二十六、紅滴双璧
――全ては二年前の復讐のために
黒い影が地を駆け振るわれる刃を縫うように鉈が舞う。
夜哭党の暗殺者は残り四名。
双子の片割れは黎によって斬られたが鎖帷子をつけていたためそれほどひどくは無い。
彼は僅かに眉を顰めただけで、刀を手に再び地を蹴る
――奇妙なことに夜哭は動かない
横目に夜哭を見やり黎は眉を顰める。
しかし気にしている暇は無く、彼女は左手に鉈、右手に黒剣を持ち交差させる。
顔から表情が消えるにつれその眼がすうっと細められ狩るべき獲物の姿を捉える。
ザッ
彼の眼には彼女が瞬間的に移動したように見えた。
風を切る音とともに首元を鉈が通り過ぎ、皮一枚が真一文字に裂ける。
一瞬遅れたら危なかった。
彼は息をのみつつ身を反らし短剣で鉈を受け身体をひねり逆袈裟に長刀を振るう。
黎はそれをやすやすとかわし背後より迫った双子のもう一人の片割れの刀と啼鵲の放った矢を払う。
そのまま続けて振るわれる短剣をくぐり抜けその顎下に蹴りを叩き込んだ。
「ぐっ」
いかに幼少より育て上げられた暗殺者といえど脳に衝撃を加えられたらひとたまりも無い。
彼は呻いたかと思うとそのまま地面に倒れ伏した。
完全に倒れ伏す前に彼女はその背後に回り込み残った一人の斬撃を防ぎ、再び放たれた矢を弾く。
瞬間顔に苦痛の色が表れる。
矢の一本が回避できず右肩に突き刺さったのだ。その衝撃で腹の傷口から染み出した血が滴り大地に染みを残す。
しかし彼女は怯むことなく双子の片割れを盾にしたまま左腕を大きく振るった。
風を斬る音がし、刀を振るおうとした彼はゆっくりと下を向く。
腹部、はじめの鉈の一撃でひしゃげた鎖帷子裂け目に湾曲した鉈が突き刺さっていた。
同時に両足首、後頭部に衝撃が走り視界が揺らぎ倒れ伏す。
いつの間にやら背後に回った彼女は彼の元にもどりその腹から鉈を引き抜き跳躍する。
風が鳴り闇が切り裂かれる。
鉈は黒く染められた紐を起点に自在に動き矢を弾く。
逃げながら弓を放つ啼鵲は、弓を投げ捨て槍を取り出そうとした。
その瞬間黎は彼に追い付いた。
槍の柄が瞬く間に細切れにされほぼ同時に鳩尾に衝撃が走る。
強く背中を打ちつけ視界が暗転した。
視界が元に戻ったときには馬乗りになり鉈の刃を首に這わせる黎が目の前にいた。
「久しいな」
彼女は血の気のない顔でそれでも皮肉げに口の端を歪める。
「…………」
「貴様らの負けだ」
彼女は呟き鉈をくるりと回し、勢いよく柄で顎の下から殴る。
脳を揺さぶられ啼鵲は意識を失った。
これで三人。
彼女は溜め息をつき、目付きを鋭くし勢いよく鉈を振るった。
乾いた音が響き鉈の刃が半ばより折れ、
彼女の頬を擦って夜の闇に消えた。
――残り一人
彼女は大きく飛び退き、さらに追い来る鞭を回避する。
「まだ動きますか」
動き出した夜哭は距離を詰めつつ連撃を浴びせる。
彼女はその身を捻りつつ、避けきれぬ分は剣で弾き続ける。
しかし、何度も鞭は彼女を打ち据える。
やはり今までの消耗が激しいようである。
確かに鞭も少しづつ摩耗しているが、それ以上に彼女は傷を増やしていく。
さらに庭に敷き詰められた砂利が彼女の動きをほんの少しづつ彼女の動きを妨げ、それが負傷を増やす因となる。
しかしその眼はこれだけの重傷を負っても強い光を宿し続ける。
まだいける。まだ戦える。
無意識なのか彼女の口からはそんな言葉が漏れる。
足に巻きつかんとする鞭を飛んで避けようとした。
――その時
ごぼりと喉が鳴り急激に咳き込んでしまう。そして喉の奥から血が溢れ凄まじい痛みが身体を駆け巡る。
瞬く間に胸元が朱に染まり身体が一瞬動かなくなった。
その隙を夜哭が逃すはずはない。
足首を鞭が捕え、彼女はたまらず地面に叩きつけられた。
勢いがあまって地面に広がる砂利で身体を擦りうめき声をあげる。
「限界というものを理解せぬは愚かです」
夜哭は溜息混じりに呟き鞭を握った手をゆっくりと下げる。
そのままゆっくりと彼女と目を合わせる。先ほどの負傷、それは致命傷には至らずとも戦い続けることは到底無理な傷だった。
『あえて動かずとも片付くと思ったのですがね』
彼はもう碌な抵抗はできないだろうと踏んでいた。
しかし彼女は予想外なまでに動き彼を除いた全員を戦闘不能に陥れた。
結果として彼女は身体の限界を迎えたわけであるが夜哭にとって勝利というにはあまりにも微妙である。勝利といえど代償が大きいものは敗北に等しい。
