本音
「で、なにがどうなったか聞こうじゃないの」
ダイニングバーなんておしゃれな名称がついているけど、実質それって飲み屋のことでしょ? といわんばかりの地元密着型の居酒屋で伊藤ちゃんとお酒を飲んでいる。ビールジョッキをどんっと音をさせて置いた伊藤ちゃんが、眉をひそめて私を見ていた。
昼間、本屋の仕事中にあんまりにも浮かない顔をしていた私を心配して、伊藤ちゃんが飲みに誘ってくれたのだ。今日はコンビニバイトも休みだったから、たまにはいいかなー、と実家に遊びに行く了承を取るために電話をした。母が声を潜めるようなら伊藤ちゃんの誘いはありがたいけど断ろうと思っていたのだけど、母は「たまには息抜きしたら?」と言って、快く智の面倒を見ることを買って出てくれた。で、久しぶりの飲みの席となったのだった。
「んー、どうもこうも」
肩をすくめてみせると、伊藤ちゃんが眉間にしわを寄せる。
「今日はあんたの話を聞きに来たんだから、ちゃんと教えなさいよ。何でそんなに沈んでるか、聞くまで帰さないよ!」
聞かなくても朝まで飲ませる気のくせに……。と思ったけど、口には出さなかった。さすがに金曜日の夜は飲み屋さんは混んでいる。明日仕事が休みっていうのは、いいよね、って各テーブルの皆さんと気持ちを分け合いたいくらいだけど。とりあえず目の前の伊藤ちゃんの顔が怖いし。
「うん。あのさ、男がらみ……なんだけど」
「それは知ってる。大体、あんたの生活のなかで取り乱すことって言ったら、智のことぐらいじゃないの。智のことじゃなきゃ、ようやく男が出来たのかって思うくらいよ」
頬杖をついている伊藤ちゃんの爪が、かわいらしいネイルアートが施されていて、独身の女の人なんだなってあらためてしみじみした。それに比べて、私の爪はむき出しの短く切りそろえられた素の爪で、いかにも家庭の主婦って感じのそっけない指先だった。
「あのね、高校生の子と知り合いになったの。で、一緒に待ち合わせして帰ったり、コンビニ帰りに送ってくれたりして、割といい感じかな~って思ってたんだ。だけどね、この前花火大会の日に、同じくらいの年の子とデートしてるの見ちゃってさあ……」
ふうっとため息を吐いた。そこまで言って、鼻の奥が痛くなったのでそれをかき消すためにビールをあおった。
「高校生!?」
伊藤ちゃんの目が丸くなる。
「あんた、五歳上の人と付き合ってるんじゃなかったの!?」
「……五歳上じゃなくて……、五歳差の高校生」
「ええ!?」
びっくりしたまま、伊藤ちゃんが横に転がる真似をする。
「うそー! 高校生! それはまた……」
びっくりしながら、どんどん声のトーンが下がっていく。
「高校生……そりゃまたずいぶん」
伊藤ちゃんが言わんとしていることがわかったので、とりあえず俯いていた。
「で?」
伊藤ちゃんは頬杖を突きながら、飲んでいたビールジョッキをテーブルに置いた。
「その子がデートしているのを見て、がっかりしてるわけ?」
その言葉に小さく頷く。
「だって、付き合ってるわけじゃないんでしょ? そりゃ、高校生だって身近な方に転がるんじゃないの?」
「やっぱり? やっぱりそう思う?」
思わず身を乗り出した。伊藤ちゃんはちょっぴり引き気味になって、「まあねえ」と言いながら髪をかき上げた。
「いい? あんたがただの22才なら、高校生が間違って手を出しちゃうこともあり得ると思うよ。だけどさ、子持ちバツイチは……きついんじゃないの? そこまで求めるのは、高校生には酷よ」
「まだバツはついてない」
そこだけは見逃せんと訂正すると、伊藤ちゃんは「とにかく」と咳払いをしながら話を切った。
「ま、深追いしない方がいいんじゃない。諦めなさい。高校生なんてリスク高いのに手を出さなくても、どっかに出会いはあるよ」
慰めてるんだか、よくわからない言い方で話を切ると、伊藤ちゃんはビールをあおった。そして、つくねを食べながら、「あ、これおいしい!」なんて人の気も知らないで言ってる。
「そうだよね。リスク高いよね。普通に遊んでくれてたから、あんまり気にしてなかったんだけど。高校生の子が、4歳の子と遊んで、その母親と付き合うなんてキツイよね」
「そりゃね。高校生なんて、ヤリたい盛りじゃん。下心てんこ盛りでさー。年上女に求めるのなんて、そっち系ばっかりじゃないの? それをさ、お預けの上、子どもいるから無理ーなんて、そりゃ、確実な方に流れるでしょ。あんたと付き合うメリットは、正直高校生の方にはないんだからさー」
