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華と剣―fencer and assassin―  作者: 鋼玉
第三章 払暁策謀
32/50

三十二、比翼流転

復讐を終え、黎と舜水はしばしその傷を癒す時が必要とされた。

痛みと不自由に耐えねばならない時であったがそれが二人にとって紛れもない平穏の時であった。

それが儚いものであるのは二人とも分かっていた。


今、ほんの一瞬だけでも共に在れる幸運。

二人にとってそれで充分なのだ。


――五日後

「本当に……済まん」

黎は舜水の支えを少し借りて、傷に気を配りつつ上体を起こす。


(ながいす)上に寝かされること五日。

まだ途切れ途切れではあるものの、会話は何とか途中でへばらなくなり、何とか身を起こすことができるようになった。嬰も経過は順調とは評していたがまだ歩くことは念のためと許可はしていない。

しかし黎の性格上、かなり我慢ならなかったらしく三日目ぐらいに榻を降り部屋を出ようとしたところで嬰に見つかり大目玉を食らった。

そして彼の指示で蛛露に傷に影響がない程度に丸一日拘束されて榻に転がされることとなった。結構容赦のない二人である。むしろ怪我人にその仕打ちは鬼と言ってもいい。

舜水と戒瑜の方はもともと丈夫にできているためか順調に回復し、嬰は治療はほぼ終わりあとは本人の判断に任せると告げた。

舜水は当然黎の面倒をみるために残り、戒瑜は容赦のない二人とどうにも入りにくい二人の板挟みに辟易したのか二日前に宿屋に戻り、時折様子見に来る程度だ。


「気にすんな。お前との仲じゃないか」

五日前に彼女が呟いた言葉をそっくり返しつつ、榻の傍に置いた椅子に腰かけた舜水は彼女を支える手を放して、卓子(つくえ)の上に置いた粥の入った椀を手に取る。

それを見て黎は彼の行動が読めたのかその椀を彼の手から奪おうと手を伸ばすが、舜水は愉しそうに笑いその手の届かないところに椀を持っていく、彼女はしばらく何とかして奪い取ろうとしたがついに諦めたように手をおろした。

「……一応……手はほとんど……回復しているんだが」

「まあまあ。たまにはこういうのも悪くないだろう? 」

彼女の呟きを受け流し、粥を匙で掬って軽く冷ましてから彼女の口許に持っていく。

その顔はおそらく鵬の人間をはじめとした彼と親しいものでさえも目を疑うような表情である。彼の性格上それがずっと続くとは思えないが、とにかく今は嬉しくてしょうがないのだろう。

「…………本当にたまになら……嬉しいかもしれない」

促されるままに粥を口に含みゆっくりと噛み潰して飲み込みつつ彼女はぼそりと呟く。

「……だけど……何となく己が情けなくなる。昔から……女々しいのが嫌いだったの、覚えているだろう」

言葉こそ冷静ではあるが彼女の顔は耳まで赤い。舜水と黎、二人とも色恋沙汰に関しては本当に最悪ともいえるほど不器用だが、ことさら黎の方は輪をかけて不器用であるようである。

「……そうだったな。だけどさ、人に頼れる時は頼った方がいいと思うぞ」

いつか俺の方も頼ればそれでチャラだ、といって彼は彼女にさらに匙を勧めつつ片目を閉じる。彼女はゆっくりとその匙に掬われた物を口に含んでいくが、その顔はどこか困惑の色に満ちている。

「でも……」

「とにかく今は早く体を治せ。そうすれば頼らなく手も済むぞ」

そのためには早く直さないと、と舜水は匙を椀に浸けて粥を掬い彼女に差し出した。

彼女はそうさせてもらう、といって苦笑した。


しばしゆっくりと食事を続け丁度それが終わったころであっただろうか。

その時ちょうど二人は廊下の方から近づいてくる話し声を捉えた。




「あ、お二人さんともここにいたか」

「ここにというか、片時も離れやしない」

「全く禮爾様と離れ離れな私にとっては殺意が沸きますわ」

まず顔を出したのは戒瑜、あきれた様子で現われたのが嬰。そして皮肉に満ちた物言いで現われたのは蛛露である。

蛛露は手で糸玉を弄びながら、戒瑜は英雄殿も形無しだな、とこっそりつぶやきつつ部屋に入ってくる。嬰はただ二人のあとを特に目立つ様子はなく入ってくる。

「戒瑜殿」

「聞こえてるぞ。で、どうしたんだ? 何か改まった様子だが」

黎は腕で身体の向きを変えつつ、舜水は空になった椀を卓子に置きつつ立ち上がり三人の方に向き直る。そんな先ほど廊下で聞こえていた会話と打って変わった冷静な様子とその切り替えのあまりの速さに戒瑜はわずかに怯むが、すぐに口を開く。


