二十四、相克と弱点
闇夜に銀色の閃光が走りそれを追うように切断された腕が宙を舞う。
一瞬遅れ闇夜に黒い飛沫が煌く。
さらに一閃。
腕を落されてなお向かおうとしていた暗殺者は胴を裂かれ今度こそ倒れ伏した。
「あと少し」
剣を振るいつつ舜水は僅かに眉を顰めつつ口の中で呟く。
戒瑜の攻撃を補助するように剣を振るい続け、戦闘可能な暗殺者を六人まで減らした。
もう壁としては成り立たぬ人数となってきている。
甘いことは言っておれぬと容赦なく斬り捨てることに罪悪感を感じつつも背は腹に代えられぬ。
急がなければ黎が危ない。
「……生きているのが不思議でならん」
「全くだな」
互いに背中を預け、溜息を吐く。
戒瑜は満身創痍であり未だ五体満足であることが不思議な状態、舜水の方も無傷ではない。
しかし、相手取った人数やその技量を考えれば彼らの実力を十分に示しているとも言える。
「しっかし殺さぬようにといってもな……」
髪に付着した血液を指で擦り落としつつ舜水は呆れた様子で喉を鳴らす。
「結局いつもどおりってわけだ。それが手っ取り早い」
そんな彼に方天戟を振るいつつ戒瑜は苦笑する。
俺は嫌なんだがなと呟きつつ舜水は再び足に力を込める。
「早く片付けるか」
剣客に盗賊。
どんなに否定しようが努力しようが結局血濡れの道歩いてきた点では似た様な存在である。
だから、今さらなのだ。
そのとき――
「後は引き受けよう」
戒瑜の口からそんな言葉が紡がれた。
ん?
舜水の頭の中で一瞬その言葉の意味を理解できず、疑問符が浮かぶがすぐさま言葉の意味を理解する。
それは残りの人間を引き受けるということ。
五体満足なのが奇跡的なぼろぼろの身体で。
まあよく考えれば彼の左目はとうの昔に潰れているので五体満足というのもおかしな話だが。
それが意味するは……
そんな不安が舜水の顔にあらわれていたのか戒瑜は暗殺者達の刃を防ぎ、得物を旋回させる。
「別に死ぬつもりはない。やばくなったら逃げるのみだ」
こっちは勝手についてきただけだしな、と彼は不敵に笑い、そして戟の旋回により暗殺者達の包囲に穴が生まれる。
「――行け。己の目的を見失うな」
凛とした響きと共にその穴に向かって舜水の背は蹴り出される。
「ありがとよ」
「貸しだぞ」
振り向かず笑む舜水に愉しげに目を細めつつ戒瑜は呟く。
「前のでチャラだ」
舜水はそう言って目を細める。
脚部の筋肉が一瞬収縮し……即座にバネのように圧倒的な勢いで暗殺者の間を駆け抜けた。
すぐさま暗殺者達は追おうとするが、彼らの前に戒瑜が立ちふさがる。
「貴様らの相手は我だ」
そして頬を歪めつつ得物を一閃させ言葉を続ける。
「あの男を追うなぞ無粋だと思わぬか? 」
そして暗殺者達に向かって飛び込んでいく。
死の恐怖なぞない。
死は彼らにとって隣人というべき存在。
互いの実力を信じ武運を祈る、それだけである。
――どこぞの村の一角にて
「ねえねえこの国で一番強いのは誰なの? 」
「僕も知りたい」
「わたしも! 」
村に一軒だけある宿屋の庭先で十に満たない二人の少年と一人の少女が旅人を囲んで問い掛ける。
少年は互いに顔立ちがよく似ていて兄弟であることが容易に知れる。
恐らく初めに言葉を発したのが兄、彼に追従するように言葉を発したのが弟だろう。
「全くこの子たちったら……申し訳ありませんね」
子供達の後ろで中年の女性が洗濯物を干しながら苦笑する。
彼女はこの宿屋の女将でありその顔は少女によく似ている。
「いえいえ、この位のことはお安い御用っすよ」
旅人、髪を細い布で覆っている二十半ばの青年はパタパタと手を振る。
覇玉と同じくらいの長身に三白眼、あまり人相は良いとは言えない人物だが気さくな物腰がそれを和らげる。
「で、何でチビさんたちはそんなことを知りたいんだい? 」
