第五章 乱流
「“聖宝”ムラクモは、かつて神武天皇が日本を支配する為に用いた、神々の遺産!その力はあらゆる呪力をも跳ね返し、解呪する。そして如何なる神をも斬り臥せる……このムラクモがあれば魔王を呪縛する封印を除く事が可能となる!!」
――ギュバッ!
かのんは風の刃を撃つ。
巨杖でそれを受け止める辰魅。
「そんな理由では、尚更、渡せないわね!」
「貴女を倒せば問題ない!!」
かのんは爆焔を産み出し、辰魅に対して、弾丸の様に射ち出した。
「焔矢!!」
『水行の気よ!』
水克火。
青白い光が、結界となって、辰魅を防御する。
「くっ……だが!
例えこの命を燃やし尽くそうとも、〈ガルガンチュア〉とそれを援助する政府とを滅ぼすと、誓ったのだ!」
「〈ガルガンチュア〉をなぜそこまで憎悪するの?」
「貴女たちは――この国は、私の父を見殺しにしたから、だ……」
瞳に怒りの炎を宿して、かのんは答えた。
「――貴女は、〈ガルガンチュア〉の成り立ちを知っているか?」
「まぁ、一応耳にはしてるけど……」
かのんの問いに辰魅は答えた。
「〈大洪水〉の時でしょ? ……あまたのタタリガミを封じるために、日本にいた全ての呪者たちが結集して出来た組織が母体だって……」
かのんは首肯して、
「そう。元々は、天皇家に仕えた陰陽師の一派が中核となって、霊的に破壊されたこの国を建て直す事を目的に、〈ガルガンチュア〉は生まれた――」
―― 彼らは、災害によって混乱を極めた政治や経済の復興に手を貸し、さらに外部から日本に邪悪な影響を蒙らないように、日本全体を“神呪結界”で包み込み、守護とした。
「〈大洪水〉の時だった……〈ガルガンチュア〉は無能な政府の人間ばかり救い、他に苦しんでいる人々を助けなかった。〈ガルガンチュア〉は父をはじめとする一般の市民を見殺しにしたのだ!」
奥歯を噛んだ。
「所詮〈ガルガンチュア〉は権勢に媚びた狗だ! そのような狗共に、この国を支配させてたまるものか!!」
「……」
辰魅はかのんの糾弾を、黙って聞いていた。表情には、感情を表していない。
「――私の父達を救う力を持っていながら、彼らはわざと無辜の民を見捨てたのだ! そのような〈ガルガンチュア〉にこの国を指導する資格はない!」
「……それは違うわ」
「何!?」
「〈ガルガンチュア〉は救いたくても救えなかった……」
辰魅は静かに歩きだした。
「――う」
かのんは向かってくる辰魅に、後退りする。一歩一歩、距離を詰めようとする辰魅。
「タタリガミを封じるのに精一杯で、〈ガルガンチュア〉には人々を助ける余裕がなかったの」
「戯れ言を!」
剣を握る手に力をこめる。
「――本当よ」
「何が……」
辰魅はかのんの正面に向かい合う形で、対峙した。
「私は〈祓神浄乱〉に参加した人に聞いたのよ? あんたは悪魔に騙されているだけだわ……」
「こ、これ以上は問答無用!」
動揺しつつ、かのんは、剣を振り上げ叫んだ。
「貴女を倒して“聖宝ムラクモ”を手に入れる! そして、この国を私の手で変えるのよ!!」
「――駄々っ子ね」
ひゅっ、と――
「!?」
風が鳴った。
――パァン!と、乾いた音が、響いた。
(な……)
××××××××××
赤く燃える火炎が、徐々に、森の木々を焼いていく。
(いかんな……)
青龍は咆哮した。
水の“気”を呼ぶ声だ。
するとどうだろう。
蒼く美しい煌めきが、森の樹枝をとりまいていくではないか。
蒼く清爽な風が、赤熱の力を退けていく。
――凄まじい水蒸気が発生し。
冷たい色の輝煌が消えたあと、森を焼かんとしていた炎は、全て鎮火していた。
(―――!?)
突如、青龍の体から、白煙が噴き出す。
――……ゅぽんっ!!
白い爆発が起こったかと思うと、巨大な龍神の姿は無くなっていた。
青いヌイグルミに戻っている。
(霊力が切れたか――)
“リュウ”くんに戻った彼は慌てて、戦場を見渡す。
(辰魅ちゃんは!)
××××××××××
二人の少女が緊迫した空気の中で、ある動きを造り出していた。
平手一閃。
じぃんと、熱くなった頬を片手で押さえ、かのんは呆然とメイド服姿の女性を見た。
「――何処のお嬢様かは知らないけど……甘ったれるんじゃないわよ!」
「……わ、私は――」
「お父さんが亡くなって悲しむのは判るわ。だけどね――」
ゆらり。巨杖を動かす。
「あの時に、家族を喪ったのは、あんただけじゃないのよ!!」
――ドガァッ!!
「ぐはぁっ!?」
旋風が巻き起こった。
龍杖が、かのんの腹部を打つ!!
「ああああぁぁっっ!!」
打撃で吹っ飛んだかのんは、後ろから巨木に衝突した。
鮮血を吐き散らす。
「ぐぅ…」
片膝をつき、かのんは顔を上げた。
仁王立ちになる辰魅の眼に、激しい感情が揺らめいていた。
「あたしだって……あたしだって!」
「……」
血の滲む唇を噛み締めるかのん。
「あたしの父さんだって、〈大洪水〉で命を落としたわ! 無力な子供だったあたしに、救う手だてはなかった……あんたと同じように、ね」
「……」
「だけど、ね。あんたみたいに誰かを逆恨みしてテロ紛いの事をするなんてなかったわよ。少なくとも“悪魔”と手を組む程、ひねくれてなかったわね」
――ヴゥンッッ!!!!
