第二十四話
「もう終わったかな?」
話が纏まったタイミンク見計らって男が口を挟んできた。
「わざわざご丁寧にどうも」
「そんなに突っかかるような言い方しなくてもいいだろ?」
「よくもまぁそんなことが平然と言えるな。あれだけのことをしておいて」
「それは悪かったよ。だから落ち着いて」
軽い口調で口先だけの言葉を吐かす男に苛立ちが段々と三人に募ってきた。
「何を言ってるんだ! あたしや、村をあんなに酷いことにして許せるわけないよ!」
自分の村を侮辱され、遂に限界を迎えたレイヤが怒鳴った。彼女の怒りは最もだ。村を焼け野原へと変えた張本人が目の前にいて、飄々とした態度で許してくれみたいなことを抜かしている。
レイヤのように、自分の生まれ育った地ではないが、サクヤとマリナの二人も彼女の気持ちには同意だ。
だが、《創始者》はレイヤを無視して、予想外の言葉を放った。
「今はまだそんな気分じゃない。そうだな、お茶でもしないか?」
三人は怒りをも忘れて呆然と固まった。
何を言ってるんだこの男は。こんな時にお茶、だと? どう考えても馬鹿にしてるようにしか思えない。
「客を案内しろ」
サクヤが疑っていると、男はメグにそう命令して本当に踵を返して部屋を出ていった。
どうしてこうなった。サクヤたちは男と仲良くお茶会なんかするためにここ来たわけではない。それは《創始者》もよく理解していはずだ。まさか分からないとは言わないだろう。
男の意図はさっぱりだが、どうやらより警戒を強める必要がありそうだ。
思索に耽るサクヤをメグは無表情のまま一瞥し、マリナとレイヤを交互に見た後、目で付いてくるように指示して無言で身を翻し、三人はそれに続いた。
「何か変な感じだな……」
知らぬうちにサクヤは一人呟いていた。
目の前にメグがいて、それなのにすごく遠い距離を感じる。本当はメグを連れて今すぐにでもここを立ち去りたいけど、なぜか身体はそうしようとしない。
「どうしたの?」
マリナには声が届いてしまったらしく、小さな声で聞いてくる。
「いや、何でもない」
きっと、メグを正常に戻す方法を知らないからだろう。その方法が分からなければ本当のメグは返ってこない。
一人で感慨に近いものに浸っているとすぐにまたさっきの場所とは違う広い部屋に着いた。壁は廊下のように絵画のようなものは無く、単調なイメージを与えるその部屋には、晩餐でもするのかというほど長いテーブルが用意されていた。
そしてその上座とも言える場所に男は悠然と座っていた。
「そこに立ってないで座るがいいさ」
サクヤたちは三人でアイコンタクトを取り、ここは男に従っておこうと席に座った。但し、二つ席を空けて。
するとすぐに、いつの間にかいなくなっていたメグがお洒落なカップを運んできた。
目の前に出されたものの中身を見てみる限り、煎れられたのは紅茶だと思える。だが……。
「そんなに警戒しなくても毒なんか入ってない」
自ら示すため男は紅茶を飲んで見せた。だが、男の紅茶にだけ毒が入ってないことも考えられるため、サクヤは自分で匂いを確かめる。
サクヤは紅茶に関しての知識は疎いため、銘柄までは分からないが、カップを顔に近づけた瞬間から華やかな香りが漂ってきた。それだけで別に怪しい感じはしない。
それでも尚慎重にサクヤはカップに口をつけた。
「ん、おいしい」
無防備にもあまりの美味しさに普通に感嘆してしまった。
それを見てからマリナとレイヤが後に続く。
途端に二人の反応がサクヤと同じようなものへと変化した。
「どうやら口に合ったようで嬉しいよ。この紅茶は高級なものでね、多分滅多に口にすることはできないはずだ」
どうしてだろう。こうしてると男が普通の紅茶が好きな貴族にしか思えない。今の男の姿には、闇や影といった裏の一面が全く窺えないのだ。
サクヤは視線を紅茶に落とした。
琥珀色に揺らめく紅茶は何の混ざりけもなく純粋に澄み渡っている。
――ああ。俺の心はいつから濁ったんだろう。
ついサクヤはそんなことを思ってしまった。
サクヤがこの世界に来てから、いつも考えているのはメグのこと。そして呑気に紅茶を飲む男をどうやって倒すかだ。
もう、あの頃のように純粋にはなれないのかな。 サクヤはそんなことを考えた。
「ねぇ、どうするの?」
マリナは男に気づかれないように机の下でサクヤを軽く小突いた。
「ちょっと様子を見る。雲行きが怪しくなったその時は頼む」
「……分かったわ」
彼女は紅茶を静かに啜った。
無音で時間が過ぎていく。元から話したいことなど無いためにこうなるのは当然のことだ。
――とは言え、やっぱり気まずいな。
別に自分から訳でもないのだから堂々としてればいいだけなのだろうが、サクヤはあまりこの雰囲気が好きではない。隣でクールに装っているマリナや、逆に緊張という言葉とは無縁で、普通に紅茶を上機嫌に飲むレイヤがサクヤには羨ましく思えた。
「断られたらどうしようかと思ったよ」
