四十六、対偶猛者
新章スタートです。
――祷州の東端、柏州と隣接する紀綾という名の小さな街。
祷州特産の織物の発祥の地であるためこのような名を持つ街は、規模こそ小さいものの柏州への玄関口として栄えている街であった。特に広途は商店と露店が混在し柏州、榎州からの荷が売りに出されており、昼に差し掛かったこの時候は特に混沌とした活気があった。
そんな中、歩くのは外套に身を包んだ一組の男女……黎と舜水である。
黎より頭一つ背の高い彼が彼女の手を引く形で先行し、広途に所狭しと並ぶ店を見回し、明らかに何かを探している様子である。
「あ、あったあった! 」
やがて件の探し物を見つけたのか、舜水はパッと表情を明るくして彼女の手をぐいぐいと引いて人ごみを進んでいく。
「ち、ちょっと待て」
余りの急さに何とか人ごみをかきわけながら黎は舜水にてを引かれつつ抗議する。しかし虚しいことに喧噪のなかにその声は溶け消え、まだ彼女は文句を言いたげであったがその前にある一軒の店の前に辿り着いた。
「大丈夫か? 」
「何とかね」
肩で息をする黎に舜水は気遣うように彼女の背中を撫でるが、黎はあんなに急がなくてもといいつつ頬を膨らませており、やや怒っているようである。しかしこれ以上怒っても仕方がないと思ったのか息を吐いて、黎は目の前の店を改めて見つめてみる。
「装飾品? 」
そう、目の前の店の入り口から覗く陳列棚に並ぶは色とりどりの歩揺や簪などの髪飾り、連珠や、耳墜等の装飾品。金銀でできているものから動物の骨や木でできている物まで実に千差万別であり、この街の縮図の様に黎は思った。
「好きなの選べよ」
「私は別にこんなもの…………そんな余裕あるのか? 」
「一応俺だって結構金持っているんだぞ? 鷲楼で安く買った玉も洟州で売りさばきゃかなりの値になる」
彼女の背を押しつつ店に入ろうとする舜水に黎は小声で囁くが、舜水の返事は実に呆れかえるほどに自信満々である。確かに彼は国一と謳われる剣客、蓄えもあるだろうし基本的にこの国では己の財産は己で持つことが多いため今、それだけを持っているのだろう。
そして舜水が言う玉とは、彼が南峯村に向かう前の鷲楼で買ったもので流通していくうちに値は数倍にも跳ね上がるのだが鷲楼ならばかなり安く手に入る。
「それにさ、黎だって女なのだからこんなものの一つや二つは持っていないと」
ほらほら遠慮するな、とばかりの彼に黎は内心嬉しくもどこか混乱しつつ店内を見回す。店内にいるのは二人を除き、一瞬だけ二人に目をやって視線を手元の帳簿に戻した店主、そして、二人より華やかで堂々といちゃつきながら商品を見る若い男女、そして妻にでも送るつもりなのか神妙な様子で商品を吟味する中年の男である。
「何と言うかよくわからんな……」
七年前のあの頃から着飾るのは嫌いと言っていただけあって彼女にはこう言うものの良し悪しはよく分からない。玉がどうだの金銀がどうだのどれほどの価値があるかはわかっても、それが装飾品としてどうなのかはさっぱりということだ。
「選ばないのか? 」
横からは舜水の問いかけ。彼女はその言葉に頭を抱える。
「いや、こう言うのは初めて選ぶからな」
「そっか。どういうのが欲しい? 」
「まあ、日常身につけるなら髪飾りがいいが……どんなのがいいかはよく分からん」
「なら俺が見繕ってみるよ」
実に楽しそうな舜水の提案に黎は肩をすくめて頼んだ、とだけ言った。そして舜水が気合の入った様子で歩揺と簪を見繕いはじめるが、黎は不意に視線を感じそちらに顔を向ける……同じく店内にいた男女が面白いものでも見るかのようにこちらを見ていた。
……そんなに珍しいか己等の様な関係が。
黎は眉を顰めつつ、視線を商品に戻し、その内の一つを手に取って見る。
金属製、桃色の細石がまるで小花の様についておりそして緑色の石がまるで葉の様に垂れ下がっている。
髪飾りはその形状によって歩揺、簪、釵など呼称が変化するがこれは歩揺であろうか。
『さすがにここまで可愛らしいのは……』
