リサの話
「えいいちー、今日、遊びいこうよー!」
休み時間、栄一の教室に遊びに行って、廊下から栄一たちがいる窓際の一番後ろの席に行きながら声をかけた。
えいっと栄一に飛びつくと、栄一が何だよ、と冷たく言う。彼が冷たいのはいつものことだから、全然めげないもんね。
栄一にまとわりつくたびにいちいち視線送ってくるクラスの女たちに見せつけてやる。第一ね、好きだと思った男と同じクラスになって何もしないで、他の子に嫉妬しているようじゃ、進展なんかするはずないじゃん。ばっかじゃないの。ちらちら見られて、陰で言われたって怖くもなんともねっつうの。
「わり、今日は無理」
「えー、今日はって、いっつもじゃん」
「シンペイとか誘えよー。俺、マジ成績やばいから、今日から予備校。もう遊んでられねんだわ」
栄一は困ったように首の後ろに手を当てながら、そう言った。
「予備校ー!? ばっくれちゃえばー?」
「それはだめ。親父の金だからね」
ははっと栄一が短く笑う。栄一が親父の金とか言っちゃうのは意外。いっつも親のお金で遊び歩いてるくせに。
「俺、ひま、ひまー!」
はい、はーいと元気良く、シンペイが手を上げる。シンペイかよー。シンペイも遊ぶのは楽しいんだけど、所詮友達だからなー。
「えーいち、いなんじゃつまんないじゃーん」
むくれてみせると、栄一がまた笑った。
「シンペイの方がよっぽど盛り上げ上手じゃねえかよ」
確かに場を盛り上げるのはシンペイの方がウマいけど、それじゃダメなんだよー。別に楽しく遊びたいのもあるけど、そこには栄一がいないとだめなのにー。
栄一の腕にぶら下がろうとすると、栄一が腕をすっと引く。
それを見ていたクラスの女子がぷっと笑うのが視界の端っこで見えた。
むかつく。
何もしないやつらに、笑われたくないんですけど。
「リサ、あんたまた来たの?」
マキがあきれ顔でこっちに向かってくる。いいなー、マキと栄一は同じクラスで。
一年の時は、マキとシンペイと栄一と、その他3人の7人でグループを作っていた。それで遊ぶようになって、栄一のこと好きになったんだよね。シンペイとか、その他三人の中のアラタとか、ハヤトは遊び人っぽいんだけど、栄一はちょっと違う感じがした。その三人に比べると、真面目っていうのかな。あんまりチャラくないし。三人は弱小サッカー部(通称アソビ部)に所属しているんだけど、栄一は帰宅部で部活をやってないからかな、派手すぎないでいい感じなんだよね。
真面目って程じゃなくて適度に砕けてるし。サッカー部の連中に比べるとチャラくない。遊びに行くと付き合ってくれるし、何気に優しいし。もちろん下心抜きで。
だから、女子から結構狙われてるのも知ってるんだけどさー。
で、二年になってから私一人、クラス離れちゃってもう最悪。
「マキと遊ぼうと思ってたんだよ。久々に、お好み焼き行こうと思ったの―。なのに、栄一遊んでくれないって」
泣き真似をしながら自分の椅子に座るマキの横に行く。シンペイの席と続いているのは、偶然らしい。うう、うらやましい。
シンペイとマキが並んで座り、栄一がシンペイの後ろの机に座っている。
「あー、栄一、今日から予備校でしょ? しょうがないじゃん、諦めな」
マキのくるくる巻き髪がふわっと揺れる。毎朝コテで巻いて、偉いね。さすが、おしゃれには力入れてるマキさん。
「私とシンペイと、アラタ達で遊んでやっからさ」
マキに慰められた。
うー、ありがたいけど栄一~。
その時、「田所君」と、クラスの女子に栄一が呼ばれた。栄一とおんなじクラスの、目立つ子でもない、地味すぎる子でもない、ごくごく普通の女の子のグループの三人。さっきからこっちにちらちら視線投げてきているグループだった。
栄一がちょっと首を傾げて、三人を見る。
「担任が呼んでたよ」
三人のうちの一人、この中では一番気が強そうな肩で揃えたボブカットの女子が栄一に声をかけた。
「え? マジで?」
栄一が立ち上がると、廊下へ向かって歩き出す。それから少し足を止めて、彼女たちに振り返った。
「ありがとう」
小さくお礼を言うと、また歩き出した。三人がそれに続いていく。
「担任呼んでるって、栄一、なんかしたのかな?」
机に頬杖付きながらマキちゃんが言う。
「えー、えいいちが? この間配られた進路調査票のことかな?」
二年の中間が終わって、期末考査までの間に提出するようにと、進路調査票が配られた。まだ希望を把握するためと説明されたけど、進学か就職かを把握する為らしい。うちの学校は進学校ってほどじゃないけど、男子は専門学校、女子は短大が多い。ただし、四大を受験する人も結構いるから、それを把握するためなんだろう。
「えいいちの進路かー、ちょっと気になる」
鼻を人差し指で押さえながら、んーと上を見上げる。
「やめときなよ、リサ。あんた、あんまり付きまとうと栄一に嫌がられるよ」
マキちゃんが笑いながら言う。グループのみんなは私が栄一を好きなことを知っている。
「やっぱ、ちょっと行ってくる」
マキちゃんに止められたのもめげずに、廊下に出て行った。職員室に行こうとして階段まで行くと、三人組が階段を上がっていくのが見えた。
え? なんで? 栄一とは別なのかな?
