第二十五話
即答だった。
「そうだな、律儀にも健闘を祈ってくれた奴のためにも」
「ええ、それに答えないと」
この状況にも関わらず軽口をたたいて余裕の表情を浮かべる二人。敵陣まで乗り込んできて今更恐れは感じない。
「それに、あの人数が相手なら全員を倒さなくてもいいわ」
「どういうことだ?」
「私たちはここから出れればいいのよね? ――見てて」
そう言うとマリナは向かってくる警備兵に自ら足を向けた。
なんだこいつは。わざわざやられに来たか。そう戦闘の警備兵の口元が吊り上がった。
それでもマリナは進む。すると警備兵から余裕が無くなったように表情が引き攣る。
ゆっくりと歩み寄ってくるマリナに我慢できなくなった警備兵が遂に動いた。警備兵の波がマリナに押し寄せる。
どう見てもマリナは危機的状況なのに、当の本人は笑った、ようにサクヤには見えた。次の瞬間、マリナが警備兵の波に飲み込まれる。
「マリナ!」
あの中がどうなったか分からない。チームワークなどほとんどない警備兵たちは山となって蠢く。まるで死体に集る虫のように。
「何よ。大袈裟ね」
「うわぁっ!」
「静かに! バレちゃうでしょ」
いつの間にか隣に立っていたマリナは人差し指を口に当ててサクヤを諭す。その勢いに少年は発声することを忘れ無言で何度も頷く。
「分かったなら早く行くわよ」
警備兵の山に気づかれないように二人は足音を忍ばせて側をすり抜けて部屋を出た。そしてまた走り出す。
二人は夢中だった。乗り込んだ限り簡単には出られないと予想してはいたが、まさかこんな展開で《創始者》と戦わずして引き返すとは思いもしなかった。
通ってきたルートの記憶を頼りにひたすらに走る。
「よし、あそこが出口だな」
次第に光は大きくなり、遂に二人は城を出た。しかしそこで足を止めざるを得なくなる。
二人の前に立ちはだかる少女。彼女は男も共にいたはずだ。この僅かな時間の間に回り込まれたということは、初めからこの展開を予想されていたことになる。
「メグ……」
「このまま帰らせないよ」
剣を向けて戦闘する気満々の妹は身を引いてくれそうにない。
戦うしかないのか。ここに来るのに覚悟はしていたつもりだった。何があってもメグを助け出すと決めていた。でも実際に対峙してみれば、どうしても妹を傷つけたくないという感情が込み上げてきて、その決意がつい揺らいでしまう。
――いや、待てよ。男の能力は何て言ってた? 確か、この城に結界を張って感知したと言っていた。言葉通りならカメラのように今起こっていることまでは分からないはずだ。そして今は目の前にメグが単独でいる。つまりこれはメグを元に戻す絶好の好機だ。
確かに嫌な展開ではあるが、考え方次第では本来の目的に沿った望ましいものとなる。
「サクヤ大丈夫?」
サクヤたちの関係を唯一知るマリナが小声で心配してくれる。
「ああ、何とかな。今のうちにメグを取り返す」
後半部分は自分自身に言い聞かせてサクヤは剣を抜いて構えた。
スタートは同時だった。
一回、二回、三回と剣がぶつかり合う。単純な力勝負となればサクヤの方が上だ。それを使えればどうにかなるかもしれない。
「メグ! 思い出せ! お前はそんなことするやつじゃないだろ!」
前に街中で戦った時のようにサクヤは必死に声をかける。前回はそれで変化があった。でも今回もそうとは限らない。それでもサクヤはその可能性を信じ続ける。
周囲が静かで剣のぶつかり合う乾いた金属音が響く。
マリナは気を使ってか、派手な動きはせずに牽制気味にメグの気を逸らすことに専念してくれている。
だからサクヤは邪念に囚われず行動できる。
「いい加減にしろ! 俺だよ。お前の兄貴だよ」
サクヤの叫びなどお構いなしにメグは猛撃してくる。
簡単には言葉は届かない。分かっていたことだが、実の妹相手にとなるとやはり辛い。
いくら力で上回ってたって、スピードや技術はメグの方が上なことに変わりはない。その中で繰り出される攻撃は一撃一撃が驚異だ。
ギリギリまで引き付けて回避。時には剣を盾にして弾くが、初速度のあるメグの速い振りの前では力の差などあっさりとひっくり返されてしまう。
