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華と剣―fencer and assassin―  作者: 鋼玉
第五章 流転黎明
49/50

四十九、青媛微笑

最近更新がゆっくりです。何とか速度を上げたいですが……


「明星、それは月無き夜に迷い人を導きし存在」


それは人を導くものであり、人を殺すものであり……変革をもたらすもの。

その存在はまるで凪に落ちる水滴の如く波紋を生んでいく

――明星がここまで揃うたあ面白い

――時代が動き始めたということかね

黄昏から夜に落ちる中、燭台の明かりの下。

香を焚きしめた部屋にある影は三。

そのうちの一人は血を思わせる艶やかな唇は囁くようにそう呟いた。

明星、それは吉兆であり凶兆でもある。


――相反し元来ならば潰し合う定め

――現に一つ潰したんじゃったな


卓子の上に描かれた紋様の盤上に置かれた水晶と思わしき石を一つ隅に追いやった後に残りを複雑に動かしながら、声の主は目を細める。その動きは占術の心得があるものなら理解できるのだが、今、部屋にいるものでそれを真に理解しているのは声の主のみである。


――今は共にあろうともいずれは


バサリ。

チチッ

言葉に呼応するかのように窓に嵌められた格子越しに夜烏の影が羽ばたき、窓の脇に置かれた籠に入った雲雀が小さく囀る。


――ふん、そういう考え方もあるかね。


まるで鳥と会話しているかのように、声の主は二言三言格子の向こうに語りかけ、対面する二人を見据える。


「定めとは曲げるためのもの……現にお前さんたちは潰し合う運命を間違いなく乗り越えたさね」

緩くまとめた髪の向こうから玉のような青の瞳に魅入られ二人は顔を見合わせる。

釣り目がちの短髪の青年。

大きな瞳が印象的な桔梗の花釵(はなかんざし)を挿した女。


二人の顔は、思い当たる節がある様子であった。

「さて、占の結果が出たようじゃな」

盤上の小石を操る指が止まり、紅い唇の間から白い歯が覗いた。







――皓州が北東部、洟州にほど近い煬寧(ようねい)という街にて

「のどかだな……」

「むしろ寂れてねえかここ」

洟州より流れ込む大河から引いた水路の傍に腰かけて黎は呟いた。

水路といってもこの片田舎、現王即位以来整備されたことは一度も無いので水は淀み、石畳もひび割れところどころから草が生えている。

「田舎だからな」

「しかし悪かねえな……里を思い出す」

舜水と嘉煕も同意しつつもこの風景を満喫している様子だ。黎は横目でそんな二人を見やり溜息をついた。

今はこんな風にのんびりしているがここまでの道中は決して楽ではなかった。

どうやら嘉煕は勿論、ある種非公式な存在である二人の人相書きも回っているらしく皓州師の兵に追われること数度。主に戦闘という状況に興奮した嘉煕が原因であるが三人とも順調に前科を積み重ねていた。

確かにこのような人間は新鮮ではあり、今更前科の一つや二つ増えても気にはならぬものの……気疲れするのは否定のしようがない。

舜水も道中の出来事を思い出したのか口の端を引き攣らせ、嘉煕に問う。

「そういや嘉煕、お前の生まれは? 」

「この顔見りゃわかるだろうが楼州の出だよ」

ごみ溜めのような場所だったさ、と彼は髪が目立たぬように被った外套の下で自嘲気味に笑った。確かに彼はその髪色以外は彼は楼州の人間らしいよく日焼けした肌と鼻筋の通った顔つきをしている。

「そっか。俺らは柏州の生まれだから真逆だな」

正確にいえば舜水は王都の生まれだが、彼にとっての故郷は柏州南峯村である。

舜水は水路に小石を投げ込み、水面を跳ねて行くそれを見つめつつどこか感慨深げに呟いた。

嘉煕もそうか、と呟きつつ同じく小石を投げる。

しかしあまりうまくいかず、一度も跳ねずにそれは水中に沈んでしまった。

「あれ? 」

首を傾げ、舜水の方をじっと見つめる。

「コツがあるんだよ。ほら、こうやって」

もう一度投げる。まるで蛙のように小石は対岸まで跳ねて行った。

まるで走り回る鼠を目にした猫のように嘉煕はそれを目で追いかけ、もう一度投げてみようと石を握る。

瞬間彼の視界の端をもう一個が水面を跳ねて行った。

「なるほど、意外に面白いな」

続けざまに小石を投げつつ笑みを浮かべたのは黎。さすがに金票を武器にしていた彼女は物を投擲することに長けているようである。嘉煕はそんな彼女の様子に頬を膨らませ、拗ねたように水路を背にして座り込んだ。