サクヤにはありがたいことに男がこの沈黙を破った。だからといってまとも相手することとは話が別だが。
「断る暇なんか無かっただろ」
「つれないな。そんなにこのお茶会が嫌かい?」
「別に」
サクヤはぶっきらぼうにそれだけ答えた。
「……君たちは、この世界をどう思うかい?」
唐突な質問に三人は無言を貫いた。と言ってもレイヤは自分の世界に浸ってるし、マリナは元から答え気なんか無さそうで、《創始者》の相手をしているのは実質サクヤだけだ。
そのサクヤも、無言だったのは答えなかったのではない。答えられなかったのだ。
一体なぜ、男はこんな質問をしたのだろう。その真意は多分考えても分からない。今考えるべきなのはそこではない。
サクヤは何度もこの世界の《闇》を見た気がする。それは、身分による差別制度。サクヤが貧民で、マリナが監視者で、レイヤが平民なのはどうしてなのか。理由が分からないそんなものによっで決められた身分で差別されるのはあまりにも悲痛で残酷だ。
だからどうかと訊かれると彼の答えは。
「醜いな。身分が上だから下の人間を差別する。そうして差別される側の人間はその恐怖に怯えて過ごすことしかできない。酷い世界だよここは」
「果たして、どうかな?」
「なにっ?」
「君のいた世界でも、変わらないはずだ。生まれながらに付けられた身分で差別される、正に君が言った『酷い世界』があるだろ?」
「そんなこと……」
「無いと、言い切れるか?」
サクヤは答えに詰まった。この男はどこまで元の世界を知っているのだろうか。
男は自分で、この世界の住民だということを間接的に言っていた。だから本来サクヤとマリナの住んでいた世界のことは知りようがない。だがこの男は知っているような口ぶりだ。
「まぁいいさ。でも人は身分という隔てが無くても同じ人間を忌み嫌い、時には殺すことだってある。人間という存在そのものが醜いものなのだよ」
勝手な譫言を。身分という縛りを自分のいいように利用して、平気で人を殺め、街を焼くような奴に人の何が分かる。
そう叫びたかったのをギリキリのところで呑み込んで堪えた。男に叫んでも意味が無いのは明らかだ。どうせ行動を改めたりはしないのだから。
「ねぇ、何の話?」
ここまで会話に参加しなかったレイヤが純粋に質問を投げかけてきたとき、しまったと悔恨した。
まだレイヤにはサクヤとマリナのことを何も話していない。別に隠してきた訳ではないが、彼女の前で元の世界の話をしてしまったのだから疑問を抱くのは至って普通だ。
しかし、レイヤなら大丈夫なはずだ。彼女ならすぐに興味を別のことに向けるはず。
事実、レイヤは聞くだけ聞いてそれ程興味はしめしていなかった。だが、次の男の発言によってサクヤの淡い希望は打ち砕かれた。
「この二人は、別の世界から来たのだよ」
これにはさすがのレイヤも驚きを隠しきれない様子だ。
このことはいずれ、言わなければいけないと思っていた。でもまさか、こんな形でレイヤに伝えることになるとは思ってもみなかった。
それと同時に、サクヤの中には不安が宿りかけていた。こんな形で衝撃の事実を聞かされ、しかも男の口からというのはレイヤもショックは大きいだろう。
この状況なら、サクヤたち三人の関係は一瞬で崩れかねない。もしかしたら、男がお茶に誘ったのはこれが目的だったのだろうか。そうだとしたら、三人はまんまと奴の罠に引っかかったことになる。
「どういうこと?」
幸い、レイヤの声音はいつもと変わっていない。だが、それに《創始者》が追い討ちを掛ける。
「言葉の通りだよ。彼らはこの世界で産まれ育った人間などではない。別の世界で生まれこの世界にやってきた、言わば異世界人だよ」
ゆっくりと、レイヤの目が見開かれるのをサクヤは見た。その目にはうっすらと涙が光っていた。
そして、勢い良く立ち上がると、レイヤこの部屋を立ち去った。
「レイヤ!」
サクヤが後を追おうとしたとき、男が手でサクヤを制した。
「大丈夫だよ。レイヤ君には何もしない」
サクヤは立ったまま、疑惑の目で男を見る。
「お前の言葉なんか信じられない」
「そうか。それは残念。でも、君まで出ていくというのなら、ただでは帰さない」
男の顔から笑みが消えた。声を落としたことからそれが冗談ではないことを悟る。
男と戦う目的が当初と違っている気はするがそんなことどうだっていい。今優先すべきなのは、レイヤを追いかけて謝ることだ。謝って謝って、その結果がどう傾こうと受け入れるしかない。そのためにもサクヤは黒剣に手をかけた。同じようにマリナも音を立てずに立ち上がっていつでも抜剣できるようにする。
「威勢がいいのはいいことだが、戦うのは俺じゃない。それじゃあ健闘を祈るよ、二人とも」
ほくそ笑みながら男はメグを引き連れて退室した。それと入れ替わりで入ってきたのは武装した、と言っても監視者の象徴である鎧を纏った警備兵たち。ぱっと見十から二十はいるはずだ。
「どうする?」
「やるしかないでしょう」