刹那の衝突に堪えると、また剣撃の雨がサクヤに降り注ぐ。
今度は引き付けたわけでなく、素でギリギリのタイミングで何とか躱す。そこにマリナが牽制を仕掛けるが、メグはそれを読み切ってサクヤへの攻撃を続ける。
峰打ちなどという甘いものではなく、急所を狙った確実な一閃。それを身を捻って避け、立て続けに振られる剣を次は一歩後退する。
これ以上はサクヤに近づけまいとマリナがメグの背後から忍び寄るが、それを察知した妹は、真っ直ぐ足を踏み込んでマリナと距離を取ると同時にサクヤに斬りかかろうとする。
「くそっ!」
少年はそう吐き捨ててから全力で距離を取った。
このままじゃ埒があかない。この状況を変えないと、ずっと防戦一方だ。
だから何かパターンを変えた方法でいかないと何も起こらない。
「ふぅ」
一度サクヤは息を吐いて気持ちを決めた。
「マリナ! もう牽制じゃなくていい!」
「でも」
「牽制じゃメグを止められない! 本気で狙ってくれ!」
「……いいのね?」
「ああ」
多分それでもメグは倒せない。だからこそ本気で立ち向かわなければいけない。本来のメグの姿でなくてもメグの強さを信じる。
馬鹿だとか、お人好しとか、甘ちゃんだとか思われるだろうか。
裏切ることなら誰にだって簡単にできてしまう。逆に信じることは限られた人にしかできない。今回の場合相手はメグだ。だから信じることはサクヤにしかできないのだ。
「言葉が通じないなら剣で語る」
マリナもメグもが耳を傾ける中彼は宣言する。
「これからは全力だ。いくぞ、メグ!」
「…………」
改めてサクヤは地を蹴った。
さっきよりも一層力強い金属音が何度も鳴り響く。
サクヤが一歩下がれば今度はマリナが剣を振るう。彼女の剣さばきはサクヤよりも確実に上だ。そんなマリナからの不意打ちすらもメグは受け止めて、次の攻撃へと切り返す。
そこへサクヤが出てきて、二人でメグを囲む形を取る。
これはさすがに決まったど思った。メグが強いからと言って彼女の手に剣は一本しか収まっていない。だから双方向から攻撃を繰り出せば片方を防ぐ術がないはずなのだ。
「なっ!」
しかし妹はそれを驚異的な方法で防いでみせた。マリナ振るった一撃を剣で受け止め、サクヤの黒剣を左手一つで白刃取りのように受け止めた。
当然左手からは一筋の赤い血が流れ出す。
それでもしっかりと剣が掴まれていて、サクヤが動かそうとしても動かない。
そして直後、双方の手に掛かる力を横に流して抜けると、メグがサクヤの腹に向けて蹴りを入れた。
「うぐっ」
何とか腕で庇うことができたが、その一撃は速く鋭い痛みを感じた。
華奢なメグの体のどこにこんな強さがあるのだろう。もしかしたらこのメグの力すらも《創始者》によって作られた偽物かもしれないが、それでも強さは変わりない。
「まだまだ!」
この程度では倒れたりしない。力の限り足を踏ん張りその力を推進力へと変化させて接近する。
至近距離から薙いだ一閃をメグはさすがの反射神経で守った。だが、ここに来て初めて彼女の顔が歪んだ。
多分サクヤの単純な攻めが逆に意外だったのだろう。これまで一度も表情を崩さなかったメグの意表を突桁ことがどこか嬉しく思えてサクヤはつい頬を持ち上げた。
そのまま彼は鍔迫り合いに持っていく。
「強いな、メグは。昔から助けられてばかりだったのにそんなに強くなってしまったら俺いらないんじゃないか?」
普通にメグに話しかけるようにサクヤは自嘲する。
特に理由はないが、近くにマリナはいるものの久しぶりに妹と二人きりになれたから話したくなったのだ。
独り言のようになることは承知の上だったが、サクヤの独り言は想像以上の結果をもたらした。
「うっ、ぐっ………あああああああああああ!」
いきなり力なく剣を落としたメグはあの時のように頭を抱えて藻掻き始めた。
やっと言葉が届いたのかという嬉しさ半面、どう対応すればいいのかという戸惑いがサクヤの動きを止めた。
「サクヤ!」
「……ああ。分かってる」
そんな状態のサクヤをマリナが我に戻した。
「メグ、分かるか? 俺だ、お前の兄だ。頼むから思い出してくれ。今まで一緒に過ごしてきた日々を」
メグはサクヤの声が聞こえない程苦しみ藻掻き続ける。
