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第三十二話

 ――ここは……。

 意識が覚醒すると、目を開くよりも先に素朴な疑問を抱いた。

 白い天井。いつの日かと変わらぬ光景。前にもこんなことがあったとデジャヴを感じながらまずは首だけを動かす。

 見慣れた部屋。質素なレイアウト。予想通り自分の部屋で間違いはない。

「またか……」

 ――俺はまた倒れて、再びマリナやレイヤにここまで運んできてもらったのか。本当に情けないな、俺は。

 そこまで考えてサクヤは、前とは違って意識がすごくはっきりとしていることに驚いた。そう言えば身体の痛みも感じないし、体調はいい気がする。

「気が付いた?」

 部屋の扉を開ける音と共に、ワンピースにデニムジャケットという私服姿マリナが入ってきた。

 サクヤは体を起こすとまだ少しはふらつく頭が落ち着くのを待ってから訊く。

「どれだけ寝てた?」

 歩み寄ってきてマリナがベッドに腰掛ける。

「丸五日ね」

 近くで見るとマリナの私服姿はとても似合っていて新鮮味があった。思い返せば彼女の私服をこれまで見たことがない。

「どうしたの?」

 マリナに声を掛けられるまでサクヤは彼女の姿に見入っていた。ようやく我に返るとここまで甘い香りが漂ってくる。

「き、今日はマリナも落ち着いてるんだなーって」

 と誤魔化してみたのだが当人からはサクヤの予想外の答えが返ってきた。

「な、何を言うのよいきなり。あ、あの時は重症だったし本当に死んじゃうんじゃないかって思ったから……」

 いきなり顔を赤らめてそっぽ向くマリナが何のことを言っているのかを理解した時、思わずサクヤも紅潮する。マリナはサクヤがメグに刺された時、彼が目覚めるとマリナは取り乱し、思いを吐露した。それを思い出したのだろう。

 マリナは顔を背けたまま軽く咳払いする。

「今回あなたが倒れたのは傷口が開いたことと、疲労によるものよ。でも傷口が開いたことはまた止血をすれば収まる程度のものだったし、命がどうとかって話ではなかったわ。それよりも怪我が完治してないのに無理をした疲労の方が大きかったのでしょう。だからいつ目が覚めるかは分からなかったけれど安心していられたのよ」

 そういうことか。だがそれなら男の言っていた決着をつける日というのは明日ということになる。折角の男が与えた一週間という期間が寝ていたことによってほとんど無駄になってしまった。

 だが、今まで意識してなかったが、身体の痛みは感じない。試しに軽く身体を捻ってみたが大丈夫なようだ。

「街の人に良く効く薬草を教えてもらったのよ。もう傷はかなり良くなってるはずよ」

「そっか。色々と助けられてるんだな、俺」

 そのお陰で寝ていた時間が全くの無駄というわけではなかった。これなら次はマリナとレイヤばかりに戦わせなくても済む。

「あれ、そう言えばレイヤは?」

 サクヤが訊くとマリナはようやく顔を向けて答えた。

「今は森で剣を監視してるわ。昨日までは一緒に看病してたけど、《創始者》が気になることを言っていたからね」

 倒れる前の記憶は鮮明に覚えているから思い出せる。

『剣がお前たちの持っているものでない限りまだ俺は本気ではない』

 それが男の残した言葉だ。つまり、レイヤの村を襲撃した時に落としていったあの剣ここが男の本気ということだろう。なら、どうにかして取り返しに来るはずだ。

 もしサクヤの予測が当たれば、その時はレイヤ一人で事足りるのか。いや、マリナならそんな初歩的なことぐらい考えているに違いない。

 だからサクヤはこのことについては何も訊かなかった。

 代わりにマリナの方が口を開く。

「ねぇ、サクヤは妹さんを取り戻したらどうしていくつもり?」

 唐突すぎるその質問の意図を窺うようにマリナの顔を見るが、彼女は至って真面目な顔色だ。

 うーん、と首を捻って考えるがそんなことは分からない。同じ質問をつい最近レイヤからもされたばかりだ。だが、やはりその答えまだ分からない。というより、今はそれどころじゃないのだ。

