爺や、勉強よりももっと楽しいことを教えて下さい~その弐~
「クリスちゃん、もういける?」
「うむ、転ぶなよフィル。」
私がそう声を掛けると、僕はだいじょうぶ!とふわっと頬を高潮させて微笑んだ彼は、まさに天使としか言いようがない。
小首を傾けるとさらさらと揺れる、緑がかったプラチナブロンドの髪と黄金の瞳、唇は小ぶりで薔薇色にそまり肌はそれがまた彼の透けるように白い肌をいっそう引き立たせている。彼の。
くるり、と一回転。
先程まで私が履いていた一等級品の革靴と、先程まで私が着ていた薄桃色のシルクのドレスはひらりと舞い、現在の所有者の美貌を際立たせるのにその力を如何なく発揮している。…彼の。
そう、彼の。彼のだ。
「いくぞ、フィル。リードしてやるぞ。」
「うん、クリスちゃん。…じゃなかった、はい。旦那さま、うれしゅう御座いますですわ。」
フィリーハインズ・ケイルズ・キーン、通称フィル。年のころは9歳と9ヶ月。
彼は、本国王都の第一王子である。
「クリスちゃん、僕口紅塗ってみたい。」
「いいぞ。ほら、先日の誕生日にいろいろ貰った中にあった。
…ええっと『どうぞクリセフィア様がお美しいレディになられました時に、着けて頂けましたら幸いです。名も無き騎士より』
…まあいんじゃないか。どうせこの文の通りに取って置いたらこの紅乾いて石と化すだろ。…顎を上げろ。」
「ん。」
そしてそんな王位継承権第一位の王子様で美少女の彼とこれでも一応クール系美少女気取っていますわたくしも王位継承権第一位の王女さま二人。
現在互いの服を交換し合って、何故か男装女装という珍妙な状態になっている。
話は、数十分ほど前までさかのぼる。
この日も、クリスが受けるはずだった魔術の朗読の勉強は爺やの「姫さま儂と釣りでも行きますか、なんならクリス様を抱き上げて川を横断してあげましょう」という甘い誘惑とこちらが断れないのを見越しているかのような台詞と独断をもって中止になった。
授業という名目上、さすがのクリスもいいのかな…とちらりと思ったりはしたがちらり止まりだった。ダンカンさんがそう言うんなら大問題にはならないだろうしと、能天気に考えてさっさと城を抜け出した。
そうしてひたすら爺やと遊びまわった挙句にこっそりと城に帰還した二人は、待ち構えていたメイド長にあっさりと捕まり、まあ儂だけでいいだろうと相手をいなす、ダンカンに絆されててくてくと廊下を歩いて見張りの兵士に見送られながら、満ち足りた(爺や純充電完了状態)様子にて自室に戻った。
そしたら、いた。この王子が。この目の前の、女装の麗人が。
ていうか普通に美少女だった。むしろ完全なる女の子だった。その後暫く会話してもただの僕っ娘だと思ってた。
「え、誰。」
部屋に入った瞬間、「クリスちゃん!」とそれは嬉しそうにこちらに駆け寄った天使にクリスが放った言葉はこれだった。
瞬間、愕然とした表情をしてその大粒の宝石のような瞳をうりゅと潤ませながら、咽を引きつらせて嗚咽し始めた。
しまったこれはやらかしたと悟った時にはもう遅く、目の前の美少女の顔面は取り返しがつかないくらいにぐちょぐちょになっていた。
必死になって記憶の奥底をかき回すと、ああそうだ彼とは年に何回か城に泊まりにくる来賓だった。
年も近いということで毎回ここに来たときは自分が相手をしていたと思い出した。
その後少女を慰めながら、、自分が先日の記憶騒動(と勝手に自分は名付けている)のせいで過去の記憶が混乱していると説明するのに一苦労だったとか、彼女が実は彼だったとか、ていうか王子だったとかいろいろ衝撃的だったことはあったのだが何よりもクリスが目を剥いたのは次のことだった。
「ぼ、冒険者!?」
「うん、あれ?クリスちゃんはまだ準備してないの?僕も今日はそのことをクリスちゃんに相談したくて来たのに…」
父上から無理を言って転送移動の魔導具を貸してもらったのに。ううん、でもいいやクリスちゃんに久しぶりに会えたからすっごく嬉しいし!クリスちゃん、王都の方には全然遊びにきてくれないんだもん。
そう言いながらはにかむ彼に構う余裕がない。なんだ、どういうことだ。なにそれ文字通り冒険しろっていってんのか。
混乱している様子の私に気がつくと彼は、ああそうかクリスちゃん記憶そーしつなんだもんね、と一人で納得しながら丁寧に説明してくれた。
