不死の王国
「どうやらここまでの様だな」
床に倒れ伏す男に剣を突き付けながら彼は言った。豪奢な赤い絨毯の敷き詰められた謁見の間には、しかし彼らを除き人の気配はない。もっとも、人だったモノならば数え切れない程あるのだが。
入口近くから廊下に差し掛かるまでには至るところに鎧を着た死体が転がっている。斬られ、焼かれ、凍り付き、皆さまざまな姿で王を護れぬ無念を晒していた。
「……教えて欲しい物だな。今まで我が国の為に尽力してくれた君が、何故私に牙を剥く? 魔王を倒した英雄たる君には、栄光の未来が約束されていたと言うのに」
追い詰められてなお、男は落ち着いた様子で問い掛ける。それはこの美しく飾られた部屋の主に相応しい威厳と言えるかも知れない。だが、それでも彼にはこの悪王を許すことができない。だからこそ勇の者としてここに立っているのだから。
「勘違いするな、俺は今でも国の為に動いている」
彼は勇者として、堂のいった声で答えた。
「アンタに全く私怨がないと言えば嘘になる。突然今まで一般人だった俺を、ヒノキ一本持たせて町の外に放り出したんだからな」
あの出来事のせいで、彼の十六の誕生日は悲惨なものだった。勇者の一族の末裔と言うだけで、強制的に魔王を倒す使命を課されたのだ。しかもそんな大役に与えられた武器はヒノキ製の棍棒、正気の沙汰とは思えなかった。しかし城の周囲はあまり強い魔物もおらず、少しずつ成長し武器も整えられた。何より最終的に魔王を倒す事も出来たのだ、王の判断も間違っていなかったのかも知れない。そう思っていたのだが。
「押し付けとは言え、使命感もあったから俺は最後まで戦い続けられた。国の為にと必死に魔王を打ち破った。だから驚いたよ、奴が燃え尽きる瞬間、王家の紋章が姿を現した時はな」
紋章は国を象徴する王家の証だ。王に賜りし物品や、所有物には大抵刻んである。それが魔王から浮かび上がったのだ。それで全てが分かった。判断が正しいなど当たり前だったのだ。この男は、そのさじ加減を決める側にいたのだから。即ち。
「全てお前が仕組んだ事だったんだな!?」
「……」
王は答えない。だが、それはこの場においてはこの上ない肯定となる。勇者は激昂に身を任せ、王の頭を持ち上げ、胸ぐらへと持ち変える。剣を床に取り落とすが、気にしない。
「何故だ!? 何故こんな事を……っ!?」
勇者は見逃さなかった。彼が問い詰めた瞬間、王の口元から笑みがこぼれるのを。それが更に勇者の怒りを掻き立てる。彼は信じていたのだ。だからこそ八つ裂きにされても、焼け焦げた肉塊にされても、震える体を押さえ付け立ち上がったのだ。それを、この男は。
「君の剣は、どのようにして手に入れた物だ?」
思わず殴り掛かろうと手に力が籠ったところで、王が小さく問うた。一瞬意味が分からなかったが、脳内で反芻することでなんとか理解する。理解が行き届く頃には昇りきった溜飲は下がり始めていた。
王の言葉に誘われ、記憶を呼び起こす。この剣は確か、この王都の武器屋で店主が最高級品として販売していた物だ。鍛冶師が技術の粋を集めて鍛え上げた一品なのだと語っていた。しかし、それが今何の関係があると言うのか。王の質問は続く。
「傷や病を癒した薬は何処で手に入れた? 妖を退けた聖水は? 夜は何処で明かしていた?」
そこまで言われて勇者にも王の言わんとすることが少しずつ理解できてきた。彼の冒険は常に王都を拠点として行われてきた。腕を上げる意味で、各地の魔物を退治しつつも一日の終わりにはここに戻ってくる。それは武器の品揃えの関係もあり、仲間を集めるのに都合が良い事もあり、そんな理由から大半の買い物はここでしていた事となる。金は魔物を倒し、彼らが飲み込んでいた金品を用いる。即ち、
「まさか、俺が国に落とす金が目当てだったとでも言うのか!?」
「他に理由があるかね?」