「いい年した大人が拗ねても仕方無いだろう」

「だな、可愛げが無い」

ここぞとばかりに顔を見合わせ舜水と黎は彼をからかう。

当然無理についてきている嘉煕に対する態度は時折手厳しいものがある。

「ひでぇ」

そんな二人の様子に嘉煕は眉をしかめて溜息を吐いた。




「さ、そろそろ行くか」

それから余り見て回るところの無い街をぶらぶらと歩き回り、流行っていない飯店で飯を食い……結局やることが無くなって茜色に染まった水路沿いでぼんやりしていた時に舜水が暇を持て余した様子の二人に声をかけた。

「どこへ? 」

「勿論当初の目的地だ、嘉煕はついてこないんだよな」

「ああ、あんま興味ねーし。宿で寝とくわ」


目的地が全く分からぬ様子の黎に対して、嘉煕はあまり興味のなさそうな様子で立ち上がり踵を返した。彼は大逆人の剣客と背信者の暗殺者である二人に興味を抱いているだけで、別行動をとることは珍しくはない。




そんな彼を見送りつつ黎は舜水の言葉を思い出していた。

『皓州へ行ってみようか』

祷州を出るときに言った言葉、会わせたい人間がいると耳打ちされた。

あのあと何度聞いても楽しげに笑うだけで全く情報を与えてくれなかったがどうやらその人間がいるのがこの街であるらしい。



「そういえば目的地って」

二人で腕を組んだまま、小道を行く。

何故今まで詳細を問わなかったのか不思議ではある。おそらくそれは彼女の彼への信頼に起因するのだろう。しかし何か知っている様子の嘉煕を見ると今更ながらそれを彼女はほんの少し後悔した。

「行ってみりゃわかるって」

舜水は気にするなとばかりに笑う。

「そうだな……」

なんだかんだいって舜水のことは無条件に信用してしまう彼女である。

夕暮れの寂れた通りを歩く人影は少なく互いが互いに気を配ることはない。

かつてこの街も栄えた時があったのだが二十年前の内乱、それに続く西夷の侵攻、そして現王の圧政によりその面影は失われ、この時間になるとほとんどの店が門扉を閉ざしている。

「ここまで寂れていると物悲しいな」

通りをふらふらと歩いて行く痩せた犬を見送りつつ黎は呟く。もっと酷い光景も沢山見てきた。しかし、こうして人の足が離れて行きただ寂れて行っただけのこの光景も胸に突き刺さるものがある。

「いずれ変えられたらいいのにな」

舜水はそんな彼女の横顔をどこか寂しげに見つめ、腕を解いて彼女の頭を撫でる。

「その為に俺らは戦うんだ」

「ああ」

大切な者の命の保証のためでなく。

汚辱を雪ぎ復讐を果たすためでもなく。

もちろん己の性に突き動かされるままというわけでなく。

――この国の未来の為に

瞬間。


「! 何? 」

「鳥だ。(ふくろう)だな」

大きな羽音とともに視界の端を横切った影に、眼を見開く黎に何てことない様子で視線を前に戻し歩き出す。

「こんな街に梟が……」

呟いた瞬間再び羽音が響く。

今度はミミズク、こんな街中に現れる鳥ではない。

そう思いつつ天を仰いだ瞬間、黎はその表情を強張らせた。

小道によって細長く切り取られた夜空、そこの端々に動く小さな影……全て鳥か。

全てよ

まるで鳥を通して何者かに観察されているような不気味な感覚が背筋を駆け抜ける。

「怖がる必要はないさ……そろそろかな」

得体の知れぬものへの怖れを隠しきれない黎の肩を抱き寄せつつ、舜水はいたずらっぽく笑った。

彼は珍しくおびえた様子の彼女が新鮮なのか敢えて完全に安心させる言葉を吐かず、ただ、視界の端に不安そうな彼女を映しつつ淀みない足取りで小道を行き、やがて足をとめた。


――たどり着いた場所は黎にとって予想外なところだった。

「ここは……」

その建物を見て黎は思わず眉を顰め、訝しげに舜水を見つめた。

この寂れた街だけあって随分と簡素な造りで看板の文字も読めぬほど古びているのだが、余り良い趣味とはいえない派手な装飾の為された丹塗りの門がこの店がどう言ったものか彼女にもすぐに分かった。