兄の方の頭をくしゃくしゃ撫でつつ青年は問い掛ける。
少年は子供扱いされることが不快なようで首を振りつつ口を開く。
「だって俺、いつかこの国で一番強くなるんだ」
小さく胸を張りつつ宣言するその様子は子供特有の自信にあふれたものであり、同意するようにもう一人の少年と少女も大きく頷く。
「また馬鹿なこと言って……」
屋内から追加の洗濯物を運ぶ女将が呆れたように呟くが、少年は気にする様子は無い。
無邪気なもんだと青年はそんな様子に相好を崩す。
少年の頭から手を放ししゃがんで彼に視線を合わせる。
「そうかそうか。男の子だもんな」
「子供扱いしないでよ! 」
「だって餓鬼だろう」
にかっと笑う青年の口から八重歯が覗く。
実に楽しそうである。
「まあ、国一というのは今の世の中基準がよくわからんが基準としてはやっぱり十傑だな」
ひとしきり笑った後彼は少年の求めた答えを紡ぎだす。
「きいたことある〜」
少女は挙手しそういってにこっと笑いつつぴょんぴょんと跳ねる。
それと同時に頭の上で結った二つのお団子につけられた飾り紐が揺れる。
「そうか。嬢ちゃん物知りだな」
「えへへ」
青年の言葉に少女はどこか誇らしげに微笑む
「確かに十傑と呼ばれる連中は強いな。だが、それは結構昔の話だからな」
「なんでむかしならだめなの? 」
弟のほうが不思議そうに首をかしげる。
この三人の子供、兄弟であるのは明白だが、歳の順ではこの少年が一番年下のようであり、彼の言葉は覚えてさほど経ってないからか拙さを感じる。
「んーそれはなぁ歳をとるからだよ。近所のお爺ちゃんだって君くらいの年の頃があったってことだ」
弟の方の言葉にどう返すか悩みつつ青年はそう答える。
十傑の名がささやかれその数が十人になって七年弱。
それは戦士としての最盛期を越えるに十分な年月。
そして、名を上げたために寿命を縮めることになるに十分な年月である。
「うそだ」
「まだ分からんかもな。いずれわかるさ」
むぅと弟の方は首を傾げるが何となく納得したように小さく頷く。
「昔っておじさん言ってるけど今はどうなの? 」
「お兄さんだ。まだそんな歳じゃあない」
問い掛ける少女に彼は僅かに頬を引きつらせつつ彼女の頬を人差し指でつつく。
子供にとって大人の年齢などよくわからないはずだが、特に彼は髪の毛を一本も出さないように布で頭を覆っているため特に老けて見えるのは否めない。
本人も気にはしているようだ。
「今は十傑の中では葵沃、愁鳳、風鬼、覇玉、夜哭、蛛露がまだまだ現役かな」
指を折りつつ青年は十傑の中で未だ戦えるものの名を読み上げる。
彼は特に言及しないが残り四人は完全に武人として戦えないまでになっているか死亡している。
愁鳳は葵沃にもう引退したといっているがその腕はまだまだ戦えるという段階らしい。
「へぇ」
「年は葵沃が最も若く、次に蛛露、覇玉。残る三人は同じくらいか」
「葵沃って幾つぐらいなの? 」
少女の問いに青年はほんの少し意味ありげな笑みを浮かべて人差し指を立てつつ答える。
「オレと同じくらいとだけは言っておく」
「じゃあおじさんだ」
「だからおじさんじゃねえ」
彼はそう言って一回兄の方の頭を軽く小突く。
小突かれた方はというと舌をだして大人げないの、
「その中でやはり誰が強いかと言ったら葵沃か夜哭だな」
気を取り直して青年は話し始める。
「間違いなく葵沃は天才だ……そして夜哭は人という枠を逸脱している」
どちらが上かわからない、衝突したことが無いからな、と彼は付け加える。
その様子は子供たちそっちのけで実に楽しそうである。
無意識のうちか背負っていた剣を鞘ごと膝におろし、鞘を撫でる。
舜水や黎の剣より一回り大きいそれは鞘におびただしい傷が刻まれ使い込まれていることが分かる。
