第三十九話
マリナが呆然と前を向けばレイヤの姿がなく、男がじわりじわりと迫ってきている。
――ついにレイヤでもやられちゃっか……。
仲間がやられたというのになぜか危機感や悲愴感といったものが湧いてこない。
男が足を止めてマリナに剣を向ける。
――これで私も終わりなのね。やっぱり、富豪には勝てなかった。
悔恨など微塵もなくマリナは静かに両眼を閉じる。
数秒後には剣で貫かれるか、斬られるか、もしくは魔法に呑まれるかによって殺される。覚悟は決まったつもりでいた。
『何死のうとしてるんだよ!』
そんな声が聞こえた気がした。この言葉は男に殺されかけたマリナにサクヤがかけたものだ。
また自分は同じ過ちを繰り返そうとしている。
今になって瞼の内側に浮かんだ顔は、この世界に投げ出されて三年の頃に出会った、同じ境遇であり、共に行動してきた一人の少年。いつの間にかその少年のことばかり目で追うようになって、気がつけば好きになっていた。一緒にいるだけで感覚になったのは人生で初めての経験だ。そんな感覚にさせてくれたのはその少年しかいない。
サクヤといる日々は楽しかった分短かった。彼のことが好きだと気づいてからまだ数日しか経っていない。なのにもう別れるなんて早すぎる。もっとサクヤのことを知りたい。一緒にいたい。
――だから……まだ死にたくない。
閉じた少女の瞼の下から一粒の水滴が零れた。それこそが彼女の本音であり、意志だ。
前にもこんなに風に命を諦めかけた時があった。あの時はサクヤがいてくれたけど、今はいない。
こんなところで自分の人生に幕を下ろしたくはないが、遅すぎた。もっと早くこの感情に気づいていればという後悔がマリナの中を支配する。
「インフラメーション・フォッグ」
最期は、魔法か。
命が尽きる直前の思考はそんなどうでもいいことだった。
技名からではどんな魔法か見当もつかないが、男が二度に渡って使用した高威力の炎系統の魔法なのだろう。
せめて最期は遺体ぐらい残して欲しかった。と考えてマリナは未だに思考が続いていることを不審に思った。
いくら待っても魔法に呑まれて体が焼ける熱さを感じない。確かに《創始者》は魔法を使ったはずだ。つまり、もう死んでしまったのだろうか。
そっと目を開けると、彼女は目の前で起こっている光景が理解できなかった。
男の炎魔法は確実に放たれていた。でもそれを弾いている存在があるのだ。
マリナのコレクションしていた八枚のコインが空中で円状に並び、虹色に発光しながら男の魔法を弾いている。
いつの間に懐から抜け出したのか、なぜ魔法を弾いているのか、そもそもコインにこんな力があったのか。
魔法を受けるにつれてコインのバリアはそれを吸収していき大きさを増す。そして魔法が途切れた途端に吸収していたものを逆流させて男に押し寄せる。
「ぐああああぁぁぁぁぁ!」
男の魔法の威力が高かった分幸いして、同じもしくはそれ以上の威力の炎魔法を受けた《創始者》は煙の中へと消えた。
役目を果たし終えたコインはマリナの上まで浮遊してくると、力が抜けたようにゆっくりと下降を始めた。
両手を出してマリナがコインを受け止めると、八枚のコインからは不思議な暖かさがあった。炎魔法を受けていたのだから熱いのは当然だが、それとは違った穏やかな温もり。
その温もりが仲間の存在を示しているようで、見ているだけで不思議と気分が落ち着いてきた。
どうして今まで忘れていたのだろう。彼女の仲間は確実に強くて、信頼できるということを。初めから一人で背負い込まずにレイヤやサクヤに打ち明けていればよかっただけの話なのに。
そんな簡単なことすらしようとは考えなかった。
今からでも大丈夫だろうか。今から頼ってもいいのだろうか。
「いいよ」
背後から聞こえた声にマリナははっとして顔を上げた。
「だってさ、あたしたちまだ生きてるんだよ? 生きてるってことはまだ負けてない。だから遅くなんてないよ」
そうだ。レイヤの言う通りだ。まだ負けてない。生きている限り、何度でも立ち上がれる。
それこそがさっきまでのマリナに欠けていたことだった。
「そうね」
たった一言の中に、マリナの覚悟の全てが詰まっていた。
ここからもう一度仕切り直しだ。あの威力の反射ではまだ男は普通に生きているに違いない。二人は並んで黒く立ち込める煙の中を注視する。
何となくではあるが、もうコインは不思議な力は発動してくれないと思う。それでも十分助けてくれた。まさかコレクションしていただけに過ぎなかったものが命を救ってくれるとは。
返事は当然帰ってこないが、胸中でコインにも感謝をした。
ここからはレイヤと二人で富豪に立ち向かう。