十四、葵鷹と膠着
覇玉達と黒烏の戦闘が遠巻きながらかろうじて見える家の屋根に少女は音もなく立っていた。
見た者はその異相故に彼女を月の精と見まごうかもしれない。
その瞳はどこまでも澄んだ琥珀の色をしていて、その先の光景、黒烏と彼女の仲間二人の戦いを映す。腰ほどの長さのふわふわとした栗色の巻き毛は彼女の顔の形を際立たせるように風に揺れる。
「負けてる……」
黒烏に万が一でも気配を悟られぬよう声を殺して呟く。
その戦いを察したのは、町に入ってすぐ、一度通りに剣戟の音が響き渡ったときだ。
彼女の視力と聴力は非常に鋭敏で、その一度の音から彼女の仲間である覇玉の流星錘の存在を聞き取り、降りると一言つぶやき音のする方向の屋根に飛び乗り、その事態を見た。
葵沃はその彼女の様子から事態を察し、彼女の仲間のもとへ向かった。
彼女の視線の先では覇玉と昭庸が連携して黒烏を倒そうとしているが、黒烏は全く押される様子もなく彼らを徐々に傷つけている。
「……しょうがない」
彼女は溜め息をつき、背中から長弓を下ろし、弦を張る。
その瞬間彼女の瞳から発せられる気配ががらりと変わる。
澄んだ琥珀の光がどこまでも冷たい猛禽の眼光に変化する。
彼女は軽く跪きながら背の矢筒より、矢を数本取り出し、そのうち一本を弓につがえる。
その矢は羽の部分に赤い目玉の様な模様が描かれていて、夜の闇に映える。
もう彼女は何も話さない。
瞬きすらしない。
視線の先のいるべき場所をじっと見つめキリキリと弓を引く。
栗色の巻き毛が夜風に揺れる。
細められた目の瞳孔が収縮した刹那――
風を切る音とともに矢が放たれた。
鷹姫のいる場所から北東に位置する紅華楼にて――
「ひっでえな……」
室内の惨状に青年、葵沃は額に手を当て、天井を仰ぐ。
意識を取り戻したものが多いものの、まともに動ける状況ではないようだ。
「葵沃……遅せえぞ」
入口の傍に腰かけ腕を押えている男が彼の姿を認め、呟く。
「済まん。この状況は一体? 」
致し方ないことだが良心が揺さぶられたのか葵沃は言葉を濁し、今はそれどころではないとばかりに仲間に問いかける。
仲間の男は溜め息をつき肩をすくめる。
「妙な男が突然暴れだしてな……」
「って一人にやられたのかよ」
「やられたんだよ。悪いか」
「悪くはないけど……何か情けねえな」
まあ葵沃の言うことは至極まっとうである。
一応は王に反逆を企んでいるんだから、確かに使える人間が出払っていたとしても一人相手にここまでやられるのは先が思いやられるといったものである。
「うっせ。だが多分覇玉達が追って行ったはずだ。何とかなるだろう」
その言葉にさっき突然鷹姫が馬を飛び降り駆けて行ったことに彼は思い当たる。
彼女は接近戦はてんで駄目だが、弓に関しては彼の知る中で一、二を争うほどの腕を持つ。
確かに大丈夫だろうなと思いつつ、淡々とした目で仲間を見下ろし口を開く。
「他力本願」
「確かにそうは思うがよ……」
男はひきつった笑みを浮かべる。
彼らも全く弱いという訳ではない。
だが、こうもあっさりしてやられると己の無力を感じずにはおれなかった。
「そういや……義慶と姐御は? 」
葵沃は店内を見渡し、この場にいるはずの二人の姿が見えないことに気づき首をかしげる。
その言葉に、ああ、と男は呟く。
「あの妙な刀を持った男、義慶を狙ってきたんだ。よって姐さんが店の子と、手近な奴数名連れて一時的に逃げている」
「そっか。様子見に行ってみるか」
その言葉で友人であり恩人である彼らの無事を確認し、葵沃は安堵の息をつく。
「ついででいいが、昭廣の爺様を読んでくれると助かる」
