第三十一話
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硬い瓦礫だと思ってそこを踏めば、実は脆い炭で段を踏み外したようになってしまう。これほどまでに足場が悪いところはない。
レストランのキッチンはこの辺りだろうか。だとすると、上からでは何も見えないが瓦礫をどけたら何か見つかるかもしれない。
大量にある瓦礫の山を一つ一つ取り除いて下の方を探していくが、あるのは瓦と崩壊した天井や壁の欠片。それ以外に飛び道具として使えそうなもの何一つ無い。
どこだ。どこかにあるはずだ。
声を出す余裕も無くなっていき、ただひたすらに無言で手を進める。
もう自分がどれだけの時間をかけたかという体感はなかった。だからようやく見つけた皿かグラスの破片でも喜びは大きかった。しかし、この破片は扱いづらい。他に何もなければ武器にはなるが、飛距離が出るかは分からないのだ。
だからあまり時間はないが、他のものを探そうとした時、近くに飛び道具としてこれ以上ないものを発見した。
サクヤが手にしたのは銀色のナイフ。これならば牽制どころか、万が一男にあたりでもすれば致命傷を与えることができる。
「ウオオオォォォォォォォ!」
彼が勝利への希望に頬を緩めたのと、戦場から獣の遠吠えのような声が聞こえたのは同時だった。
「何だ!?」
つい先程までマリナたちのペースで展開されていたはずだ。だが今の声はどう考えても男が発声している。これまで《創始者》が発狂したことはない。戦場で一体何があったというのだ。
手に入れた貴重なナイフを握り締めて、サクヤは戦っている仲間を見守ろうとした。が、紫色のオーラを放ち、人のものと思えない形相でマリナに近づく男を見て彼は言葉を失う。
――怪物。
今の男にはその表現が一番適当だろう。見る限り、男の速さ、力は数段上がっている。このままではマリナたちがやられるのは時間の問題かもしれない。
だったら時間に余裕はない。
頼む。一瞬だけでいい。マリナたちに合図できるタイミングか欲しい。
その願いが通じたのか、マリナが《創始者》の攻撃を躱したタイミングで彼女と目が合った。さすがに声に出してしまうと男にバレてしまうために目だけで強く訴えかける。
――俺が不意打ちするからそのまま気を引いててくれ。
マリナに思いが正確に伝わったか不安だった。この距離から表情を読むなど、誰しもができることではないから。
しかし、その心配は不要だった。マリナに攻撃を避けられた男はターゲットをレイヤに変更し、マリナには少しばかり時間ができている。
そして、
「レイヤ!」
彼女の叫びに、レイヤが男の一瞬の隙を突いて男から僅かに距離を取る。
――今!
そう判断したサクヤは現在出せる全力でナイフを投擲する。当然に彼の体には激痛が走し、狙いが狂いそうになるが顔を歪めながら歯を食いしばって投げきった。
男からしてサクヤの位置は死角だ。だから寸前のところまでナイフに気づくことができず、完全に回避が遅れた。もう躱しきることなんて、《創始者》でもできない。
それでも男は回避不能だと悟る、ナイフの軌道上に左腕を持ち上げて庇った。
「なっ!」
サクヤたちはその行動にただ呆然とした。何の躊躇いもなく片腕を犠牲にできる判断力と決断力。命と片腕を天秤に掛けると誰もが片腕を犠牲にすることを選ぶだろうが、瞬時にできるかと言われればそれは分からない。
だが、狙い通り《創始者》に隙はできた。そこにすかさずマリナが踏み込む。
これにはさすがに男も距離をとった。そして左腕に刺さったナイフを抜き捨てる。
「これだけは言っておこう。剣がお前たちの持っているものでない限りまだ俺は本気ではない」
離れた位置にいるサクヤにもあえて聞こえる声量で、捨て台詞とも取れる言葉を吐いて男は踵を返そうとした。
「待て! 逃げるのか!」
「これまで散々逃げ回ってきたお前がそれを言うのか?」
「…………」
「そうだな。一週間後の正午。城に来い。そこで決着をつけてやろう。それならお前のその傷も少しは癒える頃合だろう」
今度こそ身を翻して去っていった《創始者》にサクヤは歯ぎしりした。
今回は男を仕留める最大のチャンスだった。マリナとレイヤの連携は通用していたし、サクヤの奇襲も成功した。けれど逃げられてしまっては意味がない。初めて攻撃が当たり、勢いに乗っていたというのに。
それでも《創始者》に傷を負わせたことに変わりはない。これは初勝利を上げたと言ってもいいだろう。
しかし男は気になることを言っていた。剣が違うからどうだのこうだの……。
考え始めたその時、突如サクヤは眠気に襲われた。同時に腹部に激痛が走り出す。
「あれ?」
少しずつ霞んでいく視界と、朦朧とする意識に抗う間もなくサクヤはその場に崩れ落ちた。