第三十五話
正門から入る、この世界で最大の建物は、その存在だけで侵入者である三人を怯ませるのに充分な広さを誇っていた。裏から入った時とは全然比べ物にならない程あるエントランスにはいくつものシャンデリアが吊り下がっていて、部屋の上部には不気味に赤く光るステンドグラスが数カ所に設置されている。
「もう、俺たちの行動は男には知られているはずだ」
前回この城に乗り込んだ時に言っていた男の発言によれば、城全体に結界が張り巡らされていて、その内部で起こっていることについては全て分かるらしい。ならば、ここで三人がどうしようともそれは無意味な行動だ。
サクヤはそれで何かが吹っ切れた。
どうせ何をしても同じこと。それに無駄な労力を使うぐらいならまっすぐ奴の待つ場所に向かってやる。
そう腹をくくって歩き出そうとしたサクヤの肩をマリナが掴んで制止した。
「ここからはどこに罠があるか分からないわ」
「……ああ」
そうだ。もう三人は敵のアジトのど真ん中に入り込んでいる。待ち受ける男は今頃優雅にサクヤたちの様子を見ながらほくそ笑んでいるに違いない。
ここからは慎重に行く必要がある。王室までの道のりは直感で向かうしかないが、迷って回り道をしてしまうとそれだけで死の可能性が高くなってしまう。
でもやり切るしかないのだ。だから三人は進んでいく。
エントランスの奥にある階段を上り、更にその奥の扉を開ける。その先には長く、人が十人以上並んで歩けそうな広い回廊があった。
「広い……」
元の世界で平凡な、どちらかと言えば貧乏な方の家庭に生まれたサクヤには、初めて体験する広さに呆気にとられていた。正確には二度目だが、前回は衛兵に悟られないように気を張り巡らせていたので気にする余裕がなかったのだ。
マリナやレイヤはどうなのだろうか。
よく考えたらレイヤはともかく、まだマリナの元の世界での境遇や過去を何一つとて知らない。逆にサクヤも言ったことはない気がする。
マリナのことをもっと知りたい。
「サクヤ!」
などと完全に現状から逸脱した思考を巡らせていると、いきなり背後から肩を捕まれ、強く後ろへ引っ張られた。
意識を戻すと、いつの間にか回廊の突き当たりまで、ここから右に折れている。
問題はそんなところではない。彼が後ろに引かれた刹那、眼前で左の壁から無数のスピアが出現し、直前までサクヤか立っていた場所に突き刺さっていた。もしあのままいたら彼は今頃、美味しく串刺しにされていただろう。そんなの全く洒落にならない。
「どうしたのよすぐにボーっとして」
声がしたのはマリナの方だった。つまり、サクヤを助けたのも彼女ということだろうか。
「いや……なんでもない……」
「ここは相手の本拠地なの! そんなことしてたら本当に死ぬわよ!?」
マリナの言葉は最もだ。とにかくこの戦いが終わるまでは本当に邪念は取り除く。
「……ごめん、助かった」
「え、ええ」
サクヤが素直に謝るとなぜか気まずい雰囲気になった。マリナはどこかそわそわした様子でそっぽを向く。
そんな二人の様子を見たレイヤが怪しく表情を歪めた。
「さぁさぁお二人とも、こんなところで見せつけてないで次行くよ」
まるで、何も言わなくても全部分かってるとでも言いたげな表情でして、背中を押す気遣いが嬉しかった。……あいかわらずレイヤに隠し事してるとすぐにバレたが。
何だかんだで進んでいくと、今度は分岐点に出た。直進すれば左右の壁には部屋らしき扉があり、右に曲がればその先ですぐにまた左に廊下が折れていて先が見えない。
「どっちだ?」
どっちも怪しいことは怪しい。見えている扉が罠に見えるが、逆にそう思わせるためのフェイクという可能性もある。とにかく考えればキリがない。
「右!」
そんな中で声を上げたのがレイヤだ。彼女の自信満々な声にどうしても不安が募る。
「ちなみに……根拠は?」
「勘!」
不安は的中した。
ここに来てもレイヤは相も変らぬ調子でその元気さだけが炸裂している。
でもここでグダグダとしていても仕方ないから、こうして勘でも決めてくれるのはありがたい。
鼻歌でも歌い出しそうな気分で先導するレイヤの後ろをサクヤとマリナが続く。
「いつまで続くんだ、この廊下は?」
いい加減同じような光景ばかりにうんざりしてきたサクヤが小さく漏らした。
裏門から入ればすぐ着いたのに、正門から入ればこれ程までに遠いのだろうか。それとも気分の問題だろうか。どちらにせよ、体感時間では既に前回王室へ歩いた道のりは超えている。
「どうかしらね。もしかしたらこの廊下自体が罠だっていうことも考えられるわ」
「それって?」
「この廊下で私たちが彷徨っているのは男が時間を稼ぐためで、その狙いにまんまと嵌っているかもしれないってことよ」
そんなことは考えもしなかった。城というものに無知なサクヤさこれが普通なのだと思っていた。
でも、マリナからしたどこか違和感があるのだろうか。
「あくまでも可能性の話よ。ただ単にこの廊下が長いだけかもしれないわ」
このことはレイヤには聞こえてないだろう。彼女なら大丈夫だろうが、あまり余計なことを考えさせない方がいい気がする。
「分かった。一応警戒しておく」
と、決めた瞬間にレイヤが角を曲がり、この間にできるだけ離れないように急いで後を追う。
そこで真っ先に視界に入ったのは、レイヤの進む先の、廊下の左側の壁にあからさまに不自然に一体の鎧が立っていた。
「いきなりかよ……」
あまりのタイミングの良さにサクヤは悪態をつく。
とは言ってもまだあの鎧がどんな罠なのかは分からない。だからと言って凝視をしていて何か影響があっても困る。
横目で視野の端に鎧を入れながら慎重にレイヤの後に続く。
鎧に近づくにつれて、サクヤの緊張感が高まってきた。だんだんと上がる心拍数と速くなっていく呼吸を自制するので精一杯になる。
ついに三人が鎧の前を差し掛かった。
鎧が爆発するのか、中から何かが出てくるのか、はたまた別の何かが起こるのか分からない。だから余計にサクヤの中に不安や恐怖が込み上げてくる。
一秒一秒が長い。
しかし、結局何も起こることはなかった。
張り詰めていた緊張が一気に解け、サクヤは安堵で脱力してその場に座り込んだ。隣のマリナも、大きく息を吐き出して警戒を解いたのが伝わってきた。
「どうしたの?」
サクヤが膝をつく音がレイヤの耳にも届いてしまったらしく、後ろを振り返った彼女に立って大丈夫だと伝えたかったが、足に力が入らない。
「は、はははは……」
だから彼は引き攣った作り笑いを浮かべる他なかった。
こんなことで腰を抜かすようじゃメグを取り戻すとか、男を倒すとか、それ以前の問題だ。
もうメグはすぐ近くにいるはずなのだ。ここまで来ておいて早々ない好機の逃したくない。その反面で、体が思うように動いてくれない。
「サクヤ、後ろ!」
完全に気を抜いていたその時、心配そうにサクヤを見ていたレイヤから鋭い声がかけられる。
反応が遅れて行動が取れない彼の真後ろから金属音が高々と響く。