覇玉や蛛露は少し風変りな武器を使う故、時と場合によりその両名に勝てる余地はあるような気がするがそれすらも二人は超えるだろうと彼は考える。
「じゃあその二人に勝てば国一番なんだね」
兄の方は目を輝かせてそういう。
しかし、青年は苦笑しつつ首を左右に振る。
「まあまずあの二人を倒すなんて無理さ」
「でも頑張れば……」
なおも反論しようとする彼を横目に青年は膝の上の剣を彼の前の地面に置く。
「持ち上げてみろ」
その言葉に彼は目を瞬かせ持ち上げようとするが持ちあがらない。
「それを振りまわして戦わなきゃならないんだぞ」
結局持ちあげることが叶わず、剣を取り落とした彼に向って青年は笑いかける。
「そして、十傑以外もこの乱世それに並ぶ強さを持つ者はいる」
「たとえばオレとかな」
本気か冗談か青年はそう言った。
「え〜」
「嘘だ〜」
その時宿の中で人の気配がする。
どうやら朝から所要により外出していたこの宿の主人のようである。
「ほら、父さんたちも帰ってきた。あんた達そろそろ部屋の中に戻りな」
女将はその物音に一瞬顔をほころばせると、まだまだ話をやめない子供たちを急かし屋内に戻らせる。
「全くまだまだ手のかかる年頃で困ったものです」
子どもたちが大人しく帰ったのを見て女将は兄の方が地面に放り投げたままの青年の剣を拾って手渡そうとする。
「あら……? 」
剣の柄を握りしめたものの彼女はその重さに目を瞬く。
確かに重量はありそうだと思っていたのだがあまりに予想外なその重さ。
しかし、次の瞬間には一気にその重さは無くなる。
その変化を不審に思った女将は顔をあげる。
するとすぐに青年の顔が視界いっぱいに広がった。
何のことは無い、軽くなったのは青年が手を伸ばし柄を持ち上げたからだ。
「すみません……さっさと拾っておくべきだったすね」
青年は剣の柄を握り締めたまま申し訳なさそうに呟く。
その腕に震えは無く特に重すぎるといったわけでないようである。
次の瞬間不意に剣の柄が彼の髪を覆う布に引っ掛かり髪が零れ落ちる。
「あ……」
女将はその髪を見て目を見張る。
そこで青年も髪がはみ出たことに気づきすぐに布の下に戻しきっちりと布を巻く。
「嫌なもん見せちまったですね。申し訳ねえ」
苦笑しながら謝罪する彼に女将はあることが気にかかる。
「そういえばお客さん名前は? 」
その髪の特徴と重い剣は彼女の記憶の中でまた聞いたある名前と結びつく。
青年は彼女の心中の名に勘付いたのか苦笑し己の名を紡ぐ。
「――嘉煕」
その言葉とともに彼は不敵で邪悪な笑みを浮かべた。
――再び皓州遼明近郊の夜哭邸
夜哭の言葉を合図に彼女に襲い来る銀閃。
視認することが不可能な速さで迫り来るそれに黎は顔をしかめ一気に距離をとる。
しかし僅かに間に合わず彼女の左腕にそれが巻きつこうとする。
「ちぃっ」
目の端を不快そうに歪めつつ腕につけた手甲でそれを払いつつかろうじて逃れる。
その瞬間、彼女の眼はその武器の正体をはっきりと捉えた。
「やはり鞭か」
あの色からして恐らく金属製か。
大きく抉れた手甲やさっきの一瞬でずたずたに裂かれた左袖を一瞬見やり僅かに息をのみつつ、たゆまなく襲い来るそれを捌きつつできるだけ距離をとる。
「気付きましたか」
夜哭は彼女の言葉に肯定と賞賛の言葉を贈る。
金属の鞭はこの国でも珍しくない武器であるが、彼の得物の特筆すべきはそこにはない。
何よりその長さ、ひいては射程が通常のものの倍ほどはあるのだ。
さらに表面がヤスリのようになっており巻き付いたものの表面を抉り削り取る。
当然扱うにはかなりの技量が必要とされるが彼は実に手慣れた様子でそれを振るいまるで陰湿なる蛇のようにただただ彼女を捕らえ弑さんとする。
「得物を知らぬのにこんな勝負を挑むわけがなかろう」
「それもそうですね」
しかし、と黎は否定の言葉を噛み潰す。
