第十五話
男の仕業だということはこの目で確かに見た。それが何をして火を出したのか、どう考えても説明がつかない。
現在火は入口から少し入ったところでとどまっている。風が吹いていないのは幸いだが、またいつ風が吹き付けるかは予測不能だ。そうなれば一瞬で家のある方へ燃え広がってしまう。その前に何としてでも男を止めなれば。
今は考えるしかない。いくら考えることが向いてなくてもそうしなければならない場面だ。
いや、もしかしたら……。
サクヤは黒剣を抜いた。一ヶ月この剣を使い続けただけあってかなり使いこなせるようになった。でもこの剣の本来の力は何も考えずに、本能に身を委ねることによって発揮される。初めて使ったあの時のように。
だからそうすることで何か方法が見つかるかもしれない。
その間にもレイヤは男と距離をとった。間合いが開けば炎の攻撃を繰り出してきた男の方に分がある。しかも、動けないマリナを庇いながら戦闘するのは明らかに不利だ。でも、何とかできそうな気がする。
「仲良しごっこは終わったか?」
サクヤたちを嘲笑うように男が口を挟んだ。
「全く逃げてればいいものをわざわざ殺されに来たか。哀れな奴らだ」
優越感に浸っている男の口は減らない。残念ながらその減らず口に付き合う程サクヤたちも暇ではない。
「そんなお前たちにあの世への土産話をしておいてやる。この場所を焼き払っているこの炎。これは魔法だ」
「魔法、だと?」
こんなのは挑発に過ぎない。そう思い込もうとしても、サクヤはこの男の剣から光が出たのを見ている。だから男の言っていることは事実に思えてしまうのだ。
魔法なんてもの存在しない。でもここは異世界だ。何があってもおかしくはない。
「そうだ。魔法はこの世界の住民なら誰でもが条件を満たせば使えるようになる。二人には無縁のものだがな」
この口調からすると男もこの世界の住民なのだろうか。サクヤとマリナの現実に干渉する人間がこの世界の住民だというのなら、男の実力は計り知れない。
「もういい頃合だろう。そろそろ三人同時に屠ってやるよ」
男は話し終えて満足げに宣言した。
今度の男は行動を起こすのが早かった。周囲で燃え上がっている炎を出す攻撃ではなく、普通だが、桁外れの剣術で迫って来た。
それにレイヤが対応する。この男相手にサクヤでは剣の力を使っても正面からぶつかると圧倒的に実力不足だ。だから代わりにマリナを護るようにして立ち剣を打ち合う金髪の少女を見守る。
まだ今は出て行く場面ではないと本能が告げている。少女二人が戦い、一人は後ろでこんなにもなるまで戦った。なのに自分だけ何もできないもどかしさを噛み殺した。
苛立ちを露にしたところでいいことなど一つも無い。むしろ自分たちの命が脅かされる危険性の方が増す。
危ないところで理性を保ったサクヤは吐息した。
何か一瞬でいい。どこか付け入る隙があれば。
その時、瞬間的ではあったがレイヤと目が合った気がした。それで願いが伝わったのか一度レイヤの動きが止まる。その行動が男にとって意外だったのか、彼女に釣られるようにして静止した。そしてレイヤが今度は全力で距離を詰める。
これも男の予想していない行動だったらしく反応が遅れた。彼女の振り翳した剣が寸前で弾いたものの、後ろに数歩よろめく。
――今!
これはレイヤの作ったくれたチャンスだ。男のガードも外れてる。この千載一遇の機会を逃すわけにはいかない。
強く地を蹴ったサクヤは、自分のものとは思えない早で距離を詰めた。
「これで、終わりだ!」
そう宣告し、何も考えずに全力で剣を振り抜く。それでも尚男は強引に体を捻って致命傷を避けたが、確実に横腹を斬った感触が手に伝わってきた。
「うっ、ぐっ」
うめき声を漏らしながら男は剣を落として後退する。まだしっかりと男は立っているものの、右手で押さえる右の脇腹からは明らかに血が溢れてきている。
これでもう勝負はあった。いくら富豪で集落をここまで荒らした男といえども、手負いで武器も失い、丸腰になってしまえば勝ち目はない。でもまだ殺さない。こいつにはメグの居場所を聞かなくてはいけないから。
「メグはどこだ!」
サクヤが声を荒げた。
「ふっ」
にも関わらず男は鼻で笑ってのけた。
「何がおかしい……」
「サクヤ! 下がって!」
「えっ?」
疑問に思いながらもレイヤの指示通り数歩後ろに下がった。刹那、火の中から姿が見えなかった六人の護衛の監視者が現れた。彼らの鎧こそボロボロになっているが人間の方は無傷だ。今この人数で襲撃されればレイヤとサクヤの二人ではとても太刀打ちできない。
だが、そうはならなかった。
「言ったはずだ。妹を助けたければ来いと」
――俺が行くまでメグと会わせる気はないということか。
「今日は退くぞ。撤退だ」