「本当にあっているのか…………あの、その……妓楼なんて」

しどろもどろに問いかける黎。

無理もない、ここは紅蘭の酒楼のような場所ではなく純粋に春を売る場所。

よほどはやっていないのか客引きもおらず、明かりもほとんど点っていない。

とはいっても女がほいほいと行くような場所ではないし、舜水が来るのも余り想像したくない光景である。

「間違って無いさ」

しかし舜水の様子は意味ありげな笑みを浮かべるのみ。

困惑した様子の黎を引きずるようにして彼は妓楼の門をくぐった。


「いらっしゃ…………ここはあんたらみたいな連中が来るところじゃないよ。余所へ行きや」

妓楼に入ってすぐの花庁(おおひろま)で愛想のよい笑みを浮かべた今様に髪を結いあげたやや(とう)の立った妓女は、舜水とともに現れた黎を見た瞬間、舌打ちした。

明らかに水商売としては不適当な態度であるが舜水は、そんな彼女に対してなだめるように言葉を紡ぐ。

「まあ、そう言いわずに。こっちは用があって来たんだ」

「お客以外はお断りだよ」

美丈夫とは言えないが、その物腰から何故か女受けの良い舜水。そんな彼の様子に、少しくらい話を聞こうとばかりに妓女は、肩の力を抜いて腕を組み二人を見据える。

「紅蘭の姐御からの紹介状だ」

紅蘭、その言葉を聞いた瞬間妓女の表情が変化した。

ああ、なるほどね。

紅が引かれた唇が得心の行った様子の吐息を紡ぎ、彼女は付いて来いと顎をしゃくり踵を返す。

大きく胸元のはだけたひらひらとした襦裙を揺らして二人を導くその姿は鮮やかでまるで錦鯉を思わせる。

「付いて行って良い……の? 」

首を傾げ黎は判断に困る。

確かに皓州に出る前と数日前、舜水は鵬の連絡役と接触していたことは知っている。

しかし、会うべき相手がこんな場所にいるとは思えない。夜哭に命じられ標的を仕留めに忍び込んでいたときからこのような場所は彼女にとって恐ろしく慣れず、長居したくないという思いがあった。

「……嫌か」

「慣れなくて、でも必要なら大丈夫」

「そうか、別の場所で会った方が良かったかな」

さすがに嫌そうな黎を見かねて舜水は眉根を寄せるが、彼女は否定はしなかったが微笑んで先んじて一歩踏み出した。

「それだと、嘉煕が付いてくるだろう? 」

彼女は彼が嘉煕になんと言ったのかおおよそ予想が付いていた。そりゃあああいう人間は妓楼なぞには興味ないだろう。それなら今から会う人間はあまり信頼できない奴に会わせるわけにいかない相手か……

