第十六話
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気づけば意識を失っていた。いつの間にか辺りは暗くなっている。
――そうか、ここはメグの部屋か。
どうやらマリナの看病をしているうちに眠ってしまっていたらしい。ここ数日の疲れが遂に出てしまったのだろう。
まだ眠気の残る目を擦り、マリナの眠るベッドを見た。
「えっ?」
そこにマリナの姿は無かった。代わりに、メグの部屋からベランダへと出る窓が空いていた。一度大きく伸びをして目を覚まさせ、夜風で靡くカーテンを開けてサクヤをベランダに出る。
そこには、白いTシャツにジーンズという見たことのあるラフな服装で、手すりに体重を預けて街を見下ろしている赤髪の少女がいた。
「もう大丈夫なのか?」
サクヤが声をかけたことによってようやくマリナは彼に気づいたようだ。
その双眸がサクヤを捉える。
「ごめんなさい、服借りてるわ」
眠りから覚めての開口一番がそれだった。
だが、それでマリナの来ている服が、メグの物だと言うことを知る。そう言えば彼女はずっと鎧の下に着ている、防護用の少し重い服を着ていた。どうしてもメグとマリナを重ねてしまいそうになるが、そのことに気づかなかったのはサクヤの落ち度だからどうこう言うつもりはない。
「いいよ。似合ってるし」
目を丸くして頬をほんのりと赤らめながら街の方へ目を逸らすマリナに、小首を傾げながら彼女の隣に歩み寄り、同じように街を見下ろす。
「私、何日眠ってた?」
声を落として深刻そうにマリナが問う。
「四日間だな」
「そう……」
四日間のうち、二日目は大変だった。目を覚ましたレイヤに頼んで、診察もできるという万能家政婦にマリナを診てもらい簡単な世話をしてもらった。その結果、命には別状がないとという診断が下ったが、数日は目を覚まさないだろうと言われた。
それで一安心したはいいが、サクヤは罪悪感からマリナにつきっきりで看病していた。
たが、ポジティブに捉えれば、あの《創始者》相手に、誰も命を落とすことなく、致命的な傷も負うことなく、それだけの代償で勝つことができたのだ。そう考えればこの疲労などとても安い。
気まずい雰囲気になりかけていたところで、沈黙を破ったのはマリナの方だった。
「いい眺めね」
貧民エリアにはさすがに電気が点っている家はなく、遠くに小さく見える平民エリアからの光が星のよ うに輝いて見える。サクヤもこっちにきて初めてベランダに出て、一望する光景に目を奪われていた。
彼女の方はあくまで視線を街から動かさずに続ける。
「貧民なのにいい家持ってわね」
「そ、そりゃどうも」
「この一角はきれいな家ばかりね。少し家の造りは違うけれど、こうしてると元いた世界のことを思い出すわ」
言われてサクヤははっとした。
マリナは元の世界と、今見ている光景を重ねているのだ。この世界に来てまだ一ヶ月ちょっとのサクヤからすれば、まだここが異世界だと認識できる程元の世界を鮮明に記憶しているが、二年もここに住んでいるマリナは住んでいるうちに少しずつ、この世界に生まれた時から住んでいたかのように当たり前になってきているのだろう。
「ねぇ、サクヤは元の世界に帰りたいと思ってる?」
「えっ?」
唐突に訊かれてサクヤは思わずマリナを見た。
そんなこと、考えたこともなかった。傍から見ればいきなり異世界に飛ばされて元の世界に帰りたいと考えないのは異常だと思えるかもしれない。でも、メグを助けようとして、そのために毎日必死で元の世界に戻るとかは考えていなかった。
少しサクヤは考えたが、どうしてもメグのことが脳をよぎり、戻る、戻らないのことは考えられない。
「分からない。まずは《創始者》に連れ去られたメグを助けない限り、俺の日常は戻ってこないんだ。だからそれまでは帰ることについては考えられない、かな」
「そう……」
やっぱりマリナは帰りたいと思っているのだろうか。
そんなことを思うと、遠くの平民エリアから見える街明かりを眺める彼女の姿が切なげに見えた。
それを訊くよりも早く、先にマリナが口を開く。
「妹さんってあの写真の、よね?」
部屋に写真なんてあったっけ、と疑問に感じたが、すぐにサクヤはマリナと初めて出会った時に見せていたことを思い出す。
「ああ」
「私も……夢の中で両親を殺されたのよ。あなたと同じ夢の中でね」
そのことは前に一度聞いたから知っている。でも、あの時は内容まで聞けなかった。だからサクヤはただ無言で続きを聞く。
「それは本当に唐突だった。それまでは普通に普通の日々を過ごしていたのに、ある日私と両親がこの世界にいた夢を見たの」
夢の内容はサクヤの夢とは違っていた。彼の場合、いきなりメグが捕まってサクヤが剣を握る緊迫した状態から始まった。それに、両親は幼い頃から出張が多く、関わることがあまり多くなかったからか、夢に親は出ていない。
「そしたら目の前に中年の白髪混じりで極悪非道そうな顔をした男が歩いてきて、抜刀するなり私の隣を歩いていた両親を斬りつけたのよ。一瞬のことだったからどうしようもなかったわ。すると今度は動けない私に狙いを変えて剣を振り上げたの。そこで目が覚めたわ」
マリナの声はどこが自嘲気味にも聞こえる。横顔からはあまり表情が窺えないが、今は亡き家族のことを想いながら話してくれてるのだろう。
サクヤはまだ大切な誰かを失くしたことは無いから彼女の悲しみや苦しみは計り知れない。だから俺にはただ黙って話を聞くしかできなかった。
「私は夢だと思って完全に安心していたわ。でも、家の中で両親が血を流して倒れていたの」
自分のものよりも悲惨な夢にサクヤは絶句した。
結局、マリナは一度もサクヤと顔を合わせることなく言い終えた。そのことがマリナの悲しみを表してるようにも思えて、なんと声をかければいいのか分からなかった。だからサクヤは顔を街に向けた。
遠い平民エリアには相も変わらず小さな光が点在している。あの中にいる住民たちは、身分差別の上で、四日前のように監視者や富豪に怯えつつ、それでも普通に生活している。この世界に生まれ、育った彼らにはそれが当たり前なのだ。その当たり前だった生活がどれほど幸せだったのか。この世界に来て、色んなことを経験してサクヤはそう感じた。
そういった意味では、マリナの元の世界に戻りたいか、という問いはイエスになるのかもしれない。メグを助け出して、元の世界で平和に過ごすことができたらどれほどいいか。
そのためには、メグを助けないと。
「そろそろ戻らない? 少し冷えてきたし」
サクヤが物思いにふけっていると、今度はマリナが彼の方を見ていた。
「…………」
マリナの表情には一点の曇りもない。大切な家族を失った、彼女にとっては一番のトラウマを打ち明けている。にも関わらず平然としているが、本当に大丈夫だろうか。
そんな疑念が顔に浮かんでいたのか、マリナは大丈夫よ、と微笑んでみせた。
「……分かった」
やっぱりマリナは強い。剣の技術やスピードだけでなく、こうした精神面も。
そんなことを確信してサクヤはマリナの後に続いて部屋に戻った。