何の感情も無い湖面を思わせるその視線、その奥に渦巻く彼の心中は如何なるものか。
再び何かを呟こうとしたが静かに首を振り、鞭を勢い良く引く。
銀色の蔦の様なそれは、引かれるがままに彼女の足を削りながら彼の手元に戻る。
悲鳴は上がらなかった。
しかし、彼女はまだ動いた。
歯を食いしばり、急いで彼から大きく距離をとり、畜生、と呟き剣を構えた。
二年間彼女と共にあったその剣も表面に無数の傷が入り今にも折れそうである。
闘志は失わぬもののその身体がとうに限界を超えているのは明白だった。
苦痛にあえぎ、しかしなお闘志を失わぬ彼女。
舜水の顔が時折その脳裏にちらつく。
一緒に旅をしないかと言った時の言葉が明確に思いだされた。
鞭を弾きつつ彼女は思う。
あの時は本当にうれしかった。
夜哭のことなぞ忘れ一人の女として生きようとさえ思った。
それはできぬと分かっていたのだが。
夜哭党を潰し己が心の中に宿る憎しみと約定による枷を清算しなければならなかったから。
夜哭を殺すことで義慶達にこれ以上の危害が及ぶことを防がねばならなかったから。
確かに舜水なら夜哭を殺せるかもしれない、二人なら十分戦えるかもしれない。
彼女はしかしそれを拒んだ。
夜哭を殺すのは己という思いあったのだ。
さらに彼女は認識しているか定かではないが、己の闇の部分、つまり夜哭に彼が触れるのをできるだけ避けたかったのかもしれない。
視界が霞みつつある。
血を流しすぎたのだ。
朦朧とする意識を唇を噛む事で保ちながら彼女は心の中で呟く。
ごめん、舜水。利用して。そしてあの言葉に応えることは無理かもしれない。
だけどせめて……
――夜哭を殺す。
二つが叶わぬのなら一つだけでも。
目の前に迫る鞭をキッと見据える。
『動く』
自分に強くいい聞かせる。
ぼろぼろの身体に鞭をうち、再び目の前の仇敵に向かって地を蹴った。
「諦めの悪い」
溜息をつきつつ彼女を捕らえんと夜哭は鞭を振るう。
重量と斬撃を併せ持ったそれは彼女に迫るが、剣によって弾かれる。
その瞬間剣の表面が大きく刃零れしたが、彼女は目を向けることさえしない。
ただ夜哭のみを視界にいれているのだ。
負傷していない左腕で剣を握りしめ声にならぬ叫びをあげながら鞭の間をすり抜ける。
傷を負っているためその速さはずいぶん落ちているが瞳には消える刹那の焔のような激しさが宿る。
『未だ戦意を失わぬことには敬服しますよ』
夜哭も最後とばかりに鞭を振るい彼女を仕留めようとする。
彼の鞭は肉を裂き、先につけられた刃を用いれば人を貫くこともできる。
その凶悪なる銀の蔦は容赦なく彼女に襲いかかり、黒衣を引き裂きその下の白い肌を抉っていた。
しかし、彼女は何とか生きている。
それは彼女の執念故か――はたまた彼の無意識下の迷い故か。
次の瞬間肉薄した彼女の剣が彼の首に接近する。
同じ性質を持つ者、出会った人間によって全く道を違えた者。
舜水と彼女は相似にして半身。
夜哭と彼女は同質にして対極。
出会いが違えば彼女は夜哭の手をとったのかもしれない。
所詮は有り得ぬ未来。
「それも宿命でしょう」
呟きと共に彼の姿がぶれ、その軌跡から一瞬にして脱する。
次の瞬間鋭い金属音が鳴り、ぱきんと澄んだ音が鳴り響く。
闇に根元より折れた黒と銀が散る。
剣と鞭の仕込み刃が互いに互いを砕いたのだ。
彼女は根元より折れた黒剣を放りせめて一矢報わんと夜哭の右胸、己がつけた傷を抉ろうとする。
だがその前に夜哭は彼女の腹部に足刀を叩き込んでいた。
防ぐ間が無く彼女は吹き飛ばされる。
腹の傷から灼けるような痛みが走り視界が点滅する。背中から地面に叩きつけられ呼吸ができなくなる。
一瞬おいて彼女の首に鞭が絡みついた
『私の負けか。口惜しい』
銀色の死を視界の端に映しつつ彼女は思った。
『さようなら、舜水』
彼女は唇を震わせるが血が絡みついた吐息が漏れるのみ。
夜哭は迷いの無い動作で彼女を絞め殺さんと鞭を引く。
――しかし
「待てっ!!! 」
叫びが闇に轟く。
闇を裂き銀が煌く。
紫花を描いた布が闇にはためく。
描かれた銀の軌跡は銀の鞭を両断し同時に黒い影が地面に降り立った。
そして刃を目の前の夜哭に向かって横薙ぎに振るう。
夜哭とその人物と眼を合わせた。
その者の猫を思わせる眼はただ怒りを湛えていた。