現状彼女は傍目から見ると剣と籠手、時折金票を駆使し彼と拮抗しているように見える。
それどころか人外の速度で彼女に襲い来る鞭の軌道を読み彼に刃をとどかせている。
――しかし、奴の身体にはただの一度も届いていない。
ねとりとした脂汗が頬を伝う。
彼女は状況があまり良いとは言えないことを理解している。
鞭の柔軟性に富んだ動きは彼女をほんの少しずつではあるが疲弊させている。
ジャッ
金属が擦れる音とともに彼女の脇腹を鞭が掠める。
彼女の袍の布が抉られその下の肌が紅くなったと共にじわりと血がにじむ。
皮膚の表面が削られたようなその傷はその痛みで集中力を削り拮抗がゆっくりと崩れつつゆくことがはっきりと感じ取られる。
一気に崩れないのは奴がそのつもりがないからか。
――何か裏がある。
金票を顔の前にかざし一瞬目つきを険しくし再び距離を詰め始める。
鞭の軌道に意識を集中し右へ飛んで鞭をかわしつつその手にもった金票を放つ。
夜哭は殺気を隠すつもりもなく放ち続けているものの、笑みを崩さない。
飛来した金票を難なく弾いた瞬間目を見開く。
「なんと」
その視線の先には彼の右胸部に浅く突き刺さった艶消しのなされた金票。
そして鞭の軌道を自在に避けつつ接近する黎。
もう鞭の射程の遥か内に飛び込んでいる。
そう、鞭という武器の弱点、それはあまりに柔軟であるがため超近距離ではその威力が発揮できないところ。
――鞭の軌道を予測しましたか。素晴らしい。
視認することも難しい鞭の動き、己の癖を読み取ったか。
しかし、彼はここまで来て一切焦る様子が無い。
むしろこの位なくては張り合いがないといった様子である。
「見事ですが……その程度で私が倒せると思いますか」
鞭の柄で剣を受けつつ彼は問う。
そして空いた手で胸の金票を抜き取り、臓腑を痛めたか僅かに血を吐くが致命傷には程遠いようである。
「だが貴様は追いつめられている」
黎はそんな彼の様子を険しい表情を緩めることなく睨みつけつつそう吐き捨てる。
彼の首を狩らんと剣を操るが彼の髪をかろうじて一房斬った程度である。
「それは個々の状況判断に過ぎません」
ひらりひらりと斬撃を回避しつつにっこり笑う。
「確かに貴方の才覚は驚くべきものがあります。対個人に限っては」
その言葉に彼女は僅かに眉を顰める。
負った傷のせいか集中力が僅かに途切れ彼の意図する意味を理解できない。
「貴方の弱点、それは間合いと対集団戦」
その言葉に彼女は内心動揺する。
確かにそれは彼女に限らず剣術そのものの弱点といえる。
「戯言を」
決して動揺を悟られることなかれ。
心の中で小さく呟く。
「間合いの件は祷州の件で克服しているみたいですが……集団を相手取るのはどうでしょうかね」
そこで彼は一層笑みを深くする。
どこまでも歪んだ見る者を戦慄させる笑み。
「一時はどうなるかと思いましたが、間に合ってよかった」
彼女がその言葉の意味を理解する前に夜哭は鞭の柄を返し彼女の脇腹を突く。
鞭の柄では彼女に傷をつけることができないはずであった。
しかし――
鞭の柄が当てられた彼女の腹部から黒い染みが広がり始める。
仕込み刃か。
彼女が状況を理解したときはもう遅かった。
「詰みです」
その言葉を合図に彼女の背に細長い影が突き刺さった。
長文お読みいただきありがとうございます。
なかなか続きを書く時間がありません。舜水と戒瑜は別れ、黎はかなり善戦していましたが……
そしてとある地では新しい登場人物が動き出します。
今後重要人物となる予定。
話の筋は大体できていますがなかなか細かいところがうまくいきません。
なにゆえか私は異種格闘戦が好きな模様。
鞭ってどう動くよと思いつつ描いていたりします。
もしお気づきの点、感想などがあれば寄せていただければありがたいです。