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華と剣―fencer and assassin―  作者: 鋼玉
第一章 双恋双殺
19/50

十九、鵬翼天翔

――手負いの(おおとり)はそれでも南を目指す。

――敗北の(ばけどり)はただ己が裁かれし時を待ちわびる。




鵬の頭である義慶は姿勢を正し己を見上げる女を見下ろし穏やかに口を開く。

「さて、君に対する裁定を下したいところだが……っ」

彼女にやられた満身創痍の顔に威厳をもたせようとするが、痛みに顔を歪める。

無理もない。彼女との戦いで負った傷は常人なら立ってはいられないものであるから。

「いかなる裁きも受ける所存だ」

女、黎は涼やかな本来の声、変わらぬ武人めいた口調で答え彼の答えを待つ。

舜水は何か言おうとするが、覇玉が空気読めと(たしな)める。

「君は今でも俺達に害為すつもりはあるか? 」

困ったようにまだ生々しい切り傷の残る頬を掻きつつ義慶は尋ねる。

黎は一瞬舜水に視線を動かし目を伏せて首を左右に振る。

「あるわけがなかろう」

舜水との和解が己を闇の中から引き戻してくれた。

もう、戻ることは望んでいない。

視線を上げずに彼女は小さく微笑む。

「そうか……」

その返答に、義慶は満足げに呟いた。

そんな二人を覇玉はふむ、とあごに手を当て意味ありげに笑う。

その笑みから何かを感じ取ったのか舜水は、まさか、と呟く。


「まあケジメはつけさせてもらうよ」

義慶はそう言って微笑み懐からあるものを取り出す。

ただ静かに彼の言葉を待っていた黎は、彼の手に握られたものを見て息を飲む。

「それは……」

銀色の金票(しゅりけん)。義慶との戦いの引き金にして終焉たる手の平ほどのか弱い凶器。


――しかし、その先には致死の毒が塗ってあるはずである。

――もちろん塗ったのは彼女自身。


「そ、君自身が塗った毒がついているはずだ。それを受けてもらう」

義慶はただ笑う。

死をもって制裁を行うかそれとも……

己の好きな賭けになぞらえるのも一興。

「そういう訳か」

黎はその眼を細め皮肉気に笑う。

己れに己を裁かせる、実に効率的。

舜水は覇玉がきっちり抑えているため止めに入ることは叶わない。

ほんの少しでも毒が残っていれば黎は死に死を持って裁きを受ける。

お互い異存は無い。

義慶は鵬という集団を率いる故、狼藉者である黎を裁かねばならない。

黎は、その裁きを受け入れねばならない。


義慶は金票を握った手を一閃させる。

黎は、己に迫る金票を笑みを浮かべつつその瞳に映す。

彼女の眼には目にもとまらぬ速さで迫るそれはゆっくりと迫っているように見えた。






金票が彼女の肩口、偶然にも黒烏と行った狂言で裂かれた場所と同じ部分に突き刺さる。

彼女の眼は見開かれ、その痛みに僅かに顔を顰める。











目を見開いたままの彼女は、僅かに呻く。

そしてその口が――笑みの形に戻った。





「どうやら賭けには勝ったようだな」

黎は金票を引き抜きつつ苦笑し、血に濡れたそれに舌を這わせる。

己の血の味以外に味はせず、毒が残留していないことが分かる。

暗殺者は長年の鍛錬により毒にある程度の耐性を手に入れていることもあるが、彼女はその能力はともかく、にわかづくりの暗殺者であるので毒を飲めば一般人と大して変わらない。

