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華と剣―fencer and assassin―  作者: 鋼玉
第二章 走狗動乱
20/50

二十、夢幻と宵闇

時刻はまだ日が昇る前。


黒鵺(こくや)が消えたぁ?! 」

早朝の紅華楼一階の酒楼の厨房にて、義慶は信じられないとばかりに舜水と覇玉に問い掛ける。

「ああ」

「葵沃と俺が交代したほんの少しの時間にな」

信じられないと酷く落ち込む葵沃の言葉を肩をすくめつつ覇玉が引き継ぐ。

覇玉も信じられない様子だが葵沃ほど動揺はしていない。


「義慶! あの女の剣も消えていました」

そう言って厨房に飛び込んでくる人間が一人。

まるで無理やり断たれたような切り口の粗い肩くらいの長さの髪が揺れる。

あちこちに包帯を巻きまいた未だ傷が癒えていない筋肉というものの存在を疑わせる華奢な肩で息を吐きつつそう告げた男の名は昭庸。

「油断していた訳、か」

義慶はそう呟きつつ気を落ち着かせるかのように、甕に柄杓を突っ込み水をあおる。

あの女の態度から考えられぬと思うが起こったことはどうしようもない。

「行先はわからんか? 」

畜生、と毒づきつつ義慶は昭庸に問う。


「わかりゃ苦労しねえだろ」

そんな彼を横目に覇玉はそう軽口を叩きつつ傍らの葵沃を見下ろす。

彼よりやや背の低い彼はただ俯き憔悴した顔で何かを考えている。

やっぱ惚れた女の行動が信じられないのか、とその様子を見て覇玉は思う。

彼自身もここ数日、まるで友人のように接してきたため信じられないのだ。

この数日逃げ出すような素振りを見せなかった。

それどころか夜哭党の情報、ひいては王都の内情について提供してくれた。

すべて嘘だったのだろうか。

そういえば一月も己らを欺き続けたものな、と口の中で小さくつぶやく。


「行き先はわかりませんが……先ほど紅蘭が馬が一頭盗まれたと」

「遠くに逃げたか……しかし何故今さら」

確かに彼女は傷を負っていたもののかすり傷であり、このように逃げることができたのならいつでもできたはずだ。

そして今さら夜哭党にも戻れぬはずだ。あれだけ情報をこっちに与えたのだから。

「まさかどこかで自刃してはおるまいな……」

「義慶! それはあまりに不謹慎です」

「あだっすまんすまん俺が悪かった」

不意に覇玉達に敗北し自刃した黒烏のことを思い出し、義慶はそんなことを口にするが、即座に昭庸が彼の頭を小突き窘める。

その顔は苦虫を噛み潰したようなものとなっている。

覇玉はともかく、本来医師である彼にとっては目の前で何をすることもできず人に死なれたのは非常に気分が悪いのだろう。




「なあ、葵沃。手前何を考えている」

「何も」

そんな様子を苦笑交じりで見つめつつ覇玉は未だに何かを考え続けている葵沃に眉を顰め問う。しかし、葵沃は何を言うわけでもなく俯いたまま曖昧に呟く。

「そっか。ならいいが」

彼は竈に寄りかかりつつ天井を仰ぎ、うす暗い天井にこの暗さでもわかるほどびっしりと生えた(かび)が視界に入り掃除が必要だなと苦笑する。

「なー義慶。黒鵺を追った方がいいよな」

「まあな……だが行き先がいまいちわからん」

このままにしておいても何の解決にもならんと覇玉は昭庸と未だに言い争っている義慶に視線を戻し、何となしに問う。

義慶も確かに捕縛しておく必要はないが、と思いつつも同意する。


――何より、もう彼女は大切な仲間だ。





「ここはいっそ人海戦術で」

「阿呆。北鶴の街も狭くない」

覇玉のあっけらかんとした提案を彼は一瞬で却下する。

それはそうだ。北鶴の街は州都ではないがかなりの広さがある。

本来貧民街が街として発展し、物流などの面から州都の副次的な役割を持つようになった街である。そのためいざこざが絶えなかった故、有志が集まって街を取り仕切るようになったのがこの鵬の原点である。