「一緒に笑いあったり、悲しんだりした記憶はお前の中にも残ってるはずだ。頼む。思い出してくれ! 楽しかった過去を、記憶を!」
サクヤの想いが届いたのか、メグの悲痛な叫びが収まった。そして開いた彼女の目は、これまで無かった生気が宿っていた。
「おにい、ちゃん……」
間違いない。妹の記憶が戻ったのだ。それは、ついさっきまでとは違い、声が穏やかだ優しい、元の世界で一緒に過ごしていた時のものに戻っていたことから確信が持てる。
ここまで長かった。身寄りのない世界に独りで投げ出され、マリナという少女に出会い、レイヤという仲間に出会った。振り返ってみれば楽しかったが、一日たりともメグのことを忘れたことは無い。どうやって救出するか、どうやって《創始者》を倒すか。そのために毎日二人の少女に稽古をつけてもらったが、中々上達しない間辛かった。でも、もうそれは終わりだ。
まだレイヤの蟠りや、《創始者》との決着は残っている。それでもこの世界での大きな目標はこれで達成だ。
全ての問題が解決したら、ゆっくりと時間を掛けて元の世界に戻る方法を探せばいい。レイヤには申し訳ないがその時は謝り倒そう。最後にはきっと分かってくれるはずだ。そう信じてる。
サクヤは約三ヶ月の時間を取り戻すようにメグをしっかりと抱きしめた。傍からはここまで付き合ってくれたマリナが心底嬉しそうな目で見ている。
「えっ?」
サクヤから声が漏れたのはその時だった。
近くのマリナが目を見開いているがどうなったんだろう。何だか少しだけお腹が熱い。
その正体を確認してサクヤは目を瞠った。
妹の伸ばされた腕の先にある剣が少年の腹部を貫く。そこから滲む赤黒い鮮血。
途端に意識が遠のいてきた。
「うそ……だろ……メグ…………」
一瞬見えたメグの優しい表情は消え去り、サクヤ、崩れるサクヤを見下ろしながらほくそ笑んでいた。
――ああ、マリナが何か叫んでる。でももう聞こえない。最後に見せたメグの表情は、本物だったのかな……。
そこで意識は途絶えた。
「サクヤ!」
自分と同じ監視者を相手にしていたマリナが駆けつけた時には、既にサクヤの状態は出血多量で危険な状態だった。
半ば機械的にサクヤを仰向けにさせて呼吸があるかを確認する。
――大丈夫、まだ息はある。でも、一体どうすれば。
後ろにはまだ残っている監視者の衛兵が接近していて、前にはサクヤを負かした強敵がいる。サクヤを運びながら逃げ切ることは不可能そうだし、全員を相手にしていたらサクヤは助からない。それ以前にマリナ一人で勝てる確率は低い。
何か方法はないかとメグを横目でいた時、マリナは自分の目を疑った。
「どうして……悲しくなんかさ、ないのに……」
自身ではそう言いながらも、メグの双眸からは止めどなく涙が溢れている。サクヤがこの様子を見ていたらどう思っていただろう。喜ぶだろうか、嬉しがるだろうか。
気が付けばマリナは意識を失って自分の腕の中にいる少年のことばかり考えていた。
「そっか……」
鎧を纏った赤髪の少女は絶体絶命の危機にも関わらず笑みを漏らした。
もう一度この少年と話がしたい。そのためにも今はこのピンチを切り抜けないと。
「我は闇を払う光なり」
少女の身体から赤いオーラが発生したと同時に彼女は軽々と少年を持ち上げた。しかし、どうすることもなく立ち尽くして、衛兵が接近してくるのを待つ。
マリナがこの世界に来るとき、家族と引き換えに手に入れた能力。それは自分の筋力、知力、判断力を底上げするというものだが、その状態でいる時間に比例して、普段の倍の疲労が溜まってしまうというデメリットも存在する。
しかし、今はそんなことを気にしなかった。いや、気にする余裕が無かった、の方が正しいかもしれない。
最優先なのはサクヤの命。それを守るためには自分の疲労なんか気にしてられない。
衛兵たちをギリギリまで引き付け、剣を振りかぶった時になってようやくマリナは動いた。
能力によって強化された脚力で地を蹴って貧民エリア目指して走り出した。
富豪エリアから貧民エリアまではそこそこ距離がある。そこまで倒れないでいる自信はないが、それはやるしかない。
だから、少女は無心で走った。