第十四話
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「これで全員だよな?」
サクヤはまだ避難していない村人がいないか見回してから呟いた。幸い、この集落の家が少なく、それに伴って住人も少ないため、ここまでにあまり時間を費やしていない。それにここでは、マリナやレイヤの名前が知れ渡っているために、その名前を出すとサクヤが貧民であることに関係なく従ってくれた。
村人たちの避難先に選んだのは森の中だ。少ない人数の中にはお年寄りから子供までいたために、近くに避難出来る場所は無いかと聞いたところ、森の奥に小屋があると返ってきた。そこなら火が付けば燃え広がるのは一瞬だが、そう簡単に火は来ないだろう。
それよりも心配なのはマリナたちの方だ。本人は大丈夫だと言っていたが、相手が相手のために気が気でない。
心配そうに戦場を見つめていると、不意に足元に何かが当たった気がした。見下ろせば、そこには小さな女の子がサクヤのズボンの裾を掴んでいた。
「どうした? お母さんとでもはぐれた?」
「ううん。……お兄ちゃん、これ、あげる。絶対に勝ってね」
女の子はサクヤに一枚のコインを渡すと、満足そうに戻っていった。その先にはちゃんと母親もいる。
「ちょっと待って!」
どこでこれを、と聞こうとしたが、その時には母親と一緒に避難先へと足を向けていた。
その後サクヤは受け取ったコインに見入っていた。これらマリナが集めているものと全く同じもので間違いない。これを彼女に渡せば残りは後一枚な二枚だ。
それ以前にこれは小さな女の子がくれた物だということを忘れてはいけない。女のことにとってこれは大切なものだったかもしれないのだ。それでもコインをくれその嬉しさでサクヤはつい頬が綻んでしまった。
「絶対に勝ってね、か」
女の子の言葉を反芻した時、サクヤには何かが引っかかった。
何だろう。違和感というべき何かが俺の中に渦巻いている。そのもどかしさにサクヤは唇を噛み締めた。
だが直ぐに、そんなことを考えてる自分が馬鹿らしく思えた。近くでマリナとレイヤが無謀にも富豪と戦っているというのにこんな呑気なことを考えている場合じゃない。
皮肉にもその時、自分の違和感が理解できた。
マリナは『私たちは簡単に負けない』と言っていた。でもさっきの女の子のように『勝つ』とは言っていない。となるとやはり……。
「もしかして負けるつもりなんじゃ……!」
マリナでも自分の実力じゃ男にも及ばないと分かっていて、勝てないと分かっていて、それでもサクヤを戦線から離脱させるためにそのセリフを選択したということなら、マリナは死ぬ気だ。
簡単に負けない。それは粘った上で負けると解釈することもできる。
「くそっ!」
コインをポケットにしまいこんでサクヤはマリナの元へ走り出した。だがその時、サクヤは富豪の剣から魔法のように炎が放たれたのを見た。その炎は周囲にある物全てを巻き込んで、集落の入り口は焼け野原と化した。
あの攻撃はマリナやレイヤのしたことではない。そうなると寧ろ二人は炎による攻撃の対象。
「マリナ! レイヤ!」
気付くのが遅かった。今のでもう手遅れかもしれない。いや、そんなことあるはずない。あってたまるか。
サクヤは慌てて火中に飛び込んだ。この際、火の熱さだとか命の危険だとか、そんなものは気にしている余裕は無かった。
今駆けつけてどうにかなるとかならないとかは問題ではない。そんな理論なんかクソ喰らえだ。一々考えるより、感情のままに自分がしたいことを行動にする。行動を起こす理由はそれだけで充分だ。
だが実際に飛び込むと、火が高々と上がっていて視野が狭い。二人を探すのは手探りでなければいけないようだ。
サクヤが慎重に歩いていると、正面からシルエットが浮かび上がった。本能的に警戒して彼は愛用の黒剣に手を掛ける。
