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華と剣―fencer and assassin―  作者: 鋼玉
第一章 双恋双殺
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七、恋慕と追憶

八州国西端洟()州、州都峯楽(ほうらく)

その州城に設けられた謁見の間、玉座に座す州候とその傍らに立つ州候の補佐である令尹(れいいん)の前に叩頭する一人の男。

「……あの盗賊共が倒されたと? 」

玉座に座す洟州候禮爾(れいに)は頬杖をつきながら、叩頭する男に問いかける。

「は」

六十を過ぎたその男は一層深く頭を下げる。

彼の名は蔡季(さいき)。粛清を逃れ、新州候就任の際にこの州の武官である夏官を束ねる州司馬の職を任命された男であり厳格な性格の男で現州候の信任は厚い。

「州師を出すには厳しい故剣客を募りましたところ……名乗り出たが唯一人」

「まさか……」

蔡季の口振りにまだ令尹はあることを予想する。

しかし彼は到底信じられなかった。

謀反を恐れた王により大幅に数を減らされたとはいえ、一流の軍である州師と渡り合った盗賊がたった一人の剣客風情に掃討されるとは……

「令尹殿の予想されるとおりでございます」

そんな令尹の心中を知ってか知らずかそう答え、蔡季は彼を見上げる。

鋭いが真っ直ぐな州司馬の眼は嘘偽りなきものであった。

「ふむ……」

禮爾は己の顎鬚を撫でながら頷く。

「ありえない! 」

それでも令尹は信じられず思わず疑いの声をあげる。実直である故に彼は己の常識を超えるものを信じることができない。

そしてつかつかと蔡季に歩み寄ろうとするが、禮爾に左手で制される。

落ち着け、と禮爾は令尹に囁き、蔡季に向きなおる。

平静を取り戻し、申し訳ありませんと令尹は呟き引き下がり乱れた冠を直す。

「……なるほど。汝が言うのなら真実だろう。してその剣客は? 」

「報酬を受け取り次第立ち去りました」

そう言って蔡季はさらに一礼する。腰にはいた大剣がガシャリとなる。

「あっさりしたものよ……仕官などは? 」

その言葉に禮爾はわずかに驚きを覚える。剣客はなかなか不安定な職故、普通は仕官を望む。それは全くなかったのか。

「話には出したそうですが、誰かの下につくのは好まぬそうで」

「惜しいことだな」

それほどの強さなら人手不足のうちの州にほしいものだが……と思いつつ禮爾は苦笑する。

「全くでございます」

蔡季もそう言って老いてなお巌のような顔を綻ばせる。

「して、その者の名は? 」

禮爾は最後に尋ねる。

恐らくはその者は十傑かそれに等しいものであろう。

そして蔡季は一礼し、その者の名を言う。


葵沃(きよく)と申すそうで」


ほうと禮爾は嘆息する。

そして実に惜しいことをしたと呟く。

その名は十傑に名を連ねるものであり、そして……

葵を導きし水。

その名に隠されし真の意味を彼は知っていた。

(むくげ)を導きし水。


その名は共にある姓を背負う。

「李家の餓鬼か……」

隣で同じく驚く令尹にも聞こえぬ声で呟く。

今は亡き旧友の唯一残った落胤(おとしだね)


そして今はこの国でも指折りの剣客。

……本当惜しいことをした。

仕官が叶わずとも彼がそうなら一目顔を会わせたかった。


――まあ縁があれば顔を合わせることとなるだろう。


そして彼は微笑んだ。






――そして峯楽の城下町で。

「遅いよ。シュン」

街の一角の出店の前にやってきた青年に異国の少女は頬を膨らませ、少しこの国の人間とは違う発音で彼の名を呼ぶ。

漆の様な黒い短髪に猫を思わせる釣り目がちの目が特徴的な彼は、両手にちゃっかり饅頭を握っている彼女の様子を見て苦笑する。

「遅いも何もねえだろう。鷹姫(ようき)

