第十七話
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数時間後、二度寝から覚醒したサクヤは、隣の部屋で寝ているマリナを起こさないようになるべく音を立てずに階段を下りた。
階段を下り、いつものようにリビングへのドアを開ける。途端に、懐かしの朝食でも作っているかのように食をそそる匂いが嗅覚を刺激した。
「メグ……」
無意識のうちに妹の名前が出ていた。
でも、毎朝朝食を作ってくれていたメグはもういない。なら一体どうして。
リビングに入って目に入った光景にサクヤは目を見開いた。
「何でマリナが……?」
「起きた? もう少しでできるから待ってて」
キッチンに立ってせかせかと朝食を作るマリナは、どこからエプロン引っ張り出してきていてなかなか様になっている。
「あ、ああ……じゃなくて俺の家で何してるんだよ」
「何って、料理よ」
「いや、だから……」
「あなたのことだからまともなもの食べてないでしょ?」
「ど、どうしてそれを?」
顔を引きつらせながら訊くと、
「何となくよ。どうせこれまで妹さんにでも作ってもらってたのでしょ?」
そのマリナの推測が図星だったからサクヤは言い返せなかった。だからそのまま無言でダイニングのイスに座って待っておく。
こうして家で誰かに作ってもらうのなんて久しぶりだ。前にレイヤにシチューを作ってもらったことはあったけど、自分の家で作ってもらうのは日常らしくて、これが本来収まるべき場所のように落ち着く。
そんなことを考えていると、すぐにマリナが二人分の朝食を持ってきてくれた。
「はい、できたわよ」
どうやらメニューはスクランブルエッグとソーセージに野菜スープ、ご飯という洋風の献立だった。野菜スープから出ている湯気が食欲をそそる。
「いただきます」
早速スクランブルエッグから口に運ぶ。その瞬間から卵のふわふわ感が口いっぱいに広がる。それに味もちょうどいい加減だ。
「どう?」
「うん、すごく美味しい!」
「よかったわ」
安堵して表情を緩めてからマリナも食べ始めた。
「これからどうする?」
「そうね……。レイヤに挨拶に行こうかしら。かなり迷惑かけちゃったし」
片付いて一息ついたところでサクヤの問いにマリナは答えた。
あの騒ぎからまだ今日で四日。マリナが目を覚ましたという報告も行かなければならないが、まだ集落は散乱しているはずだ。だからその片付けもする必要がある。どっちにしろ、レイヤの所には今日中に行っておかねばならない。
「分かった」
それからすぐに二人は準備をして出発した。
マリナはまた鎧を装着し、サクヤはいつもの黒い服に身を纏って街を歩くと、四日前の騒ぎが無かったかのようにいつも通りの賑わいを見せている。集落も平民エリアに位置すると言っても、このメインストリートからは距離があるため、その騒ぎすら知らない人がほとんどだろう。
あれだけ壮絶な戦いだったのに、何か無駄な努力だった気がする。
などと考えつつ集落に入ると、
「救世主様が来られた!」
という大声がどこかからした。その声の方向にいたのは、燃えてしまった場所、特に悲惨だった畑や水田の復旧を推める住人たちがいた。
わいわいがやがやと集まってくる村人たちに困惑していると、その中からお年寄りの男性が二人に近づいてきた。それを見て、群がる村人が道を開ける。
その男性にはサクヤは見たことがあった。確か、避難誘導をしているあの時。ここにいる全員あの場にいただろうが、この老人は記憶に残っている。なぜなら、村長と呼ばれていたから。そう呼ばれるだけあって、立ち振る舞いは悠然としていた。
「あの時はありがとうございました。助けていただいたのにお礼も言えず」
「いえ、こちらこそすみません。皆さんを小屋に残したまま何も言わずに帰ってしまって」
「構いませんよ。助けていただいたのに文句なんて言えませんよ」
その言葉はサクヤにとってありがたかった。ずっと気がかりだったのだ。瀕死状態のマリナを運ぶためとはいえ、村人を放置したまま帰ってしまったこと。それに、この集落で貧民の彼がどういう扱いを受けるのか。でもこれで気が楽になった。
「そう言えばレイヤはいますか?」
「彼女なら今は森にいるはずです。行ってやってください」
「ありがとうございます」
礼を言って大衆から抜け出そうとしたとき、一人の女の子がサクヤに駆け寄った。
「あの、お兄ちゃん、ありがとう」
その一言だけ言い残すと、せかせかと来た場所へ引き返していった。
「サクヤ、大人気ね」
「え、ああ」
あの子は、絶対に勝ってねと、コインを渡してくれた子だ。あの子のあの言葉が無ければ今頃どうなってたか分からない。そのことを知っているのはサクヤだけだが、あの子こそが真の恩人だと思ってる。
村長の力もあり、群がる村人からの脱出に成功した二人は、レイヤのいるという森に入った。だが、そこで二人は肝心なことに気づく。
