十七、血涙飛散
再会を誓った少年と少女
別れの時より七年。
二人は時の流れ、時代の流れは彼らを翻弄する。
そして彼らが再会する時がきた。
少年は国一と謳われる剣客に。
少女は国内屈指といわれる暗殺者に。
――そう、彼等は王の敵と狗となったのだ。
敵として再会し過去を打ち消すかのように切って落とされた戦いの火蓋は今収束しようとしていた。
怒りと悲しみ、戸惑いと嘆きに包まれた戦いの結末は如何に。
風が止み、冬の体の芯まで冷やすような夜気が漂う。
この国の北に位置する祷州は冬が来たばかりといえど、夜は非常に冷える。
街の外れ、かつてこの国を興した王を密かに祀る朽ちた廟のすぐそば、そこで向かい合う二人。
互いの首にピタリと当てられた、白刃と黒刃。
互いの首は僅かに裂かれ鮮やかな赤い筋が首筋を這い、襟口を濡らす。
『殺せ』
二人は同時に呟く。
その表情は落ち着いていて何かを悟っているようにも見える。
しくじろうが為そうがどうせ地獄の道。貴方に葬られれば本望。
黒鵺、黎が思う。
確かに国を変えたい。だが、彼女を殺してまで成し遂げたいとは思わない。
葵沃、舜水が思う。
死をもって救いとする破滅的としか言えない結論。それはこんな場での再会、そして戦いの結果が彼らをその結論へ導いたのだろう。
黒鵺の大きな瞳から涙が零れ、闇に飛散する。
葵沃はそんな様子を見てその猫のような瞳を悲しげに歪める。
当然である、彼らはこのような結末は望んでいなかった。そして時代の流れを心より恨んだ。
国の変化による動乱が無ければ恐らく、こういうことにはならなかったのだろう。
だが皮肉なことに親に捨てられた彼女と一族郎党を王によって処断された彼を引き合わせたのも、国の動乱故である。
「違う形で再会したかったな」
「今さら遅い」
ぽつりぽつりと互いに呟き苦笑する。
夜風が彼らに容赦なく吹き付けるが、二人は指先一つ震わせることが無い。
特に黒鵺はこの季節にするには非常に寒そうな格好である。
状況から考えて当然と言ったら当然だが。
「斬らぬのか? 」
「そちらこそ」
そしてしばし静寂のみが支配する。
首に当てられた刃は動かない。
そんな二人を冬の澄んだ夜空に浮かぶ望月を数夜ほど過ぎた月は哀れむわけでなくただ穏やかに照らしていた。
そんな中、少し離れた廟の傍で義慶と紅蘭をはじめとする鵬の人間が目を覚ます。
彼等は自分の命がまだあることに驚き、そして互いの首に剣を添えた葵沃と黒鵺に気づく。
白い刃と黒い刃、夜の闇に黒く染まる外套と夜の闇に浮かぶ白い小衫。
遠目から見ると黒と白が交差しているような奇妙であるが幻想的な光景。
そして二人の顔には相手に対する愛しみと、それを塗りつぶすようなどうしようもない隔絶による悲壮が張り付いていた。
「止めなければ」
目を覚ました男の一人が呟く。
「やめときや。今動くのはまずい」
そんな彼の口を手でしっかりと塞ぎ、紅蘭は囁きかける。
彼女に彼は不満げな視線を向けるが、彼女はその拘束を解こうとしない。
「お前さんが出て行った拍子に連中の手が滑ったら目も当てられない」
「だが……」
そう戸惑う男に紅蘭は口元に笑みを浮かべつつ答える
「値の勘だけどさ、それほど経たないうちに事態は動く」
『そういえば前に言ってたような気がするねえ』
しぶしぶ納得した男から手を放しつつ紅蘭は思い出す。
『お前さんさ、女っ気ないけどいるのかい? 』
この二年のうちのいつかだろうが、いつかははっきりしない時。
彼女は右の小指を立てつつ葵沃に尋ねた。
それは彼女が妹として育てていた鷹姫、芙蓉の彼への思いを感じ取った故。
『ん、ああ』
彼は剣の柄に結わえた紫花の染め抜きのされた飾り布に僅かに触れつつ答えた。
恐らくは癖の様な物なのだろう。
彼は意識はしていなかったようだが、彼女はその動作を見逃さなかった。
桔梗。確か花言葉は、誠実だったか。
――いや、変らぬ愛というのもあったわねえ
『おや、そうかい。そんな話聞かないんで男色の気があるかと思っていたよ』
芙蓉には教えないほうがいいわね、と彼女は心の中で思いつつ冗談めかしてカラカラと笑う。
『気色悪いことを言うな』
若干口の端を引きつらせて葵沃は笑う。
『んで、どのあたりまで進んでいるんだい』
そんな彼の様子にくすくすと笑いながら彼女はいう。
『それは……』
顔が蒼白になり、彼は言葉を濁す。
その瞬間彼女はまずいことを聞いたと直感した。
そういえば、自分たちと出会ったころ、彼の育った孤児院が焼き討ちに遭ったのだったか。
王都で雪娥という女の処刑された場で出会い、それから取って返すように柏州に向かい、彼女の店に尋ねてきたとき、葵沃は触れれば壊れるかのように憔悴しきっていた。
それからずいぶん回復はしていたが、恐らく、その彼の思い人はその件に巻き込まれたのだろう。
『まずいことを聞いたかい』
『いえ……』
『とにかく済まんね』
彼女は申し訳なさそうに笑い思った。
彼にとってその女はかけがえのない存在故に他の女がどんなに言い寄っても彼は何も思わない。この男は性格からいっておそらく、彼女に想いをほとんど伝えることができなかったのだろう故に、彼女の存在を乗り越えることができない。