伊藤ちゃんは頬杖をついてしたり顔で、つくね串を振り回してる。分かってるけどさー、栄一君はそんな子じゃないもん。と反論したくなる。けど、反論の反論が返ってくるだろうから口を閉ざした。
ビールのお代わりをしながらため息を吐いた。
「私さー、高校生の頃に出会いたかったな。彼と。そしたら、同じ時間を過ごせたのになって思うの。彼がさ、クラスの子と学校の教室で何気ない会話をしたり、制服を着て電車に乗っている姿を見たりさ、自分がこうやってお酒を飲んでいたりすると、嫌でも考えちゃうんだよね。同年代じゃないってことをさ。どうやったって、二人が同じ時を過ごして同じことを感じることができないのが、すごく悔しいんだよね……」
お互いの間には、時間という隔たりがどうしても横たわっている。私が過ぎた眩しい日の中を彼は生きていて、これからどんどんいろんなことがある中で、彼と同じことを感じることは出来ない。彼もまた、私が悩むことや私がしなきゃいけないことを共感することは難しいと思う。それを考えると、やっぱり苦しい。
「あんた、ほんとにその高校生のこと好きなんだねー。恋してるんだー」
心底驚いたように、へーえと言いながら伊藤ちゃんがまじまじと私の顔を見た。不思議なものを見たような、おもしろいものを見るような、目を丸くしたような笑顔を浮かべている。
「瑞希も可愛いところがあるんじゃーん。あんた、気のあるそぶりを見せている男を一刀両断してきたから、どんな鉄の女かと思っていたら……。なるほどね。かわいいところあるじゃないのさー」
にやにやしている伊藤ちゃんのそのセリフに引っ掛かりを覚えながら、褒められているのか? と不思議そうな顔を浮かべていたら、伊藤ちゃんの手がおもむろに私の頭に伸びた。にこにこと笑顔で、人の頭をいい子いい子する。――伊藤さん? 私、智じゃないんですけど?
「よしよし。お姉さんがアドバイスをしちゃる」
うんうんと頷きながら、伊藤ちゃんが腕を組む。それから人差し指をピッと上げると、私の鼻の前に差し出した。
「今言ったこと、包み隠さずにその高校生に言ってみたらいいんじゃないの? それを言って、進展しなかったらもう諦めな。それでだめなら、高校生はめんどくさいことしたくないの」
「で?って言われたらどうするのさー」
涙声になりながら言うと、伊藤ちゃんは豪快に笑った。
「あんたの男を見る目がない。そんだけよ」
うううー。それが一番嫌だと思うんだけど……。
勝ち誇ったような伊藤ちゃんは、「まあ、飲みなさいよ。今日ぐらいは、パーッとね!」と言いながら、店員を呼んでお酒をバンバン注文していた。そして、いつの間にか私の分と称してオーダーされたカシスウーロンをバカスカ飲まされた。
「だいたいねー、安心しきって浮気するような男はねー、クズよー、クズ!」
伊藤ちゃんの彼氏の話になって、私も「そうだ! 伊藤ちゃんの良さに胡坐をかいている男はダメだ!」と、一緒になって叫んだ。
「でしょ!? そうなのよ。あいつ、結局新人女優に逃げられてやんの。バカだよねー。自分が主役の脚本書いてもらいたかっただけなのよ。ばーか、ばーか!」
浮気性の脚本家の彼はどうやらつまみ食いちゃんに振られたらしい。で、悪態をつきながらも男と別れられない彼女も、バカというか……可愛い人だと思う。いや、伊藤ちゃんのためを思えば、別れなさいって言う方が正しいんだろうけどさ。
そんなこんなで、私たちはお店が閉店になるまで飲んだ。そして飲み足りないという伊藤ちゃんの言葉で、うちで飲み直すことになった。途中でコンビニに寄って、お酒とつまみを買いこんで、我が家へ向かう。伊藤ちゃんの家にはアホの脚本家がいるから、思う存分飲めないそうだ。お互い話したりなかったから、うちで飲むことに異論はなかった。
二人で夜道を歩きながら、だんだん酔いが回ってきて、足元がふらついてきた。
「ちょっとー、瑞希、大丈夫?」
うちの近くまで来たときには、伊藤ちゃんに支えられながら歩いていた。
「ダメー! なんか、気持ち悪い……」
「もうすぐあんたんちだから、我慢しなさいよ」
伊藤ちゃんに肩を貸してもらい介抱されながら、ふらふらと歩いて帰った。まったくあんたは、しょうがないわねーと呆れ顔で言いながら、伊藤ちゃんは面倒を見てくれる。伊藤ちゃんのこういうところを見習いたいなーなんてぐるぐる回る頭で昼間よりも少し冷えた夏の夜を、伊藤ちゃんの肩に靠れかかりながら歩いた。こうやって話を聞いてくれる人がいて、私は少し救われていると思えて嬉しかった。




