離れていく。

 もうこうなればサクヤにはどうすることもできない。彼は覚悟を決めて数秒後に決まる運命に身を委ねて目を閉じた。



「んっ………」

 少年が痛みを感じて目を開くと煙で灰色に化した空と赤く燃え上がっている炎の灯りが目に飛び込んできた。

 続いて全身に水の冷たさと、まとわりつく服の感触を意識する。

 そっか、生きてるのか俺。

 実感が湧かないままただ漠然とサクヤはそう思った。どうやらいつの間にか意識を失っていたらしい。お陰で着水時の痛みは感じなかったが、今こうしているだけでも全身に鋭い痛みを感じる。

 力なく顔だけを動かして自分が落ちてきた先を見ると、メグの姿はもうない。自分がどれだけの時間意識を失っていたのかは分からないが、メグはあまりしないうちに彼を追ってここに来るだろう。

 だから少しでも早く移動しないと。今追いつかれたら何もできずに殺されるのは確実だから。

「うわあっ!」

 横目で見える、水面に浮かぶ黒剣を回収し、水面に浮かぶ自分の体を起こそうとしてサクヤは悲鳴を上げた。自分が横たわっている場所が陸地だという錯覚に囚われていて、水面に着いた右手がそのまま沈み込み、折角助かった命を無駄にしそうになる。意識を無くしていたせいで忘れていたが、彼がこうして生きているということはそれだけの深さがこの噴水にはあるということだ。

 全身を打ち付けた痛みで身体が重いところへ水中からの脱出に体力を奪われ、陸地へと上がった時にはもうサクヤの体力は限界に近かった。

 それでもまだ終われない。

 強固な意地だけが微小な動力となって少年の足をゆっくりながらも動かした。

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