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華と剣―fencer and assassin―  作者: 鋼玉
第一章 双恋双殺
9/50

九、後悔と自嘲

葵沃。

二本の剣を自在に操る剣客。

年は二十代半ばほど。

彼の名を知る者は多いがその者の由縁を知る者は少ない。

彼は過去に己のいた世界を失った。

故に己のいる世界を守りたい、世界を保つためにはどんな犠牲も厭わない。


それが彼の根源であり行動理由であった。


その点は己の存在を削ってでも大切な者を守りたいと思い、故に強さを欲していた少女と非常によく似ていた。




彼の最初の世界の終わりは十七年前。

彼が七つの時に遡る


『元気でね。本当にごめんなさい』

屋敷を包む喧噪の中、母は、彼を抱きしめ頬を寄せそういった。

ふわりと鼻をくすぐる茉莉花の匂いと温かく柔らかい感触。

全てを包むような笑顔であったが、溢れ出る涙が彼の頬を濡らした。

『どうしたの? お母様』

わけもわからずペタペタと頬を撫でる彼に母は静かに額に口づけて、涙を拭って、立ち上がりすぐ傍でその様子を見ていた人影に向きなおる。

鮮やかな絹の長裙(ちょうくん)が風に揺れ、髪に挿された歩揺(かんざし)がその名にふさわしく彼女の動きに合わせて揺れる。

『時間はありません。くれぐれもこの子をよろしくお願いします』

深い湖の様な憂いを湛えた相貌に毅然とした光を宿し、告げる。

人影はひざまずき一礼した後、彼の手を取る。

『急いでください』

押される背中。

『お母様! 』

わけもわからず人影、いつも物を売りに来る男に手を引かれつつも振り向き彼は叫ぶ。

『元気でね私のかわいい子』

またあふれてきた涙をふきつつ母はそう呟いた。



彼は自分の置かれていた状況を理解できていなかった。

だが自分の生まれついた境遇は何となく分かっていた。

滅多に会えぬ、いつも剣を携えた、自分に似た顔の父。

優しいがいつもどこか寂しげな母。

時々遊んではくれるがどこか壁を感じる兄たち。

使用人たちの聞こえぬようにしているつもりでも筒抜けな噂話。


禁軍右将軍の第四子。

正式な妻ではない妾の子。

二人の兄のもしもの時の代替品。

その言葉をはっきりとは理解していなかったがよく聞く言葉なので、自分はそんな存在なのだと言い聞かせていた。


しかし、幼い彼にとっては別段不満を持つところはなかったし、父のことを尊敬し、母のことが大好きだった。確かに陰ではそうは言っていても皆自分に優しくしてくれて自分は幸せなんだと心の底から思っていた。