 明日に迫った男との最後の戦いに勝利しなければ『先』なんて存在しない。

「後のことなんて考えられないな。やっぱりメグを取り戻すことができなければ、もっと言うと《創始者》に勝たないとその後(・・・)なんてないんだからさ」

「そう……よね…………」

 何か思い耽るように俯いたマリナはどこか儚げだった。

 そんな彼女を前に、サクヤは口を開けず二人の間に沈黙が流れる。

「私は」

 赤髪の少女は言いかけたところで言葉を切り、意を決したように顔を上げた。

「私は目的を果たした後もこの世界で生きていければいいと思ってる」

 意外な発言にサクヤは面食らった。彼よりも長い間この世界で生活し、一番元の世界へ帰りたいのはマリナだろうと思っていたのだ。

 少女にこう言わせる意志の根源は何か、サクヤは純粋にそれが気になった。

「サクヤが寝てる間に考えてたの。私はサクヤたちと別れたくない。元の世界に戻ったところで家族はもういない。それに元の世界でもう一度サクヤに会える可能性なんてすごく低い。だったらここでこのまま暮らしていった方がいいんじゃないかって、そう思ったの」

 マリナの言葉も一理あると賛同すると同時に、サクヤはまだ自分が恵まれている方であることを思い知った。

 元の世界に戻っても、サクヤには家族や居場所がしっかりとある。しかし、マリナはどうだろう。そもそもこの世界に来ることになったのは夢で家族を殺されたからだというようなことを言っていた。なら彼女を待つ両親はもういない。だから結局は元の世界に戻ったところでここでの生活と同じようにして過ごしていかなくてはならないのだ。

 でもどちらにせよ、元の世界に戻る方法が見つかるまではこっちで生きていくしかない。後のことを考えるのはそれからでもいいだろう。

「それはゆっくり考えればいいんじゃないか? 俺たちにとってまず優先しないといけないのは《創始者》を倒すことだ。奴を倒さなければ何も始まらないんだから」

 これでマリナも納得すると思ってた。だが実際は、顔をほんのりと赤く染め上げた彼女が何か言いたげに目で訴えてくるのだ。

 その反応にサクヤまで目を合わせづらくなる。

「……そうね」

「あ、あのさ、今更だけど本当によかったのか? 俺がここに来るまではマリナもここで普通に暮らしてたんだろ? それなのに俺が来たことによって妹探しに巻き込んで、《創始者》とも戦うことになって」

「本当に今更ね。…………私はサクヤと出会うまで勇気がなかったの。《革命者(アプセッター)》になれなかったら死ぬという恐怖に怯えて、この世界に溶け込むのに必死だった」

 マリナの話は、サクヤの知る少女の姿とは正反対なものだ。いつも前向きで決して臆することなく、好きなことに夢中な彼女にそんなことがあったなんて考えにくい。

「そんな時に出会ったのがあなたよ。それよりも前にレイヤとは会っていたけれど、私と同じ境遇の仲間はあなたが初めてですぐにあなたのことは信じたわ。そうでないといきなり違う世界から来た、なんて言われても信じるわけないでしょ」

「うっ……確かに」

 今思えばあの時のサクヤはすごく大胆なことしていた。全く無知というのは恐ろしい。

 それにしても、マリナはサクヤのことをすんなりと受け入れていたのだ。冷静に振り返ればそれはかなり不思議なことだと思う。でも、その背景にあったマリナの語ってくれた正直な感情はとても嬉しい。

 この時はサクヤだって右も左も分からない中で、言葉さえ通じない状況下に置かれていたために彼女との遭遇は大きな意味を持った。唯一サクヤの言葉が分かり、だからマリナがサクヤを信じたというように、その逆も存在していたのだ。

 そう考えると、込み上げてくる嬉しさでサクヤはつい頬を緩めた。

「あなたのしようとしていることが私のしたいことだと分かった時、正直複雑だった。今まで踏み出せなかった一歩を、背中を押して歩みださせてくれるかもしれない。でもやっぱりまだ私自身の中にある恐怖や、不安が足を引きとめようと引っかかる。考えてもどうにもならなくなって、そうすることで何か見えてくることがあるかもしれないと判断して、あなたにレイヤを紹介したの」

