二十三、血風と銀閃
舞台は北の地より王都遼明近郊の森に移る。
十一月に入った今でも葉の落ちぬ木が多く、うっそうと茂る森。
暗殺者に剣客に元盗賊。
それぞれの思いを胸に、森の中に剣戟の音が響き渡る。
――使命
――疑念
――矜持
――粛清
そして――復讐
結末は如何なるものになるのか。
誰かが血の海に沈むであろうことは決定事項だろうか。
「また腕をあげましたか」
いかにも動きにくそうな長衣を身にまとい、明らかに剣より間合いの狭い匕首で難なく黎の攻撃を受け流しあるいはいなす。
戦いの口火を切るとともに双方より発せられた殺気。
黎は未だその殺気を絶え間なく発し、夜哭はどういうわけか殺気を霧散させ殺す気があるのか疑わしい様子である。
「貴様がそう思うならそうであろうな」
相変わらず剣筋が非常に読みにくい揚動を織り交ぜ剣を振るいつつ黎は不快そうに鼻を鳴らす。
振るわれた匕首を回避し、軌道を変えて迫ってきたそれを受け流しつつ皮肉気に呟く。
「全ては貴様を殺すためだ」
「なるほど、それは光栄ですね」
夜哭は実に楽しげに動揺を見せずまるで子供とじゃれるかのような様子である。
「葵沃と斬り合ったことで一皮むけましたね」
夜哭は愉快だとばかりに目を細める。
彼女らを北に向かわせた後、葵沃が洟州から祷州へ向かったという報は聞いていた。
彼女と鉢合わせするのは予想がついたといえばついていた。彼女が彼を殺すことができるかは五分五分であった。
結局どちらでもよかったというのが正直なところだ。
どちらに転ぼうが彼自身で十分に対処できる自信があった。
ただ、黒烏の死と彼女の成長だけは予想外だったのだが。
「人は心の在り方で変わるものだ」
挑発を軽く受け流せず黎は吐き捨てるように呟く。
その瞳は夜哭に対する殺意が渦巻くもののどこまでも澄みきっている。
やはり舜水と和解したことで吹っ切れたのだろう。
そして彼女の腕は一月前と比べて飛躍的に上昇している。
常人の眼では到底剣を見ることはかなわず、夜哭の目にすら時折剣の残像しか見えない。
彼女はもともと速さと技術に特化していたがその性質がさらに研ぎ澄まされているようだ。
夜哭はあと三年で自分を追いぬく実力を手にすると王に言った。
しかし今その三年という年月、つまり二人の実力差が急激に縮まりつつあった。
振るわれる匕首を身体を反らしつつよけ、軌道を掻い潜りつつ剣を突くかとみせて横へ薙ぐ。
「くっ」
当然夜哭は匕首を構え飛びさがりつつ攻撃を受け流そうとする。
その時にいっと黎の口が歪んだ。
するり
一瞬彼女の腕の剣の刃がぶれたかと思うと匕首の防御をすりぬける。
さらに後ろに飛び退こうとするが間に合わない。
風が切り裂かれる音と共に夜哭の長衣が胴の部分が真一文字に大きく裂かれる。
「おや、流石に甘く見すぎましたか……」
夜哭は瞠目しつつ大きく距離を取りくすりと笑う。
「そのまま大人しく殺されろ」
構うことなく黎は一気に距離を詰めようとする。
しかし。
「さて、貴方は二年前のあの時を覚えていますか? 」
不意に夜哭は険しい表情を一転穏やかな笑みを浮かべる。
その様子に黎は顔を顰め足を止める。
何かあるのか?
