四、暗夜と剣花
その者は待っていた。
闇に身を沈め、ただ標的が現われる時を。
全身を黒で包み、長い髪を頭の上の方で束ねている。
腰には苗刀に似た異国風の細長く湾曲した刀。
その佇まいは腰に佩いた刀と同じく研ぎ澄まされた鋭さを感じさせる。
闇にまぎれ気配を消しつつその者は考える。
標的も同業、視覚や聴覚で機を測っては遅すぎる。故に両目を閉じ、己の感覚を研ぎ澄ます。やがて草木が眠り始めた頃、彼の感覚に何かが引っ掛かる。
『発見、標的来たる』
目を開き、その感覚の出どころをたどり、注意深く標的を探す。
そして彼の眼は非常に気配が希薄ながらこちらに接近してくる何かを捉えた。
標的との距離は三十歩ほどか。
まだ遠すぎる。
潜む者は音を立てずに最適の瞬間に動くべく気配を殺し、身構える。
『今』
潜む者は地を蹴る。
髪が鞭のようにしなり、持主の動きを追う。
刀のつばを指で跳ね上げ柄を握り一気に距離を詰める。
――抜刀
居合とも呼ばれる素早い抜刀で標的、先ほどの暗殺者を斬り付ける。
しかし暗殺者はもうそこにはいない。身体をしならせ空中で身体を回転させつつ、暗殺者は刃を逃れる。
そして着地するや否や地を蹴り、匕首を手に潜む者に一足飛びで肉薄する。
互いの刃を合わせる音のみが響き渡る。
潜む者は斬撃に特化したその刀を振るい、暗殺者は縦横無尽な動きと匕首の軽さを武器に互いに一歩も譲らない。
何度斬り合ったのか正確な数が分らぬほどの音と刃の輝きが空間を支配する。
通常数合で決まるものであるが、全く形勢は揺らがず、埒が明かないと判断した二人は互いに距離をとり睨みあう。
じりじりと互いに間合いを測りつつ暗殺者は考える。
あの者が何者か分らない。
しかし、あの太刀筋……覚えがあるな、と
『あの得物……厄介だ』
見覚えがある無しに関わらず、あの人を斬るのに適した長刀は厄介である。
短剣である匕首との間合いの差は勿論、早めに勝負をつけないと強度の面でそこまで丈夫ではない匕首は折れる。
他にも得物はあるがあの長刀、あの刀捌きに対しては心許無い。
その時潜む者が身を低くして間合いを詰める。
突きこまれた刃を済んでのところでかわし、怯むことなく懐に飛び込む。
間合いの短さがもどかしい。
先ほどのように毒は塗っていないので刃でつける傷のみで相手を止めるしかない。
匕首の先は刀使いの腹を抉らんとするが、服の下の何かに阻まれ刃を引く。
鎖帷子のようなものを着ているようで、匕首の刃が少し欠けた。
だが、気にしている暇なぞない。
腕を引き己の腕を落とさんと振り下ろされた刃を回避する。
とんっ
そして振り下ろされた刃の上に音もなく着地しそれを踏み台に突貫を仕掛ける。
まるで軽業師のような動きに潜む者は僅かに目を見開く。
そして顔を覆う布が匕首に切り裂かれ顔が露わになる。
顔を隠す布の下から現われた顔は暗殺者にとって見たことのある顔。
「やはり貴様か。黒烏! 」
暗殺者は呻く様に相手の名を口にする。
その声に宿るは明らかな憎悪。
黒烏と呼ばれたその者は年のころ二十半ばの男。
硝子の様に何の感情も浮かぶことがないその眼は静かに細められ、呼び動作無しに背後からの匕首の一撃を防ぐ。
そして数合刃を合わせ二人は距離をとる。
「何故、貴様が? 」
「愚問。我は命に従うのみ」
暗殺者の疑問に黒烏は静かに何の感慨もなくそう答えた。
「なるほど。飼い犬が」
「肯定。だが貴様も同じ」
黒烏と暗殺者は同じ者の下に仕える暗殺者であった。
そしてかつて相対した因縁深い二人である。
黒烏は物心つく前より暗殺の術をたたきこまれた生粋の暗殺者。
対して暗殺者のほうはもともと剣の腕はあったものの、二年前に黒烏の所属する集団に組み込まれたにわかづくりの暗殺者。
そのためか、黒烏は情動というものに乏しく、ただ主に忠実。