「得物も新調したし、そろそろ仲間のもとへ帰ろうかと思ってな」

一応顔を出すべきかと思ってと彼は右目を細める。よく見れば彼の背には槍らしきものが背負われていた。

舜水はその言葉にそうか、と微笑む。

「お前も一応頭だしな」

「一応って結構奴らをまとめるの大変なんだぞ。さすがにあまり置いてきぼりにするのも心配だし」

そう言って二人は笑い合う。

そして笑い終わった戒瑜の顔は統率者としての頼もしい表情を纏っている。

彼には盗賊団が解体されてもなお彼についてきた仲間がいる。にもかかわらず彼は舜水に受けた借りを返すため、内心ではあまりに無茶な行動を心配して彼に手を貸したのだった。

だからできるだけ早く帰らねばならない。


「……もし、気が向いたら鵬に来ないか? 」

舜水は不意に思いついたように戒瑜に提案する。彼の与する鵬に今、必要なのはただ一つ、力。黒烏と黎によって蹂躙された彼等にはそれが必要であった。

数を減らしたと言え戒瑜達はかつて州師とも渡り合った集団。

鵬にとっては非常に魅力的な人材だ。そして一番に戒瑜、彼は森での動きをみる限り彼の実力は目を見張るものがあった。

「答えは出せん……奴らの命にもかかわることだしな」

しかし、戒瑜は首を縦に振らなかった。

彼がその誘いについてどう考えたのかはわからないが彼にとって、仲間の命は大切なものであり、自分の一存で彼らの進展にかかわることは決定できない。

「だが……お前とはまた再会したいな。友よ」

笑みを浮かべつつ彼は右手を差し出す。

「ああ、たぶんできるさ。本当にこんな無茶につきあってくれてありがとうな」

舜水はがしっとその手を力強く握り返した。

「息災を祈る」

「死ぬんじゃないぞ」

交互に言って一際手を強く握り放す。


「黎さん、あんたも舜と幸せに」

「貴方も。えっと……その…………済まない」

黎に向かって告げる戒瑜に黎は微笑んだあと非常に申し訳なさそうに頭を下げる。

彼の怪我は彼女に比べればはるかにましだが実に酷いもので、おそらく未だ顔の左半分を覆う包帯を見るとおそらく顔に傷が残るだろう。

「まあ、文句言いたいのは山々なんだが……もう済んだことだ」

顔を合わせる度に謝られるとこっちが申し訳なくなる、と苦笑する。

「そう言ってくれると嬉しい。いつかまたお会いしたいものだ」

「その時は彼と一緒にな。簡単に別れんじゃないぞ」

「ああ、勿論」

そういって黎と戒瑜は小さく手を打ち合わせた。



「じゃ、残る御二方もお元気で。嬰さん、本当に助かった。礼を言う」

「できることをしただけだ」

彼はそう言って最後に蛛露に告げる。

「二度と会わないことを願う」

「からかいがいのあって面白かったのに……まあそれが良いですわね」

その言葉に戒瑜は正直嫌そうに唇の端を釣り上げた。


こうして舜水にとってかつて敵であり、そして友となった戒瑜は彼らの前から去って行った。


彼と二人が再開するか否か、それはこの時点では不明である。





「そろそろ歩くことを許可する」

戒瑜が去った次の日に嬰は傷の治癒の様子と黎の体調を確認して杖を手渡した。

彼女はその使い込まれて飴色になったそれをそっと拾い上げ、僅かに眉をひそめる。

「四日前はとても許可できなかったがこの具合なら大丈夫だろう。足にはそれほど重大な損傷がないからすぐに歩けるようになろう。葵沃の手を借りて少しずつ慣らせ」

黎は告げることのみ告げて自室に戻る彼の背中を見送りながら不意に思う。

何故ほかに怪我人が運ばれてこないのだろうか。

彼は確かに闇医者の類なのかもしれないが、もしかしたら今は廃業しているのかと思った。ただ今回は旧知の蛛露の頼みで己を引き受けているのかもしれない。

