第二十七話
☆☆☆
家にレイヤはいなかった。だから二人はレイヤがお気に入りの場所だと言っていた森の中に足を向ける。
これから話すことを考えればすごく気が重い。二人の心境を示すかのように空はどんよりと曇っている。
「はぁ」
ついついサクヤの口から溜め息が漏れた。
果たして許してもらえるだろうか。あまり巻き込みたくなかったのもあってのことだが、レイヤは普段の彼女からは想像できない程ショックを受けていた。
悪いのは全部サクヤたちの方だ。だから尚更顔を合わせ辛い。
「はぁ」
もうなるようになってしまえ。全力で謝り倒す。何をどうしても結果を決めるのはレイヤだ。だから彼女の判断に委ねる。
こんな時に限って探し物はすぐに見つかってしまうのは運命のいたずらだろうか。
予想通り、岩の上に座っていたレイヤを見てサクヤはそんなことを思った。
「サクヤ、もう大丈夫なんだね」
目が合うなりレイヤはそう言ってきた。
どうして知ってるのかとマリナに目で訴えるが、彼女も首を傾げる。
しかしレイヤは気にせず岩の上から飛び降りて続ける。
「ごめん。あたしのせいで、サクヤを酷い目に遭わせちゃった」
「どうしてそのことを?」
あの時レイヤは、幸いというべきか、皮肉にもというべきか、《創始者》の言葉通り無事に城から脱出しているはずだ。だから彼女は当然現場を見ていないはずなのだ。
「城から出たのはよかったんだけどさ、あの後すぐにあたし何してるんだろうって、思ったから戻ってみたらサクヤがやられるところが見えちゃったんだ。サクヤを助けにいけてたらこんなことにはならなかったかもしれないけど、最初のショックと重なって、それであたしは逃げたんだ」
俯くレイヤにいつもの明るさや元気さは無く、とても弱々しく見えた。
これまでレイヤは明朗快活に振舞ってきた。だからこそ余計にそう見えてしまうのだろう。でも、彼女だって一人の女の子に変わりはない。サクヤたちの偏見が、無意識のうちにレイヤを傷つけてしまっていたのかもしれない。
レイヤにかける言葉が見つからず黙り込む二人に彼女は続ける。
「あたしのその愚かさが結果的にサクヤを傷つけてしまった。マリナにも迷惑をかけたんだ」
まさかレイヤがそんなことまで考えているとは思っても見なかった。細かいことに一番関心がないと思っていたのは思い込みの偏見でしかなかったのだ。
繊細で、人思いな彼女の姿こそが、本当のレイヤという少女なのかもしれない。
そうサクヤは思った。
「レイヤのせいなんかじゃない」
「そうよ。こうなったのは私たちの力が足りなかっただけ。何もレイヤは悪くない」
すかさずマリナもフォローに入ってくれる。
「ありがと二人とも。でもあたしがいれば結果がちょっとでも変わっていた。それは事実なんだよ」
「それは私たちがこの世界の人間じゃないって黙ってたから……」
マリナがそのことを切り出す。
「そうだよ」
レイヤの口から発せられた一言は、二人の予想の遥か斜め上のものだった。
これまでの彼女からすると、もっと穏やかで気さくな口調の返答が来ると思っていた。だが、今のレイヤの言葉は直球で鋭く、どちらかと言えばきつい。
「あたしは二人が違う世界から来たって聞いた時すごくショックだった」
それはそうだろう。誰だって信じていた人から裏切られると大きなショックを受ける。それはレイヤと言えども同じなのだ。それが人間である限りは。
「あたしはさ、村に歳の近い子がいなかったもんだからずっと友達っていなかったんだよね。それに、あたしの村って身分とかそーゆーのは気にしないから、街の人達からは逆に避けられちゃって。だから毎日一人で遊んでた」
言われてみればそうかもしれない。確かに村で出会った人達は畑仕事をする老人か、力仕事をする大人の男性、そしてレイヤよりもかなりちいさな女の子だ。
そう考えると、元の世界で学校に通い、同い年の友達ができていたサクヤたちは恵まれていたのかもしれない。
それに、身分を気にしないから逆に避けられるなんてどうかしてる。身分によって人が差別される世界だからこそ人は強く偏見や差別意識を持つ。それによってレイヤは苦しんでいたのだ。
「そんな時に出会ったのがマリナだったんだ。毎日マリナが遊びに来てくれて、あたしにも友達ができたって嬉しかったよ」
初めて聞くレイヤの心情にサクヤは意外性を感じた。やはりどうしても普段の彼女の振る舞いを見ていると、感情ということとは無縁に思えてしまう。
でも実際はそんな性格だからこそレイヤは傷つきやすいのかもしれない。そんなことも気づかなかったことはサクヤの落ち度だ。
「そしたら今度はサクヤが来てくれるようになった。初めて会ったときも、今も何を言ってるのか言葉は分かるけど、顔とか、様子を見ていると大体言ってる事が分かるから苦労はしなかったよ。だからまた一人友達が増えたって嬉しかった」
自分たちのことをそんな風に思ってくれていたのはすごくありがたい。そんな相手に重要なことを伝えずに傷つけたのは罪悪感が込み上げてくる。
「二人のことは友達だと思ってた。思ってたからこそショックだった。騙されたと思った。結局二人も周りの人と同じなんだって感じた。二人のことだからそんなことはないと自分に言っても、心の底から信じることができなかったんだ」
