第十九話
頭が真っ白になった。鎧を付けているが、さらけ出された顔は、よく見知った、藍色のセミロング端麗な顔立ちで、穏やかそうな性格が窺える少女。
――だって、だってそこにいたのは、攫われているはずの最愛の妹だったのだから。
「メグ……よかった。無事だったのか」
何とか絞り出した声は自分で思っているより発声できていなかった。
「えっ? 確かに写真と同じね。でも、あなたの妹さん、正常じゃないわ。今も人を襲っていたのよ」
メグが、人を……?
近くにいたマリナがサクヤの声を聞き取ったが、その言葉がにわかに信じられなかった。
でも彼の記憶に残っている妹と、目の前でマリナと対峙する妹は、どこか雰囲気が違うのだ。何というか、優しく落ち着いて、常に穏やかな笑みを絶やさなかったメグが、今や無慈悲で感情を殺しきった双眸で真っ直ぐにサクヤたちを見据えている。だがその瞳に輝きは無い。
そしてついに、メグが口を開いた。
「ねぇ、お兄ちゃん。私、力を手に入れたんだよ。だからもう、お兄ちゃんは傷つかなくてもいいんだよ。これからは私が、お兄ちゃんを助けるから」
何を言ってるんだ? 誰がそんなことして欲しいと願った。それ以前にこいつは誰だ。メグは力何か求めはしない。あいつは、いつも通りの日常が気に入ってるやつだから。そのことは、一番身近の自分がよく知っている。
だからこそはっきり分かる。これは、メグだけどメグじゃない。きっとこれは本心じゃない。何か裏があるはずだ。
「メグ! あの男に何をされたんだ! 人を襲ってるのだって本心じゃないんだろ? メグはそんなことをするような人間じゃなかったから!」
「何言ってるの、お兄ちゃん? これは私の意志だよ? 人間を襲うのも、この力を手に入れたのも。全部私の意志」
サクヤの必死の想いも、今のメグには即座に冷たく突き放されてしまう。だがそれで折れてしまう程サクヤの心は脆くない。
「そんなはずない! メグはそんなことをしない! するようなやつじゃない!」
「お兄ちゃんに何が分かるの?」
「分かるさ! メグの、兄なんだから」
その言葉で、メグの表情に、前までの穏やかさが戻った気がした。それでサクヤ少し安心した。だが。
「それなら、試してみる? 私がどれだけ本気か」
またメグが冷酷な面持ちになった刹那、姿が消えた、ように見えた。実際には速過ぎて見えなかっただけなのだが、次の瞬間には目前まで迫っていた。妹の右手には剣が握られており、明らかにサクヤへ向けて殺気が放たれていた。
でも、サクヤはどうしたらいいのか分からなかった。信じたくないが、このままだとメグが無慈悲にも剣を振り下ろすのは間違いないだろう。だからといって妹に剣を向けるなんてこと、できるはずがない。
彼が躊躇していると、薄い赤色の髪が視界の間近に入った。直後、剣と剣がぶつかり合う乾いた金属音が響く。
「何してるのよ! 死にたいの!?」
「俺には、妹に剣を向けることはできない……」
「あなたの妹さんはどう見ても普通じゃない! 」
「それでも……妹なんだ」
自分で言いながらサクヤは唇を噛み締めた。マリナに言われなくてもメグの様子が変なのは分かっている。けど妹を傷付けることは絶えられない。それが自己満足だとしても、できないものはできない。
「そう……。ならあなたは下がってて。……何もしなければ、何も変えられないわ」
彼女の最後の呟きははっきりと聞こえなかったが、サクヤは指示に従って力なく数歩下がった。というよりはよろめいた。その途端に戦闘は再開される。
それでも尚、その戦闘がどこか他人事にしか思えなかった。それ程サクヤは放心状態に陥っているのだ。サクヤ目の前でマリナとメグが派手に戦っている。けれどそれは今の彼にとって背景でしかない。その戦闘を一目見ようと、建物の陰に人が集まりつつある。
――何でメグがこんなことになってしまったんだろう。攫われている間に何があったのだろう。
もうサクヤの知っているメグはいない。目の前で戦う妹を見ると、そんな気がしてならないのだ。あれだけ会いたい、助け出したいと思っていたのに、蓋を開ければそこには全く違うものがあったその脱力感が彼を支配していた。
「メグ……」
サクヤは力なく呟いた。当然、返ってくる言葉はない。静寂を意識すると耳に届くのは二人の戦闘音。それが、逃避させまいと現実をつきつけてくる。戦っているのは、妹だと。
分かっている。けど納得するのとは違う。こんな現実、受け入れるなんて到底できやしない。
メグはあんなにも優しかった。何もできない兄の代わりに、仕方ないなぁと笑いながら進んで動いてくれた。我が妹ながら可愛くて、優秀で、何でもできる最高の妹だった。自慢の妹だった。もう一度戻ってきてほしい。けれど、その妹を傷つけるかもしれない恐怖がサクヤを怯ませ、完全に妹は変わってしまったという現実が絶望へと少しずつ誘っているのだ。
