第三十話
☆☆☆
「はあぁ!」
気迫の籠った声と共にマリナが踏み込む。
まだここまで一度も男から反撃はされていない。それが男の余裕ではなく、寧ろ次々に繰り出されるマリナとレイヤのコンビネーションに、反撃する機会がないのだということは薄々分かっていた。
あくまで男は涼しげな表情を浮かべているが、実際の男の行動は防御だけなのだ。
このまま押し切れば負ける心配はない。
徐々に込み上げる自信が二人の動きを更に機敏にする。
地を蹴る力に強さが増し、一瞬で距離を詰めるとマリナは思い切り斬り上げる。その目は峰打ちなどのヤワなものではなく、本気で獲物を狙う獣のようだ。
一方、彼女の動きに合わせて連携を取り、男を休ませないように攻撃を繰り出すレイヤはどこか楽しそうに見える。マリナにしてみれば運命を懸けたこの戦いすらも彼女の大好きな『剣遊び』として捉えているのだろうか。だが、それ故に彼女の動きに固さはなく伸び伸びとている分、いい方向に向いている。
「レイヤ!」
「オッケー!」
二人が声を掛け合うと同時に二人は上空に向かって跳んだ。昼前の高い位置にある太陽を背にし、二人は斬り下ろす。
眩しさでまともに防御できない男は開き直って素早く後ろにステップを踏むが、マリナのスイングはフェイントだ。
そのまま着地と同時に地面を蹴って男に詰め寄る。
それにも《創始者》は反応し、後退しながら自分の剣をマリナの剣の軌道上に出して弾く。
これもまだ、マリナの予想の範疇だ。彼女たちの攻撃の狙いは次の一撃。
マリナが剣を回して男の剣をすくい上げ、無防備になった体へ、マリナの上を飛び越えたレイヤが全力で突きを放つ。
これにはあの《創始者》も反応がコンマ数秒遅れた。ほんの僅かなその時間が戦いの流れを左右する。
回避するしかない状況で男がまたも後ろに跳んだのは最善の方法だったと言えるだろう。崩れた体勢から、心臓の真ん中を確実に狙ってくるレイヤの突きを避けるのは無理だ。ならば最初の後ろへのステップの勢いを生かし、もう一度後ろへ飛ぶ方が躱せる確率は高い。
だが、マリナたちにとってはその方がありがたかった。もし男に横回避ができるなら一点にしか攻撃ができない突きではこの連携が無駄になる。それが前後の動きなら、レイヤの技術をもってすれば攻撃は男に届く。
しかし、さすがというべきか、富豪はマリナの予想を上回る移動範囲を見せてレイヤの攻撃から逃げる。が、
「せえいやぁ!」
叫びとともにレイヤも限界まで身体を伸ばして距離を長く稼ぐ。すると、レイヤの愛剣がギリキリのところで切っ先だけが男の腹部に触れた。
すかさず反撃を警戒してマリナが間に入り、レイヤと共に男から距離を取る。
マリナからはどうなったのかが分からなかったが、レイヤが剣を下ろすと男の服が赤く滲んでいた。でもこれぐらいでは致命傷にはならないだろう。
「大丈夫、レイヤ?」
「う、うん」
とりあえずレイヤに声をかけてみたマリナだったが、レイヤの声が震えていることに驚いた。いや震えているのは声だけでない。彼女にしては珍しく身震いしていた。
無理もないか。いくら遊びと同じような気持ちで剣を振っていても、実際に人に真剣を刺したのはこれが初めてだから。それで平常心を保てていたら却ってそっちの方が怖い。
――レイヤには悪いことしたな。嫌なことをやらせちゃって。
まだ、これが掠めた程度でよかった。複雑ではあるが、もし彼女が男を貫いていたらもうレイヤは日常に戻れなかったかもしれない。最悪、ショックで精神が崩壊などということまで有り得た。あのレイヤに限ってそんなことはない……と思いたいが。
レイヤが今こうして男と戦っているのはマリナが巻き込んでしまったからだ。
本当は、レイヤに剣を持たせるべきではなかったかもしれない。素直で明るくて、どこか抜けてるところがあるけど、根は優しくて。こんな醜い戦いとは無縁に過ごしていれば村が襲撃されることもなく、平穏に過ごせていたはずだ。
――なのにレイヤの幸せな日常を奪ったのは私。しかも私はレイヤを穢そうとしている。
――だから絶対に最後は後は私が仕留める。
そこへ後ろから服の裾が掴まれてマリナはピクっと体を震わせた。
「気にしないで、マリナ」
「えっ?」
マリナが何か言ったわけでもなく、いきなりレイヤから言われたそれだけの言葉では、彼女の言葉の意図が分からなかった。
「あたしはマリナに未来を奪われたなんて思ってないよ。確かに今人を殺すことの怖さを知ったよ。でもあたしだって無関係じゃないし《創始者》が憎い。けど、放っておいたらもっと酷いことになるじゃん。誰がやらなくちゃ地獄はおわらない。だからあたしは覚悟を決めるよ」
「レイヤ……」
「それに言ったよね? マリナやサクヤと出会わなければあたしはずっと一人だったって。友達の素晴らしさを教えてくれたのはマリナたちだって。だからマリナたちに出会ってなかったらこの気持ちを知ることもできないで、ずっと孤独っていう闇の中で過ごすことしかできてなかったと思う。だからマリナたちに会えてよかった。一会一期だね」
全く、どうしてレイヤは思考を読めるのだろう。口にも出してないのに考えていたことの核心を突く答えを返してくる。