思わず、三人の後ろを尾けた。陰に隠れながら上を見上げると、栄一の後ろ姿が見える。やっぱり、上に上がって行ってる。ってことは、担任の呼び出しじゃなかったんだ。
栄一と三人組は屋上の踊り場まで上がって行った。ここまで来る生徒は少ない。まして、4階部分に立ち入り禁止のロープが張られているから、4階以上に上がる生徒はほとんどいなかった。たまに、うちらのグループが入り込んで遊んでいるくらいだ。
「何? 話って?」
栄一がの声が踊り場の天井に反響している。
三人組は、担任の呼び出しと言って栄一を呼び出したんだ。じゃないと、栄一が一人になることがなかなかないから。
栄一は両手をポケットに入れて、三人組と対峙している。
彼女たちは、右の子は見えなかったけど、左は気の強そうなボブカットの栄一に声をかけた子、真ん中は髪の毛を一本に結んだちょっと気の弱そうな子だった。
「ほら、いいなよ」
左のボブカットが真ん中の子に言う。言われた子は、ちょっとためらいながら、両手を前に重ねて、俯いてた。
これは……絶対告白だ。
見つからないように階段の壁にぺったりと体をくっつけて聞いていた。
「あの……」
真ん中の子が意を決したように、顔を上げた。
うーん、こっからじゃ顔は見えないな。
「……あの、私、ずっと田所君が好きだったんです……」
彼女の細い声が聞こえた。
やっぱり!
そう言いそうになって、慌てて口を押えた。
「あの、今、彼女いますか?」
そう言われて、栄一は左手で首の後ろを押さえながら、「えーっと」と呟いた。
ここから見える栄一の横顔はちょっと困ったように口をへの字に曲げていた。
「彼女はいないんだけど……」
呟くような声だった。
「好きな人がいるから……ごめん」
栄一が顔を上げて、まっすぐに真ん中の彼女を見てそう言った。
彼女は顔を覆った。
それからしっかりと顔を上げて、栄一を見た。
「それは、同じクラスの人?」
「いや、違う」
「中村さんか、牧田さん?」
中村さんはマキのことで、牧田は私の苗字だ。マキと私の名前が出て、ドキッとした。
傍から見てても、そう言う風に見えるってことだよね。
ちょっと嬉しくなって胸が高鳴る。
「いや、同じ学校の人じゃないから」
栄一がはっきりそう告げた。
真ん中の彼女は短く「そう……」と呟いた。
それから、少し鼻をすするような音が聞こえたから、彼女が泣いているのが分かった。
「ごめんなさい……。私、ずっと一年の時から田所君のこと好きで、もしかしたら牧田さんと付き合ってるのかなと思ったんだけど、それでも、伝えたかった」
泣いている彼女に、栄一は困りながら、じっとその子を見つめていた。
「悪い。でも、俺、その人のこと諦められないから」
栄一がきっぱりと言う。その言葉に、私の目からも涙が溢れた。
私はずっと、栄一のことが好きだった。
一緒に遊ぶ仲間だからそんなこと言い出せずにいたけど……、こんなことを聞いちゃうくらいなら、さっさと告白しておけばよかった。
遊び仲間で満足していないで、行動を起こせばよかった。
「そっか、ごめんね。突然、こんなこと言って」
そういうと、三人組はその場で三人輪になって泣き始めた。
「ほんとに、悪い。そう言ってくれたのはやっぱ嬉しかった。けど、ごめん」
項垂れながら栄一が謝ると、三人はぶんぶんと首を振った。
「話、それで終わりならもう俺戻るから」
栄一がそういうと、左の子が「田所、冷たい」と一言呟いた。栄一は困ったように立ち止まって、手を延ばそうとしたけど、その手を引っ込めてポケットに突っ込んだ。