一瞬それを身につけた己の姿を想像し、首を左右に振りつつ棚に戻した。
「これなんかいいんじゃないか? 」
次の簪を見ようと手を伸ばしたところで舜水はどうやら見繕い終わったらしい。
横から差し出されたのは二本の簪。どちらも装飾について理解の無い彼女にとっても見事なものであるがどうにも気に入らなかった。
「いいとは思うが……ちょっと」
「どっちもよいと思うんだけどな。何が気に食わない」
よほど自信があったのか却下の理由を舜水は問う。改めて問われると非常に悩むのだが、とりあえず浮かんだ難点を口にする。
「とりあえず先がもっと鋭い方が……」
「お前髪飾りを何と思っているんだよ」
すかさず舜水の突っ込みが入る。
「やっぱり、髪飾りも使いようによっては武器の類だぞ」
いざという時に使えるものでないと、と首を傾げつつ付け足す黎に舜水は頭を抱える。
何と言うか黎の感覚自体が世間一般の女と比べて若干ずれていることは理解していたが、己の言ったことがあまりに無謀だった様な気がして来た。真剣に後悔している様子の舜水、それを映す黎の瞳が次第に歪んで彼女は思わず吹き出した。
「……冗談だ」
果たして本当に冗談だったのだろうか、その真偽は全くの不明。
呆気に取られた様子の舜水にくすくすと笑いつつ黎は手近にあった簪を手に取り、何気なしに見る。
「これは……」
彼女の手にあったのは随分と簡素な花釵であった。
燻した様な鈍色のそれの先には菱形の先端の色の褪せた紫の石が五つ放射状に飾られており、それを飾るように小さな香木の珠が二つ紅い紐に結わえられていた。
傍から見れば玉の質も微妙である二級品だ。
「ん、それが気に入ったのか」
そう言いつつ彼女の手に持った花釵に視線を向けた彼は、僅かに目を見開いた後に得心が行った様子で頷いた。
――桔梗。
その花が持つ言葉は変わらぬ愛。彼女が七年前の別れの時に託した花であった。
「やはり、私も桔梗の花を身につけておきたいと思ったんだ」
彼女の想いを始めて込めた花。花はすぐに枯れてしまうがその想いを忘れぬために。
舜水の剣にも桔梗の染め抜きのされた飾り布が付いており、黎も前々から何か欲しいとは思っていたのだが、旅をしていく内ですっかり記憶の奥底に追いやってしまっていた。
彼女自身、ここまで装飾品如きに惹きつけられたのは初めてだった。
「じゃ、決まりだな」
舜水は口角を上げて彼女からそれを受け取り、店主の元へ向かい代金を支払って店を出た。
「何か悪い気がするな……ありがとう」
再び広途に出た二人は角を曲がりやや狭い通りに入る細道で足を止める。
申し訳なさそうであるが胸の内から込み上げる喜びを隠しきれない黎の言葉に微笑んで舜水は買ったばかりの歩揺を彼女の髪に挿してやりつつ微笑んだ。
「いいって、まあ、その代わりそろそろ腹減ったから昼飯奢れ」
「なんなりと」
付けてもらった歩揺を指で触れたのちに彼女は恭しく一礼する。
「それでは旦那様、御昼食は何を御所望ですか? 」
おどけた様子で問う彼女に舜水はそうだなぁと勿体ぶりつつ思案した。
「じゃあ行ってくる」
「ああ、頼むよ」
黎の髪に五弁の花の髪飾りが揺れる。心なしか足取り軽く彼女は踏み出そうとした足を止めて振り返って手を振る。舜水はまるで少女のような彼女の様子に眩しそうに目を細めつつ、手を振り返した。
「さて」
そんな彼にもう一度手を振り返して黎は小走りに角を曲がり先ほどの広途から分かれた通りを行く。ここは広途とは少し異なり、屋台や露店のような種別の店が多い。
何度も歩揺の存在に意識を向けて頬を緩めつつも、小踊りたい気持ちを自制しているため足取りはしっかりしている。
「えっと買うべきは……鳥串と饅頭と……あと一品ぐらい何か買うか」
舜水は少し寄りたいところがあるようで、黎は先に頼まれた昼食を買ってくることにしていた。何の用事かというと分からないが、まあさほど時間は要しないといっていたし下手に追及して彼の機嫌を損ねてしまうのは彼女としてもあまり嬉しいことでは無い。