――忘れてたわ。この子は|人の感情を読むのが得意だってことを。サクヤに対しても言葉が分からないのに感情を読んで会話を成立させていた。ほんとに、何てとんでもない特技なのかしら。
たた、一つだけ言うなら……。
「一会一期じゃなくて一期一会、ね」
だけどおかげで気が楽になった気がする。
レイヤだって男に借りはあるんだ。何もマリナ一人で抱え込む必要なんてなかった。
もう迷うことはない。この戦いに集中して因縁を今日で断ち切る。
今回は逃げることを考えない。さっきの連続攻撃で初めて、《創始者》との戦いで手応えを感じた。この勢いに乗って今日こそは《創始者》を倒しに行く。
改めて覚悟を決めてマリナは男に向き直った。
「クククククッ。フハハハハハ! この俺に傷を付けたのはお前らが初めてだ。面白い、面白いぞ!」
男の不気味な笑い声と叫びはマリナたちを戦慄させた。どこかネジが飛んだような変わり方。これが本当の姿だとでもいうのだろうか。
「いいだろう。俺も真剣に戦ってやろう!」
嫌な予感がした。今ので様子を見ていただけと言うなら言葉通り本気になった時、男の見せる力は……。
考える終わるよりも早く男が正面からマリナに向かって飛び出した。
先程までより桁違いに速い動きに圧倒され、今度はマリナがギリギリで防ぐしかなくなる。
「くっ……!」
一撃一撃が重い。僅かにだが手が痺れてくる。
そこへ横から一振りの剣が二人の間に入り男を牽制すると、マリナへの斬撃の雨が降り止んだ。
「マリナ!」
「ありがとう、レイヤ」
赤髪の少女が隣に並び、二人揃って立つ姿に男が小さく舌打ちしたのを聞き逃しはしなかった。思い返せば《創始者》相手にこうしてしっかりと連携をとって戦ったことはない。これまでは一対一で戦い、そうせざるを得ない状況もあった。そのために男との戦績は散々たるもので、命からがら逃げ出してばかりだった。
けれども二人での連携なら通用する。その確信が自信となり、更なる力を引き出していく。
しかし、さすがに男も富豪だけあってあっさりとは終わってはくれない。
「ウオオオォォォォォォォ!」
いきなり間近で人間とは思えない叫びを上げだした男の、あまりの不快さに二人は耳を塞ぎ込んで顔を歪めた。
「なにっ!?」
悲鳴にも似た叫び声がレイヤから漏れる。
「まずいわ!」
直感的にマリナがレイヤの手を引きその場を離れる。直後、何か不思議な紫色のオーラ、とでも言うべき物が男から放たれた。
その勢いは爆風そのもので、二人の退避した場所にも熱気を帯びた暴風が届き、目も開けていられずに腕で顔を庇う。
実際に風が二人を襲っていた時間は数秒だったのだが、体感では数十秒にも渡っていたように感じた。
熱さと風圧に耐えきり、顔の前に出していた腕を下ろした時、目の前に広がっていた光景に頭が真っ白になった。
さっきまで二人の立っていた場所は地面が抉れ、熱で焼き焦がされている。もしあのままいれば二人は丸焼きになるのは避けられていない。
――狂ってる。これが人間のすることなの。これだけの力を躊躇なく放つなんて、とても人間とは思えない。
「マリナ、大丈夫だよ。きっとどうにかなるから」
レイヤに声をかけられるまで、自分の表情が強張っていたことに気がつかなかった。
でも、どうしたらいい。レイヤの言う通り、きっと何とかなる。というより、何とかしなくてはいけない。けれどどうしてレイヤはこの状況になってもそんなに気楽でいられるのだろう。
そんな疑問を抱いたことすら、レイヤにはお見通しだった。だからレイヤの最初の一言の意味をマリナは理解することができなかった。
「そんなことないよ」
「えっ?」
「あたしだって焦ってないわけじゃないよ。でも焦って力入ったって、何にも切り抜ける方法なんて思い浮かばないじゃん!」
その言葉は最もだ。事実、マリナは焦るばかりで頭がいっぱいになり、とても打開策なんて考えられる状況ではなかった。
レイヤは自分で焦っていた言っていたが、そんな考え方ができるだけで、十分落ち着いているだろう。
このときは、異世界で育った少女の前向きさが羨ましく思えた。
――落ち着いて。周りを見て。肩の力を抜く。
目を閉じて一度大きく深呼吸をしてからマリナは自分に言い聞かせる。
「ウオオオォォォォォォォ!」
再度男が唸るような叫びを上げながら接近する。どこから見てもまるで狂った獣のようだが、それでもマリナは動じない。
――まだ。まだ早い。
寸前まで肉迫した男を、待ってましたと言わんばかりにマリナが沈んで懐に潜り込んでくぐり抜け、レイヤと二人で男を挟み込む陣形を取る。
そこで、瓦礫の上にいるサクヤと目が合った。
――そうだ。この場にいるのは私と、レイヤと、《創始者》だけじゃないわ。戦っているのは三人でも、こっちにはまだもう一人信頼できる味方がいる。
仲間の目には強い意志があり、マリナに何かを訴えかけていた。
だから彼が何をしたいかまでは分からないが、男と剣をぶつけるもう一人の仲間に向けて力の限り叫ぶ。
「レイヤ!」
たったその叫びだけで彼女はマリナの意図を読み取ってその場を飛び退いた。