「そうよ。ハギョクあなた相変わらず馬鹿ね! 」


不意にこの場に似合わぬ可愛らしい声が響く。

その場にいる全員が厨房の入口ではなく勝手口の方に注目する。

白み始めた空を背に立つは薄紅色の襦裙をたすき上げにした可愛らしい異相の少女。

長い栗色の髪は二つに分けて三つ編みにし、その琥珀色の瞳は人海戦術などとのたまった覇玉に対し呆れた視線を送っている。

「鷹姫」

「何でギケイ(にい)までその(あざな)で呼ぶかなぁ……ともかくさ一応コクヤとか言うあの女……向かった先がわかったわよ」

両手を腰に当て彼女はそう報告する。

「本当か」

「マジか」

「どうやって見つけた」

「嘘じゃないでしょうね」

厨房にいた四人の男は三者三様ならぬ四者四様に反応を返す。

それにしても狭い厨房に大の男が四人もひしめいている光景は傍から見て暑苦しいものがある。

「嘘じゃないし。えっと、とりあえずシュンの質問に答えるけど、単純に屋根を飛び移りつつ四方八方見回したってだけ」

男たちの反応に若干口の端を引きつらせつつ鷹姫はそう言って見回すしぐさをする。


「手前どういう視力してんだよ……」

「弓手は目が命なのよ」

あんぐりと口をあけ呆れた様子で呟く覇玉に対して彼女は己が目を指さしつつ返答する。

実に的確な返答であるが、やはり常識というものから考えると信じられない事実である。

「ところで鷹姫、一つ聞きたい」

「なあに? シュン」

舜水は何かを考えるように頬を人差し指でトントンと叩きつつ彼女に尋ね、彼女は覇玉に見せた表情とは打って変わって可愛らしい笑みで彼に答える。

実にわかりやすい少女である。

「お前黎の顔を見ていないのに何故わかった」

そう、鷹姫と黒鵺、いや黎は一度も顔を合わせていない。

単純に怪我人の手当てやら片付けで忙しかったのもある。

それ以上に黒鵺と鷹姫を合わせると面倒事が増えることは皆承知していたため敢えて会わせないようにしていたのだ。故に鷹姫は黒鵺が女である程度しか知らない。

だが、彼女は言いよどむことなく、ああ、と呟き返答する。

「馬よ。姉さまから馬がとられたこと聞いてその馬を探してみたの。乗ってる人間は薄暗くて良くわかんなかったけどね」

彼女は弓を使うため馬に乗ることが多い。

故にここにいる時は馬の世話を引き受けているため馬の特徴などはおおよそ頭に入れているのだ。だが、街の中からそれを見つけるのは人間業とは思えない。

『常識を超えているな』

胸を張って自慢気に笑う鷹姫に四人はほぼ同時、ほぼ同じ言葉で突っ込む

「何よ。皆だって常識外れじゃない」

ぷぅっと四人の様子に彼女は頬を膨らませる。やはりこういうところは年相応の少女である。


「…………その馬はどっちへ向かって行った? 」

このまま置いておいても埒が明かないとばかりに義慶は首を左右に振り鷹姫に問う。

すると彼女は話題がそれかけていたことに気づき、あちゃあと口の前に手を当てた後、返答する。

「北よ。おそらくは漓岳(りがく)へ向かったんだと思うわ」

「なるほど」

「本当は足止めしたかったけど……馬撃つ訳にはいかないし、矢の一本や二本で止まる相手じゃないし」

彼女はその小さな背に背負った無骨な弓と紅い目玉が描かれた矢羽根の覗く矢筒を指さし溜息をつく。

「とにかく漓岳の連中に文を送ってこっちからも追手を出すか」

義慶は小さく頷き、鷹姫の頭をくしゃくしゃと撫でる。

鷹姫は髪の毛ぐしゃぐしゃにしないで、といいつつも役に立てたことがうれしく、照れ臭そうに微笑む。




「恐らくそれは揚動だ」

しかし、不意に鷹姫への突っ込み以外は俯いて何かを思考していた葵沃が口を開く。

「根拠は」

「状況、あいつの性格から見て一体何を成そうとしているかだ」

恐らくどうにかして身代わりを立てたのだ。

聞こう、と義慶は彼の言葉に耳を傾け、彼は厨房の外へ足を踏み出しつつ答える。