通りをゆっくり歩きつつ余り彼女に縁の無かった混沌とした活気が屋台や、物を買い求める人々から滲み出る様子を見ていると実に面白く、屋台に並ぶ品々に目移りしてしまい思わず財布の紐を緩めてしまいたくなる。
しかし、いちいち散財してはキリがないと彼女は己を律しつつ、とりあえず舜水に聞いた屋台の場所を確かめつつ彼女は歩いていく。
どちらかというとここは裏通りに属しているため、さすがに女一人でうろついているのが目立つのか、たまにちょっかいを掛けてくる者もいる。しかし大概は睨みつけて軽く舌打ちをすればあっさりと引き下がった。
しかしながら、さすがに辟易としたのか彼女は外套を頭に被せる様にして顔を隠してみたら、これもまた効果的なようで随分と好奇の目が減ったような気がした。
道行く者を観察してみると剣客や傭兵らしき者も多く、その中には一人二人彼女の記憶にあるそこそこに名のある者達も見かけるが、まあ要はここは人の往来がかなり多いのだろう。鵬の者も何人か混ざっているのかもしれないが、彼女と顔を合わせた人間は特にいないようであった。
そんなことをごちゃごちゃ思いながら彼女はとことこと歩き、舜水に頼まれた鳥串を二本購入し、うっかり途中の店で焼き菓子を買ってしまいつつももう一つの目的の饅頭屋を探して歩いていた。
その間も胸に抱えた食物は実に美味しそうな匂いを漂わせつつ、黎を誘惑するが彼女は何とか視線をそらすことで耐え忍ぼうと試みる。彼女の腕にはぶつ切りにされた山鳥か何かの肉を串に刺し、タレをつけて程よく焦げ目の付いた串が二本、小麦と牛乳、卵などを混ぜて木の実をまぶして焼いたきつね色の菓子が数個入った布包みが抱えられている。
……耐え忍ぶのは中々の苦行の様であった。
ふと、己らで勝手に生きろと放逐した夜哭党の残党のことが脳裏をよぎった。
あれから随分経っているが奴等はどうしているのだろうか……基本的なことはできるので野たれ死にはしないだろうが何せ暗殺者達の最高峰と呼ばれた集団の残党である。何か面倒な事になりそうな気がしないでもなく、やはり気が進まないが手綱を己が握っておくべきだったかと少し後悔した。
その時、通りの向こうでわっと喧噪が沸き起こり、彼女はハッと顔を上げた。
「喧嘩か? 」
その声で思案の淵から一気に現実に引き戻され黎はひたりと足を止め眉を顰める。喧嘩なぞ大きな街のこんなガラの悪い通りなら珍しいことでは無く、関わっても碌なことがない。
下手に仲裁に入って目立つのは今の彼女の立場上、百害あって一利無しだが、困った事に喧嘩は彼女の目指す方向で行われているようだ。回り道しても時間の無駄であるし、真冬の今、手に持っている昼食が冷めてしまう。
結局、関わり合いになりたくないが何とか避けて行けばいいか、と彼女は結論を出し再び足を踏み出した。
「……最悪」
黎は目的地を目前にして心底嫌そうに舌打ちした。そう、喧嘩の発生源はまさに饅頭屋の前。六、七人の男たちが殴り合っており、周囲を取り巻くように人だかりができていた。どうにも彼等は傭兵の類の様で、かなり酒が入っている様子であり何が原因でそうなったのかわからないがどうにも一人を他の連中が寄ってたかって殴っているらしい。
しかし、周囲の人間は黙って見るか野次を飛ばすかのどちらかで仲裁に入るものは誰もいない様子である……無理もない、あの中に喜んで飛び込んでいくのはただの阿呆としか言いようがない。
しかし。
「ありゃどうにかしないと、死人が出そうだな」
そんな無頼漢の一人や二人が勝手に死ぬのは別にかまわないが、昼食前にそんなもの見たくない。加えて彼女には奴らがぶつかったためか、一部破損している目の前の屋台で買い物をせねばならないという使命があった。
「だが……私はこの通りだし……」
そもそもできることならやりたくない。
溜息をついた時、彼女の手にぽんと掌が置かれた。
「ならオレが止めてやんよ」
彼女の頭上から響く聞き覚えの無い声。何とまあ狙い澄ましたかの様に声を掛けてきたものだと黎は思い、面を拝んでみようと声のした方を振り返り思わず目を見開く。
