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華と剣―fencer and assassin―  作者: 鋼玉
第二章 走狗動乱
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二十一、騒乱と追走



――黎が紅華楼から姿を消して十日


王都遼明(おうとりょうめい)の隣の街で。

荒廃しているとはいえやはり王都近傍の街だけあって人や物の行き来は盛んであり、広途(おおどおり)には人が溢れていた。

そんな人の波をかき分け一人の青年が行く。

年の頃は二十半ばに届くか届かないくらい、背は普通よりやや高くこの国の人間には珍しい短髪に、猫のような釣り目がちの目を持つ。

見た感じ親しみやすそうな容姿ではあるが、腰に差した二本の長剣が物々しさを感じさせる。

現在は葵沃(きよく)と名乗り、本来の名は舜水という彼は王都へ続く南の門より北に向かって何かを探すようにあたりを見回しつつ歩いて行っていた。

「何となくまだここらにいる気がするんだがな……黎」

唐突に祷州の北鶴(ほっかく)の紅華楼から姿を消して十日、彼女の姿を認めずとも己が勘を信じてここまで来たものの、実のところ少し自信をなくしていた。

「だけどあいつのやろうとしていることなんてこの位しかないだろうに……」

人にぶつからぬように歩きながら、顔をしかめつつ右腕で頭を掻く。

その時不意に小男とすれ違う。

外見に不自然な点は無くどこにでもいるような男であったがなぜか気にかかり振り向く。

相手も気にかかったのか同じように振り向き、二人の眼が合う。


「れ、黎! 」

「げっ」


葵沃は小男の顔を見て思わず叫び、小男は苦虫を噛み潰したような表情になる。

彼の眼に映る人物、確かに傍から見れば男にしては背が低いものの女には見えない風体をしている故小男と断じられるだろう。

御丁寧なことに顔に土汚れまで作っている。恐らく義慶をはじめとした鵬の人間には付き合いが浅い故見抜けなかったかもしれない。


だが、彼を舐めてはいけない。

黎の方もそうであるが彼は彼女一筋なのである。

今なら言えるが彼女と和解し、彼女の生存が許された日、義慶にこれからのことを説明された後、軽く数時間は嬉し泣きをしていたのだ。

故にどんなに化けていようが彼女を見抜けぬ道理はない。

もちろん彼は彼女を見つけた瞬間、引き止めようとその腕をつかもうとした。

しかしそれより素早く彼女は彼の腕をすり抜け一気に駆けだした。


「待てって! 」

彼は必死に彼女を捕らえようと追いかける、彼女はわき目もふらずただ駆ける。

彼は思った

ここで逃がしたらまずい。

恐らく彼女は警戒して街に姿を現さなくなる危険がある。

しかし、彼女の足は彼よりはるかに速く、彼も努力したものの一刻ほどで彼女の姿を彼は見失ってしまった。


「畜生……」

見事にまかれてしまった彼は肩で息を吐きつつあたりを見回す。

心の中では焦りと後悔がこみ上げる。

このままでは……まずい。

彼女が目的を果たそうとする、それは死地に赴くことに他ならない。

彼女の意思はおそらく鉄の如く硬いが、その目的は彼女の力では果たすことができないことを彼は分かっているのだ。

折角己の手の届くところに戻ってきた彼女を失いたくない。

実のところ彼女の目的は分かっても彼女の向かう場所についてはよく分かってない。

どこかは分かる。どこにあるかがわからないのだ。


どうにかならないかと呟きつつあたりを見回す。

するとどこかで見たような人影を視界の端に見つけた。

「お、あいつらひょっとして……」

にぃっと笑みを浮かべつつ、足音を立てずにその人物の背後に回り込む。

そしてポンと肩を叩きできるだけ友好的な態度で話しかけた。


「ども、お久しぶり」





それから一日が経った日没。

八州国が王都遼明のすぐ傍に広がる広大な森。

その森の一角は王の狩猟場として民の出入りを禁じられていて、入口には常に見張りが置かれていた

通常そんな場所でもこのご時世、密猟を企てる者もいるはずであるが冷酷無比な王を恐れてのこと、何より森の入口に立つ見張りが明らかに異質で無気味であり、彼らに本能的な恐怖を与え民は命じられるままにその一角に足を踏み入れることは無かった。


そしてこんな噂がまことしやかに伝えられていた。

森の中には王の猟犬が徘徊し、入ってきた人間を喰い殺す、と。


事実この森に忍び込んだ数少ない者は一人たりとも戻ってこなかった。




森の入口の見張りは今日も日が暮れた後も、焚き火を前に槍を担ぎ侵入する者に対し目を光らせていた。

その眼は玻璃(がらす)の様な何の感情も宿らぬものであり、時折空を見上げ月の位置を確認するような動作をする以外は物音がしない限り目立った動きはしない。

見張りはよく見ればまだ年若い少年であったがその立ち振る舞いはとてもそうとは思わせないものがあった。

強いて言えば器械(どうぐ)、彼自身が意志をもった一つの武具であるが如し。


かさっ


不意に背後より草木が擦れる音がした。

少年は僅かに視線を動かし槍を自然に構えつつ、その正体を見極めんとその音の方向へ歩む。地面には秋に落ちた枯葉や枝が積もっているにもかかわらず、彼の足音はほとんどしない。


がさがさっ


さらに先ほど音がした位置と少し離れたところで連続して音がする。

移動している?

