第三十七話
歩みを進めるにつれて男に近づいているという実感が足を重くする。
少しでも気を抜けば足が止まってしまいそうで、微塵の油断もできない。
周りを警戒することさえままならない状態で一歩一歩着実に進めていく。今奇襲でもされたら一溜りもなかっただろう。
だが、幸いにもその心配は杞憂に終わった。
鎧以来、何事もなく、それはそれで逆に不安になったが、大きな扉の前に着いた。入口は違えど、こ後ろをの場所は前に入ってきた時と同じ場所だ。後ろを振り向けば、自分たちが今来た道の他にもう一本廊下が合流している。
サクヤは息を吐き出して目を閉じ気持ちを落ち着けようと試みた。
ここを開ければ本当の最終決戦がいよいよ始まる。
後ろにいる少女二人はどんな様子だろうか。でも、声をかける必要ないと思った。二人はついて来てくれる。だから後はサクヤ自身が覚悟を決めるだけだ。
「いくぞ」
二人にそれだけ声をかけてサクヤは扉を開けた。
「遅かったな」
声を聞くだけで毛が逆立ちそうになる嫌悪感にサクヤは敢えて頬を引き攣らせる。
待ち構えていたのは男一人だった。
余裕そうに玉座に座って足を組み、賤しむ目で見下してくるのが胸糞悪い。
「メグはどこだ」
目つきを鋭くし、声調を落として威嚇する。
「おっと、怖い目をするな。ちゃんと教えるからさ。というよりは、もうすぐ分かるさ」
男の告げた約半秒後、聞いたことのない轟音と共に大きな地響きが部屋を振動させた。
「何だ!?」
予想だにしなかった事態にサクヤとマリナは焦り出す。これまでにこの異世界で地震など起こったことがない。だからこれは人為的なものと考えていい。それに、男はこうなるのが分かっているような口ぶりだった。つまりこの音は、男の仕組んだものだ。
サクヤは嫌な予感がした。か
《創始者》と初めて対峙した時、男はこの醜い世界を変えると言っていた。だが実際、これまでに何のアクションも起こしていない。遂にその計画が動き出したと考えれば、この轟音の説明がつく。
そして、これまで大人しくしていた理由。それはこの日のための準備だったのだろう。
外が見えないこの城内から外の様子を見る術はない。だが、相当まずいことになっていそうな気がする。
その時、サクヤは男とのやりとりが脳内に蘇った。
『メグはどこだ』
『おっと、怖い目をするな。ちゃんと教えるからさ。というよりは、もうすぐ分かるさ』
背筋に寒気が走った。このやりとりからすると、どう考えても事態の引き金を引いたのは……。
「まさか……」
「クククク、フハハハハハハハ!」
不愉快な高笑いを始めた男をサクヤ鋭い目つきでキッと睨む。こんな状況は全くの想定外だ。
まだマリナとレイヤは状況を飲み込めていないようだが頭に血が上ったサクヤに説明する程余裕はない。
「よくもメグを!」
「ふっ、これは爽快だな。お前たちまんまと俺の思うとおりに動いてくれた。これだけ気分のいいことはそうとないさ!」
「……なに?」
「これは俺からの慈悲だ。特別に外の様子を見せてやろう」
闘志を剥き出しにするサクヤを受け流して男は自分のペースで話を展開していく。
《創始者》が三人には聞こえない声で何かを呟くと、壁しかない場所にスクリーンがいきなり映像のように浮かび上がり、宣言通りに外の様子が映し出された。
「なっ……」
「うそ……」
映像を見てようやく現状の悲惨さに気がついたのか、少女二人が声にならない声を出した。その悲惨さにサクヤも無意識のうちに、爪が食い込みそうなほど拳に力が入る。
映し出されていた光景では、街の至る所で火の気が上がり、煙が立ち込め、また至る所では建物が全壊して大きな災害でもあったかのように荒れていた。
街の人は大丈夫なのだろうか。と思う間もなく怒りが限界まで達したサクヤが最大限憤りを顕にした声で突っかかる。
「もう一度聞く。メグはどこだ」
それでも男は黙秘し、場所を教えようとはしない。
「教えないのなら、お前を倒して場所を吐かす」
「それができるかな、君たちに」
「やってやるさ」
「待ってサクヤ」
完全に冷静さを欠いていたときにマリナから声をかけられて僅かに落ち着きを取り戻す。
「恐らくこの映像を移しているのは屋上よ」
彼女の言いたいことは伝わった。つまり、メグは屋上にいる。だから、私たちはいいから助けに行ってこいと、そういうことだろう。
「私たちなら大丈夫。だから行ってあげて」
「でも……」
「なら、言い方を変えるわ。敵を止めてこの街を守って。これ以上の被害を出さないためにも。これはあなたにしかできない役目よ。だから行って」
「そうだよサクヤ。あたしらを信じてこっちは任せてよ」
二人から面と向かってそんなことを言われれば断ることなんて不可能だ。
「……分かった。こっちは頼む」
「うん、あたしらに任せて。それでちゃんと戻ってきてよね」
「ああ。レイヤとマリナも気をつけてな」
気を使ってメグのところへ送り出してくれた二人に感謝しつつ、また、二人の無事を祈りながらサクヤは二人の元に戻ってくることを誓って部屋を出た。
通ったばかりの廊下は、夏なのに何故か寒く感じられた。
不安、恐怖、焦り。そんなものに似た緊張感がサクヤの五感を鈍くしていく。
だが逆に、研ぎ澄まされていく感覚もあった。それは簡単に言ってしまえば第六感のようなもの。この城の構造など知るはずもないのに、自然と体がメグのいる屋上へと向かっていく。
来た道を引き返し、レイヤの勘でこの道へ来ることになった分かれ道を、もう一本の道へ曲がって進む。
周囲の光景など目もくれなかった。だから当然、来るときに警戒していた罠のことも忘れて無我夢中で走り続ける。
やがて、上へと繋がる階段が見えた。下からでは段が無限にも続いているように見え、出口が真っ暗でどこだか分からない。
「この先にメグがいる……」
それは確証のない事実だったが、サクヤには妹がいるという自信しかなかった。
サクヤは一段一段ゆっくりと階段を上り始めた。
無限にも見えた階段は、体感では意外と短く思えた。光が暗い階段に差し込んで、走りたくなる衝動を抑える。
そして無音の場所から出ると、事態は映像で見るよりも深刻だった。三百六十度見渡せば全方位から炎が見え、煙が舞い上がっている
一体どんな方法で街一体を火の海に変えたのだろうか。という素朴な疑問が浮かんでくる。
しかし、直にサクヤはその疑念を捨てた。たった一撃で街を焼き払えるような手段があると考えるだけでもおぞましい。もし本当にあったのならそれはもうサクヤにどうにかできる範疇を超えている。
鼻につく焦げの臭い。鼻が慣れるまではこれだけで結構堪えそうだ。
そんな中で探してきた声がようやく聞こえた。
「来たんだね、お兄ちゃん」