『少し時間をかけすぎましたか』
夜哭は攻撃を鞭の柄で受けつつ大きく飛び退った。
その者は彼を追うことなく、倒れ伏す彼女の傍に駆け寄った。
「遅くなったな」
道に迷った、と苦笑し、彼女を抱き抱える。
月明かりに照らされその顔が露わになった。
霞む視界で彼女はその顔を捉え目を見開く。
「舜……」
そう、目の前にいるのは紛れもない彼女の想い人であり、殺そうと思った人であり、利用した人である舜水。
「……来…………は駄目だ……た」
「来なければお前は死んでいた。その方が辛い」
一度は死んだと思っていた。
希望は互いに敵とあいまみえたときに砕かれかけ、何とか彼の掌に残った。
だから何があろうと彼は彼女を放したくなかった。
舜水は恐る恐る彼女の傷の具合を確かめる。
予想はしていたが随分と酷い。
彼自身も満身創痍と言って差し支えない状態だが彼女はさらに酷かった。
未だに流れる血が彼女の全身を覆い、赤黒い衣を着ているようにも錯覚する。
意識を保つどころか死んでもおかしくない傷である。
彼女が何を意図し一人で戦おうとしたのかはわかっていた。だが、彼はその意図を受け入れることができず彼女を追った。
そして彼女はその思いを彼を思うが故に拒んだ。
夜哭と戦えば彼が死ぬかもしれない。
夜哭党に対しての囮として彼を使ったのは夜哭と戦わせないための最大の妥協だったのかもしれない。
「ば……か……」
彼女は弱々しく苦笑する。
「馬鹿で結構。動けるか? 」
彼は彼女の首に巻き付いた鞭に手をかける。
剣で斬れるかは微妙であったが彼女との戦いで摩耗していたせいかあっさりと断ち切ることができた。
とりあえず鞭を解いてやり彼は腰からもう一本の剣を鞘ごと外し握らせる。
彼女は頷いてそれを受け取る。
「安全なところにいろ。俺が始末をつける」
「でも……」
「そのぼろっぼろの状態で何いっても説得力が無いぞ」
――それに俺にとっても仇だからな。奴は
心の中で呟き、彼女の頬に口づける。
彼女の表情が心なしか緩んだ。
それを確認することなく彼は剣を抜いて、迫り来ていた夜哭の元に自分から突貫を仕掛ける。
まるで自分が一本の剣になったような鋭さを持って彼を貫かんと舜水は駆けた。
しかし、夜哭はそれをひらりとかわし、右手の短剣で受けつつ左手を振るう。
闇夜に銀色の光が一瞬だけ見えた。
難なくかわした彼は、それが庭の一角に転がっていた二人の人間のうちの一人の近くに転がっていた長刀だと気づく。
どうやら彼と黎がやり取りしている間動かなかったのは得物を新しく手に入れるためだったらしい。
長刀と短剣。
斬撃の速さは光の如し。一か所に剣をとどめればまずいと彼は分析する。
夜哭、年の頃は三十半ばと聞くがその容姿、戦技共に全く衰えていないようだ。
若き日の愁鳳が敗北した男、舜水は全盛期の頃に戦う羽目にならなかったことを天に感謝した。
「どうもはじめまして、葵沃殿、いえ大逆人李欧祐が末子、舜水」
夜哭は一瞬刃を止め父親の名をだされ目を見開いた彼に優雅に会釈する。
彼にとって舜水は制裁の場に入ってきた侵入者であり、大逆人の残党であり勅命で暗殺を命じられた相手。
黎を処分して直々に向かう予定だったのが手間が省けたというわけである。
「こちらこそ御機嫌麗しゅう夜哭殿」
舜水は頬を僅かに引きつらせつつ皮肉気に答えながら剣を振るう。
彼にとって夜哭は孤児院の仲間と雪娥の仇であり、黎を苦しめた挙句殺そうとした相手。
彼自身も夜哭に対して並々ならぬ殺意を抱いていた。
そして再び闇に剣花が瞬く。
舜水と夜哭。
大逆人と王の刃
半身と対極。
この国で最強の双璧を成す二人。
いずれ敵として出会うはずだった運命ではある。それはおそらくまだ先の話、別の場所での話だったのかもしれない。
しかし、一人の女、黎によって幸か不幸か今、そしてこの場で戦うこととなった。
それは先に向かう結末をどのように変化せしめるのか。
長い文をお読みいただきありがとうございます。しかし未だに終わらないこの展開。一応重要な場面なのでのんびりかいてます。しかし黎のしぶとさは異常です。鉈は紐付き。投擲しても使えます。某漫画を思い浮かべたかたは…場合によっては正解かも。紐付きグルカナイフ……出してみたかったんで。この展開はあと一話か私の駄目さを考慮したら二話で終り。そしたら暫く二人のバカップルぶりを……書けるのかな?