やがて現れた人物にサクヤは緊張を解いた。
「レイヤ! 大丈夫か!?」
「う、うん。なんとかね。あたしに直撃する攻撃じゃなかったから」
本人はそう言い張るが、客観的に見ればその姿はすごくフラフラしている。今にも倒れてもおかしくないような状態に近いことを本人は自覚してるのだろうか。
「それよりも問題はマリナだよ。あたしに直撃出なかったら多分マリナが……」
悔しそうに俯きながら推測するレイヤの気持ちはサクヤにも伝わって来た。その場にいながら今に至るまで富豪を止められなかったのは彼も同じだから。
やっぱりもっと早くに気付くべきだった。
「レイヤ、マリナがどこにいるか分かるか?」
「うん。あの火が向かった方だから、こっち!」
サクヤは火のせいで方向感覚が失われたが、レイヤはこの集落に住んでいるだけあって迷うことなく進んだ。
気が焦ってるからかそんなに距離がないはずなのに数時間走ってる程長く感じる。それに、煙のせいか呼吸が苦しい。後どれくらい走ればいいのだろう。サクヤの胸中には不安が募っていくばかりだ。
前を走るレイヤの表情は窺えない。それでも彼女の背中からは同じように不安げなのが滲み出ていた。
そうこうしているうちにレイヤがようやく立ち止まった。
「はぁ、はぁ、やっと見つかったか」
「ねぇ、見て」
たったそれだけ発すると火の中を指さした。
つられてサクヤもそこに集中する。
「何も見え……っ! あれは!」
サクヤはそれを認識した瞬間目を見開いた。
何かが地面に横たわっている。マリナだ。彼女自身と鎧はボロボロになって倒れていて、身体はピクリとも動かない。
「マリナ!」
叫んで飛び出そうとしたサクヤをレイヤが手で制した。
「待って、今行ってもダメだよ」
「何で!?」
「向こうからあいつが来てる。今出ていったらあたしたち三人とも標的にされる。それじゃダメだよ。我慢して時を待たなきゃ」
彼女の言う通り、倒れているマリナの前から富豪の憎き男がゆっくりとマリナに近づきつつあった。
「くそっ」
目の前にマリナがいるのに助けに行けないもどかしさに爪が食い込みそうなほど手を強く握り締めた。
男は足を止めて何か喋っているがここからだとその内容までは聞こえない。ただ、それで救いとなったのは、マリナの体が僅かだが動いたことだ。まだ彼女は無事だ。レイヤが言ったように我慢強く待てば付け入る隙が生まれるはず。
そう考えたまではよかった。サクヤもレイヤの指示に異論はない。しかし、男の行動はサクヤたちの思っていたよりも早かった。
「マリナ!」
男が剣を振り上げた瞬間にサクヤは叫んでいた。同時にレイヤも無言で走り出す。
マリナの身体はピクリとも動いていない。どうやら推測通り死を覚悟して諦めているようだ。絶対にそんなことをはさせてたまるか。
全力で距離を詰めたレイヤが男の剣の間合いに入る。間一髪のところで二本の剣が衝突して乾いた金属音が響く。
それでようやくマリナがゆっくりと瞼を上げた。
「レイ……ヤ、サ……クヤ……」
「何死のうとしてるんだよ! マリナ、お前、最初から勝つ気なんて無かっただろ!」
どうしてそれをとでも言いたそうな顔でマリナがサクヤを見る。
「最初は何も感じなかったけど、マリナが俺を集落の住民の避難をさせろって指示した時、『私たしたちは簡単に負けないから』って言ったよな? でも、勝つとは言ってなかった。だから最初から死ぬつもり戦ってたんだろ!」
「…………」
マリナはそれきり黙り込んだ。どうやら推測は間違ってなかったらしい。あの女の子がいなければ気づくことはできなかっただろう。女の子のおかげで最悪の事態だけは免れることができた。だが、今も危険な状態に変わりはない。今はレイヤが男を押さえているが、それもいつまで保つか分からない。このままだと、また火の海が広がってしまう。
「なんなんだこの火は……」