それも自分のせいだ。もっと早く助けに行ければ、夢であの男にメグを連れて行かせなければ、こんなことにはならなかった。この事態を防ぐ方法はいくらでもあったにも関わらず、それを行わなかった、もしくは行えなかった自分が生み出した結果なのだ。だから、これは自分が受けなければいけない報い。叶うことなら、今からでもメグをどうにかしたい。それしかこの絶望の状況から抜け出す方法であり、希望のはずだから。
でもどうやって。もう遅すぎる。今更手遅れだ。次々に頭に浮かぶのはそんな負の感情ばかり。そんなことではダメだと、自分を鼓舞することすら今のサクヤには思いつかない。そもそもこの状況での重点はどうやってメグを元に戻すかだ。だが、今のサクヤの状態では全く思い浮かばない。
サクヤはマリナとメグの戦いを目にしながら、無意識に拳を握っていた。
次第に、街中で繰り広げられる戦闘は激しさを増していく。それに伴って少しずつ街に被害が出始めた。
今のところ、マリナとメグの実力は均衡しているように見えるが、マリナはあくまで被害が及ばないように配慮しているが、メグはそんなこと関係なく暴れ、周囲の店を荒らしながら好き勝手してる分、マリナの戦い方が窮屈になっている。
本来のメグじゃないとはいえ、ここまで酷薄な戦い方をする妹を見るのはとても耐え難い。
「もうやめてくれ……」
これ以上あんなメグの姿を見たくない。
「頼むからやめてくれ……」
いきなり、マリナが顔を歪ませて片膝を突いた。肩をおさえているところを見ると、今になって《創始者》との戦闘の傷が痛んでいるのだろう。そこへゆっくりと、メグが歩み寄る。
自分でメグを傷つけてしまうより、壊れきってしまうメグを見てる方がよっぽど辛い。
――だから!
サクヤは剣を抜いて走り出していた。やっぱり考えていても仕方がない。考えることよりも行動する。それがシロミ・サクヤだから。
「いい加減にしろ、メグ!」
彼の叫びに反応して、メグが動きを止めた。そしてサクヤを向くメグの顔には、困惑と驚愕がはっきりと見て取れた。
その隙にサクヤはマリナとメグの間に立ち、メグの剣を打つ。
「いいか、お前はそんなことをする残酷な人間じゃない。そろそろ本当のメグに戻れ!」
サクヤの思いが届いたのだろうか。メグは完全に動きを止め、反抗しなくなった。
「いや……」
だが、サクヤはメグの様子の変化に、呆気にられた。妹の表情はみるみる崩れていき、見開いた目からは恐怖すらも読み取れる。
「メグ?」
サクヤが心配して妹の肩を掴もうとした時だった。
「いやああああああぁぁぁぁぁああああ!」
強引にサクヤの手を振り払ったメグは、頭を押さえてこれまで聞いたことのない程悲痛で、甲高い叫び声を上げた。
一体何が起こっているというのだ。この豹変ぶりはどう考えても異常。立っていることすらままならないようで、両膝を突いて苦しむメグは何かにもがいているようの思えた。
「メグ、しっかりしろ! メグ!」
急変を遂げたメグに圧倒されながらもサクヤは妹に呼びかけた。もしかしたらこれはメグを元に戻す好機かもしれない。そう信じて何度も妹の名前を呼んだ。
「うぅ、ぁっ」
それでもまだメグは苦しみ続けている。だからサクヤはまた肩を掴もうとした。だが今回もそれが叶うことはなかった。またしてもメグの様子が変化し、今度は冷酷な無表情に戻ったかと思いきや、再度サクヤの手を払って立ち上がり、嵐のようにどこかへ走り去った。
一気に緊張が解け、脱力しそうになったが、そんなことしてる場合ではない。後ろでまだ肩を押さえて痛みに顔を歪めるマリナにサクヤ視線を移す。
「やっぱりまだ痛みが残ってたのか」
「ごめんなさい。私のせいで逃げられてしまったわ」
「そんなことよりまずは自分のことを心配しろよ。確かにメグに逃げられたのは惜しいけど、でも、自分がボロボロになってちゃ意味ないだろ。マリナだって異世界ですることがあるんだから」
サクヤの最後の一言でマリナははっとして目を伏せ、少し黙り込んでしまった。そのために二人の間には嫌な沈黙が流れる。でもそのままでは埒が明かない。
「まだ痛むなら家に来るか?」
「だ、大丈夫よ! これは本当に。大丈夫、だから」
僅かだがマリナの顔が赤くなってるように見えるが本当に大丈夫だろうか。そう思ってしまったが、そこは彼女の意志は固そうだったのでそれ以上は追及しなかった。
「とりあえず今日は帰ろう。そうした方がいい」
「……分かったわ」
これぐらいは聞いてもらわないと困るところだったが、素直に従ってくれてそこは胸をなで下ろした。