「悪い」
栄一はぽつんとそういうと、階段を降り始めた。
彼女たちは泣いている。
そして、階段を下りてきた栄一は私の姿を見て一瞬ぎょっとしていた。
「おま!」
そう言いかけて、上を見上げると、私の腕を引っ張って慌てて階段を下りた。
2階の踊り場まで来た時に、誰もいないのを確認して栄一が私の方を振り返った。
「リサ、お前聞いてたの?」
私は黙って頷く。
「……聞いちゃった……。担任呼んでるっていうから後をつけたら、上に行くからおかしいなって思って」
そこまで言うと、一言区切って、袖を目に当てた。
「私、まだ告白してないのに、失恋しちゃったよ~」
涙を袖で拭いながら言うと、栄一はため息を一つ吐いた。
「……ごめん」
栄一が謝る必要は全くないんだけど。
勝手に後つけて、勝手に話を聞いちゃって、勝手に失恋しただけだから。
私は泣きながら黙って首を横に振った。
すると、栄一の手がぽんと頭の上に乗った。
「ほんっと、ごめん」
栄一は私が盗み聞きしたことなんてすっかり頭にないみたいで、本当に申し訳なさそうに謝ってきた。
「いいの~、それより、私もごめんねー」
ひっくひっくとしゃくりながら、言葉にならない言葉を一生懸命栄一に伝えようとしゃべった。
「勝手に話を聞いちゃって、ごめんね~」
「俺はいいんだけど、三島さんに悪いから、誰にも言うなよ」
三島さんは告白したあの真ん中の女の子のことだ。名前を聞いたら、確かに栄一のクラスに三島って名前の子がいたのを思い出した。
黙って頷くと、栄一が困ったように眉根を寄せながらもほっとしたような顔になる。
「ごめんな、リサ」
改めてまっすぐ私の顔を見てそういう栄一に、何て言葉を返せばいいのかわからなくて、黙って首を横に振った。
「俺、リサは友達だと思ってるから、今まで通りにしてもらえると助かる。でも、リサが辛いから無理っていうんだったら、俺はもう一緒にいないから」
栄一がそう言う。栄一のことだから、私が辛いって言えば、グループで遊んだりしなくなるだろう。もしかしたら、私がこのクラスに顔を出したら、すっとどこかに行ってしまうかもしれない。そんなのは、やっぱり嫌だった。だって、そんなことしたら周りの友達も気を使うし。マキちゃんには怒られる。絶対。リサのわがままだって。
「今まで通りにして~」
ひっくひっくとしゃくりあげると、栄一が頷く
「わかった。分かったから、もう泣くなよ」
困ったように呟く栄一の姿がなんとなく可愛かったので、私は頷いた。
そして、栄一の顔を見てふっと笑ってみせる。栄一は安心したように、笑い返した。
「栄一、振られついでに一つだけお願いしてもいい?」
「何?」
「あのね、一回だけ二人だけで遊びに行きたい。どこでもいいんだ。ほんっと、どこでも」
栄一を見ながらお願いすると、栄一は私を見ながら考え込んでいる。
「うーん、リサにはゆるキャラの礼もあるからな。じゃあ、一回だけ。どこがいいか、リクエストある?」
ぽんと頭に手を置いて、栄一が言った。
「考えてもいい?」
「もちろん」
「じゃあ決まったら、言うね」
「よろしく。じゃ、俺教室戻るから」
それだけ言うと、栄一はさっさと教室に戻っていった。
栄一がデートしてくれる。
それだけで今は幸せだった。同じグループにいる間は絶対告白しないって思ってた。栄一が好きになってくれるまで。
だから、失恋してしまったけど、一度でも二人で遊びに行けたらそれでいい。
たった一度かもしれないけど、栄一と二人の思い出が作れるならそれでよかった。