暗殺者は、感情を押し殺しているだけで、主に憎悪すら抱いている。
主に忠実な彼は、暗殺者の存在を危険視していたが、手を出すことはなかった。
だが、現に殺意を持って黒烏は暗殺者に向かって刀を振るっている。
それの示すことはただ一つ。
――暗殺者が用済みということである。
『疑問。あの者を処分するには早過ぎるのでは』
『……貴方が関与することではないでしょう』
『御意』
黒烏が命を受けたとき、思わず問うたが主はそうそっけなく答えた。
ただ決定された予定を告げるがごとく。
彼は疑問を持つことはなかった。
前々からあの者の存在は危険と判断していたので、主が許可を出したので歓迎すべき物なのかもしれない。
その時黒烏が考えたのはそれだけだ。
あの者に後れをとるなぞ彼にはありえない話であった。
しかし、その彼の予想は脆くも崩れ去る。
まず、相手の身体に刃が届かない。
それどころか彼は鎖帷子に阻まれたものの腹に一撃、顔は布を引き剥がす目的であったものの一撃食らっている。
確かに彼は刀の特性、重さと切れ味を最大限に生かし、通常では考えられない速さと正確さで刀を振るうことができる。
しかし、それは相手とて同じ。
間合いの短い匕首の軽さと、前より上昇した速さと正確性を十分に利用し一撃を加える時も陽動の数撃でこちらに剣の軌道を読ませないようにしている。
まるで幻影を相手にしているような錯覚に陥る。
その動きを維持するため相手は防具を身につけておらず、一太刀でも浴びせれればよいのだが……
実に厄介。長期戦ではこちらが有利だが、早く済ませたいところである。
その時、二人の間に張りつめていた均衡が崩れ、暗殺者が動き出す。
『不審。諦めたのか? 』
馬鹿のように一直線に進んできた相手を不審に思いつつも、一度鞘に収めた刀を再び抜刀しその勢いに任せ刃を縦横無尽に振るう。
暗殺者のいた空間は細切れに切り刻まれる。
『迂闊』
暗殺者の姿が陽炎の様に消え失せ、斬り裂かれたのは布のみ。
布は細切れになり風に乗ってどこかへ消える。
しかし黒烏はそれに怯む存在ではない。
後ろに気配を感じいつの間にやら背後に回った標的の刃を受け止め勢いに任せて払う。
匕首に彼の長い髪の先が一寸ほど舞い落ちる。
斬られた髪が地に落ちる前に暗殺者の斬撃が押し寄せる。
白銀と白銀がぶつかり合う。
より速くより速く。
より鋭くより鋭く。
一方は相手を斬らんとその長き刃を力強く同時に鋭く。
もう一方は相手を突き刺さんとその短き刃を速く同時に幻影のように。
ただ目の前の敵を排除せんと。
太刀筋など、もはや見えない。
月明かりに刃が反射し軌跡を残すのみ。
そしてその中で金属の折れる澄んだ音が響き渡り、斬撃の応酬が終わりを告げる。
折れたのは匕首。
根元から折れた刃は闇に煌きながら乾いた音とともに地面に落ちる。
背後にまわりし一方が刃をもう一方の首筋に這わせる。
勝負がついたのは明白であった。
「……勝負がついたようですね」
二つの闇が刃を交えた場所より四半里ほど離れた森の木の上で男は静かに目を開ける。
通常見えるはずのない、その位置からでも彼には勝負がついたことを明確に感じることができた。
その顔に浮かぶは笑み。
先の二人とは真逆ともいえる表情ではあるが、どこか似通っているそんな表情。
予想通りというかなんというか、こういう結果もまあ面白い。
全ては彼の掌の上である。
「さて、それでは横槍を入れに参りますか」
そう呟き、音もなく木から下りたかと思うと、一瞬にしてその姿をくらませた。
――彼の名は夜に哭く者、夜哭という。
恋愛ものは苦手ですがこれはどう見てもダークファンタジー……
暗殺者の名はワザと出してませんので突っ込まないでください。
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