三人は花庁を抜け、奥の小部屋が並ぶ回廊を通り抜け階段を上って行く。ときどき聞こえる鳥の羽音に黎はびくりと肩を震わせるが、二人は特に驚いた様子はない。

時折、部屋の中に気配を感じるほか、華やかに着飾った妓女と二度余りすれ違う。どの妓女も、妓楼にあるまじき女の客人である黎の顔を物珍しげに見つめる。

黎は顔をそむけつつ、美しく着飾った彼女等を決して羨ましくは思わずとも僅かばかりの女としての劣等感を感じた。

「確かにそうだが、今から会う人間はちょっと遠出はできぬ身だ」

そんな彼女の想いには気づくはずの無い彼は、今から会う予定の相手に思いを巡らせているようだ。

ここから出られない。

確かに妓女なら金で妓楼に縛り付けられるものだが……彼の言葉の含む意味はまた異なるもののようである。

「着いたよ。ちと待ちや」

三人がたどり着いたのは二階の一角。朱塗りの格子戸の向こうに薄紅色の紗が揺れている部屋だった。妓女は二人にそう言い放つと、戸口の横に備え付けられた鈴を鳴らした。


「何だい? 」

部屋の奥から響くしゃがれた、しかし良く通る声。

「姐さん、客人ですよ」

「……知っておるよ。ちょっと待ってくれんかと伝えてくれんかの」

「あいわかった」

妓女は紅蘭からの紹介状と黎たちの特徴を簡潔に告げるが、返答はしばし待てとのこと。それに答えた妓女は舜水の方に向き直って軽く頭を下げた。

「どうやらしばし用意に時間がかかるみたいさね」

「すまんな」

「あんたは今日の夕刻に来ることは伝わっていたからこっちの不手際だよ」

あの姐さんにも困ったものだと妓女は申し訳なさそうに肩を竦め、舜水の隣でぼんやりとしている黎に目をとめる。

「ところで嬢ちゃん、こういうところは嫌いかい」

「いや……正直言うと少し苦手だが」

突然話題を振られ、黎は眼を瞬かせて彼女の顔を見た。彼女よりも五つほど上の整ってはいるが老いを隠しきれない妓女の顔は苦笑を浮かべていた。

「無理もないね。最近は宿つきの飯店と大差ないがこういう商売じゃ」

彼女の言葉の通り、この妓楼は特有のすえた匂いはほとんどせずむしろ埃の匂いしかしない。

おそらくはほとんど妓楼として機能していないのだろう。

しかしながら身体を売るという女にとって軽蔑すべき商売。それは妓女自身も望んでなったわけではないが良く理解しているようであり、黎はどこか心苦しく思った。

「そんなつもりではない……私も褒められた職業でないしな」

――私もかつては仕方がなかったと言え人の命を奪うことを生業にしていた

それはおそらく最も卑しい商売、他人のことをとやかく言えない。

「そうなのかい? 」

妓女はそんな彼女の言葉に興味深げに片眉を跳ねあげた。確かに堅気の人間じゃなさそうだがこの娘は一体何を生業にしていたのか……黎の職業に興味を抱いたが敢えて深くは問わなかった。もう少し何か話そうと、口を開こうとするが部屋の中から入ってきて良いぞと声が響いた。


「じゃ、あたしも」

二人を部屋に誘導しつつ妓女は手を振って大きく伸びをし、その場を去ろうとする。

しかし、何かを思い出したのかふと足を止めて二人の背に声をかけた。


――姐さんの機嫌損ねないようにね、怖いから


と。




そんな不吉な言葉もあって、二人はやや面持ちを固くして部屋の中に足を踏み入れる。

「お初にお目にかかるね。お二方」

そんな二人を部屋の奥で卓子に置いた占術盤に迎え入れたのは初老の女。藍と青の襦裙に身を包み、目尻と唇に紅をさした雪のように白い肌に白髪混じりの髪を一昔前の妓女風に結っている。この妓楼の女達の中で最年長であろうが、不思議な魅力を醸し出していた。

「さあ、そちらに座りや。突っ立っていても仕方ないじゃろ」

彼女は完全に雰囲気に呑まれてしまっている二人に己と対面する形で置かれた椅子を勧め、顔を上げてにっこりと笑った。

緩く結われた髪に隠れていた彼女の眼が露わになり、思わずは息を呑む。

青、まるで空のような澄んだ色のこの国の人間が持ち得ぬ色のはずである。

「久しぶりだな、姐さん」

「また一段と男前になりおったの……そちらは件の女子(おなご)で合っているかい? 」

しかし舜水と女の間には面識があるらしく、彼は彼女の眼のことは全く気にせず互いに軽く笑いあった後に女が黎に問いかける。

「黎と言う」

「面白い相を持った女子だね。義慶も駒の使い方がなかなか上手い……おっと失礼」

そう言って妖艶に微笑む女。

黎は彼女の奇妙な雰囲気に押されつつも軽く会釈して眉を顰める。件、というと彼女のやったことはほとんど伝わっているのだろう。

彼女の顔つきはあの異国の血の混ざった鷹姫と異なり、この国の人間そのものである。ならばあの青は混血ではなく、彼女が異端であることを示しているのか。

「あたしゃ青翡(せいひ)というんだ……八咫(やた)といった方が分かるかもしれないけど」

「八咫……」

「そ、ここの楼主にして鵬の連絡役の元締めさ。今は南は弟子が頑張ってくれているんじゃが」

鵬が何故王の追及を逃れられるか、その答えの一つに全く見えない優れた連絡網がある。

王に知られることは決してなくしかし正確無比な情報伝達、それは夜哭党の諜報能力を持ってしても解明できることができなかった。

答えは単純――鳥を使っていたのだ。

余りに面白みのない回答である。

しかし鵬の情報伝達は、それを考えるにはそれらしき鳩は見つけられない上に、余りに柔軟すぎるため夜哭もその結論に至ることはできなかった。

「ではあの外の鳥……」

「そ、あの子らがあたしの手足にして鵬の要の一つじゃ」

青い目を細めて彼女は笑う。そして彼女は襦裙の裾を僅かにまくり、その細い足首を見せた。

黎でも惚れ惚れとしてしまう白い足、しかしその(くるぶし)には腱を断たれたと思わしき古い傷痕があった。

「こんな足じゃ外も思うように歩けやしない。外を知るためにはあの子たちは無くてはならない存在さね」

そう言って窓際の鳥籠の雲雀に彼女は笑いかけ、雲雀はそれに答えるように小さく鳴いた。

どういうことなのだろう?