芙蓉(ふよう)。鷹姫なんて(あざな)で呼ばないでよ」

鷹姫と呼ばれた彼女はそう頬を膨らませる。

彼女の真の名は他にあるのだが異国の言葉であるのでこの国の彼女の保護者たる女性が芙蓉と名をつけた。

だが、彼女のあまりに精密な弓の腕とその猛禽の瞳を思わせる琥珀色の瞳から畏敬の念を込めて、空の狩人の姫君、鷹姫と呼ぶ人間が多い。

もっとも彼女は不本意なようである。

「いきなり矢を撃ってくるような奴は鷹姫で十分だ。そもそも芙蓉と呼んでほしかったら俺のことも葵沃(きよく)と呼べよ」

地味に峡谷でのことを根に持っているような葵沃の発言に鷹姫は悪びれず口を開く。

「だって発音しにくいもの。シュンはシュンスイって言うんでしょ? いいじゃない」

はむはむと饅頭を頬張りながら彼女は食べる? と片手に持ったもう一つの饅頭を差し出す。その瞳は鷹というより小動物を思わせる可愛らしいものであり、栗色の髪といい、堀の深い顔の造形といい、葵沃も一瞬見惚れつつ、差し出された饅頭を受け取る。

見た目に騙されてはいけない。この娘の鷹姫という字は伊達ではないのだ。

その背に背負った弓に矢をつがえれば、標的を決して逃さぬ優秀な弓兵となる。

彼女は日常的に動物を狩ることがあるがその時はまさに上空から獲物を狙う鷹そのものなのだ。

「昔はそうだが今は葵沃だ。舜水の名は捨てた」

「なんで? 」

「大人の事情だ。餓鬼は知らんでいい」

「えー」

饅頭を一口二口齧りながら葵沃は鷹姫の頭をくしゃくしゃと撫で、歩きだす。

その眼はどことなく苦しげな色が浮かんでいる。

シュンと呼ばれるのは嫌いだ。


――あいつを思い出すから。


「ち、ちょっと待ってよ! 」

鷹姫は慌てて一緒にいた馬の手綱を引きながら、葵沃を追いかける。

「何でそんなに急ぐの? 」

その言葉で物想いにふけりかけていた葵沃は我に返り、自分の考えたことを気取られまいとぶっきらぼうに鷹姫を見ずに答える

「ここの街には長居したくないからな」

特に俺達は目立つしな、と心の中で付け加える。

胡人の彼女と、この国では異端の短髪の自分の組み合わせは激しく目立つ。

州師さえも手こずらせる峡谷の盗賊に興味があったから仕事を受けたが、ここの州候は彼の父の旧友でもある。真の素性を知る者は少ないが州候が知らないという保証はない。

州候の人となりは知らないが長居しないほうが得策である。

「……わかった」

彼の態度に少ししょげたように鷹姫は頷く。

そんな様子に葵沃は少し罪悪感を覚える。

「すこし言い方がきつかったかもな……ところで何でお前あんな峡谷にいたんだ? (とう)州から滅多に出ねえのに」

話題を逸らすために葵沃は一日前にあの盗賊の峡谷のことを話題に出す。

そういえば気になってはいたけれど、一日間、この話題に触れてなかったなと思いつつ。

すると、鷹姫は身体を強張らせそっぽを向く。

まずいことを聞いたか、と葵沃は心配になったがそれは取り越し苦労に終わる。


「ね、姉様の用事のついでよ。祷州に帰るの早いほうがいいでしょう。別にシュンに会いになんか来てないんだからね」

要はわざわざ馬でも十日かかるここまで葵沃に会いにきたということ。

動揺したせいかあっさりと話してしまう鷹姫。多分本音を漏らしたことに気づいてないのだろう。今は頬を紅くしている程度だが、本音をしゃべったことに気づいたらこの程度じゃすまない。