「そんなことが……。でもそれだったら」

「ええ。その目論見は正解だったわ。だって、その結果が、現に今こうして《創始者》に復讐しようとしてるのだから」

 レイヤがいてくれなければ、サクヤだって《創始者》を倒すなんて大胆なことは考えもしなかっただろう。だから感謝してる。元はマリナが自分のために行ったことでも、今やそれはサクヤも助けられている。

「レイヤを巻き込んでしまったことに罪悪感は無いと言えば嘘になるけど、彼女無しでは私たちも《創始者》とは戦えない」

 無音の部屋にマリナの声が淡々と続けられる。

「三人でいる日々はこれまでになく楽しい生活だったの。毎日が充実して飽きることはなく、次の日が待ち遠しかった。それでいて二人に引っ張られるように《創始者》を倒すための特訓もしていけた」

 マリナはここで一度間を取った。しかし、そこからいくら待っても彼女の言葉が紡がれることがない。

 どうしたんだろうとマリナの顔を覗き込めば、何故か顔を真っ赤に紅潮させて視線を泳がせている。

 その状態のまま数十秒。ようやく聞こえた声は消え入りそうなものだった。

「そんな中で、サクヤのことが好きになってた」

「えっ?」

 今彼女は何と言っただろう。到底信じ難いことを言われた気がするが、これは聞き間違えかもしれない。

「一緒にいるのが楽しくて、気が付けばサクヤのことばかり考えてた。友達としてじゃなくて、異性として、好きに、なってたわ」

 ……聞き間違えではなかった。

 にわかに信じられないという戸惑いがサクヤを支配する中で、こんな自分でも好きになってくれる人がいるという嬉しさも当然あった。

 しかし、これまでそんな素振りはなく普通に接してきた。それは当たり前か。相手に気づかれるような態度は取らないのが普通だ。

 それにしても今日のマリナはいつもと様子が違う。どう表現すべきか思い浮かばないが、しおらしくなっている、というのが一番適切だろうか。サクヤと行動をともにしてきた数ヶ月や、それよりも前の過去の思いを赤裸々にしたりと、普段の彼女なら言うことはなかったのではないか。彼の眠っている間に何があったというのだ。

 胸中に疑念を抱くが、サクヤは自分のしなければいけないことを思い出して今は答えの出ない疑問を打ち消した。

 マリナの気持ちに答えなくてはならない。自分に正直に、それを伝える。

 サクヤは大きく深呼吸して気持ちを整え、意志を固める。

「俺だって同じだ。最初は友達として見てたけど、一緒にいるうちに少しずつ惹かれていった。だから俺からも言わせて欲しい。マリナのことが好きだ」

 言い終えたサクヤは達成感に、答えを聞いたマリナは満足そうにはにかむ。

 そしてそのまま二人は瞼を閉じて顔を近づけ……。

 唇が触れ合う直前、二人の雰囲気をぶち壊すかのようなタイミングで、これまで潜んでいたサクヤの腹の虫が暴れだした。

 音に驚いた二人が慌てて顔を離す。

「ご、ごめん……」

 冷静になって自分たちの行動を思い返せばとても恥ずかしくなり、顔を熱くしながら二人は俯く。

「そ、そうよね! 五日も何も食べてないんだからお腹すいてるわよね。わ、私こそ気がつかなくてごめん! 今から何か作ってくるわ!」

 照れ隠しなのか、普段より大きな声でそう告げると、彼女は早足に部屋を出ていった。

「はぁ」

 誰もいなくなった部屋で、一人サクヤは息を吐き出した。

 目覚めてからのたった数十分。時間としてはそれ程長くないものの、内容が濃すぎて理解が追いつかない。

 マリナから暴かれた彼女自身の行動の裏にあった逡巡や不安。普段から見せることのなかったためにそんなことはマリナとは無関係だと思っていた。

 でも、やはり彼女だってサクヤと同じくらいの年数しか生を受けていない人間なのだ。誰だって戸惑い、不安になることはある。

 そして、一番の衝撃はマリナに告白され、告白したこと。まだ実感は湧かないが、恐らくサクヤの人生の中で一番のビッグイベントだった。まじまじと考えれば考える程恥ずかしくなるが、これで《創始者》との戦いに何が何でも負けることができなくなった。

 ――元から負けるわけにはいかないが……。

 改めて気を引き締め直してサクヤも部屋を出た。

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