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華と剣―fencer and assassin―  作者: 鋼玉
第三章 払暁策謀
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三十六、光陰克夜


――黎達が出立した日の朝、祷州の街、北鶴。


「シュン、大丈夫かな」

桃色の花模様の描かれたわたいれを羽織り、栗色のふわふわした髪を一括りにした胡人の少女、鷹姫は竈に火を入れつつ口を開く。

「ま、そう簡単にくたばるやつじゃないだろうねぇ」

そばで野菜を刻んでいた手を止めて、髪の一部を紅く染めた妖艶な女、紅蘭がからからと笑った。今この建物、紅蘭の経営する酒楼である紅華楼には二人しかいない。

鵬の人間が去っていき、黒烏に荒らされたせいでしばしの休業を余儀なくされたため他の娘たちにも暇を出した。

「芙蓉はそうは思わないのかい? 」

その言葉に鷹姫は琥珀色の眼を瞬かせて苦笑する。

彼女のこの国での名前は二つある。

一つは鵬の弓手としての名、鷹姫。

一つは彼女の叔母である紅蘭がつけてくれた名、芙蓉。

彼女は美しい花である芙蓉の名の方が好きなのだが読んでくれるのは紅蘭ぐらいである。

ちなみに姉と呼ばせるのは紅蘭の趣味であるらしい。


「そりゃあ……シュンは……強いもの。信じてるわ」

火加減を調整しようと竹筒を取り出しつつ彼女は肯定する。

しかし言葉とは裏腹に彼女の顔はどこか不安がないまぜにされているものであった。

「…………あの女だね」

「うん。あのレイとか言う女……危険だと思う」

鷹姫は怒っていた。

黎が事情があれど黒烏と鵬を襲ったこと。

舜水に刃をむけたこと。

そして突然失踪し、舜水を危険に巻き込んだこと。

何より……

「舜水、葵沃がそれをすべて許したことが……許せないってわけね」

どうやら口に出してしまっていたらしい。紅蘭はにやにやと笑いつつ鷹姫の顔をじっと見る。鷹姫はそんな彼女の様子に眉間に皺を刻んでぷいとそっぽを向いた。

「でも……」

「まあ、嫉妬するのは構わないと思うわよ。あの二人の間を裂くのは厳しいと思うけど」

どうやらすべてお見通しらしい。確かに鷹姫の心中のもやもやとした苛立ちは嫉妬というのが最も近いだろう。

紅蘭は今では酒楼を営むもののもとは妓女、色恋沙汰にかけては鷹姫より数枚上手だ。おまけに非常に勘が鋭いと来れば彼女に勝ち目はない。

「そりゃあ分かってるよ……でも」

鷹姫もあの二人の仲が簡単には裂けないであろうことはよく分かっている。そもそも和解の後の突然の逃走というある意味裏切りに近いことをされて、平然と追いかけるといった舜水の顔を見れば嫌でも思い知らされた。