「あのアマが何をやらかそうとしてるのかわかるのか? 」

覇玉はそんな彼の迷いのない様子に眉をひそめ問い掛ける。

覇玉の問いに葵沃は振り返り、僅かに目の端を歪ませ、悲しげにつぶやく。

「あいつは俺の半身だからな。条件がそろえば目的を察することなぞ容易い」

「確かに二人ともどこか似てますもんね」

昭庸もその言葉に同意する。

彼は二度ほど体調把握なども兼ねて彼女と会話している。

確かに表面上は違うように見えるが、根本的な部分はよく似ているように彼は感じていた。

恐らく、互いの切り抜けた状況をそっくり入れ替えれば全く真逆の状況が起こるだろう。

だからどうしようもなく惹かれるのだろう。


「まあな。あいつの目的はこの状況ではただ一つ――」

全くあいつも馬鹿だよ。全部自分でひっかむりやがって。

心の中で呟きつつ彼の予想した彼女の目的を告げる。


恐らくは――間違いはない。


その言葉は彼らを沈黙させるに足る事実であった。

各人が俯き、神妙な顔になる。

「まさか……」

そんな様子を葵沃はどこか悲しげに見つめつつ一端厨房を後にする。



「信じられぬがあり得ぬことではない」

「ですね」

義慶と昭庸は割と冷静で互いに顔を見合せ苦笑する。

彼女の性格を考えればそれはあたりまえに存在する選択肢。


――あの黒烏といいあの女といい暗殺者というものは何故ああも死に急ぐのか


「まあ、葵沃の野郎も似たようなもんだよな」

義慶達の心中を察したように覇玉はただ彼の去って行った先を見つめ呟く。


――暗殺者と剣客、真逆なようで結局は同一なのかもしれない。



数分後、外套を身に纏い雑嚢に必要最低限の物資を詰め二本の剣を手にした葵沃が姿を現す。

「行くのか」

その姿を一瞥し義慶は動揺することもなく問う。

「ああ」

「人は必要か? 」

答えは分かっている、思いつつも問うておく。

予想通り葵沃は静かに首を振る。


「お前ら、自分らの目的忘れんなよ」

慈善団体じゃないんだろう、と笑う。

落し前をつけ保留中の狼藉者を追う必要性も何もない。

むしろ黎の目的を考えるとそれはあまりに愚かといえる。

「確かにな」

義慶は竈にもたれかかったまま俯き、苦笑する。


「……それにこれは俺達の問題だ。世話をかけるわけにはいかない」

双剣を腰に結わえつつ葵沃は呟き、外に向かって歩き出す。

「無理しちゃだめですよ」

「いつかあのアマも交えて三人で呑もう」

もう、止めても仕方が無い。

昭庸と義慶はそれぞれ彼らなりの言葉をかける。

「善処する」


振り返らず、それだけ答える。

そして構わず歩いて行こうとしたとき、裾を引かれ、振り向く。

「そんなにあのコクヤって子が大事なの? 」

そう、鷹姫だ。

頬を膨らませ目の端に涙をためている。

人を射ることに全く抵抗を覚えないことを除けば所詮は普通の少女。

恋はするし、想い人を危険にさらしたくはない。

そして嫉妬位したいのだ。

それがどんなに馬鹿げていると分かっていても。

「勿論」

だが、葵沃は振り向くことさえせずその手を振り払う。

ここで振り返り、鷹姫の顔を見てしまうと思いとどまりかねない。

己が世間的に見て情けない男だと自覚しているから。

「わかった。でも約束よ。絶対に戻ってきて」

ふりはらわれた手を僅かに握りしめようとし、すぐに小指を振り払った手の小指にからませる。

葵沃はその意味を察し二、三度小指を絡ませるように振り、それを放す。



絡めた指が離れた瞬間、彼は僅かに口の端を歪め、地を蹴る。

それを送り出すように彼の顔を横から朝日が照らし、僅かにそれに目を細めつつ彼は小さく頷く。

時は一刻を争う。


彼はただ駆ける。

南を目指して。

その眼はその故事の通り南を目指す鵬のものでも、国一と謳われる剣客のものでもない。


ただ一人の女を止めんとする男のものであった。