「この森のどこにいるの?」
「あっ……」
マリナの何気ない呟きにサクヤは足を止めた。
村長は森だと言ったが、一言に森と言ってもとてつもなく広い。それをノーヒントで捜し出せというのはの酷すぎる。
「どこかいそうな場所とか心当たり無いの?」
レイヤのいそうな場所……。
頭をフル回転させて考えるが、サクヤが絞り出せた場所はたったの二箇所。この森の広さからすれば少なく、根拠もほぼ無いのだ。
「何となく、二箇所思いついたけど……」
「分かったわ。じゃあ案内お願いね」
ほぼ勘と言ってもおかしくないようなレベルの思いつきにも関わらず、間髪入れずに任せてくるマリナに、サクヤは少し慌てる。
「いやいや、思いついたけど、その二箇所には全く根拠が無いぞ?」
「いいわよ。何もないよりは僅かな可能性でもあるところに賭けてみる方が絶対にいい」
それでサクヤは納得させられた。どうせ行動するなら、可能性が無いよりも、一でもある方が絶対にいい。
そんなこんなで一箇所目は、四日前の騒動の時に、住人の避難所とした小屋だ。ここを予想立てたのは、ただ単にサクヤが知っている場所だからだ。だからここには望みは薄い。
「ここが一箇所目?」
「ああ」
マリナに二つ返事をしたものの、予想通りここにはレイヤどころか人の気配すらしない。やはりここにはいないようだ。
「二箇所目だな」
そう言ってすぐさまもう一つ場所へと向かう。
二箇所目は、サクヤとレイヤの初対面ですれ違った時に彼女がいた場所だ。ここに関しては、気分が落ち込んだ時に来る程の場所、つまり落ち着く場所なのではないかという、何となくの予想も立てている。
森の奥の小屋から少し引き返してその場所に到着した。だが。
「いないな」
サクヤは周囲を捜索しながら呟いた。
「そうみたいね」
マリナも捜しているが、見つからない様子だ。どうやらここもハズレだったらしい。
やはり、明確な根拠無しで捜すのは不可能なのだろうか。一旦集落に戻って、レイヤのいる場所を聞こう。もしかしたら入れ違いになっているかもしれない。
その時、肩を叩かれて振り向くと、マリナが向こうを見ろと目で合図してくる。その視線を追って行くと、そこには木々の間から一筋の光が入っている場所があった。さらにそこには大きな岩があり、岩の上に座る金髪の少女。
この場所で日向ぼっこでもしてるのだろうか。レイヤは気持ちよさそうに目を閉じて差し込む光を全身に浴びている。
こうして見ているとすごくいい画になる。しばらくはそのまま見ていたかったが、そんなわけにもいかない。
サクヤたちの足音でようやくレイヤは二人の存在に気づいて目を開いた。
「あ、サクヤ。マリナ」
ひょいと岩から飛び降りて右手を上げる少女は、いつも通りの無邪気な声で声をかけた。
「こんなところにいたのね」
「うん。いい場所でしょ? ここ、あたしのお気に入りの場所なんだ」
レイヤが絶賛するだけあって綺麗な場所だ。人為的に作られたかと思ってしまうぐらいに、自然の条件が揃っている。周囲は木の葉で涼しく、日差しが心地よく暖かい。サクヤもこの場所は気に入った。
「レイヤはもう大丈夫なのか?」
「うん! マリナこそ大丈夫?」
「ええ。大丈夫よ。迷惑かけてごめんなさい」
「いいよいいよ。大丈夫ならそれで。それより」
レイヤは一度間を空けて、岩の後ろから一本の長剣を取り出した。
「これ、どうする?」
長剣は何の変哲もなく、ありきたりの普通の剣だ。だからレイヤにそう訊かれた時、サクヤたちはどういうわけか分からなかった。
「これは?」
「《創始者》って名乗った人が最後に落としていった剣だよ。何かあったらいけないこらからここで見てたんだけど」
何かって何だろう。そう疑問に思ったが、レイヤは《創始者》の異常なまでの強さを警戒したのだろう。それにレイヤも使った魔法のロジックも解明できていない。もしかしたら自分の使用する武器が重要な鍵になることもあり得る。
でも、だからどうすると訊かれたらどうするべきか分からない。とにかく今は情報が無さすぎる。
「しばらくは私たちで監視しておきましょうか。もし何かあった時に、集落に被害が及ばないようここで」
マリナの提案にサクヤとレイヤの二人が首を縦に振って同意する。
今はそれが一番だろう。得体のしれないものを他人の手に渡すのは危険だ。……もともとこんなものを渡す程関わりのある人がいないのだが。とにかくしばらく様子を見よう。少なくとも《創始者》の戦力ダウンにはなるはずだ。
それなら、《創始者》が剣を持っていない間が狙い目かもしれない。今はまだレイヤもマリナも病み上がりだから無理でも、そう少し日が経てば可能性はある。その時は今度こそ、役に立たなければ。
「そろそろ戻ろっか」
レイヤの意見に、今度はサクヤとマリナの二人が同意した。