「若いっていいわねぇ」

思い悩みつつ火を起こす鷹姫をよそに切り刻んだ野菜を鍋に放り込みながら紅蘭は鼻歌を歌う。

彼女とて今は義慶と離れ離れ、寂しくないわけがない。

だが大逆人である彼に惚れた時からそれは覚悟できているのだ。

あの二人、共に大逆人。

ほんの小さな失敗が死へとつながるであろう二人はこれからどんな道を歩むのだろうか。

紅蘭はまた会えるという強い確信を抱きながら、今それより懸念すべきことを思う。


「芙蓉、あんた最近変だわ」

鍋に水を加え終わった紅蘭は、火が起こしてあることを確認しつつ不意に呟く。

その顔はいつの間にか真剣なものとなっている。

「そんなことない……」

鷹姫は何のことかわからないといった様子で竹筒を握りしめ紅蘭に場所を譲る。

表情を変えていないつもりであったが、僅かに苦々しい色の混ざるそれを紅蘭は見逃さなかった。

「やっぱり、あの時からよね」

「わかってるわよ! ハギョクにも言われたもの」

黒烏を討った時から弓を持つのが怖くなっていた。

それは初めて自分の矢で人を死に追いやったことへの恐怖。

今でも時折、追い詰められ瀕死の重傷を負った黒烏が凄絶な笑みを浮かべて自決した光景を夢に見る。

覇玉に悩みを打ち明けた時、存分に悩め、嫌なら逃げろと言われた。

肯定するわけでも否定するものでもない、それでいて彼なりの優しさのこもるもの。

それは彼女の心にわずかながら救いを与えた。

しかし……

「で、答えはどうなの? 」

紅蘭はそんな彼女に遠慮することなくさらに問う。

身内だから、実の妹のように思っているからこそ他人よりも深く踏み込める。

だから少し荒っぽくとも前に進めるように背中を押してやれるのだ。



「うん……やっぱり弓は持ちたい。皆が戦うのに自分だけぬくぬく生きているのはイヤ」

しばし俯いた後に鷹姫は力強く告げる。

「そ、あんたが決めたことだから……応援するわ」

鍋をかきまぜる手を止め、傍らに立つ彼女の頭に手を乗せてくしゃくしゃと撫でる。

鷹姫はそれを少しくすぐったそうに目を細めつつも受け入れ、白い歯を出して笑った。


「とにかく待つとしようか。あの二人が元気な顔を見せるのを」

「うんっ」


そう言って笑い合う二人は本当の姉妹のようであった。






――再び皓州、遼明。


「いるのは分かっている。出てこい」

暗い路地をしばらく言った四つ辻、そこに立つ三つの影。

殺伐とした空気の中でそのうちの一人、黎はだれともなく言い放った。

その右手は前に立つ人物、夜哭党の男の首筋に刃を押し当てている。

男は当然動かず、黎の背中を守るように後ろを歩いていた舜水は剣の柄に指を添えた。


しかし反応はない。

黎は僅かに眉間に皺を寄せてため息をついた。

男に謀られたわけではない。確かにこの近辺に何者かが潜んでいるのは確かに感じられた。

しかし出てこない。

「どうする? 」

舜水の問いに、彼女はただ唇の端を釣り上げた。


瞬間彼女は口から舌打ちのような音を出す。

舜水はそれが符丁であることは分かっても何を言ったのか分からなかった。

しかし、それは彼らを包む静寂の闇に確かに変化を生んだ。

結論からいえば屋根の上などに隠れていたのだろう。

そこには七人ほどの黒い影が立っていた。


「久しいな、啼鵲。実に用心深いことだ」

符丁は夜哭党の間で交わされる、合い言葉の様なもの。

彼等は一応相手が黎であるかを確かめるために、彼女が符丁を刻むのを待っていたのだ。

黎は自らが人質に取った男の背後から、現れた禿頭に暗色の布を巻いた一人の男に優雅に、そして残酷な笑みを向けた。

しかし、その相手である夜哭党の暗殺者達は特に表情に変化を見せない。

舜水は彼らの動きに細心の注意を払うが、同時に思う。

こいつら本当に人形みたいだな、と。

森の中でもどれだけ斬られようと顔色一つ変えず向かってきたときにも同じ感想を抱いた。

己らの主を殺した人間がいるのに誰一人も感情を露わにしない彼らを不気味に思った。


「こいつは返そう」

黎も舜水と同じことを考えたらしく不快そうに舌打ちした後、男の首から刃を離し、その背中を半ば乱暴に蹴った。

「いいのか? 」

転びながらも男が仲間の元に戻るのを見て、舜水は彼女の傍に寄りつつ声を殺して問う。

「だってこいつらに人質は通じないし」

決して警戒を怠らず黎はそう言って肩をすくめ、彼らを敵意のこもった眼で睨む。

「……今更何の用があってきた? 」

問いかけた声は舜水に対するものと打って変わり、氷のように冷たく鋭いものであった。


そんな様子を啼鵲は感情のこもらぬ目で見つめる。

敵意を向けようが友好的な態度で来ようが彼にとって対して変わりはない。

それは他の暗殺者とて同じ。彼等はただ幼少より主に仕え、命じられた相手を殺すための道具として育てられたのだ。

彼の両脇にはつき従うかのようにほとんど同一の顔を持つ二人の男がいた。

三人とも黎が夜哭の屋敷で戦い、彼女を苦戦させた相手である。

双子の片割れは黎によって瀕死の重傷を負わされたのだが、どうやら一命を取り留めたらしい。黎は彼らを見て今の夜哭党は実質啼鵲を頭に置き、それを双子が補佐しているのだろうと断じる。