と彼女は勘ぐりつつ返答する。
「忘れておったら、ハ、今ここにはおらぬよ」
「……あの時私は貴方を拾って帰ろうと思った。何故だと思いますか」
――二年前
『……黒烏。これはこのまま死ぬと思います? 』
『肯定。捨て置けば死に至るのは必至』
全身を血に濡らし意識を失った黎を見下ろしつつ夜哭は黒烏に問う。
そして問いの真意を測りかねつつも己の加えた傷を思い返しつつ黒烏は答える。
人を斬るという罪悪感を一切感じていないような面持ちで状況を再び思い返す。
それにしても剣一本のみの武装の小娘に彼と共に暗殺者として仕込まれたものが五人も戦闘不能に追いやられるとは……己と己が主がいなければこの作戦は失敗していただろう。
しかも殺すべき餓鬼どもも半数以上逃げられ、追撃するのも骨が折れる。
一応は標的の確保は成したが成功と言えるかははなはだ疑問といった状況である。
『捨て置かなければ? 』
全くもって負け戦ですよねと苦笑しつつ夜哭は黒烏に問う。
負け戦といってもそこまで深刻な様子ではない。
所詮は代わりの効くもの、小娘程度にやられるのなら不要品であるからだ。
『微妙。おそらくは五分かと』
黒烏は眉一つ動かさず主の問いに答える。
その返答にふむ、と夜哭は何かを呟きつつ一時思案する。
そして再び黒烏に向きなおり告げる。
『……黒烏、この者を拾い治療を施してください』
決定事項ですとばかりに浮かべられた笑みに黒烏はさすがに不可解だったらしく息を呑む。
恐らく一瞬思考が停止したのだろう。
自分の頬を撫でる風と鼻をつく血の匂いではっと我に返ったように恐る恐る疑念の声をあげる。
『何故? 』
『気分ですよ』
夜哭はそう言って顔に刻まれた笑みを深くした。
その時、腹心の部下である黒烏にすら彼は理由を告げることは無かった。
「失った戦力の補給と純粋な興味、だろう? 」
何かあったときはその時だ、と袖の内より金票を夜哭の眉間に投げ放ちつつ黎は答え地を蹴った。夜哭は金票を指でとめ軌道をなぞるように振るわれた剣をするりと掻い潜り彼女の手首を掴む。
「なっ」
「人の話は最後まで聞くものですよ」
ふざけるな、と言いたい黎であったが、彼に掴まれた手首の骨が今にも折れんばかりにギチギチと軋み鋭い痛みが走る。
思わず剣を取り落とすと、夜哭はそれを遠くに蹴り飛ばした。
手首の骨は粉砕されては敵わないので振りほどくことはできず仕方なく頷く。
「それでいい。その答えは確かに正解ですよ。しかし、それ以上に……」
そこで一旦言葉を切り次の瞬間には彼女を一気に引き寄せていた。
ほんの少し動けば唇が触れ合う距離。
相手の呼気が顔にかかる距離であり、その生ぬるい感覚に黎は強い不快感を感じる。
突然のことに黎は動くことがままならない。
「……貴方に惹かれたんですよ。秦黎」
「は、馬鹿馬鹿しい」
その言葉に心底馬鹿にするように黎は笑う。
しかし、夜哭は全く動じずゆっくりと目を開く。
その眼に嘘偽りはなく、まっすぐとした視線を間近の黎に浴びせる。
「こちらがまじめな話をしているのにひどいもんですね。まあ無理はない」
「それ以上近づいてみろ。喉笛噛み切ってやる」
視線に込められた意味なぞ構うものかと凶悪な笑みを浮かべる彼女。
「全く……良い根性してますよ」
溜息をつきつつ夜哭は苦笑する。
そして不意に彼女の唇に舌を這わせる。
一瞬のことに彼女は動くことができず、その舌を食いちぎらんと歯をむき出したころには遅かった。
「き……」
「貴方と私は同類なんですよ」
額に青筋を浮かべ何かを言おうとした黎を遮り夜哭はそう告げて微笑む。
その顔に彼女は唾を吐きかけ射殺さんばかりの視線をぶつける。
「貴様何ぞと同類など吐き気がする」
「貴方が持つ殺意なき殺意、それは私も持つ性質」
彼女を拘束する手を緩めつつ夜哭は目を伏せ告げる。
あの時、それ故に彼女の性質を出会った時に見抜くことができた。
同時に惹かれた。逆に黎は仇という以前に憎悪し、嫌悪した。
同族嫌悪という奴だろう。
これほど人間性に差があるのはひとえに出会い、影響を受けた人間の差。
そして誓ったものの差。
夜哭は永寶に出会い、道具となることを誓った。
黎は舜水に出会い、変わらぬ愛を誓った。
「故に惹かれたと? 」
袖で口を拭いつつ離れ剣を拾いつつ黎は問う。
おぞましいおぞましい何がどうあろうとこいつだけは即刻殺す。
彼女の今の心境を文字で表すならこんな感じだろうか。
「恋愛感情というのかもしれませんね。それが受け入れ難いなら今から殺す者への手向けと思ってもらって結構です」
その言葉は嘘か真か。彼の様子は至極真っ当いつもどおりである。
彼女にとってはそれがさらに不愉快。
今にも我慢の限界に達しそうである。
「……まあそんな感情なぞ、勅命を果たせないばかりか主上を裏切らんとする者への怒りにくらべたらどうでもいいですがね」
そんな彼女に夜哭は静かに告げる。
彼の全身から再び殺気が放たれ始める。
確かに今彼女に告げたことは彼の本心だったのかもしれない。告げておきたかったのかもしれない。
告げたことにより、本来の優先すべき裏切り者の粛清に気持ちを切り替えたようだ。