しかし、母の涙を見てその世界は終わってしまったのだと思った。

そして商人に連れられ北の柏州に来た時、孤児院の主たる老夫婦に対して反抗的な態度を示していた。

始めは事実を放すべきか迷っていた夫婦だが、自分が捨てられたと思っていた彼の様子を見て意を決し話すこととした。


『そんなの嘘だ! 』


当然彼は信じず、確かめんと王都を目指した

しかし、七つ程度の子供の足ではどうしようもなく諦めようかどうしようか歩きつつも迷っていた時――

少女に出会った。

泥濘に顔を沈め、襤褸切れのように動かぬ何か。

人と気づき抱き起こすと、彼女はうっすらと目を開き彼を見つめた。

声はとうに涸れていたようで、僅かに開かれた口からはひゅうと風が漏れた。

しかしそれよりも生を渇望したその大きな黒い瞳に一気に引きこまれた。

名前が無かった彼女を背負い、その重さを感じながら彼は名乗った。

『僕は舜。李舜水という』

失われてしまった世界の断片であるその名を噛みしめつつ、新たな世界で生きる決意をしつつ。




『黎ってのはどうだ? 』

『何が? 』

孤児院に戻った後二人して寝込み、そして回復したとき、彼は彼女に人差し指を立ててそう告げた。

『名前だよ名前。黎明って意味だ。お前が夜を抜け朝に向かうための名だ』

それは自分に言い聞かせるための名でもあった。

新しくここで生きるために、彼女に夜明けの光を見た。

『素敵な名前だね! ありがとう!』

きょとんとした表情でしばし彼の目を見つめた彼女は、やっとその意味を理解し無邪気に微笑んだ。



そして、二人は彼が孤児院を出るまで片時も離れることなく共に育った。

共に暴れ共に叱られ――共に笑った。友として師弟として共に育った十年間。

彼にとって彼女は自分の一部のように思えた。

そう、彼は彼女がいる世界を得たのだ。

そして彼の中では彼女を少しずつ女として意識するようになっていた。

いや、むしろ愛しく思っていたとも言えよう。

しかし、勇気が無かった。

剣以外ではいまいち感情の機微に疎い自分の判断が正しいか、迷っていた。

兄弟の様もしくは友の様な距離感を失いたくなかった。


『男のくせに情けないわね』

姉の様な存在であった雪娥(せつが)にこっそり相談すると、心底呆れた様子で額を小突かれた。

『じゃあお前はできるのかよ? 』

『私をあんたと一緒にしないでよ。あのねぇ、欲しいものは今のうちに手元に引き寄せないと気付いた時にはもう遅いのよ? 』

『あいつを物扱いするのかよ』

『そういう意味じゃないわ。だけどいつか後悔するわよ? 』

『……だが』

『あーもう堂々巡りじゃない。この朴念仁(ぼくねんじん)! もう知らないわよ! 』

まあ結局相談というか説教を聞かされ、愛想を尽かした雪娥の一言でお開きとなったのだが……まあ度胸が無いのは認めよう。

だが認めた所で、一歩を踏み出すのは難しいのだ。


結局は孤児院を出ることを彼女に告げたとき、国中を敵に回しても味方でいる、といったときの笑顔を見てうっかり接吻をしてしまったのだが。

その場の勢いとやらに乗らねば行動できないとはなかなか情けない男である。

(ほう)けた彼女に思わずまずいことをしたと思い、その場は誤魔化し彼は逃げてしまった。

それから出て行く日まで、どこかよそよそしく時折物思いにふける彼女に、これ以上嫌われるたくないと思い何となく避けてしまっていた。

出ていく決心をし、彼女に告げたとき彼女はただ笑い、餞別、と一輪の花をくれた。

その様子に自分は嫌われたわけではないと安堵し再会を誓い、彼は去った。

彼が見た彼女の顔はそれが最後だった。

今でもその顔をはっきり覚えている。

彼女と別れ七年の間、一度も会うことはなかった。

恐らく会おうと思えば会えたのかもしれない。

それは彼女の方も会う気が無かったと考えただ彼女が生きていればいい、幸せならそれでいいと思い、ただ自分の思うままに剣を振るい続けた。

根性無し。

雪娥の言う通りではあるが、彼にとってはそれで満足だった。



しかし――

彼は後悔することとなる。

二年前、彼女が死んだ。

遺体は見つからなかった。


ちょうどそのころ、彼女が渡した花、桔梗に込められた意味をやっと知った。

『変わらず貴方を愛します』


身体の一部が抉り取られたように錯覚した。

自分の人生の中で欠けてはならないものだったのだ。

そして自分の愚かさを嘲笑った。