黎は小首を傾げ、そんな彼女の様子を見て青翡は紅い唇を心底愉快そうに歪め舜水に眼で合図する。

代わりに教えてやれということであるようだ。

「……まあ、彼女はいわゆる異能だ」

異能。非現実的な存在なぞないとされる中でごく稀に現れる奇妙な存在。そう青翡は生まれた折から青い目を持ち、五つを過ぎても言葉を一切話すことができなかった。ただ奇妙なことに彼女の傍には何時も鳥たちが群れ、彼女は人からではなく鳥と意思疎通するすることで世界を知る。

そして当然気味悪がられ、彼女は見世物小屋に売り払われ化け物として檻に閉じ込められた。

彼女の足の傷はその時逃げられぬように付けられたもの。

彼女が人としての人生を歩み始めたのは、用済みとなりこの妓楼に払い下げられたときから。

彼女には占術の才があったようで言葉を覚え、妓女兼占術師としての待遇は少なくとも悪くはなく現王の即位後に急速に寂れたこの妓楼を前楼主から買い取り今に至る。

「そうか。聞いちゃ悪かった、か」

悲惨な過去、聞くべきでは無かったと黎は内心後悔する。

「気にしなさんな。こっちゃお嬢ちゃんのこと大概知っているからさ、あたいのことも教えんと不公平というもんじゃろ? 」

青翡はこれから長い付き合いになるんだしさ、と占い盤の上の石を弄びながら大らかに笑った。

「すまん」

「いいさ」

そう言って青翡は微笑み黎に右手を差し出し、促されるままに彼女も腕を差し出し握手が交わされた。

「今後長い付き合いになると思うからよろしゅう」

「よろしく」

「で、姐御。頼んでいたことはどうなっている」

女二人で楽しげな黎と青翡に対して、話すだけ話させられたにも拘らず放置された舜水は僅かにすねた様子で青翡に問いかける。その言葉に黎はおや、と舜水の方に向き直った。

会わせたい人間とは青翡ではなかったのか?

浮かんだ問いを彼女が口にする前に青翡が彼の問いに答える。

「ああ、そっちはぬかりなく。黄梅が呼びに行っておる」

先ほどの妓女は黄梅というのだろう。あの優美な魚を思わせる彼女には余り似合わぬ名前だと内心苦笑する。そしてそれより一体何者と会わせるつもりかと黎は舜水の顔をじっと見つめた。