いわく、この世界の人間で多少なりとも武術、魔術の才能に明るい人間は、15歳になると自分がこの15年という歳月の中でもっとも信頼している者を伴って冒険の旅にでるのがしきたりらしい。
なにそれ何所のポケットモ…げふんごふん。とか思ってたら、さらに説明は続く。
別に冒険と一口にいってもそれほど大袈裟にする必要はないとのことで、ほんの故郷の周囲にいる下級モンスターを討伐するだけだったり、ちょっと遠い親戚のところまでなんちゃって冒険の旅にでたりなど様々らしい。
一般的にパートナーにするのは自分の武術指南であったり、近所のお兄さんであったり、教会のちょっと偉めの先生だったり…とりあえず形だけだが、皆避けて通れない、というか避けたら普通に笑い者臆病者扱いされる、所謂『成人の儀式』というヤツだった。
…。パートナー。
「私はダンカンといく。」
避けて通れないのならば、即決である。
「うん。クリスちゃん、こないだも言ってたもんね。魔導師と戦士、どちらになるかはもう決めた?」
「魔法なあ…」
…ていうかこないだっていつだろうか。うん、まあ少なくとも私が記憶を蘇らせた頃よりは前だな。僕は城仕えの剣の先生だよーのんびり笑う彼、フィリーハインズ…と呼んだら「違うもん、クリスちゃんはフィルって呼ぶんだもん」とまたうりゅうりゅし出したので、フィルと言い直す。
「で、相談ってなんのだ?共も連れずに。」
「あ、そうそう、そうなの!」
内緒話がしたかったの!
で、ここで冒頭に繋がる。ここってどこだ一国の王女と王子のコスプレに一体なにが繋がるってんだというと、
フィルは最近その15の冒険のたびの準備の為に本格的に治療魔術と剣術を教わり出したのだが、彼の…王都の王族、貴族階級の少年少女たちはそのほとんどが魔物の討伐が主流らしい。
彼もその例に漏れず、対魔物用の臨機応変な判断や行動の勉強をしていて、一度その旅前に本物の魔物をその目で見ておきたくなったそうだ。
思い立ったのがついさっき。閃きのまま父親である王の元に奔り幼馴染(つまりは私)に会いに行きたいと駄々をこね、結果今こうして私の部屋に(文字通り)飛んできた。なにやってんだよあんた王様息子だろうよ。
…あ。
「ああ…そういえば、『勇者』だったね…フィルのお父上…」
「え?うん。」
最近してくれるようになったダンカンさんの魔王討伐の武勇伝、高確率でそのあんたのお父さんの愚痴になるんだよ。超苦々しげだよ、ここが王城で目の前に王女が居なかったら唾でも吐きそうな勢いだよ。歯軋りダンカンさんってのも新鮮だったけど。
…とはさすがに言わずに、
「じゃ、私のドレス。」
「はい、僕のズボン。」
クリスちゃん、冒険者ギルドに行ってみようよ、それでお仕事してみようよ。
とか言い出したフィルに軽く絶句しながらも無理だよ、大丈夫だよ、無理だってば、大丈夫だってば、そもそもが止められるだろ、なんだこれ王族のトップ系の子供二人見逃してくれるとかありえねえだろ、で、でもがんばれば…っ、阿保かてめえの腕の細さみろや、だ、だいじょうぶだもん、無理だっつってんだろあんたなんざがさっ!と現れたトカゲやらスライムやらに一飲みだばーろー、うぅいじわるぅいじわるぅクリスちゃんのいじわるぅ、との押し問答の末「変装したらばれないんじゃなかろうか?」との結論に(何故か)達し、どうしてまたそう考えたのか互いに対になる性別に化けだしたのである。
(冒険者か…)
ギルドに所属しなくたって、旅に出なくたって、ほのぼののらくらと生きていた過去の私…有里辰巳の自分からすれば『戦う』と行動選択をしたというだけでそれは十分『冒険』者と呼べるのではないかと思う。
『戦士』にはなりたくないけれど、『剣士』にはなりたい。でもその『剣士』になりたいという気持ちも、ちゃんと考えてみるといささか漠然とそう思っているだけにも思う。結局は彼女の一番の存在の人間が、この国一番の戦士であり剣士であるダンカン・ウォーレンであるからというだけなのである。
ちら、と自分のドレスを着て何故か嬉しそうに袖のリボンを弄びながら口紅はおろか、香油借りてみてもいい?と言い出し始めた少年に、あ、これなんか別の職業分岐的なものを提示しちゃった気がする…と思ったもの思っただけにして止めなかった。
ハイデルフ共和国第一王女クリサフィル・アゲルスカイド・ハイデルフこと、
有里辰巳(過去形)。
元大学生で居酒屋勤務の彼女は、ダンカン・ウォーレン絡みの話題でないと通常のテンションは微妙に低い、ただの普通の一般ピープルなのであった。