「わかってるって」

葵沃はそんな彼女の様子に何だかなぁと思う。

彼女の気持ちには気づいている。というより周りに普通にばれている。

自分のどこが良いのだろう。女心は理解できない。昔から剣以外のことにはいまいち鈍感な彼はそんなことを考えつつも、無難な選択肢をとる。

まあ刺激しないほうが無難だろう、と。

そう思い話題を変えようとする。

「だがな、人に向かって突然矢を射るなよ」

「……盗賊のおじさんと話してたらその場の勢いで」

葵沃の言葉にはっと我に返りばつの悪そうな顔で舌を出して笑う。

一片の嘘も無いその表情を見て、葵沃は呆れたように息を吐く。

「勢いかよ」

「でも何ともなかったでしょ? 」

「確かに別にどうってことなかったが……戦場以外で人に弓向けるのは感心しない」

あの時、彼は己の胸部に向けて飛来した矢を手で握って受け止めた。

盗賊がもう起きたのかと思いつつ、矢を見ればどこかで見たことのある矢。

その矢を使う人物はそんなにいないはずと思いつつ近づいてみれば案の定彼女だったというわけである。

「わかってるって」

「全然分かってねえだろ」

そして顔を見合せ二人は笑う。

街行く人々はこの目立つことこの上ない二人組に好奇の視線を向けるが、二人は気にしない。互いに信頼はしているが、少女の思いは青年に届くことはなく。

青年は時折表情に影を落とす。

そして思う。



あれから二年か、と。

いくら明るくふるまってもそのことは自分の心から拭い去ることはできない。

あの時自分の人生を構成する物のうち本当に大切なものを失った。

同時に鷹姫達のような新たな仲間を得ることとなったが、失くしたものは埋められない。

特にあいつ、黎を失ったことは半身を引き裂かれるかのようだった。

せめての弔いに命の宿るといわれる髪を断ってみたが、それでも夜にふと涙を流す自分に気づく。どんなに強くなっても心の中の喪失感は埋められない。


その時、体に何かぶつかったような衝撃が走る。

「何だ? 」

意識を改めて外界に引き戻す。

視界に映ったのは、ごめんなさい、といいつつ走り去る小さな子供。

「よそ見するからだよ」

突然のことで呆気にとられた葵沃を見つつ、くすくすと鷹姫は笑う。

「ああ、全くだな……」

苦笑しつつ葵沃は無意識に腰の荷物を探る。

そこで何かに気づき、目を見開く。


「っやられた! 」

荷物の中には財布の感触はなかった。

そして踵を返しさっきの子供を追い始める。

「ねぇどうしたのー」

「財布スられたんだよ! 」

背後から尋ねる鷹姫にそう叫び返つつ、人ごみの中から子供の姿を探す。

ちなみに彼は州城で報酬をもらってから、それを財布にしまっていた。

つまりはそういうことである。

お金は小分けして持つこと、決して治安のよいとは言えないこの街の常識である。

「いた! 」

丁度路地に消えようとしていた子供を見つけ、彼の眼は獲物を狩る肉食獣の目に変わる。

間違いない、子供の手にあるのは自分の財布だ。

確認し、地を蹴る。

「ちょっと待てやこの餓鬼ぃぃぃ! 」

財布がかかっているとはいえ実に大人げない。下手したら盗賊相手より本気になっているような感じがする。子供は一瞬振り向き自分に迫る凶暴な生物を目にし、まるで転がるように走りだす。その足はかなり速く、並の大人には追いつけるものではない。

だが、葵沃は一応この国で最も強い者の一人といわれる男である。

その膂力(りょりょく)は並ではない。

あれほど目立ちたくないと言っていたのがどこへやら、葵沃は疾走する。

鬼の形相とはこのことを言うのだろうか。

その様子にただならぬ気配を感じ彼の行き先の人の海に道ができる。

そういうわけで子供はあっという間に襟の後ろを掴まれてしまった。


「放せよ! 」

まだ十に満たないその少年は身をよじり彼の手から逃れようとする。

しかし、葵沃はがっちりと少年の襟をつかんで離さない。

「財布返したら放してやる」

「やだ! 」

少年はめちゃくちゃに腕を振り回す。

何度か襟をつかむ腕にも腕が当たるが葵沃は顔をしかめるが、それだけである。

「どうしたもんかな……」

少年を捕獲して落ち着いてきた葵沃は空いた手で自分の頭を掻く。

とっとと財布を返してくれればいいものの、意地張りやがって……

子供に手をあげるのはどうかと思うしどうしようと思っていたその時であった。


「夕吹。とったものを返してあげなさい」

彼らを遠巻きに見ていた人込みをかき分け一人の人物が現われる。

「父さん! 」

夕吹と呼ばれた少年はその人物を見て驚きの声をあげる。

驚いたのは葵沃も同じであり、思わず少年の襟から手を放してしまう。



「あんたは……」

その人物は葵沃にとってかなり意外な人物であった。



長い文章を読んでいただきありがとうございました。

一応注釈。

胡人:いわゆる外国人。鷹姫の容姿から見て、中央アジア〜東ヨーロッパくらいの人をイメージしてください。


(むくげ:ハイビスカスの仲間に当たるアオイ科の花。舜水という名前、実在するみたいですがなかなか華やかです。


ちなみに初めの部分で令尹に名前がないのは仕様です。


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