そのとき三人、そして夜哭党の面々は何かを確認する様に互いに視線を交わした。



「答えろ」

結果となって黎の言葉が合図となった。

夜哭党の暗殺者達は動く。




黙したまま一糸乱れぬ動きで彼等は…………








ただ静かに叩頭した。


「御迎えに参じました。夜哭様」

滅多に言葉を発しない啼鵲は頭を垂れながら静かに告げた。

黎ははじめから分かっていたかのように、舌打ちをした。









――二日前


「そう、これは……夜哭党党首、夜哭の証だ」

佩玉の意味を悟った彼女は思わず卓子(つくえ)それを叩きつけつつ絞り出すように呟いた。

その眼には怒りとも憎しみともつかない激しい感情が見え隠れしていた。

「……本当か? 」

腹にまだ癒えていない傷を持つ彼女に代って勢い余って床に転がったそれを拾い上げつつ、舜水はそれをまじまじと観察する。


中心に穴のあいた黒い石には月に向かって吠える獣、裏側には王の紋章を反転させた彫刻が施されている。

確かに……そうかもしれない。


「一度だけな、奴が私に見せたことがあるんだ」

今になってもありありと思い出せる。

あれは彼女が何度目かの憎悪を口にした時のことだ。

夜哭は彼女に何かを投げ渡しつつ言った。

『それは私が夜哭であることの証。それをたたき壊せば夜哭という名は消えるでしょう』

夜哭の名を壊したいのなら壊せばいい、夜哭はそう言って彼女に微笑みかけた。

彼女はそれを握りしめ、すぐにそれを投げ返した。

『私が憎いのは名前ではない。貴様自身だ』

迷う必要なぞなかった。

それを砕けば目の前の男が死ぬのなら喜んで砕こう。

しかし実際は砕いたところで奴は死ぬはずがない。

確かに夜哭の名も消してしまいたいが最も憎いのはもちろん目の前にいる男とそれにつき従う暗殺者……そして王。

『よい答えです』

投げ返されたそれを受け取りつつ夜哭は実に満足そうに笑い、彼女に次の仕事を伝え去って行った。

それ以後、佩玉については夜哭が口にすることはなかったが彼女は佩玉のことを忘れることはなかった。



「そう、奴の託したもの……それは夜哭党自身」

どうするかは貴方に任せます。

夜哭の今際の際の言葉が蘇り彼女は唇を噛み締めた。

「全くもって死んでからも不快な男だ」

口の中に広がる血の味を味わいつつ黎は苦笑した。

しかし、その眼には涙が浮かんでいた。

最も憎んでいた名前を与えられ、それに伴う全てを押しつける、夜哭は実に性格が悪い。

殺した者の責任といえばそれまでだが彼女の心は後悔と行き場の無い憎しみで張り裂けそうであった。

そんな黎に舜水はただ抱きしめてやることしかできなかったし、黎は彼の胸に身体を預けるしかできなかった。



結局彼女はあの時、その事実に対してそれ以上は語らなかった。

夜哭を継ぐのか。

夜哭を捨てるのか。

そして憎しみの炎の燃え盛るままに夜哭党を滅ぼすのか。

突然判明した事実で頭が真っ白で何も考えられなかったのだろう。

ただ舜水は彼女を信じていた。

何と言っても彼は彼女を半身のように感じそして深く愛しているのだから。





――そして今。


「本当に貴様らは道具なんだな。夜哭の名が重要であり、中の者が誰であろうと構わない……哀れだな」

黎はゆっくりと啼鵲の元に歩み寄り、自嘲気味に笑って彼らを見下ろす。

夜哭はどのような気持ちだったのだろう。

彼自身ではなく彼の冠する名のみに仕える者達……虚しくはならなかったのだろうか。

「我々はそう教育されておりますので」

啼鵲から返ってきたのはこれほどと言っていいほど予想通りの答え。

黎はそれを軽蔑とどこか憐れみを持った眼で見つめる。

――だからか。

だからこそ夜哭は黎に対して意味深な態度を取り続けた。

彼女は夜哭の名ではなく、その者を憎んだから。

夜哭は彼女に対し何かを思った。


舜水も彼らの様子に吐き気の様なものを感じていた。

目の前の黒い男たちが人の皮をかぶった得体のしれない生き物のように見える。

この様な人間は彼らも見たことはある。

しかし、ここまで人間性を失うことができるものなのか……

その時、剣の柄に掛けられていた彼の手に黎の指先がそっと載せられる。

その指は震えていた。

気丈に、弱みを見せないように相対しているものの彼女とて怖いのだ。

舜水はその指先に自分の指をそっと絡めた。



「……貴様らは私の命なら何でも聞くのか? 」

「はい」

しばしの沈黙ののち不意に黎は口を開く。

その眼には冷たくかつ激しい光を宿し、冷酷な笑みを浮かべていた。

舜水は彼女を心配そうに見つめるがただ彼女は大丈夫、と呟いた。

しかし、次の一瞬、舜水の眼は驚愕に開かれる。



表情を崩さぬまま彼女は啼鵲の頭を強く踏みつける。

啼鵲はそれに抵抗をせず、横を向く形で地面に頬を擦りつけた。



舜水はあまりの事態に彼女を止めようとするがすでに遅し。

一瞬にして彼の指に絡めていた指を解き、彼の腰の剣を抜き放った。


「大人しく殺されろ、と言ってもか? 」


啼鵲の首にぴたりと剣先をあてがい、残酷な笑みを浮かべる黎。

その言葉の端々から滲み出る殺意はその言葉が本気であることをこの場にいる全員に伝えていた。


「御意」


恐れも諦めも怒りも悲しみもなく。

まるで揺らがぬ答えを持つ数式の様に。

啼鵲はそれに対し淡々と答えた。




長い分をお読みいただきありがとうございます。

前半はついつい鷹姫と紅蘭を出してしまいました。それにしても登場人物、一体何人になるんでしょう……

話の流れ上名前を付けることも多いのでかなりとんでもない数に。

そして夜哭の遺したもの、彼の性格の悪さがありありと出ています。そして黎も……たまに悪役に見えてくる主人公……これから話をどう転がしていきましょうかね……

御意見御感想お待ちしています。


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