第三十八話
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仲間の姿が見えなくなると、少女二人は安堵してて憎き敵に向き直った。
「ほぅ? 二人で勝てるとでもいうのか?」
サクヤを妹の元へ送り出したことは気づかれているような口ぶりではあったが、男に追いかけようという仕草はない。
それならそれで何も考えずに戦える。
赤髪の少女ちらりと並んで立つ金髪の少女を見やる。
一人だったら今頃ここに立ててはいないだろう。そう思うとレイヤにはすごく助けられている。だからこそ、彼女なら信じられるし、堂々と男に立ち向かえる。
「あなたに勝つには二人で充分よ。前に戦った時にそう感じたわ」
「なるほど、そんな考えか」
半ば小馬鹿にするような男の言い草にマリナは表情を渋らせたが、男が不敵な笑みを浮かべたことによって彼女は一瞬で顔を引き締めた。
《創始者》にはまだ何かがある。
直感的にそんな予感がしてマリナは身を強ばらせた。
「確かにまずかったかもしれんな。前に戦った時と同じなら、な」
意味深な言葉わ発して男は前に手を伸ばし、
「アヴェント!」
謎の単語を叫んだ男の手に、細長い物体が形成されていき、収まった。
それは本来ここにあるはずのないものなのに、男は一歩も動くことなくそれを手にしている。
「何でその剣が!」
レイヤの村を襲撃した際に男が落としていた剣。それをずっと監視していたレイヤが驚愕の声を上げた。
男の握る剣が森の中にあるのは確かにマリナも何度か見ている。それがレプリカだったとは考えにくい。かと言って男の持っている剣が偽物であることもあり得ないだろう。
「これも魔法さ。本当にこいつさえ無ければ勝てると思っていたのか? こいつが無ければ確かに痛手になるが、魔法で取り戻す方法が無かったら今頃村はまた火の海だろうよ」
考えが軽率だった。男の言う通り、剣が男に欠かせないものだと分かっている以上、意地でも取り返しに来るのが普通だ。だが、男は来なかった。その時点で何らかの手段で取り戻す、あるいは他の補う手法があると気づくべきたったのだ。
肝心なところに気が付かなかった悔しさに唇を噛み締めるが、自分を責めれば責めるほど負の感情が連鎖し始める。
まず蘇ったのはレイヤの村が襲撃された時のこと。あの時マリナは感情に身を任せてぶつかっていったせいで、《創始者》によって完敗し、危うく命まで落としかけた。
――そんな相手に、私は勝てるの?
答えが出るはずのない自問をしていると、自然とマリナの身体は小刻みに震えだした。それが最初、どうしてなのか彼女には分からなかった。
――恐怖。
それがマリナに潜む震えの正体だと分かると、どうしようもなく身体が震える。
城に乗り込む前の威勢は呆気なく崩れ去り、自信も今は皆無になった。
「どうしたの?」
レイヤなら、マリナが今どんな精神状態かぐらい簡単に分かるはずだ。それでも言い当てずに聞いてくるあたりは彼女なりの優しなのだろう。
「ありがとう。なんでもないわ」
というのもレイヤには通用しないだろう。でも何も追求せずに「分かった」とだけいつもと同じ口調で返してくれる彼女の気遣いが嬉しかった。
これは自分自身との戦いだ。男に負けたときの記憶がトラウマとして強くマリナの中に居座り、それを乗り越えない限り勝機はない。
マリナは大きく深呼吸した。それでも完全には治まらない。だが、そんなことを言っている場合ではないのだ。殺らなければ殺られる。それだけのことだから。
それに、これまでマリナは、サクヤの妹を救出する手伝いとして男と戦ってきた。でも今は違う。殺められた両親の敵を取るために彼女は戦う。
「どうした、怖気付いたか?」
少し考え方を変えただけで精神的に余裕を持てるようになった。今更男のこんな挑発に乗る必要がない。
もうマリナとレイヤの二人に言葉など不要だ。
顔を合わせて目だけでやり取りすると同時に地を蹴り出す。それに男は満足げな表情を見せた。
この街の支配を掲げる男にしては、真っ向から二人の少女の剣撃を受け止め、何の小細工もなしに反撃する。
だが今回も二人の連携の方が上回っていた。これまでの戦闘で分かった、連携以外の二人の方が男に勝っている部分、機動力を活かして男を攪乱していく。
男の斬撃の下をくぐり抜け、反撃
カウンター
に出たレイヤに対処しているうちにマリナが背後から奇襲する。
簡単には殺られてはくれないが、前回同様に二人の力が《創始者》を押しているのは間違いない。
しかし一方では不安もまた少しずつ増えてきた。前回と同じならこの後、男が謎の力を使うことがあれば手には負えなくなる。
そんな予感は、大概当たってしまう。
「油断していたのは俺の方か。ならばもう全力で叩き潰す」
距離を置いて言った男はまた叫声を上げて紫色のオーラを放ち出した。
怪物の表現が当てはまる形相はそれだけで怯みそうになるが、二回目なだけあって何とかそこは踏みとどまる。代わりにマリナの脳内には初対面でのトラウマがフラッシュバックした。
鮮明に蘇る赤い炎。その中で何もできないで倒れているマリナ。あの時の恐怖、絶望が今になって彼女に押し寄せる。
動けないでいるマリナに本気になった《創始者》が肉迫する。
「マリナ!」
回避どころか寧ろ膝をつく彼女が自力でどうすることもできないと判断したレイヤがすかさず間に入って男の攻撃を防ぐ。
――ああ、レイヤが私を庇って戦ってくれている。なのにどうして体が動かないの。
自分の中ではそんなことぐらい答えは出ていた。一度植え付けられた恐怖がトラウマとして身を硬直させているのだ。だから過去を乗り越えない限りそれは変わらない。
分かってはいる。そう簡単に過去を乗り越えられないことも含めて。
脳裏に焼き付いた記憶は消してたくても中々消えてはくれない。何度も再生される映像にマリナは段々と呼吸が荒くなる。
「マリナ! マリナ! しっかりして!」
――分かってる。分かってるわ。でも、どうすればいいの。
防戦一方とはいえ、本気の《創始者》と一対一で戦うレイヤには途轍もない負担が掛かっているはずだ。
レイヤの声もしっかり耳に届いている。考える余裕もある。だが、本能的な恐怖が邪魔をするのだ。
また、あの時みたいに《創始者》に手も足も出ずに殺られるだけなのではないか。
マリナはもう後ろ向きな思考のループに嵌っていた。
「きゃっ!」
そんな彼女に追い討ちを描けるようにレイヤの短い悲鳴が部屋内に響いた。