それから一日ほど経った夕方祷州の南、首都州皓州の北部に位置するある街にて。

「これで足りるか? 」

西日が射さず、暗い裏通り。

そこに立ち並ぶ合法、違法をないまぜにしたものを売る市場。

その中の一つの店で、しゃがれた声でその人物は巾着より銀子(ぎんす)を掴み、店主に手渡していた。

「ああ」

店主の頬に大きな傷のある初老の男はそれを受け取り、その助手らしき青年が客に麻袋に入れた商品を手渡す。

客はそれを受け取り、袋から出してまじまじとそれを見つめる。

暗いためその形状はわからないがそれは夕闇にギラリと凶悪な光を見せる。

そう、周りを見回せば店内は実に物騒な様相を醸し出している。

剣に刀に槍に大刀。

古いものに新しいもの使い方の分かるものから分らぬものまで。

共通するのはそれらが人を殺めるために存在する凶器であること。

埃の匂いだけでなく鮮血の匂いでもしそうな感じである。

「十分」

客はその形の整った薄い唇の端を満足げに上げ手渡された麻袋にそれを仕舞う。

しまった瞬間じゃらじゃらと金属の擦れる音が鳴る。

それは購入したものが一つでないことを示していた。

「この店に来てよかった」

「そう言ってくれると商売のやりがいがある」

店主もその言葉に頬を綻ばせた。


そしてその客が去って行ったあと店主は溜め息を一つつく。

「おっかないですよねぇ全く」

青年は僅かに肩を振るわせつつ雇い主に同意を求める。

「あれは筋金入りの殺人鬼の眼だ。ああいう手合いは何度見ても嫌になる」

「あんなんに売っちまってよかったんですかね? 」

店主も明らかに堅気でないようだが、青年の言葉には同意する。

この店には普通に武器を求めてくるものも多いが、それに混じってあのような凶悪な手合いもよく訪れる。店主自身も過去はいくつも修羅場をくぐって来ている。

何度見ようが慣れたつもりでいても、やはり怖い。


だが。

「とにかく来た客の求めるもの売ってやればいいんだよ。それで万事こともなし」

「そういうもんですかね」

客の去って行った方を見詰めつつ青年が肩をすくめる。

「無駄に詮索しない。それが長生きする秘訣だ」

青いな、と呟き店主は青年の肩を叩いた。




「急がねば。そろそろ舜水が追い付いてくるころだ」

客、逃亡時に厩の近くにいた鵬の人間を身代わりに仕立て上げ、己はまっすぐ逆の方向に向かった黎はそう呟く。

その声は薬をつかって潰してあり、服も男物を身に纏っているので彼女であるということはうかがい知れない。

そんな中彼女は思う。

恐らく、舜水はすぐに彼女の揚動に気がついたはず。

目的を遂げる前に捕まっては何もならない。


全くもって荷と剣を同じところに置いてくれていて助かった。

鵬の人間の甘さに僅かに苦笑しつつ彼女は南に向かって歩き出す。


日は完全に沈みつつあり、暗い色の袍は闇に解け消えそうになる。

新しくそろえた武器の重みを背に感じつつ、彼女は駆けだす。

その脳裏にはやるべき仕事のみがあった。

舜水に頼るわけにはいかない私がやるしかないのだ。



「さあ、宴を始めるとしよう」

そしてその顔に凶悪な笑みを浮かべ、言葉を紡ぐ。



闇に解け消えるように駆ける彼女の眼は青き炎のような冷たさを宿した熱さを感じさせる。


だがそれは間違いなく暗殺者という闇に生きる者の眼であった。


長い文章を読んでいただきありがとうございました。

今回は新しい展開への序章の割にながいですが……

今度は黎を舜水が追いかけていくパターン。

黎の目的は何となく予想がつく方もいるかもしれませんがまだ明かしていません。

黎は基本剣プラスその他武器を使うのでまた新しく何かを購入しています。

まだまだ物語としては続いていきます。

ご意見ご感想お待ちしています。


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