昭廣とは、名前から分かる通り昭庸の祖父であり、鵬にもつなぎを持つ町医者である。
「了解」
振り向かずにパタパタと手を振りつつ裏口へ向かっていく。
裏口に差しかかり小道へ出ようとした、その時。
「わっ」
「きゃっ」
出会い頭に葵沃に小さな人影がぶつかり、甲高い悲鳴とともに尻餅をついた。
「……えっと小春だったかな? どうしたんだ」
誰だったかと彼は頭の中で名前と顔を必死に照らし合わせ問いかける。
「あ、葵沃さんちょうど良いところに! た、大変なんです! 」
彼女は血の気の無い顔でくるんとした瞳をぱちぱちと瞬きさせながら彼の袖に縋りつく。
その尋常ではない様子に葵沃は彼女に視線の高さを合わせて、その言葉に耳を傾ける。
それは先ほど裏口から逃げたという義慶たちの身に起こったこと。
彼女は紅蘭が足止めを引き受けたところまで知っていた。
その後は彼女はわからない、と目を伏せた。
「二人組だったってことか? ところで風月って誰だ? 」
そういう荒事の中で生きている彼にとって状況はおおよそ理解できたが、聞いたことの無い名前に彼は僅かな引っ掛かりを覚えた。
「えっと……一月前に芙蓉ちゃんの穴埋めに雇った女の子です…………素性はあまり教えてくれなかったですが」
彼女はその小さな肩を小刻みに震わせつつも、自らを奮い立たせるようにぎゅっと両手をかき抱きつつ己の知っていることを彼に伝えようとする。
……一月も潜り込まれていたのか。こちらが間抜けなのか、相手が手練なのか。
あの化け物かと思うほど勘の良い紅蘭の目を誤魔化し続けたというのは正直脅威である。
「もしかして、そいつ二十歳前後で目がやたら印象に残る奴じゃなかったか? 」
ふと葵沃はあることが気になり小春に尋ねる。
「……言われて見るとそうです。ひょっとして知り合いですか? 」
案の定の返答に葵沃の顔はこわばる。
「ほかに何か分かることは? 」
「えっと……」
彼女は小首を傾げ頭を抱えつつも、自分の知っていることを言葉に紡ぐ。
途切れ途切れに紡がれる情報の断片、それは少しずつ葵沃の頭の中で整理され組み立てられ一つの形を作り始める。
それは数週間前、洟州で再会した彼の師、愁鳳の言葉と組み合わされある事実へと繋がっていく。
「まさか……」
――もし黎が敵となっていても戦う
師の手前、決意してみたものの彼は未だ悩んでいた。
それは幼き頃より共に過ごし、剣を教え、いつのころか秘めた思いを抱くようなった少女『黎』。
死んだと思い、自らの不甲斐無さを悔み続けていたが、愁鳳よりその生存の可能性をもたらされた。それは躍り上がるほど喜びたいことであったが同時に彼の心に重くのしかかる事実がもたらされた。
『彼女が暗殺者であり、自分と敵対する可能性が高い』
静かに彼は拳を握りしめる。
その時は今か、と心の中で呟く。
「ほんのさっきまで普通に笑ったり泣いたりしていた風月ちゃんが……何であんなことになっちゃったの? わたし……何にもできない役立たずなんだ。でも早くいかないと義慶が……」
彼がそんなことを考えている間、少女はただおびえた様子でぶつぶつと呟く。
よほど彼女には衝撃であったのだろう。
小春は両目からぽろぽろ涙をこぼし、ぶるぶると震え続けている。
葵沃もそれに気づき、何と言えばいいか一瞬困る。
彼にとって女というものは黎は除くようだが非常に苦手な生き物のようだ。
それでも扱い方は鷹姫で学習はしているようで、彼はそれなりの決断を下す。
そんな彼女に葵沃は優しく微笑み、ポンと両肩に手をのせる。
「お前はよくやった。俺に事態を知らせてくれたじゃないか」