鍛えるってことは、身体を酷使して、自分の限界に挑戦するということだ。
私は、痛いのはいやだ。辛いのもいやだ。死ぬのだって、二回目はいやだ。…でもそれは誰だってそうだと思う。私が過剰反応しているわけではないはずだ。ただちょっと、その気持ちが強いというだけで。
ここは、私の前世での尺度で言わせて貰うなら“異世界”であり“異常”な世界なのだ。
軽い炎の魔法ならば、一言三言呟いて軽く指を振ればいい。人は武器を帯刀するのに何の許可も資格もいらない。
いやありえないだろう。大袈裟ではなくそこら辺を歩くだけでも十分に恐ろしい。
『まほうはこわい』
『このせかいのじょうしきはりかいができない』
いくらこの生活での生活基準や価値観を学んだって無駄なのだ。
だってそうだろう。
自分を取り巻く環境に適応して順応するのなら、人間は数週間もあれば馴れてしまう。けれど価値観や恐怖や心神はそうはいかない。“こうすれば”魔法が使える。“ああすれば”生き物を切り殺せる。
ここではそれが普通なのだ。…私にはとても普通とは思えない。
誤解しないでほしいが、“ここ”を非難しているわけじゃない。
私のこの身体はまだまだ幼い子供だ。けれども中身…精神的には立派(と胸を張って言えないのが悲しいがていうかあのわたしのぴーしーふぉるだどうなった)に育ちきった大人なのだ。
ニホンという自分の生活水準の中で培った価値観と常識が、今のそしてこれからの私の全ての基準なのだ。幼い頃から少しずつこの世界で培っていくはずだったものを、私は完全にすっ飛ばしてしまったのだ。
(…ていうかもう、考えたり悩んだりするのが億劫だよ…ダンカンさんと結婚できれば、別に全部もうなんでもいいんだけどなあ)
偉大だなあ恋ってやつは、とかしみじみ考えてみて、彼に見えないようにこっそりため息をついた。
この(私の目から見れば)不可思議な世界に、確かに心擽る要素は、認める。うん沢山ある。
見たこともない魔導具とやらに、王家を守る騎士、見たことはないが読む物語物語にでてくる『魔物』。怖いし、理解が追いつかない『魔法』という存在にさえ、確かにロマンは感じるのだ。
(でも冒険はない、かな)
命を掛けてまで自分がする価値があるとは、どうにもぴんと感じることが出来ないのだ。
今の現状、求められているのはこのハイデルフという国の王女である自分が将来、立派に王座を継げる一角の人物に成長しろという、周りの人間たちの期待というただその一点だ。まあエルフの血を引き膨大な寿命と時間を持て余すだろう母と自分とでは、一体それが何百年、それとも何千年先の話になるのかは分からないのだが…
与えられた義務ややるべき責任を放り出す程、クリサフィアは、辰巳は無責任ではない。王女としての勉強をしろと言われるのなら、それは正しい。やらねばならないことだし、ちゃんとやる。強くだって、なる。なりたい。なれると思う。…善処します。え、いやだって、ねえ?…うん。
「フィル、私はやはり剣技を極めたい。魔導師になるのは止すよ。」
「ええっ!でもだってクリスちゃんは、15になったら、冒険者のパートナーにウォーレン殿を選びたいんでしょう?」
結ってもさらさら。淡く輝くプラチナブロンドに私が貸してあげた髪飾りを何とか結い留めようと奮闘していた彼が吃驚したようにこちらを振り向いた。
「ああそうだが…え、なになんか問題あるの。」
思いがけず出てきたダンカンさんの名前に、ぎょっとしてフィルの手を強くひっぱってしまった。ちょっとこっちにつんのめりながら、慌ててスカートの裾をまくりながら膝を揃える彼に(ていうか乙女座りまでしてたの…)ごめん、と謝りながら先を促す。
「その強制の旅の編成に、なんで魔法が関係あるのだ?戦えればいいのだろう?フィルだって、自分の剣の師匠と組むのだろう。」
「うん、組むよ。でもねクリスちゃんそれは僕が『戦士』としての才能よりも『治癒魔法』の才能があるから、きっと将来は治癒師か魔導師になるからだからだよ。」
「??」
「うん、あのね、」
「『魔導師』、『治癒師』は『戦士』としか。『戦士』は『魔導師』、『治癒師』と組むことって、むかしからの決まりごとがあるんだよ。」
初めての戦闘や旅でのせいぞんりつを高めるためだって。だからそれ以外は、特に決まってないんだって。
……なんですと?
…なんですと?