髪を断ち、双剣を携え、彼女も望んでくれた国をせめて作らんと剣を振るった。

舜水の名を捨て葵沃として。

そして今、師から新たな事実が告げられようとしていた。

そう彼女、黎の生存。

それがどのような形のものであるのか彼は知らない。

ただ静かに国のどこかで己の心を削り匕首(ひしゅ)と黒剣を振るい続ける彼女。

殺意なき暗殺者。夜に哭く者の手駒。

黒鵺――

真実を知ったとき、彼は何を決断するか。

いずれ待つ運命に抗うか従うか。


それを知る者は物語の外よりただ俯瞰する(かたり)のみであろう。




その半月前、この国の東端の柏州と王都のある皓州の境で。


とある街外れの大樹の下で、夕日が射す中二つの人影が幹をはさんでぽつりぽつりと言葉を交わしていた。

「以上だ。異論はあるか? 」

「皆無。相手の戦力を鑑みればいたしかたない」

その会話の内容は物々しい気配を纏っている。

「一つ聞きたいことがある。貴様は何を信条としているんだ」

「疑問。何故そのようなことを聞く? 」

硬い口調に反して高い涼やかな声。

一方は澄んではいるが人の声とは思えぬ無機質な声。

そう、黒烏(こくう)黒鵺(こくや)である。

黒烏は黒装束から灰を帯びた青緑の袍を身に纏い、異国の刀を佩いている。

街中では目立つと思われるが彼は特に気にならないらしい。

黒鵺は女性らしく、髪を下ろし先を緩く纏め蘇芳を基調にした旅装束を身にまとい、剣は襤褸布で包んで背負っている。

恐らく誰かが二人の姿を見ても、二人が暗殺者であることに気づかず、恋人か何かと思うだろう。だが二人は互いにこう思っている。


『憎き仇敵』

『目障りな(ごみ)


恐らく、どんなことがあろうが二人の関係は変化しないだろう。

だが同時に互いの力量も十分認めていた。

互いに駒と見ることで築かれる信頼関係。

それが二人の関係である。


「再問。何故押し黙る」

「いや、相変わらず妙な口調だと思ってな。ただ興味を持っただけだ。貴様にも信条となるものがあるのかと」

しばしの間沈黙した黒鵺に黒烏が問いかけ、それに対し黒鵺はくすくすと笑いながら再び口を開く。

その一瞬の沈黙、彼女は何かを思ったのだろうか。

「愚問。我が信条はすべて夜哭様のため」

腕を組み、俯きつつ黒烏は答える。

そのもともと表情の乏しい顔からは何も読み取ることはできない。

「個人が信条とは面白いというよりよくわからんな。何故あんな男にそこまで忠誠を誓うのか私には理解できん」

「夜哭様を愚弄する気か」

黒鵺の言葉に黒烏は木の幹越しに鋭い視線を向ける。

夜哭、彼の上司に絡むときだけその言葉に僅かながら感情が宿る。

口調も始めの言い切りが消える。

「おお怖い」

黒鵺はさらにけらけらと笑う。

「疑問。ところで貴様の信条は何なのだ? 」

「私か、そうだな……」

そっくり返された問いに彼女は頬に手を当て考える。

そして僅かに紅をさした唇を歪め答える。


「この身を削ってでも守りたいものを守るかな……」

今の彼女を支える心情そのものである。

舜水のため、孤児院の子供達のため。

彼らがいなければ彼女はあの山の中で死んでいた。

だから、自分の手がどんなに血に濡れようが構わない。

間違っていることは分かっている。そしてそれが今かなり困った状況に彼女を陥れていることも。

「納得。実に貴様らしい」

黒烏は小さく頷く。やはり夜哭に関さないことであるので反応は薄い。

「だろう……先ほど告げたこと忘れるな。私は先に向かう」

「了解」

答えた瞬間、幹の向こう側に相手の気配が無いことに黒烏は気づく。

どうやら彼女は言うだけいって去って行ったようである。

彼はただ首を左右に振り、呟く。

「お互い長生きできる性格ではないな」

その顔は僅かに自嘲の笑みが浮かんでいるように見える。

その心は何を思うのか、何も思わぬのか窺い知ることはできなかった。



そして次の瞬間にはそこから彼の姿は消え、木の根元に生えたすすきが揺れていた。




駄文をお読みいただきありがとうございました。

次の話が長くなったのでぶった切りました。

ほのぼのした雰囲気からだんだんシリアスになってきます。

にしても舜水へたれだなぁ……

ご意見ご感想お待ちしています。


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