姫さま、缶蹴りって知ってます?(いそいそ)
姫様が嫌だとおっしゃるのなら、やる必要などないではないか。
恐ろしゅう御座いましたでしょう、訳も分からずに。
このダンカンは決めたのです。姫様を脅かすもの全てを排除致しますと。
腹が立つ。
ダンカンはどすどすと、苛立ちもあらわに歩いていた。
腹が立つ。なんだってこうも、城の魔導師共というのは頭が固いのだろうか。
城下の裏通りを大股で進みながら、ダンカンは先程の会話を思い出していた。
「王女様の魔力の蓄積使用可能率は、既に成人の魔導師の数倍はありますから。
ダンカン殿、貴殿のお気持ちは分からないでもありません、けれど、先日の襲撃事件のことから考えても、魔力の操作や制御はある程度身体に覚えさせませんと…」
「何も、一生魔法から遠ざけろと言っとるんじゃない、だが、まだ早すぎる。」
ダンカンの言葉に、目の前のデザインは質素だが、上等なクラスのローブを見身につけた男はきゅっと口を引き絞った。
クリスと城下から戻ってきたダンカンは、クリスを自室に送り届けた後、帰路の道で待ち構えていたらしい、王宮魔導師に声をかけられた。
魔法の訓練を先延ばしにし続けている、クリスを増長させるような、ここ最近のダンカンの行動を咎める為だった。
クリス自身から、はっきりと魔法の訓練はしたくないと、懇願されたことはない。
けれど、彼女が魔法という存在に恐れと嫌悪を感じていることだけは、はっきりと確信してる。
恐ろしいに決まっている。あんな目にあったのだから。
だから、ならば止めてしまえばいい、と二人で城を抜け出した。
「ですから、あの暴走を未然に防ぐ為にも、早急な魔法の学習が必要なのです。」
「姫さまがご自分の魔力が原因で死にかけてから、まだ一月しか経っていないのだぞ。今は、御身の心を落ち着かせてあげることが優先ではないか。」
「少なくとも、魔力の暴走の原因が、魔力をコントロール下に置けていないことと、精神的動揺から起こったことであることは、はっきりしています。
王女の身の安全を第一にとするのならば、お辛いでしょうが、耐えていただかねばなりません。」
にべも無い正論に、ぐうの音も出ない。
本当は、ちゃんと理解はしている。クリスの為を思うのならば、どうすればいいか、何をさせなければならないか。
けれど、一度彼女の魔法へ対する声無き拒絶を察して、そしてそれを助けてしまうと、もう駄目だった。
己は、あの小さな自分の主を、大切に大切にしたいのだ。
真綿で包み、頭を撫でて、何も心配する事など無い、望むのならば、どんな願いも叶えてあげると、ただひたすらに甘やかしたい。
可愛くて可愛くて、仕方が無いのだ。
「…」
「いいですね、ダンカン殿。こればっかりは、王女の…貴方の我侭を通すわけには行きません。
…失礼致します。」
告げると、そのまま踵を返す。
英雄であるダンカンを目の前にしても、萎縮した様子は一切なかった。それだけ、彼は彼の職務を、クリスの自衛の手助けという立場を全うしたいのだろう。
腹が立つ。それが正論であり、彼女の為だと思うのに、
それを良しと出来ない自分に一番腹が立つ。
城下の市場を抜けた、裏通りには、怪しげな暖簾や看板を掲げた店がごろごろしている。
ダンカンは、そんな薄明かりがもれる店々を、左右を確認するように歩く。
城から引きずった苛立ちも、夜の城下の風に当たれば、そろそろ冷えてくる頃だ。
誤解の無いように言うが、ここでいう怪しげな、というのは間違っても淫らな意味ではなく、
人目に憚るような商品や、所持するだけで実刑すれすれの品ばかりを取り扱っているような、そういったものを求める、大手を振って道も歩けないような人間が出入りする店、という意味である。
どちらにせよ、褒めらるようなものではないが。
そんな場所を、世紀の大英雄が特に身を隠すことなく歩いている。
道行きにすれ違う人が、時折ぎょっとしたように立ち止まるのにも、特に気にした様子もなく、ダンカンは目当ての店の前に着いた。
「アインの言っていたのは、確かこの店だったよな…」