どうやらサクヤたちが黙っていた事実は想像以上にレイヤの心を深く抉っていたようだ。
今は微笑というか、取り繕っているように窺えるが、その時はこの表情すら作れなかっただろう。それをしたのが自分だと考えたらすごく胸が痛む。
それ以上レイヤの言葉を待っても、彼女は言葉を紡ぐことはなかった。きっと、今話したことが彼女の本音の全てなのだろう。
そう思ったとき、再びレイヤが口を開いた。
「やっぱり、サクヤとマリナはあたしの前からいなくなっちゃうの?」
サクヤはその問いに答えることができなかった。なぜなら、彼は妹を救い出してからゆっくりでも元の世界への帰り方を探すつもりだ。だが、目の前で若干涙目になりながら上目遣いをしてくる少女にその事実を伝えることなんてできるわけない。
でも、このまま黙っていれば認めたことになり、レイヤに追い討ちを掛ける。
「え、えーっと……」
サクヤがしどろもどろになって視線を彷徨わせていると、横からマリナが前に出た。
「すぐにいなくならないわよ。私たちが黙ってたのは申し訳なかったわ。私たちはある目的のため戦っている。それにあなたを巻き込みたくなかったの」
「……目的って?」
その質問に二人は目を合わせて頷き合った。
もうその内容も隠す必要はない。それに、これからも関係を保つなら、レイヤには内容を聞く権利がある。
彼女なら、これから話す内容を受け止めてくれるだろう。
「私たちはこの世界に来るときに家族を失ってるのよ。私の場合は両親を、サクヤの場合は妹をね」
「俺の場合、妹は生きているけどどうやってか記憶を操作されて敵としてこの世界にいるんだ」
サクヤが補足で説明する。
改めて思えばサクヤとマリナの目的は微妙に違う。マリナの目的が、サクヤの目的の通過点にあるから協力してくれている。もしこれが全く違うものだったらマリナの協力は得られなかったのだろうか……。
それ以上は考えるのは止めた。その先は考えられないし、考えたくもない。
「妹と敵って……もしかして」
答える代わりに首を縦に振ってサクヤは首肯を示す。
「俺は何らかの方法で妹が利用されていると思っている。だから妹を取り戻すのが俺の目的だ」
「…………」
表情をピクリとも動かさずにレイヤは聞いていた。いつにない彼女の真剣さが話してる側にも伝わってくる。
「それで、私は《創始者》に殺された親の敵を取ることが目的よ」
「そっか、だから二人はそんなにあの男に拘るんだね」
一応レイヤは納得してくれたみたいだった。サクヤたちに説明できることはこれが全てだ。後はレイヤがどんな反応を示すか。それ次第だ。
しばらくはお互いにまっすぐ見据えていた。不思議とレイヤから視線を逸らすことができず、静かに時間が流れた。
その後ようやくレイヤが口を開く。
「目的を果たして、それでどうするの?」
それは考えたことすらなかった。ゆっくりとでも元の世界への帰り方を探そうとは思っていたが、具体的な内容どころか、その方法が実際にあるのかも考えたことがない。
「元の世界に帰っちゃうんだよね?」
そうか、この少女はサクヤたちと別れなければいけないことを危惧しているのだ。二人と別れて、また一人になりたくないから。
「やだよ。二人はあたしが初めてできた友達なんだ! また一人になるのは辛いよ……」
これまで孤独だった少女が初めて知った友達との時間。その存在の大きさは彼女に新たな生きがいを与え、今やそれが当たり前の生活になっている。だからこそまた一からのやり直しが辛く、寂しく感じるのだ。
その気持ちもサクヤには理解できる。彼だってこの言葉の通じない世界に投げ出された時は不安で、メグが本当に連れ去られたと知った時にはおかしくなりそうだった。でも、すぐに同じ境遇のマリナに出会い、異世界の住民でありながらサクヤと会話が成り立つレイヤに出会い、毎日のように一緒に過ごしていくうちにそれが普通になっていった。
サクヤだってレイヤと別れるのは寂しい。でも、いつまでもここにいるとも言えないのだ。彼の生まれ育った場所が違う世界である限り。
「それでも……」
「いいよ」
言いかけたサクヤの言葉をレイヤが遮る。
「分かってる。これはあたしの我儘だって。だからいいよ。もしあたしたちが会えなくなってもあたしは二人に協力する」
「レイヤ…………」
どう考えても悪いのは事実を伝えずに黙っていたサクヤたちの方だ。にも関わらず異世界に住む金髪の少女は二人を問い詰めず、寧ろ自分の方に非があるように言って、しかも二人に協力までしてくれると言っているのだ。
「友達だと思ってたのは、あたしだけじゃないよね?」
「ああ」
「もちろんよ」
二人は力強く即答した。
レイヤを信頼しているからこそ、こんな話をし、無茶にも手伝ってもらった。結果として関係は危うくなりかけたが、こうしてまた仲直りできるのが何よりもの友達と言える関係である証拠だ。
「ありがとう二人とも」
「それはこっちこそだよ」
「ええ、そうね。ありがとう、レイヤ」
感慨深いこの三人の場面を邪魔したのは村の方から聞こえた轟音だった。
反射的に音の方を向いたが、ここは森の中。木々に邪魔されて外の様子を見ることはできない。
痼を解消したばかりの三人はアイコンタクトをとって同時に走り出した。