「会ってからのお楽しみだ」

しかし、舜水は答えずにいたずらっぽく笑うのみ。

「まあ、一刻もせずに会えるさ」

どこか不満そうな黎に青翡もにやにやと笑いつつ懐から巾着を取り出し手元の占術盤の上に中身を転がす。

現れたのは記号の刻まれた色とりどりの石。

十数個のそれのうち五つほどは水晶でできているのか透き通っており、なめらかに磨かれた表面の奥に占術盤の紋様が見える。

「まあもうしばし時間はあるようじゃから余興と行こうかの」


ジャラ


その言葉を合図に青い瞳に占術盤が映し出され白い指先が占術盤の腕を滑り始めた。



***

そして再び現在に戻る。

流転する国情を語りつつ行われた占いの結論を導き出した青翡は艶めかしく笑った。

「まず、結論と行こうかね」

彼女は占術盤の上の幾つかの石を指し示して行く。

「これが過去、まあお互い余り良き卦は出てないようじゃ。特に黎さんは常に死線の上にいたようじゃな」

占術盤の上に配置された紫の小石の横に走る直線をなぞり彼女は笑う、そしてその石をつまみあげて、軽く盤の上に転がす。

すると煙水晶はころころと転がり、澄んだ色の水晶の横に納まった。

「そして今は、葵沃さんの傍に……この卦を見て行く限り、あり得ない結末といえよう」

奇跡とはあるもんだよ。

青翡は感慨深げに呟きつつ寄り添う二つの石をチョンと突く。

「まあ、運命は流転するものだ。特にお前さん方の様な行動力のある人間は、ね」

ただ……行く先は間違いなく血河の生み出した道。

血河を辿り、血河を成す罪業に塗れた修羅の道。

「それでも止まるつもりはないのだろう……」


唯、お前さん方にそれぞれ助言をしてやろう。

参考にでもなればよいがね。


刹那。

窓の外に鳥の羽ばたく音が満ちる。

「おや、どうやら来たみたいだね」

言いかけた言葉を断ち切り、鳥達の言葉に耳を傾ける。

その顔は人と話す時とは異なる芝居がかっていない少女のような純粋な表情であった。

彼女にとって鳥達の言葉こそ本来の言葉であり、人の言葉こそ異国の言葉に近いものなのかもしれない。

そして彼女が言ったとおりに部屋の外でチリンッと鈴の音がする。

「姐さん、そろそろ良いかい? 」

「話は終わってはおらぬが……まあ良いさ」

そう言って彼女は二人に向き直り、青い目を細める。

「どうやら待ち人が来おったようじゃの、行くとしよう」

そう言って傍らに置いた杖をつき、足を引きずるようにして立ち上がる。

「しかし……」

「あーそんなもん後でいいさね。しかと覚えておくから安心しいや」

少し手を貸してくれんかね、という彼女に黎は肩を貸す。

「ありがとさん」

そう礼をいいつつ青翡は彼女の肩を借りながら立ち上がって杖をつく。

足の傷は古いものであろうが、やはり未だに彼女の枷となっているようでその歩みは不自然でおぼつかず、黎はそんな彼女の様子を心配そうに見守りつつ傍を歩く。

「あんまり気せんでもよいさ。こうやって毎日歩いているんじゃから」

腰を曲げてさながら老婆のように青翡は笑い、三人は戸口で待っていた黄梅に導かれ再び花庁へ向かった。



外は宵が深まりつつあり、侵食する闇を天井に吊るされた灯籠から漏れる橙が和らげる。

黎と舜水、そして青翡と黄梅。

四人を出迎えたのは一人の女。

おそらく妓女ではないのだろう、年の頃は四十半ばか。

無機質な冷たさを宿す顔立ちを崩すかの様に右まぶたから袈裟の形に走る古い傷痕。

そして背に従えるのは女にしては大柄な彼女の背丈ほどもある長柄。

「貴様が黒鵺、いや黎か? 」

四人の姿を認めるなりに紡がれる言葉。

黎はその物騒な様子に己の得物に手を伸ばしつつそんな彼女の姿に妙な感覚を覚えた。

容姿も得物も全く違うはずであるが…………まるで鏡。

「そうだ。貴様の名は? 」

数歩足を踏み出し黎は彼女を見据える。

非礼だとわかっていようとも彼女の纏う雰囲気が黎に敵意すらこもった言葉を紡がせた。

「私の名か……そんなものとうに無い」

そう言いつつ女は背中に右腕を回し、背負った長柄を大きく振るう。

長柄を包んでいた布が解け、その間から彼女の得物が姿を現した。

「敢えて名乗るなら幽鬼、とでも」

にやりと笑う女。

そして得物は鈍い輝きを見せた。

一般的な兵装として知られる双戟と呼ばれる種類の武器。

白蝋木辺りでできているのだろう、紅く塗られた柄が彼女の動きに合わせて僅かにしなる。


瞬間、女の姿が揺らぐ。

速い!

持っている得物から考えてまずありえぬ速度に、黎は左袖に隠した手戟を抜き放ち床を蹴った。

一瞬前まで彼女がいた場所に横から叩きつけるような戟の一撃が加えられる。

引き切るための鎌状の刃が黎の脇腹すれすれを通り、彼女の横を風が通り抜ける。

「どう言うつもりだ! 」

続けて腰の剣を抜き放ちつつ黎は女を見据える。

只者ではないが、何故初対面の相手に殺す気で得物を振るうのか。

「理由? そんなもの私を倒せば幾らでも話してやろう」

女は薄く笑い、黎を追撃すべく戟の穂先を向け駆けだす。


「国一の兇手の実力見せてもらうぞ」

「…………見せる間もなく叩き潰してやろう」


全く状況が飲み込めないがこのままでは埒が明かない。

黎は女の突きを軽くいなしつつ凶悪な笑みを浮かべた。


長い文をお読みいただきありがとうございました。

今回は早くも寄り道先に到着。妓女というと妖花の時以来の舞台。青翡は鵬の連絡役兼情報屋兼仲介人といったところでしょうか。そして最後の方の女は作品世界の時間と得物で気づくかもしれないですが……まあ次回のお楽しみに。

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