「それに黒烏をよくも殺してくれましたね。あれは私にとって替えの効かぬ者だった」
目を伏せつつ彼はぼそぼそと声を小さくして呟く。
そんな彼を冬の夜の冷気が撫でる。
黒烏、確かに彼にとって道具だったのかもしれない。
しかし、道具を失ったら失った悲しみがあるようである。
「まあ、二年間実に楽しかったですよ」
最後に顔を上げにっこりと笑いつつ彼は軽く腕を振った。
刹那――
「愛情も怒りもすべてないまぜに全力で殺して差し上げます」
まるで先ほどまでは遊びだったとばかりの口振り。
呟きとともに彼を中心にして銀色の旋風が起こり彼女を襲った。
――その頃
「っちっくしょー」
舜水は横薙ぎに振るわれた槍を剣を交差することで防ぎ受け流しつつそのまま背後より迫っていた少年の手から剣を蹴り飛ばす。
二、三人ほど倒したが流石に相手が相手であり厄介だと奥歯を噛みしめる。
単体では恐らく黎よりは弱いようだが、その人間離れした正確無比な戦い方そして傷を与えてもまるで鈍らぬ動きと数は厄介通り越して憎らしいにもほどがある。
さらに問題としては数を大きく読み間違えていたようだ。
全体で十五ではない。
今彼が相手にしている数でそれぐらいいる。
さすが夜哭党、正直舐めていた。
「やっぱ全員殺すしか……や、無理だなこの具合じゃ」
痛みというものを全く感じていないような相手を見て内心溜息をつく。
西方の国では暗殺者は薬で感覚を麻痺させるといわれるがこいつらも使っているのではないかと思う。
そう考えてもどうしようもない。
攻撃を回避し受け流しつつ着々と数は減らせている。
まあ何とかなるだろう。
負けると思えばそこで終わりである。
「そういえば戒瑜の方はどうなんだろうか」
耳を澄ませば右手の方で剣戟の音、肉や木を裂く音まで聞こえてくる。
恐らく方天戟をめちゃくちゃに振りまわしているのだろう。
生きているようならそれでいい。
戒瑜は当分の間問題なさそうだ、と舜水は自分の方に集中することとする。
自動的というまでに統率のとれた集団、単調というより複雑怪奇。
全くもって無駄がない。
そこである可能性が頭の中に浮かぶ。
「どうにも指揮している奴がいるようだな」
口の中で呟き返り血を手の甲で拭いつつその間も休みなく浴びせかけられる刃に対応し、その間に一人斬り捨てる。
統率が取れ過ぎている。恐らくは夜哭党の中で上位に当たるものだろう。
そりゃ孤児院の襲撃時の様な集団作戦をとることもあるはずだ。
その中で指揮をとるものは当然必要。
夜哭とて人間、全部が全部は無理だろう。
かといって恐らく実力なら次に位置する黒烏と黒鵺は……どう見ても指揮は無理そうだ。
まあ要は、他に何者か指揮に秀でたものがいるということ。
「こいつらより弱いってことは無いよな……」
だが、指揮系統が乱れれば大分楽になるはず。
槍の間合いに飛び込みつつ槍使いの顎に掌底を叩き込み意識を落とす。
やるしかないと覚悟を決め指揮官の位置を探る。
その時――
「消えた? 」
瞠目し声を殺しつつ呟く。
チチッ
そのような舌打ちをするような音が聞こえ、その瞬間気配が急に減った。
残りの数は六、地に伏し意識の無いものが五人。
やれる、という思いと共に疑念が浮かぶ。
一体何の為に。
まさか戒瑜の方に行ってないだろうな、と思い、右手に向かって攻撃を防ぎつつ駆ける。
「葵沃! 」
「お、生きていたか」
視線の先にはまさに必死の形相といった感じの戒瑜。
周りは予想通りというかなんというか血風吹き荒れた嵐の後といった様子である。
「……さすがにきつい」
背中合わせに戦いつつ憔悴しきった顔で戒瑜が呟く。
ぼろぼろではあるがかろうじて五体満足である。
「済まんな。俺の読み違いだ。しかし……」
「ああ、こっちも急に数が減った」
そして二人は同時に呟く。
『まさか……』
その脳裏にあるのはある可能性。
そう、相手が揚動に気づいたという可能性である。
向かった先は夜哭邸か。
夜哭の噂は彼も聞いている。
黎が挑んで勝てる相手ではない。
そして……相手取るものが増えるとなると正直彼女の勝算は無に等しくなる。
もう冬だというのに頬を伝う汗が夜気に弾ける。
彼は焦燥に駆られていた。
向かわねば、向わねばならないが……
目の前のこいつらを倒さないと何も始まらない。
剣を振るいつつ彼は周りの暗殺者に鋭い視線を向ける。
そう、目の前には数は減ったもののまだまだ壁となりうる数の暗殺者達が残っている。
何とか始末せねば。
戒瑜の負傷もある故どこまでやれるか。
黎の命があるまでに何とか夜哭党にたどり着かねば。
彼の眼は目の前の為すべきことのみを見ていた。
――冬空の下に吹き荒れ始めた血風は未だ止む気配を見せない。
長い文をお読みいただきありがとうございます。さて、夜哭が本気になり、舜水が苦戦している状態で次の話となっています。黎の町で手に入れた武器は未登場。次はさらに乱戦となること必至です。夜哭の感情についての描写は何か微妙かも……恋愛ものと言う手前出してみましたが。キスは書いてみたものの安易だしやっぱやめました。これからどんな展開になるか私自身よく分かっていませんがお付きあいいただけたらと思います。御意見御感想お待ちしています。