しかしそれは聞く必要もつもりもない。

ただ彼を感謝するのみだ。

「良かったな」

そんな思考を遮って舜水が杖に触れつつ目を細める。

黎は舜水の本当に嬉しそうな顔を見てただありがとう、という。

「うん、四日前に蛛露に簀巻きにされかけた時を考えたら夢みただ。歩かないと足が鈍ってしまうから」

確かな重みを伴う杖の握りは非常に滑らかで使い込まれていることが分かる。前の持ち主は嬰か、それとも……

そう思いつつ、彼女は杖をついてゆっくりと足を下ろしていく。

途中腹が痛んだが体勢を変えるとだいぶ楽になった。

「大丈夫か? 」

「立つだけは……自分で…………」

杖を握る手と足に力を入れゆっくりと全身を持ち上げる。

初めの二回は思うほか足が萎えていたために上手くいかなかったが三度目で何とか成功した。

「よしっ」

「やっ、た」

立ち上がり、安定した瞬間に二人は顔を見合せた。

そして黎は一歩一歩ゆっくりと歩みだす。

初めは弱りきった足のせいでうまく歩けなかったものの次第にその歩みは確かなものになっていく。

身体の痛みはまだ消えず。しかし、少しずつ回復しつつあった。

その歩みは初めは部屋の中に留まるものであったが、だんだんと廊下へ出ることができるようになった。途中厨房に蛛露と嬰がいたようであったが二人は特に気にすることはない。

時折言葉を交わし、自分で歩くと強がる黎に舜水は苦笑し構うことなく彼女の肩を支える。

彼女は何か言いたげであったが、決して引かない彼にため息をつきつつもどこか嬉しそうである。

さほど長くない廊下を歩き、戸口で折り返し再び部屋まで戻る。それを3回ほど繰り返した後肩で息をつきつつ榻に腰かけた黎の顔は疲れた様子だったが、その心中は僅かな全身に対する満足感があった。

「ずいぶん……鈍ったもの……だ」

「お疲れさま」

その左隣に舜水は腰掛けつつ彼女をねぎらう。


「舜も……大分傷が…………治ったみたいだな……」

「まあな。もともと傷だらけとはいえ酷い傷は負っていなかったからな」

彼女はそう言って彼の治りかけた頬の傷に沿い、かつ触れないように指を這わせる。

彼はもうほとんど怪我は癒えつつあり包帯が取れている部分も多い。しかしまだ傷の多い左腕や、黎ほどではないものも切り傷のある胴はまだまだ包帯は取れていない。

「……痛そうだ」

「お前ほどじゃないさ」

「舜が……助けに来て……くれて……本当に嬉しかった…………」

「……その前に……やったこと……ら……信じられなかった」

一旦言葉を切りつつも、彼の右肩に寄り掛かりつつ黎は静かに呟く。


舜水は彼女の肩に腕を回しつつ苦笑する。

彼女は確かに言い訳の仕様の無いことをやってしまった。

彼はそれを忘れることはないだろう。しかし許さないかと言うと話は別だ。

「いちいち気に病まなくていい。そもそもお前を許す気がなかったら多分助けに行かなかっただろうし」

「そっか……」

間近に感じる彼の気配に安らぎを覚えつつ目を閉じる。

確かに並の女のように甘えるのは苦手であるし己がそうすることを考えると正直言って虫唾が走る。だが……彼ならそれもありか、と彼女は思った。

「……そういえば……祷州で舜……言ったじゃない……旅に出ようって」

「ああ、言ったよ」

舜水も疲れたのか目を閉じつつ答える。

そういえばあの時、彼女は考えておくといっただけだったか。

「……まともに動けるように…………なったら……すぐにでも行こう」

「本当か」

眠気も一気に吹っ飛んだのか舜水は目を開け彼女の顔を見る。彼女もゆっくりと目を開け彼を見つめる。その眼はどこまでも真っ直ぐでとても嘘を言っているように見えなかった。