そもそも金票に彼女が塗った毒は非常の強いもので、鍛錬を積んでいても死に至るものであるが。


『茶番だな』

舜水は唇のみを動かし呟く。

その顔は言葉とは裏腹に安堵に満ちたものである。

『それを望んでいたんだろ』

唇の動きを読み、覇玉も、声を出さずに苦笑する。




――そう、全ては茶番である。


結局のところ鵬という集団はどこか甘いのだろう。

それは本人たちがよく理解しており、それでよいと思っている。

血を流さねばならない――だがそれによる恐怖で人を統べるのは愚行。

どこまでも的確かつ冷徹な王、夜哭党とは真逆とも言える主義。

だが、彼等はそれを掲げ王へ敵対する。


「ともあれこれでケジメがついた」

義慶はそう言ってどこか安堵の混じった表情で苦笑する。

確かにこの場で彼女を殺すのが最良。

彼女という絶対的な敵を見せしめに処刑する。

恐らく彼女は抵抗せず、現にその役に徹する心づもりだったようである。

しかし、彼はそうしなかった。己が掲げる信条に逆らい、己の目指す先を違えたくは無い故。


――甘い、確かにそうかもしれない。

――しかし、それ以上にそうせざるを得ない


彼は俯きこめかみを人差し指でトントンと叩きつつ考える。

その眼はいつもの大らかな様子ではなく鋭さを籠もった頭領のもの。


彼は名は知らないものの黒烏が死んだことを知っている。

士気を高めるなら、そちらのほうのみで良い。

彼女を処刑すれば恐らく舜水は敵対までもいかずとも離反する。

二人の暗殺者によって物理的にも精神的にも蹂躙された鵬にとってはかなりまずい。

それに彼女の利用価値はかなり高い。


彼は決して善人ではない。

ただ傾いていく国を見ていられない、それだけである。同じ志の仲間を率いただ前を目指す。仲間を思いやるだけでは頭目としては三流。優しさだけでは何もなすことなぞできぬ。

時には仲間を疑い、そしてそれ以上に信じる。

時には利用し、切り捨てる。

それが鵬の頭目である趙義慶という人間である。

まだまだ甘い部分もあるが……


「さて、黒鵺(こくや)殿。一つ提案がある」

不意に義慶はこめかみを叩く指を止め顔をあげる。

黒鵺、黎は金票を覇玉に投げ渡しつつ小さく頷く。


「夜哭党を裏切ってほしい」


その言葉の向けられた黒鵺は僅かに息を呑み動揺を顔に表す。

予測はできた。だがやはり動揺してしまっていた。

だが、すぐに首を左右に振り、皮肉気に笑う。


「間諜の真似事を望むなら無理だぞ」

夜哭にそんなものは通じん、と彼女は心の中で呟く。

夜哭党は全ての情報を彼が統括しているため下にいる者は自分の任務程度しか知らない。

仮にその情報を流そうにも夜哭もしくは監視の任に当たっているものに感づかれる。

夜哭は論ずるまでもないが、監視役は暗殺者ではないものも多いが間諜としての能力に長けた者たちばかりであるから。

「わかっている。だが、君の知りうる奴らの情報、そして貸してほしい……君の力を」


「義慶……お前黎を駒に使うつもりか? 」

先ほどまで、覇玉に口元を塞がれていた舜水は彼の手を振りほどき、鋭い視線を義慶に向ける。その視線はどこまでも強く、彼女を同じような境遇に落とし込むことを絶対的に許さぬといった様子である。

