第二十九話
「剣は握らないって、約束したわよね?」
「マリナ! 大丈夫か?」
サクヤが声をかけると、彼女は立ち上がって顔を上げた。
「ごめんなさい。もう平気よ。だからサクヤは少し下がってて。あなたが剣を握る必要はないわ」
さっきまでの彼女とは思えない力強さを秘めた言葉に曇りはなく、完全に復活している。
ギリギリではあったが、サクヤの狙いは無駄にならずに済んだ。これでもどうなるか分からないが、安心はできる。
「意外と早い復帰だな」
男に答える代わりにサクヤが数歩下がり、彼の前にレイヤとマリナが出る。
「二人だけで勝てるとでも思ってるのか」
「そんなのやってみないと分かんないよ!」
レイヤが初めて声を荒らげた。
「今のうちにほざくがいいさ。もう少ししたら口も聞けないほどになってるんだからな」
緊迫した状態で、いつ戦闘の火蓋が切って落とされるかとサクヤは身構えたが、少ししてもそこから状況は動かない。
その理由にサクヤはすぐには気づくことができなかった。
「どうした、あれだけ大口を叩いておきながら怖気づいたか?」
背後からで、二人がどんな表情をしているかまでは見えないが、首の動きからしてキョロキョロと周囲を見回しているような感じがする。
そこまでしてようやくマリナたちの意図を察した。
そもそも、三人を大掛かりな仕掛けで呼んでおいて、真っ向から戦うかと言われれば、それはほぼないだろう。少なくともサクヤなら、何も無しで勝てるような相手でも罠は張っておく。
マリナはそれを警戒しているのだ。
男が余裕そうに笑っている時ほど何を考えているか分からない。それが大きな恐怖を与えてくる。
そんなサクヤの心情を表すかのように空が厚い雲で覆われてきた。遠くの空で雷が白く光る。
それを号砲に、罠は何も無いと判断したマリナが動く。
一度目の斬り込みでは男に軽く弾き返されるが、切り返して剣を振り下ろす。それも剣を上段に構えて止められるが、今度は彼女の背後に身を隠していたレイヤが男の前で飛び出して守りのない足を狙って低い体勢で水平に薙ぐ。
サクヤには二人の動きの全てが見えていて、完璧なコンビネーションだった。しかし、男は防御することを諦めて後方に飛び退くことによって二人の連携を回避した。
やはり二人だけでは勝てないのだろうか。いや、何かあるはずだ。あって欲しい。今サクヤにできることなんてそれを探すことしかないから。
少なくともあの二人なら秒殺されることはないだろう。そう信じてサクヤは壊れたラストランに近づいた。
「酷いな……」
完全に瓦礫となって崩れ落ちたその場所は立ち入ることすら難しい有様だが、そんなことは言ってられない。
足元に瓦礫が散らかるところに踏み入ったサクヤが一番最初に目に止めたのは、すぐのところにあった黒い炭になった何かだ。確かこの場所には木でできた店の看板があったはずだ。
あまり深くは考えずに彼はその炭を手に取った。途端に炭は粉々になって宙を舞う。
魔法で建物を燃やし尽くす能力を持つ相手。そんな相手に勝てる手段などあるのだろうか。
「いや、それを見つけるのが俺の役割だ」
黒く汚れた手を軽く払ってサクヤは瓦礫の中へ踏み入った。
一瞬男の注意を引くだけでも、目を逸らすだけでもいい。マリナたちならそれだけでも形勢を逆転できるはずだ。だが、二方向からの同時攻撃だけでは目を離すことなく止められてしまう。だから飛び道具になるような物で、かつできれば当たった場合にそこそこのダメージを期待できる物。ここはレストランだったのだからそういったものがあってもおかしくない。
レストランの面積はある程度広く、全体を虱潰しに探していくには時間が掛かりすぎる。それではいくらマリナたちでも保たない。だからポイントを絞って捜索する。
店の中心の方はホールだった。この惨状だとホールにあるものはあまり役には立たない。キッチンの方が何か隙を作れる物があるはずだ。
そんな根拠のない予想と、自分の勘を信じてサクヤはキッチンだったであろう場所を探す。
だが、サクヤはそのホールの瓦礫の中に、光が反射している箇所を発見して足を止めた。まるでその光に吸い込まれていくように近づいてもその光の大きさは変わらない。
「これは……」
どこか見覚えのあるようなもの程度にしか記憶に残ってなかったために、脳内検索に時間がかかったが、ある記憶の欠片に合致した。
最後にここに入ったとき、サクヤが目にした石板だ。縁は欠けて僅かに歪な形になってしまってはいるが、奇跡的に全体的な形は保っている。
両手で慎重に石板を持ち上げてみたが、残念ながらこれは使えそうにない。この状況で無事でいるほど頑丈なものだけあって、それ相応の重さがある。それでは投げることもできない。
使い道が無さそうな石板を諦めて他を探そうと彼は石板を丁寧に置いた。
だから、石の転がるような音がした時、サクヤは瓦礫が動いた程度にしか思わず、気にもしなかった。
それでも人間の本能的な反射で石板を再び見ると、その石板には小さな変化が起こっていた。
石板の真ん中にぽっかりと円い窪みが空いている。さっきまでこの窪みは無かったということはあの音はここから何かが外れたのだろう。それならまだこの辺りに落ちているはず。
サクヤの推測通り、薄い円形の物体が彼の足元に落ちていた。
石板から外れたと思われるそれを拾い上げた時、サクヤは目を疑った。
このサイズでこの形。そして、裏面のこの模様。マリナの集めていたコインで違いない。
彼女は今運命を左右する戦いをしている。マリナが連続切りを仕掛ければ反対からレイヤが襲いかかる。
その猛攻は当たりはしないものの確実に《創始者》を圧倒している。サクヤがいる時よりも寧ろいない方が動きがいい気がするのは気のせい、ではないだろう。それ程彼が足を引っ張っていたという事実を突きつけられればさすがにショックだ。
でも今はそんなことを言っている場合ではない。これは後でマリナに渡そう。そのためにもいち早くサクヤが援護できる何かを見つける必要がある。
「だから頼む。それまでは耐えたくれ」
祈るように小声で呟いて手の中のコインを懐に仕舞い、踵を返した。