かつての自分のパーティの魔導師が夕食のときにでも、何気なしに言っていたのを思い出したのだ。
腕の立つ、それこそ途中で成長が止まってしまうような格下とは違う、“本物”の魔導師は、(ここら辺の詳しいことは、ダンカンもよく理解していない。そもそも、魔法の使えない一般人は、魔導師の優劣のつけ方など分からない)
いろんな場所に、それぞれご贔屓の魔道書の購入ルートになる商店を持っているらしい。
薄暗い道と、入り口の扉木の腐りかけた様子から、少し入るのを戸惑ったが、目的のものを購入するためにはと、とりあえず中に入ることにした。
「いらっしゃい、旦那。誰のご紹介ですか?」
「アイン。アイン・バーデット王都特級魔導師から聞いてきた。
ここは、魔道書の他に、護身具のアクセサリーも取り扱っていると聞いた。」
入った瞬間に、魔導師の友人からしょっちゅうしていた、どこかきな臭い、けれど不快と言うほどでもない、すえた様な匂いがした。
入った入り口から既に両脇の棚と言う棚、壁と言う壁に本やらただの紙くずのような束からなにやらが、ひしめき合うように積まされている。
「バーデット導師のご紹介、でしたらこちらへ。
それで、お求めの物の効果はどのようなものですか?首飾り?それとも指輪で?」
「文字通り、“身を護るもの全般”で頼みたい。
…こちらからの要望はそれだけだ、玄人の目から見て“全般”の部分は判断してくれていい。
種類は任せる。儂には、そういった気の利いた目利きはない。」
「かしこまりました。」
実に大雑把な注文であったが、店主のほうは特に困った様子も見せずに、ゆっくりと背を向けた。
この小国の城下にも、このような専門職の店があるとは今日初めて訪れるまでまったく気にしてもいなかったが、見渡せばなるほど、魔導師と戦士である自分とでは、まったく違った人種であるらしい。
誰の為の護身具であるかなど、分かりきっているが、それでもまだ此処にきて、ダンカンにはクリスに魔法を学ばせることを納得して飲み込めたわけではなかった。
自分の立場と、クリスの(一応は)剣術指南役として、意見を出すことは出来る。出来る、が…
「どうしたもんか…」
いや、まあどうするべきなのかは、はっきりしているのではあるが。
よく分からなくなってきた。
己は、王女が魔法を恐れているから、怖い思いをさせたくなくて、それから遠ざけようとしているのか、
それともただ単に、自分が彼女が危険な目にあうのが耐えられなくて、魔導師にさせたくないのか。
いや、そもそも、仕える存在の自分が、
主の心配をするのは、当然なことなのでは…
(待て、なんだ?堂々巡り(?)じゃねえか…?)
ダンカン・ウォーレン、腕力体力特化のこの男。
そもそも考えることが苦手である。
店主はこちらの要望を聞くと、そのまま引っ込んでしまったので、ダンカンは断りも入れずに、近くの適当な高さの山積まれた本の上に座って待つことにした。
ダンカンは、いままで誰かを、何かを大切にしたいと思ったことがなかった。
当然、かつては勇者一行として、リーダーである勇者を守ることは自分の役目だった。
腕力特化型の戦士である自分は、仲間が危機に瀕すると率先してその身体を盾にしたし、旅が終わり祖国の名誉騎士としての地位を貰ってからは、王に忠誠も誓っていた。
仲間の、リーダーの指示があれば、どんな危険な作戦にも乗ったし、囮にもなった。
王に下された命令であれば、その場で一瞬の迷いも無く自決する事だって出来る。
けれど、クリスへと向けられているのは、それとは似ていてまったく非なる感情だ。
上手く、表現できないが、でも、ただ、大切にしたいのだ。
(甘やかして欲しいと請われれば、そうしてやりたい。
…必要だけれど、姫さまが苦しむくらいならば、それを遠ざけてしまいたい。)
おこがましい。おこがましいと分かってはいるが、
「娘が出来るというのは、こういった感情なのだろうか…」
クリス(辰巳)が聞いたら全力で脱娘宣言をしただろうが、今ここ居るのは子供どころか嫁すら居ない、寂しい独身男の独白があるだけである。