彼は眉をひそめ気配を殺し素早く近づく。

闇に眼を凝らすと、人影らしきものが見えた。

侵入者、仕止めねば。

一気に距離を詰め、目にもとまらぬ速さで槍を突き出す。


槍は……何も貫いていない。

「なっ! 」

そう、槍の穂先が届くほんの一瞬の間に人影が消えさった。

驚きのあまりつい声に出してしまい、しまったとばかりに口をつぐむ。

しかし、それ以上は動揺を見せずあたりを注意深く観察しつつ槍を一閃させようとする。



次の瞬間――

彼の背後より白い腕が一対伸び、彼を羽交い絞めにする。

そしてそのままその腕に力を加え、彼の頸部を圧迫する。

脊椎が、脛骨が音をたてて軋むように錯覚し、気道がふさがれ視界が白と黒に点滅を始める。

彼は身体を捩らせ逃れようとするが、屈強な男のものと比べ細いその腕は鋼のように動かず的確に彼を締め上げる。

「まだまだ甘いな」

そんな囁きを聞いたのを最後彼の意識は闇に沈んだ。



彼を気絶させた人影は彼が動かなくなったことを確認すると手際よく彼を後ろ手に縛る。

彼は別に死んだわけでない。締め上げられることにより酸素をせき止められ、気を失ったに過ぎない。首の骨を折ることも不可能でないようだったが、人影は敢えてそうせず意識をおとしただけにした。地面に彼を転がし、爪先でつついてもう一度意識を失っていることを確認すると、人影は彼が元いた場所を確認する。