彼女の肩に肩を置いている人物、それは一目見ればその顔を忘れる事の出来ぬような奇妙な容姿の人物であった。
年齢は黎と同じくらいか少し上程度の青年である。
まず目を惹くのが髪の毛全体が隠れる様に巻かれた細い帯状の布だろうか。何故そうしているのかはわからないが、このように髪を覆う人間はこの国ではなかなか目にしない。
背の高さは舜水より少し高いぐらい、そして南方の生まれか、長期間滞在していたためなのか浅黒く日焼けした肌がこの北国では非常に目立つ。
服装は背に長剣を背負っている以外はごく普通であるが何から何まで目立つ男である。
そして何より、釣り目がちの三白眼と笑みの形に歪んだ唇の間から覗く八重歯……目を閉じて唇を噤んでいればなかなかの美丈夫であろうが恐ろしく人相が悪いのである。
釣り目がちの目なら舜水も同じであるがこうも抱かせる印象が異なるとは、と逆に黎は感心した。
「なあ小姐ちゃん、手前はどうしてほしい? 」
「……勝手にしろ」
凶悪な人相に反して実に人懐っこい言葉に黎はため息をついて吐き捨てて外套を目深にかぶる。あんまりな態度と言えばそうであるが、彼女は青年の力を振るいたくてしょうがないといった様子に呆れているようであり、彼とあまり関わり合いになりたくないと言った様子であった。
「じゃ、勝手にするわ」
その瞬間、彼の声色ががらりと変化した
実に楽しそうで凶悪さを秘めた声、黎の鼓膜がその声を捉えた時には彼の気配は消えており、視線を動かすとすでに彼は目の前の喧嘩に首を突っ込んでいた。
「多勢に無勢たぁ感心しねえなぁ?! 」
そんなことを叫びつつ、突然の闖入者に動揺した男たちの間に入る。
先ほど黎はこんな喧嘩の中に喜んで突っ込んでいく奴は阿呆くらいのものだと思ったのだが……どうやら目の前にその実例が一名存在しているようである。
しかし、あんなやり方をやってもどちらにしろ男たちの暴力の矛先が彼に変わるだけであろう。黎は呆れた様子で、もし駄目であるようだったら諦めるかと思っていたのだが次の瞬間彼女は信じられない光景を目にした。
「うわ……」
案の定、男たちの怒りは彼に向いたのだが、それからは速かった。
彼はにやり凶悪な笑みを深め、瞬間突っ込んできた男を半歩足を動かすことで避け……その腹に蹴りを叩き込んだ。男は奇妙な声を上げながら倒れ伏し、他の男たちの敵意が彼に集中する。しかし気にすることなく彼は殴られていた男の襟首をひっつかむと乱暴に遠くに投げ飛ばした。
それからは非常に速かった。青年は余裕に満ち、むしろ愉しむ様子で次々に男たちを地に沈めて行く。
背負った抜くことなく繰り広げる一方的な展開に黎は目を見張らざるを得なかった。
その明らかに我流の動きは力強く、そして速かった。
正面切っての格闘が得意でない黎は勿論、本気になったら舜水とも互角にやり合えるのではないか。
『阿呆ではあるが……とんでもなく強い』
黎はそんな感想を抱いた頃にはほとんど全てが終わっていた。さすがに何も思わぬわけでは無かったが、とっとと買い物を済ませようと彼女は歩を進めようとし、周囲の野次馬達も思い思いの場所に散ろうとしていた。その時、最後に残った男の襟首を掴んで吊るす青年の背後の男が身を起こすのを見た。
「……加勢する気はないがな」
その手に匕首が握られているのを見て、さすがに何もせぬわけにはいかぬと判断し、黎はトンと地を蹴って駆けだし始めた男の足を払いついでに首を力を加減して踏みつけて昏倒させた。
その動きはあまりに自然で普通ならたまたま、彼女の足に男が引っ掛かり、そして彼女は勢い余って男を踏んでしまったように見えるような動きであった。
青年も彼女が男の足を払った時点でその事態に気づいたらしく、男が意識を手放したことを確認して顔を上げた黎と目があった。一瞬黎は彼の眼がきらきらと輝いたような気がしたが、面倒なので無視し、ごく自然を装い屋台の影に隠れていた店主に金を渡し、饅頭を買って人ごみに紛れる様にその場を離れた。