「……いずれ争いが始まる……なら…………すぐにでも行った方がいい」

彼女も彼自身のことはよく分かっている。つまりそれは彼のあの提案の裏に込めた想いも全て受け入れると同義。しかし、その思いは彼女自身も望んでいた。

「色々なものを……見て回りたい……雪娥達のお墓にも……参りたい」

彼女はそう言って床を見つめる。床には西日が射し窓の格子の形に影ができていた。

「戦乱に呑まれる前に、ってわけか」

彼にとって彼女の言葉は思わず小躍りしたくなるくらいに嬉しい。しかし、その裏にある己らに迫る状況を鑑みるとあまり喜べるものでない。

「どうせ私たちには…………平穏な時間はそう……残されていない。だから……」


そう言って彼の肩に体を預けつつ目を閉じただ一言だけ呟く。

「愛する舜と一緒にいたい」

その短い間だけでも。

戦乱が本格的に始まればどうなるのかわからないから。

その言葉に舜水は愛おしさか不安からか。

静かに目を閉じ彼女の背に回した手を彼女の傷に障らぬように気を配るかのように優しく引きよせた。


この時点で二人は無意識のうちにこの先の進展を決める二つのものを思考の外に締め出していた。


蛛露の提案。

――そして夜哭が彼女に遺せしもの


それはまだ水面下で黙したまま。







「あの二人、頑張っているようですわね」

嬰の家の厨房の竈に背を預けつつ手に持った糸玉をほぐし綾取りをしながら蛛露は微笑む。

彼女の耳には黎と舜水のやり取りが比較的はっきりと聞こえていた。

「相変わらずの地獄耳だな。あまり趣味が良いとは言えない」

「しょうがないですわよ。貴方もわかっているでしょう」


卓子の横に置いた椅子に腰かけ呆れた様子の嬰に彼女は苦笑する。

その指の動きはさらに複雑化し指の間に張り巡らされた糸は不思議な図形を生み出す。

「それに指先に集中すれば、少しは聞こえなくなるわ」

ほら、鶴よ、そう言って彼女は嬰に指の間にできた図形を見せる。

なるほど、確かに見事に鶴の形になっている。

「器用だな。それ、ほどけるのか? 」

嬰の言葉通り、見たところかなり細い糸を使ってできているため、ほどこうとすればいかにも絡まりそうな形をしている。

「ほどけますわよ」

小さく鼻を鳴らして彼女は数度指を動かす。

すると糸は形を崩し元の伸びた状態に戻る。

「それにしても貴方、あの二人に対する態度見ると未だ吹っ切れてないのね」

再び複雑に指を動かし始めつつ彼女は口の端をにいっと吊り上げる。

嬰はその言葉にピンと片眉を跳ね上げるが何も言わない。

睡花(すいか)のこと。貴方あの二人を昔の自分と彼女に重ね合わせているように私には見えますわ」

睡花という名前を出され嬰は小さく肩を震わせ、小さく舌打ちした。

「お前には関係ないこと。事実それが今後障害となることはないだろう? 」

淡々と、しかし感情を押し殺すかのように唇を噛みしめつつ彼は答える。

過去、思い出したくもないが、決して忘れるわけにいかぬ忌まわしいもの。どんなにあがいても失われたものは戻ることはない。確かに、彼女の言うことは図星であった。

しかしそれは個人的なことであり、あの二人には関係がない。

「それもそうですわね……貴方は結局あの二人の今後はどうなると思うかしら? 」

綾取りをやめ、彼女は不意にそんなことを嬰に問う。その言葉は単に興味からくるものとも彼を試すものとも取れる。しかし彼女の表情は髪に隠れてほとんど読み取ることができない。

「剣客と暗殺者、か……実に殺伐とした組み合わせだ。しかし……」

「お互いの絆が限りなく強いことが救いですわね」

彼女の言葉に嬰は静かに頷く。その顔には薄い笑みが張り付いていた。決して切ることのできない絆、それが彼らの救いになってくれればよいのだが。それがこの国にどういう影響を及ぼすかは知ったことではない。

「せいぜい俺にできることは怪我を治療してやることぐらいだ」

すでに己は戻ることができない。ただできるのは持てる技術で治療を施すのみ。

「ま、私は彼らを巻き込んでしまうですけど」

罪悪感はあれどこちらにも事情はありますし、といって彼女は唇を歪める。そう、彼女はある意図を持って舜水の協力を得ようとしているのだ。彼女は二人をそっとしておきたい気持ちもないことにはないのだが立場と感情的に主の命を優先するのだ。


「俺にそれを責める権利はないさ」

嬰はそう言って何かを想うかのように両の眼を閉じた。




――互いの想いは静かに語の書にまるで機を織る様に物語を刻む。

――静かに流転する運命、一時の停滞

――それが動き出す時は……


長い文章をお読みいただきありがとうございました。今回は話は大きく動かない回です。日数は結構経ったし、戒瑜は一旦退場しますが。実はもう少し進めたかったですが文字数がかなり増えそうなので。黎と舜水はどっちかというと黎の方が不器用。二人とも年齢考えると不器用にもほどがありますが……御意見御感想お待ちしています

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