死者を見つめて生き続けるのは感心しないが、自分がとやかく言うものじゃない。
紅蘭はそう考えつつ、煙管に火をつける。
『じゃあ俺はここらで』
やはり居辛くなったのか葵沃はそそくさとその場を離れた。
そしてその後はそのような話題を紅蘭は彼にふることは無かったので、結局彼が割り切ったのかそうでないのかは知る由もない。
回想を終えつつ紅蘭は考える。
未だに想いを引きずっているようだが、彼は思い違いをしていたようだ。
彼の思い人は生きていた。
今、紅蘭や義慶、そして葵沃の敵として現われたというわけだ。
風月。今となっては別人のようではあるが、一月程度の付き合いだったが根は良い子だった。
彼女は何となくであるが風月の心の奥底に抱える想いを読み取った。
――敵として彼に殺されよう。
――彼の目指す未来への礎となろう。
紅蘭は自分も一人の男を想う身としてその想いは容易に読み取れ心に深く突き刺さった。
『葵沃が可哀想になってくるねぇ』
恐らく最悪の再会を果たしたであろう葵沃の身を案じる。
剣を突き合わせた二人の顔を見ると、彼女も身を摘まされるような気になる。
もし、愛しい義慶とそのような境遇に陥ったらと考えるとぞっとした。
その時、夜空を照らしていた月が翳る。
「動きだしたね……」
静止していた二人が動き出す。
紅蘭はその様子を見つめながら、最悪の結果にならぬことを願った。
黒き刃をまっすぐ彼の首に据える黒鵺。
黒目がちの瞳が一際歪み、薄いが形の良い唇から呻きが漏れ、乾いた音とともにその手から剣が離れ地に落ちた。
「……できない」
ぽろぽろと彼女の両目から涙が溢れ出し、月明かりを受け、それは夜の闇に煌く。
それは夜哭党の中で夜哭に次ぐ凄腕の暗殺者のものではすでに無い。
離別より七年、目の前の男を思い続けた女のものであった。
所詮彼女がどんなに決意しようが、どんなに自分に言い聞かせようが殺すことなぞできるはずが無かった。
たとえそれが後にどのようなことにつながろうが、数多の人間を葬ろうが彼を殺すなぞできるはずが無かった。
彼を愛していたから。
ただそれだけの単純な理由で。
そして、彼女が選ぶことができたもう一つの道。
彼女が自害することで彼を生かす。
それは到底選べなかった。
己が自害すれば彼の心の中に何らかの影を残す。
確かに己の存在を刻みつけたいと考えるならそれもありだろう。
だがそれはあまりにも意地汚く彼女は無意識のうちに拒んだ。
――だから敵として彼に殺されたほうが後腐れが無くて良い。
確かに彼女は暗殺者に向いていたのかもしれない。
だが、葵沃、舜水を殺す者としては失格であった。
彼女の心に何が潜もうが何をたてにとられようが変わることはないだろう。
彼と戦うことを選び、殺さぬことを選んだ。
それは偶然の重なったもののようで彼女が望んだ結果とも言えた。
涙が襟口まで零れ落ち、血の跡を薄れさせる。
対して葵沃は一度目を閉じ、小さく頷き目を開く。
そして両の目を閉じ、己の首が裂かれる時をただ待つ黒鵺を見据え、音もなく剣を鞘にもどす。
「……人の心持つならば愛する者を殺すことなぞできん」
――殺せるのならそれは人の心を捨てた鬼だ。
それが彼の出した答えであった。
その囁きに黒鵺は小さく肩を震わせ、うっすらと目を開き、息をのむ。
「俺もお前を殺すことなぞできるはずが無いじゃないか」
言葉とともに向けられた笑顔に彼女は崩れ落ちるようにへたり込み俯く。
もう彼女には彼を殺す意思は無かった。
そして七年もの間抑え続けた想いが湧水の如く溢れ続けていた。
彼女は俯いたまま静かに涙を流し続ける。
そんな彼女に彼は自分の羽織っていた外套を彼女にそっと被せ、心の中で呟く。
我慢していたんだな……
二年前彼女の故郷と呼べる孤児院を失い、残る子供の命を引き替えに仇の軍門に下った。
ただ命じられるままに人を殺め続けた。
彼女はどれだけ苦しんだのだろう。彼には想像がつかなかった。
そして彼女を強く抱きしめる。
「……生きていて本当に良かった」
彼女はただ彼の胸に額を押し付け泣きじゃくる。
このように泣きじゃくるなぞ情けないと思いつつも彼女はその涙を抑えることができなかった。
「お前はもう苦しむ必要が無い」
彼はただ彼女を安心させるために笑いかける。
しかし彼の瞳にも僅かに涙が滲んでいた。
その言葉に彼女は顔をあげ彼を見つめる。
そして弱弱しくではあるがくすりと笑った。
「男が軽々しく泣くな」
「軽々しくはないさ」
「本当に済まなかった」
「いいんだ。もう何も言うな」
ただ二人静かに抱き合い涙を流す。
開いてしまった溝を埋めるかのように、互いに己の不甲斐無さを噛みしめ詫びるかのように。
静かにただ涙を流し続けた。
七年の時、それはあらゆるものを変化せしめたが二人の互いに対する思いは欠片も変わることなく、むしろ強くなっていた。
それにより悲劇のみの待つ未来は僅かな希望の光明が差した。
こんな駄文をお読みいただきありがとうございました。
まだまだこの話は続きますが(一旦完結で新しく第二部として書いてもよかったのですが一話の冒頭につなげるにはそうするしかないので)お付き合いいただければと思います。
黎と舜の死闘の結果がこれでよかったかは自信がありませんが……
これからもよろしくお願いします