指示、と言うよりは命令する男に、一言も発しない護衛から不満そうなのが伝わってくる。だが、男の脇腹から血が出ていることを確認するとその命令に従って数歩下がった。
そして身を翻そうとして一度男はサクヤを向き直る。
「俺の名は《創始者》とでも読んでくれればいい。シロミ・サクヤ。ここで改めて言う。妹を助けたければ俺の元へ来い!」
六人の護衛を連れて富豪エリアに帰っていく、《創始者》と名乗った男を見送ると、サクヤはへなへなとその場に座り込んだ。
我ながら《創始者》に勝ったのは奇跡だと思う。もう一度勝てと言われてもできない。それでも勝ちは勝ちだ。この集落を守れたのは何よりも嬉しい。
そこまで考えてサクヤは重要なことを思い出す。
「そうだ、火!」
《創始者》を倒すことに集中し過ぎて、自分たちが火中の中心にいるということを完全に失念していた。慌てて街を見ればいつの間にか家の寸前まで火は来ている。
不幸にもこの集落に水道、ポンプといった楽なものはない。でもここまで火が来れば遠くから少しずつ水を運んでいれば手遅れになるのは分かっている。ならどうすれば。
その時、レイヤが恐る恐る口を開いた。
「多分、できるかも」
「えっ?」
「自分でも分からないけど、なんとなくできそうな気がする」
そう言うなりレイヤは家の建ち並ぶ前へと走った。
「ち、ちょっと待て!」
慌てて追いかけようとして、サクヤは足を止める。そして背後で倒れているマリナを横目で見る。どうやら息はあるが気を失っているようだ。それ程受けた傷も大きいのか。
そんな状態の彼女を火の中で一人にするのはどうかと思ったが、もしレイヤの言っていることが本当ならすぐに戻って来れる。だが、それがただの『気がする』だけだったら。そうも考えてマリナを運んでいこうかとも考えたが、ここはレイヤの直感を信じることにした。
「悪い。ちょっとだけ待っててくれ」
幼い子供に言い聞かせるように言い残してサクヤはレイヤを追った。
尚も燃え上がっている炎から抜け出すと、レイヤが自分の家の前に立って目を閉じ、剣を前に突き出していた。
辺りは黒煙のせいで昼にも関わらず光は遮られている。それでもレイヤの美しい金色の髪は炎に紅く照らされて茜色に輝いている。
「どうするつもりだ?」
サクヤが歩み寄って聞くと、彼女はその状態から微動だにせず答える。
「分かんない。でも」
ゆっくりと剣先を上に持ち上げた。すると剣が蒼くきれいな輝きを見せ始めた。その光は集落を燃やす炎の明かりさえも呑み込み、周囲を照らして強さを増す。空にも届きそうな程明るく、穏やかな光はやがて、水へと姿を変えた。
初めて見る神秘的な光景にサクヤは終始見入っていた。光から変化した雨はレイヤの心情を表すかのように優しく降り注ぎ、みるみるうちに消火していく。
「これが魔法……」
サクヤは呆然と呟いた。《創始者》の言葉は確かだった。魔法を使うための条件は何か分からないが、今、確かにレイヤは魔法を使っている。
もしかしたらこの世界に来てから初めてかもしれない異世界らしい光景に目を奪われているうちに、直に集落を包んでいた炎はレイヤの魔法によって完全鎮火された。やがて光は徐々に薄れていき、魔法の効力は解けた。
ほとぼりが冷めてからサクヤが動き出したのはどのくらい時間が経ってからだっただろう。もしかしたら彼も、マリナのようにしばらく意識を失っていたかもしない。はっとした時にはレイヤも疲労で座り込んでいた。
「レイヤ!」
サクヤは慌ててレイヤに駆け寄る。
「大丈夫……ちょっと、疲れちゃっただけ。それよりも、マリナを……」
そこで彼女の意識は途切れた。魔法が使えただとか、富豪に一時的に勝利しただとか、そんな祝杯を上げるの後だ。まずはレイヤを彼女自身の家へと運び込み、ベッドに寝かせてやる。レイヤには家政婦がいると言ってたから後は大丈夫だろう。
次はマリナだ。レイヤよりもボロボロで急いでどこかに運ぶ必要がある。だが、レイヤの家にはベッドが一つしかない。その上、マリナの家の場所を知らない。となれば残る選択肢は一つ。
「俺の家、か……」
サクヤの家ならメグの使っていたベッドがある。安全性も保証できる。だが、それにはメリットばかりではない。ここからサクヤの家に行くには距離がある。緊急を要するこの状況においてそれは大きな不安要素だ。
でも、やるしかない。それしか方法は無いのだから。
幸いと言うべきか、この戦闘においてサクヤは何もしていないために体力はまだ残っている。
――いや、何が幸いだ。俺が何もしていないせいで、マリナやレイヤに負担がかかって今に至っているのだ。俺がもっと役に立てていればこんなことにならなかったかもしれない。女の子二人がここまで戦っているのに、男の俺は何もしてない。
血が滲みそうな程強く唇をかみしめ、二人に対する申し訳なさと自分への悔しさを胸にしながらサクヤはマリナを家へと運んだ。