「今、我々には少しでも多くの力が必要だ。それに葵沃……君がどうこう言う問題ではない」

「だが……」

「舜、もういいんだ」

舜水の視線に物怖じせずに答えた義慶。

なおも食い下がろうとする舜水を黎は柔らかく微笑みつつ制する。

舜水はその笑みに、反論の余地をなくす。

諦めというより、受容。

そんな感情の入った笑み。

たとえ光の中に戻れずとも、ただ光に寄り添う影としていられるのならそれで充分。

そのためには…………いや、まだ考えるべきではない。

何かを思いかけ、その思考をいったん停止させる。


「なに、俺達の仲間になれという訳ではない、葵沃と同じく協力者となれというだけだ。やってくれるか」

「善処しよう」

差し出された手をがっしと握る。

ここに一つの協力関係が生まれた。






「傷のこともあるし、まだ皆君を信用していないからしばらくこの状態でいてもらう。監視は舜水、覇玉が交代で行え」

義慶はそう言いつつ踵を返し、部屋を出ていく。髷を結った余り布が彼の動きに合わせ揺れる。

「是」

「……了解」

覇玉と舜水はそれぞれ了解の意を示す。

「あ、そうそう。葵沃、ちょっと来い」

部屋を出たところでひょいと再び顔を出し舜水に手招きする。

「え? 」

不意をつかれ一瞬黎の方を見やる。

「いいから来い」

そして念を押すように掛けられた言葉と、行ってこいと言わんばかりに頷いた黎に舜水は仕方ないとばかりに義慶を追って部屋を出た。






「ったく、女が絡むとあそこまで情けないさまになるたぁ驚きだ」

去っていく舜水を目で追いつつ覇玉は部屋の隅の恐らく舜水が彼女の目覚めをまち、寝泊まりしていた(ながいす)に腰かけつつ呟く。

その様子は呆れというより愉快だといった感じである。

「日ごろは違うのか」

黎はそんな彼の様子を観察しつつ膝を抱くように腰かけている。

確かにらしくないといえばらしくないと彼女も思っていた。

「まあな。まだ青いっちゃ青いが大した男だ」

壁に寄りかかりつつ覇玉は愉快そうに笑う。

三十近い彼にとっては舜水はまだまだ子供なのだろう。

だがその振る舞い、実力に関してはそこそこ買っているつもりである。

「それほど手前を思っているんだろうよ」

けらけらと笑う彼に彼女は僅かに頬を染める。

彼女にとって舜水はこの上なく大切な存在。

いや、彼女が女性として振舞えるのは舜水の前以外あり得ないであろう。



「しっかし、手前も大したアマだ。義慶を追い詰め、葵沃と引き分けるなんて普通考えらんねえよ」

彼は腰に下げていた流星錘をくるくると回しつつ、彼女を見やる。

一月ほど前より紅華楼で働き始めた小娘がここまでとんでもない存在だと気付けなかったこと、己が未熟を反省する。

「偶然だ」

これは半分は嘘であるが、半分は本当である。

彼女自身も正直鵬を舐めていた。

まさかここまで苦戦するとは思っていなかったのだ。


「なあ……一つ聞きてえことがある」

先ほど彼女から手渡された金票を手の平で弄びつつ彼はゆっくりと口を開く。




「あの妙な刀を使う男の名は知っているか? 」

彼の眼は真摯そのもので、その男に対する敬意が籠っている。

その眼から何かを読み取ったのか黎はくすりと笑う。

「何故そのようなことを問う」

「それは……」

「くたばったんだな」

彼の態度と、その満身創痍の姿から彼女はそのことを理解する。

その顔は愉快というより解放されたという晴れやかなものでそれであってどこか寂しげな色を帯びていた。そんな彼女の様子に覇玉は首をかしげる。

「仲間なんだろう? 妙に嬉しそうだが」

「まあ仲間といえば仲間だが、そう意識は無かったな……」

「そうなのか」

釈然としないのか覇玉は相槌を打つ。


「――黒烏という」

笑みを不意に真顔に戻し、黎は呟く。

「へ? 」

突然告げられた名に一瞬理解が追い付かず彼は呆けた顔になる。

「あの男の名だ。真の名かは知らぬが」

目を伏せつつ彼女はそう呟く。


「黒烏、か。胸に刻んでおこう」

――同じ武人として、その強さと意志に敬意と畏怖の意を示し。

覇玉はそう思いつつ襟元を握りしめる。

それほど黒烏は彼を追い詰めていたのだ。

鷹姫の助力が無ければ間違いなくやられていた。



「頼みがある」

視線を上げ、彼女は彼をまっすぐ見つめつつ姿勢を正し頭を下げる。

「何だ? 」

「こんなことを頼めた義理ではないが、黒烏をちゃんとした墓地に葬ってほしい」

それは共に一時的な仲間として彼女の策に乗り死んだ男への最後の義理。

もし、狼藉者としてまともに葬られぬのなら心苦しい故。

「了解した」

覇玉はあっさりと了承する。

己をここまで追い詰めた敵に対し、彼もそうしたいと思っていた故。

「かたじけない」

黎はただ静かに叩頭した。


「……奴の死に様はどうだった? 」

頭を上げつつほんの少し言い淀みつつ彼女は問い掛ける。

己も言えた義理ではないが元々長生きできぬ性格の男であった。