王は余裕の表情で返した。
「何を驚く事がある? 私はこの国の未来を担っている。国の繁栄の為に尽力するのは当然の事だろう。都合が良いのだよ、強い武器を買い、強い魔物を倒して、その金で更に強い武器を求める勇者と言う存在はな」
「ふざけるな! それでどれだけの人間が苦しんだと思っている!?」
勇者の心は、再び燃え上がろうとしていた。彼は強さを求めて世界中あらゆる場所を巡った。その中で魔物に襲われ、明日をも知れぬ生活をしていた人間も一人、二人ではない。その原因を作っていたのが、目の前の男だと言うのだ。しかし、王の返した言葉はそんな怒りに燃える勇者を迷わせるには十分だった。
「君もこの政策で潤った財政で、何人が助かったかを知るまい」
「!?」
勇者は考える。彼の考えは自分と同じだった。この謁見の間に来るまでの間にした事を思い出す。魔物との戦いで鍛えに鍛えた剣や魔法で、どれだけの兵士を殺めてきたか。漂ってくる血の匂いが物語っている。この王と言う巨悪を討つ為にと、これからの国の為にと命を奪った事は、その巨悪と寸分違わぬ行いだ。
「より多くを救う為に、少ない方を切り捨てる。非情と思うかも知れないが、決断するのも王の仕事でね……」
言葉の途中で王の声のトーンが下がる。その様子に、勇者は一瞬の違和感を覚えた。しかし、その正体に気づくよりも早く魔の手は彼に迫っていた。背後から襲いかかる鋼鉄の刃、切れ味以上に重圧が、勇者の腕へと直に襲い掛かった。
勇者が迷った時間はそう長くはない。彼も多くの死線を潜り抜けてきた戦士だ、非情な現実も幾度となく見てきた自負があった。だが、僅かな時間すらも今の彼にとっては決定的な隙となった。
「ッ!? ぐあぁぁぁああああっ!?」
「それは君とて例外ではない」
悲鳴を上げる勇者。今度は彼が倒れ伏す番だった。何が起こったのかも分からず、背後に目を向ける。確かに油断はあった、しかしこの部屋にはもう彼と王以外には誰もいなかったはずだ。しかし、そこには意外な光景が広がっていた。
「そんな……いつの間に……」
苦痛で霞む視界でも分かる、勇者の背後には鎧の兵士が剣を構えていた。それも一人ではない、確実に視認できるだけでも三人。薄暗さと視力の低下で良くは見えないが、暗がりの奥にも数名が待機しているように見える。これ程の人数、これ程の重装備に気付かなかったというのか。
「何を言っている、最初からいたではないか。もっとも、彼らは今の今まで死んでいたのだがね」
「な……に……?」
襟を直しながら王が答える。確かに彼の言う通り、この部屋には死屍累々と亡骸が並んでいた。他の誰でもない、勇者が殺した物が、である。何を隠そう彼はその自責の念に苛まれていたのである。混乱する勇者を嘲笑うように、王は問いかけた。
「何故魔王程力を持つ存在が、私のような非力の人間に従っているのだと思う? 君が八つ裂きにされても、焼け焦げた肉塊にされても、何度でもここに無傷で戻って来られたのは何故だ?」
「……!」
痛みの中ではたと思い出す。今までの幾度となく死んでいた記憶を。り返す内にそれが普通だと思い込んでいた。それが勇者だからなのだと。特別な存在だからなのだと。だが、王の言葉で初めて気付いた。特別なのは自分ではない、目の前の男だ。
「この国にいる限り、恐るべきは飢えと貧困だけだ。天寿を全うするまで、不死が約束されるのだから。もっとも、君はその権利を失ってしまったが」
王は勇者が取り落とした剣を拾い上げる。してそれをし自分に向かって振り上げられた時、勇者は確信した。この男は、いやこの国は狂っている。惜しむべきは、この真実を伝える手段がないことか。彼が最後に聞いたのはあまりに聞きなれた、しかしもう二度と聞くことはないであろう言葉だった……。
「おお、勇者よ……死んでしまうとは情けないッ!!」