待ち合わせの場所は先ほど別れた場所。
彼女は折角買ったばかりの昼食が冷えぬうちにと足早に人ごみをすり抜けるが、ひたりと足を止めて振り向かぬまま眉を顰め、再び歩き出した。
つかつかと早足で歩き、人ごみを複雑に縫うように不機嫌そうな表情なまましばらく歩き続けるが足を止めて苦虫を噛み潰したような表情になり溜息をついた後足を止めて振り返った。
「何の用だ? 」
彼女の視線の先にいたのは先ほどの青年。にこにこと笑っているその顔は人相の悪さに反して人懐っこい印象を与えるが、同時につけられていた黎になんとも言えない苛立ちを与えた。
「こんな通りを女一人で行くのはちと危険じゃねえか? 」
「問題ない」
明らかに何らかの目的を隠した様子の軽口を青年は叩く。先ほど彼女が通りを歩いていた時に追い払った男のような下心とはまた異なる目的の様子であるが何となく嫌な予感がする。
「なあ」
踵を返し、青年を無視するように歩きだす彼女に彼は困ったような表情を作った後再び声をかける。
「これが欲しいのならやるよ」
黎は無視こそしなかったが、振り向くことなく適当に焼き菓子の包みから一つそれを取り出し視線を動かすことなく背後に放り投げた。
「お、ありがと。これが欲しかった……じゃねえよ! 」
青年は喜んでそれを受け取り口に運びかけて、己自身につっこみを入れつつちゃっかりとそれを頬張りながら、隙ありとばかりに駆けだした彼女を追いかけた。
「……撒いたか? 」
黎は人の間を影のようにすり抜けて行き、そして広途に面した小道の壁に背を預けた。あれが単純な奴でよかった……と彼女は思い目深にかぶっていた外套を肩に下ろしつつ息を吐く。
は、と己の髪飾りがまだ付いているか不安になり、荷を右腕にまとめて落とさぬように左手を伸ばす。
……あった。
大きく安堵しながら先ほどの青年のことを思い出して舌打ちする。辺りを見回したがもう青年の姿は無く、完全に撒いたようである。
先ほど逃げる彼女に向かって叫んだ青年の声が脳裏によみがえる。
『オレと勝負してくれ! 』
先ほどの喧嘩も鑑みて奴はいわゆる戦闘狂に近い性質なのだろう。いちいちああいうのに付き合うつもりはないが、先ほどの喧嘩の時の動きにから興味を持たぬわけではなかった。
「……何と言うかありゃ何者なのかね」
気になるが関わり合いになりたくないな、とため息をつく。
「何にせよ、早く舜に会いたくなってきたな」
もう半日くらいたった気がするほど気疲れした彼女は青年が追ってきていないことをもう一度確認し、再び歩き出した。
「あ、黎! 」
待ち合わせの場所に黎が辿り着くと先に舜水が到着しており、彼は彼女に向かって手を振った。
「遅れてすまん」
どこか疲れた表情で、手を小さく振りつつ黎は微笑みつつ足を速めた。いつもどおりの幸せ、彼女は先ほどの青年のことも忘れそれに駆け寄ろうとした……その時。
――彼女の横を風が抜けた。
「貴様! 」
彼女は目を見開いて、その風を生んだ者を視界に映す。その正体は先ほどまでは完全に撒いたはずの青年、しかし彼は彼女に目もくれずもっと楽しいものを見つけたとばかりに舜水に躍りかかった。
その手には抜き身の剣が握られており、明らかに舜水に危害を加える気である。
舜水は一瞬何が起こったのか理解できずに目を見開くが、やるべきことは一つと腰の剣を抜き放ち距離を詰めつつある青年に向かって地を蹴った。
黎はその瞬間姿を現した青年の姿に驚き後れを取ってしまい、二人が切り結ぶのをその瞳に映し、息を呑む。
――何者だ奴は?!
今まで多くの猛者を見てきた彼女にとっても、そう思わざるを得ないほどその光景は見事であり、そして凄まじかった。
こうして青年と舜水と黎は出会った。
その出会いは決して普通とはいえず、実に殺伐としたものであった。
長い文章をお読みいただきありがとうございます。また今回も色々無茶した気がします。まだまだ長くかかりますが物語はゆっくり完結に向って進んでいく予定です。
御意見ご感想お待ちしています