だが同時に彼女も認めざるを得ない強さの持ち主であった。

故にその最期くらいは聞いておこうと思ったのだ。



「自ら命を絶ちやがった」

ふう、と溜息をつき覇玉は金票を榻に置き天井を仰ぐ。

「なるほど。奴らしい」

「立派な死に様だったよ」

彼女の言葉に頷き一言だけ付け加える。

それだけ聞ければいい、と黎は笑う。


「……あの男は仇だったんだ」

俯いてただ黒烏のことを思い浮かべつつ呟き唇を噛みしめる。

その瞳は怨霊を思わせるような見る者を凍りつかせるもの。

確かにあの男は無機質なからくり人形のような男。孤児院の仲間の、そして己自身の。

南の地で夜哭の介入で殺し損ねたが、過去の雪辱を晴らすことができた。

だが、やはり己が手で殺したかった。

「そうなのか」

「まあ死んじまったからどうでもよくなったよ」



「……この手で殺したかったんだがな」

「すまん」

両手を見つめ呟く彼女に何となく悪い気がして覇玉は思わず謝る。

彼女はひとしきり苦笑した後その視線を覇玉に戻す。

覇玉は何を考えることもなく彼女の表情を目にした瞬間思う。とんでもない女だと。

確かに姿形は女だが、その内に強い意志と同時に消えることの無い狂気を抱いている。

恐らく恐ろしさから言ったら黒烏以上だ。


正直今まで女っ気のなかった葵沃があれほど庇い想うことを正直理解できない。

こんな女に惚れることも惚れられることも願い下げだと思う。


――だが、友としては面白いのかもしれない。


「何がだ? 」

どうやら思っていたことを口に出してしまったようだ。

黎は訝しげに彼に問い掛ける。

「何でもねえよ」

くくっと喉を鳴らすように覇玉は笑う。

「そうか? 」

黎もくすくすと笑う。

だが心の底で未だに後悔している。

やはり黒烏を死なせたのは惜しかった。

仇として己が手でその首を刎ねたかったのは勿論だ。

――そして、駒としては彼を高く評価していたから。


「そういえば覇玉殿、貴公の勇名よく耳にしている」

その思いを振り切ろうと黎は身を乗り出すようにして彼に話しかける。

一応彼も舜水、夜哭と並ぶ強者として名高く、彼女は以前から警戒と共に強い興味を抱いていた。むしろ今回、義慶を暗殺するためにこのような面倒な手を使ったのは彼をはじめとした数人に警戒していたからである。

「おう、それはどうも」

笑うのをいったん止め覇玉はその言葉に僅かに照れたそぶりを見せる。

「流星錘を使うんだったか。それか? 」

黎は彼の腰につけてあるそれを指さす。

一応彼の愛用品は黒烏によって破壊されたため今彼の腰につけてあるのは替えのものである。

「ああ、一応な。興味あるのか? 」

「いや、単に武芸を嗜む者として手合わせしたらどうなるのかな、って」

そういう彼女の眼は子供のように輝いている。

彼女自身は流星錘の扱いは心得ているし、その類である錘のついた縄は義慶との戦いで用いている。

だが、純粋に流星錘を操るものと戦ったことが無かった故、どのような戦い方になるのか気になったのだ。暗殺者というより武人としての性とも言える。

しかし、覇玉は顔を引きつらせ、パタパタと手をふる。

「全力で断る」

「おや惜しい」

いや、本当にお前なんかと戦ったら命がいくつあっても足りねえって、と付け加え笑みを零す。

そうかな、と彼女もけらけらと笑う。



その様子は傍から見たら友人のように見えただろう。


しかし、覇玉は彼女の見張りという役を忘れていなかったし、彼女はただこのようなことを思っていた。


この場にとどまれば、そのまま平和と行かずとも安穏とした日々を送れるのかもしれない。

だがこのままこの場でじっとしていくわけにはいかぬと。


――そう、彼女はまだ闇から抜けるために為さねばならぬことがあるから。





それから数日は実に穏やかなものであった。

黎のことを許さぬものも多いためは義慶、舜水、覇玉、紅蘭を除いた者と顔を一度合すか合わさない程度であったが、彼女は大人しく、協力的な態度を示した。


そして義慶とは信頼できる関係を築き。

舜水とは相変わらず距離感は微妙なものの恋人として。

覇玉としては早くも友人として。

紅蘭とは嫌味を言われつつもそこそこ打ちとけ……



――ていた。





しかし、五日が経った頃。










何の前触れもなく監視の交代、その一分にも満たぬ時間に――

まるで彼女の存在そのものが(しん)の出す幻のように。






――忽然と姿を消した。



お読みいただきありがとうございます。

今回は舜水の存在感がかなり希薄。

その代わり義慶と覇玉が出張ってきています。

というか、黎は地味に怖い子……覇玉は怖がっています。覇玉の友とはどっちかというと観察対象といった感じ。

最後の急展開、いよいよ次の章に入っていきます。

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