『まあこの距離なら大丈夫だろう』

そのまま足音一つ立てず、焚き火の元に向かう。

物音をたてていたのは意図的、罠であったのだろう。

やがて人影は橙色の温かい光が辺りをささやかに照らしている、焚き火の傍にやってくるとその者の姿が明らかになる。人影は髪を髷に結い目を除いて布で覆っていた。

「さて……」

押し殺してはいるがその声の質、布の間から覗く眼は間違いなく黎である。

どうやら町中にいたときのように声は潰していないようだ。

恐らく必要が無いのだろう。

「それにしても……肝が冷えた」

昨日うっかり舜水とすれ違った時は肝が冷えた。

何とか逃げ切ってここまで、そう目的地まで彼に捕まらずつくことができた己が幸運には感謝する。

全く、舜の勘の良さには呆れるしかない。

苦笑しつつ背の包みを下ろし、右手でつかみ火の上にかざす。

空いた手で腰から小瓶を取り出しその中身を袋に振りかけ袋を液体で濡らす。

そして焚き火を覆わぬように、しかし、炎が届く場所にそれをそっと置く。

すると焚き火は袋に燃え移り、袋は青い炎に包まれる。


彼女はそれを確認することなく地を蹴り森の中に姿を消す。

「さあ、急がねば。恐ろしい猟犬共がやってくるっと」

どこか楽しげに小さくつぶやき彼女は目にもとまらぬ速さで冬になっても未だ葉の茂る森の中を縦横無尽に気配を消したまま駆け抜ける。

全く、夜哭に仕込まれた技も役に立つものだと思いつつ。

数分ほど走ったときか。


パァンッ


彼女の背後から高い破裂音が聞こえた。

恐らくこの音は森全体にこだましただろう。

丁度良い頃合いだ。振り向くことなく黎は微笑む。

そう、彼女は焚き火にくべた袋の中身は竹、袋を濡らしたのは強い酒である。

竹は燃えやすく、火の中で爆ぜ大きな音を出す。

『うむ、狙い通りだ』

彼女は木の枝に両足を乗せたまま心の中で呟きつつ両目を閉じ、耳を、感覚を研ぎ澄ませる。

すると森のあちらこちらから気配がその方向に向かっていくのを感じた。

あまりに忠実である故に時にあまりに愚鈍。

それが彼らの欠点だと彼女は思う。

黎は両目を開き木の枝から跳躍しようとしたがその前に人影が現われる。


「何奴」

目の前には彼女より背が高く体格の良い男。

彼女は僅かに片目を細め、ついていないと心の中で呟く。

恐らく、彼女と鉢合わせしたのはただの偶然なのだろう。勝負は時の運、こういうことはあるかもしれないと思っていたが実に幸先が悪い。

そんな彼女に男は警戒の眼差しを送りつつ匕首(ひしゅ)を構える。

その構えは森の狩人などとは違う明らかに人を殺めるためのものである。

彼女はそんな彼に対し溜息をつく。


「邪魔だ」

次の瞬間には黎は横薙ぎ、そして突きの形に振るわれた匕首の刃をすり抜け、彼の鳩尾に蹴りを叩き込み、同時に奪った匕首の柄で後頭部を殴る。

黒烏でも一瞬意識が飛びかける代物に男も堪らず意識を奪われる。

子供だったのならもう少し楽だったが、まあ手間がかからず良かったと思いつつ彼女は地を蹴る。


「待っていろ……」

まるで闇にまぎれるかのように気配を消して走る彼女は無意識のうちに呟く。

その言葉がだれに向けてのものかは聞き取れない。

しかし、強い殺意と憎悪が籠っている。

呟きつつも己の得物を確認し、高揚と緊張に揺れ動く心を鎮める。

視線の先に建物らしきものが見えてきた。


そこまで来ていったん後ろを振り返る。

振り返ったところで彼女は今やろうとしていることを思いなおすことは無い。

やらねばならぬことであり、同時に己が望んでいることであるから。

それが正解とはいえぬかもしれないが彼女はこうするのが一番と思った。

彼女の性質上一度決めたことはそう揺るがない。

特に人を殺めることに関しては。

気がかりなのは音で引きつけた連中がこちらに気づき追ってくること。

……その対策はすでに取ってある。




――舜、ちょっと貴方のことを利用させてもらう


そう、彼女をずっと追って来ている彼を利用せぬ手はないと彼女は考える。

そう簡単にはやられまい、といった彼の実力への信頼もある。

まあそんなことを考える己は屑だとは思う。

自嘲気味に笑いつつ、彼女はすぐに踵を返し駆け出した。





――再び舞台は一日前に巻き戻る。


「まさか貴様とこんなところであうとはな」

二十の半ばを少し過ぎた隻眼の男は腕を組みつつ溜息をつく。

「ああ、すごい奇遇だな」

舜水はニヤリと笑い、顔面蒼白で酷く怯えている男の肩から手を放す。

それを確認し、隻眼の男は構えかけた長柄の武器を納める。

「我に用があるんだろう? 」

舜水から解放された男は慌てて仲間の元に駆けて行った。

それを横目で見送りつつ隻眼の男は彼に警戒の視線を向ける。

「まさにここであんたを見つけたのは天運だ……盗賊頭領殿」

舜水は彼に向きなおり害意がないことを証明するかのように笑いかける。

そう、目の前にいるのは洟州で彼が退治した盗賊の頭領。

あの後彼らと戦闘となり彼らを完膚なきまでに叩きのめした。

しかし、峡谷からの撤退、盗賊の廃業を条件に彼らの命はとらなかった。

依頼者である州候は殲滅とまで言っていなかった故。

詭弁といえばそうかもしれないが舜水も黎と同じく無益な殺生は好まない。

まあ、それを破りし時は容赦なく地の果てまで追い、一人残らず殺すと脅しつけてはいたのだが。

戒瑜(かいゆ)という。盗賊はおかげで廃業、今じゃずいぶん数が減ってしがない傭兵稼業だ」

舜水の言葉に彼は右目を細めつつ肩をすくめる。

「まあこっちも仕事だったし堪忍してくれ……」

「恨んではいない。だが嫌みの一つでも言わねえと溜飲が下がらんからな」

そう言って彼は口を歪める。

左目を潰している傷は口の横まで達しているためひきつったように見えるが恐らく笑っているのだろう。どちらかというと皮肉な笑いだろうが。

「改めて言おう、戒瑜殿」

つられるように苦笑しつつも舜水は顔を上げ彼をまっすぐ見つめ、言葉をいったん切る。

「貴公に提供してほしい情報がある」

その声は凛と響く。それは彼なら知っているはずという確信に満ちた響きを帯びていた。

その言葉に戒瑜はふむと呟き目を細める。

「それなりの対価はもらうぞ」

「ああ」

戒瑜はその眼が嘘偽りのないものであることを確認し、ともかく情報の中身を聞き出すべきと単刀直入に切り出す。

「で、聞きたい情報というのは? 」


舜水は小さく頷き一語一句を確認するようにその知るべき情報について問う。









「――夜哭党の本拠の位置だ」



戒瑜に告げつつ彼は心の中で祈る。

どうか彼がこの情報を持っていますように、と。

時は一刻を争う。






――そう、黎の目的は夜哭殺害なのだから。



長い文章をお読みいただきありがとうございました。

竹って火にくべると爆ぜるのでOKですよね……ちと不安。ちなみに作品世界的に火薬は使用禁止にしているので(多分存在していない)竹にしてみました。無理があったらすみません。

盗賊頭領については後々再登場させるつもりだったのでここで登場。

設定が破たんしないようびくびくしつつ続けていきます。

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