その言葉に、彼女の震えが僅かに弱くなり、呆けたように葵沃を見つめる。
「ここからは俺の仕事だ」
「……うん」
「一つ頼みがある。中の連中はかなりずたぼろにやられている。昭廣の爺様を呼んで来てきてやってくれ」
彼女は小さく頷く。彼女とて鵬の一員である。弱弱しいながらもその瞳には強い意志が感じられる。
任せてよいな、と判断し葵沃は立ちあがる。
「あいつらはどこに逃げたって言ってた? 」
「……東の外れの興王廟」
葵沃の脳裏にうち捨てられた興王を祀った廟がはっきりと浮かぶ。
そして頷き、東を見つめ歩きだす。
「あの……無理しないで」
葵沃の背後から小春がおずおずと言葉を駆ける。
それに彼は振り向かず右手をあげることで返答し、そして駆け出した。
その後ろ姿を見つめながら少女は手を組み、祈った。
彼に幸運を、と。
もう一度顔を上げた時には彼の姿はもう無かった。
興王廟にて――
白刃が振るわれ黒鵺に吸い込まれる。
刃が当たるか当たらぬうちに彼女の姿は掻き消え、空から数本の金票が義慶に向かって投げられる。
それを柄で受けそのまま大雑把に、大刀を振り回す。
身を低くし、接近しようとしていた黒鵺は小さく舌打ちし、飛びさがった。
「強いな……」
「そちらこそ……」
互いに警戒を解かぬ目で見つめ合い、互いに内心で舌打ちをする。
義慶にとっては、少しづつ負っていった傷が無視できるものではなく、実際今も気力だけで大刀を振るっている状態であった。
逃げるのはおそらく無理であろう。
できるだけ殺したくはないが、己が生き残るためには早く片付けねばならなかった。
黒鵺は余裕こそあれ、大刀という武器と自分の得物とのあまりの相性の悪さに若干の焦りを感じていた。
先ほど互いに宣言し、得物を手に突貫していったものの、ずっと防がれては引き、防がれては引きの繰り返しである。
大刀と、剣ではそもそも間合いが全く違う上に、大刀は石突きも柄も武器となり、防具となる。
彼女にとって義慶はかなり相性の悪い相手と言えた。
紅蘭に阻まれた始めの攻撃をしくじった時点で、この仕事が厳しくなることは理解していた。
だが、ここまで苦戦するとは……
「全くもって敵であるのが惜しいな」
「だが、敵だ。貴方には死んでもらうほかない」
彼女の方も、この仕事を早く片付けたかった。
戦いはその者の本性をよく表す。
一月間、紅蘭のもとで風月として働いていた間、時折尋ね時に仲間を集め己たちの決心を固め、着々と謀叛の準備を進める義慶の様子を見て彼が類稀なる王者としての資質を見ていたのもある。
そして、刃を向けた相手に対しても、真摯な態度で戦いに臨む彼を見ていると、殺すことに躊躇いそうになるのだ。
長く戦えば殺せなくなる。
それは己の背負うものを考えると避けたいことであった。
そしてもう一つ、この戦いを早く片付けたい理由。
女の勘というのか……嫌な予感がするのだ。
恐れているものが近づいて来ているような感じがするのだ。
『次で片をつける』
黒鵺は心の中で呟く。
剣を鞘にしまい、音もなく地を蹴る。
『次で全てを決めるしかあるまい』
義慶も心の中で呟く。
そして痛みと戦闘による不思議な高揚によって体力の限界に近い身体に鞭をうち、大刀を下段に構えつつ僅かに土煙を上げ地を蹴る。
――果たして敵を葬り立つのはどちらか
長い駄文をお読みいただきありがとうございました。
今回は予定を変更して鷹姫&葵沃が中心のお話です。
葵沃=舜水と黒鵺=黎の各場面での温度差は意図的です。
少しでも良い話を書ければと思います……
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