巨杖が唸る。
起動準備。
「悪魔も世界を滅ぼすタタリガミなのだから――あんたも人類の敵なワケ。――倒すのに、躊躇はしないつもりよ」
水晶の龍頭が、淡く光を放つ。
「それはこちらの――」
立ち上がり、長剣に魔力を集中させる。覇者の刃が、紫の光に包まれる。
「台詞だ!」
地を蹴った。
かのんの黒髪が、軍旗の如く靡いていった。
「風牙烈刃!!」
複雑なエノク文字の紋様が、剣刃に輝く。
魔剣を一動作で振り抜いた。
辰魅は怯まず前進。
「破ぁぁっ!!」
拳を握る。
壁をぶち抜くかの様に、紫光の力に突き立てる。
打音。
砕け散る紫の光。
「馬鹿な!」
光を蹴散らし、さらに前に進む。
龍杖を前方に向けながら、かのんに向かって駆ける。
キュオォォォンッッ!!
龍杖が高音の鳴き声を発する。
『臨界制御機構・完全解除にシフト』
―――リミッター・オフ。
かつてない力が、杖を震わせる。
音速の初撃。
辰魅はすべての“気”を巨杖に収束させる。
――天地にあまねく陰陽の気よ。昊天上帝の命を奉じて我は邪なる法を滅する利器たらん。闇を伐つ神力と成れ――
ドラクロテスが咆哮した。
「龍声雷牙!!!!」
閃光が、全ての視界を奪う。
――ぎゅぅぅぅんっ!!
「うあああっ!」
「きゃあぁっ!」
辰魅は反動で後ろに吹っ飛ばされる。そのまま樹の枝葉のなかに埋もれてしまった。
――そして。
××××××××××
「一つ、未だ分からない事があるのですが」
彼は、仙狼に疑問をぶつけた。
「ふむ、なにかね」
「どうして、辰魅くんが龍杖の主に選ばれたのか、という事です」
「その事か」
仙狼はゆっくりと、髭を撫でながら頷いた。
「先の話を蒸し返すようで恐縮ですが……」
剣三郎は、腕を組んで話しだした。
「彼女の父は、確かに〈ガルガンチュア〉の結成を成し遂げた英雄です。が、辰魅くんはごく普通の娘だったはず……」
「龍杖を構成する『コア』――青龍の鱗を元にその主を探すための八卦を行ったが――詳しい理由は儂にも不明なのは、さっき言った通りじゃが…まぁこれは儂の推測じゃがな」
「はい」
「おそらくは、血であろう」
「血、ですか?」
「うむ」
老人は頷く。
「この国の呪者の能力の如何は、血統に左右される事が多い」
二階堂 辰魅の遠祖に、龍神の祭司がいた可能性は充分に考えられる話だ。青龍神が選ぶのは、それなりに資格を有する者のはず。二階堂家の血には、古い巫女の力が眠っていたのかもしれない。
「儂は八卦見で杖の主を探し出しただけじゃよ。本当のところは“杖”自身にでも訊かなければ判るまい。じゃがな――あの娘が“杖”に触れるまで全く霊的な力を持っていなかったのを考えるとなぁ」
「辰魅くんが風水使いとして開眼したのは、龍杖と出会ってから、でしたな」
剣三郎は、改めて辰魅の秘めたる宿縁に思いをはせた。
「――む」
突然、仙狼が、弾かれたように、窓の外に強い視線を向ける。
「これは――」
「ご老体?」
「何と強大な“気”じゃ! ――雷を束ねるミズチの力!!」
青白い爆光が窓から射し込み、全てを圧して輝いた。
――ドガァァァッッ!!!!!!
遠くより、落雷の如き轟音が耳に響いた。
「おおっ…」
「これは!?」
悪魔との戦いで――
「辰魅くんは……」
焦燥感の混ざった声で、剣三郎は呟いていた。
××××××××××
空間を貫く、プラズマの奔流。
龍
龍 龍
(ごう)
鮮青の雷光をまとわりつかせ、かのんに向かって一直線に放たれる。
「バァル・フェゴルの御名において――」
かのんは腕を伸ばし、結界を張ろうと試みた。
「加護あれかし!」
かざした手から、防御障壁を造り出す。
――ぐがぁぁぁ!!
「あうっ!」
結界を割り、まさに龍の牙の様に光はかのんの腕を討つ!
「ぐぁぁ!!」
――ベキッ……ゴキッ……!
腕に激痛。
魔力を収束させたものの、霧散してしまう。さらに、腕の骨を粉砕され皮膚を焼かれた。その威力に、かのんの手は容易く破壊される。
かのんは光に抵抗することも出来ず、押されて弾かれた。
身体が浮き、夜空に光ごと飛ばされる。
「ぐっ!!」
吐血。光は胸に凄まじい圧力を与えた。雷の牙が彼女の体を咬み砕かんと暴れる。
「うわぁっ」
胸に光が食い込んだ。
「ぐああっ!」
血が、夜空に散る。
魔力が――消える。
(私は死ぬのか……目的も果たせずに……西豪寺……くん……)
そう、思ったとき。
「女王よ!」
横から、何者かが、彼女の体を抱えて光から庇った。
「レオナール!!」
魔界の使者が、かのんを庇い、光に射たれた。
「ぐがぁ」
プラズマの光牙が、悪魔の背を貫く。
黒血が吹き出した。
――ズンッ!!
「アアアアァ――!?」
山羊の頭を持つ悪魔が、絶叫する。肉を裂き、かのんの脇腹を抉って、蒼光は天高く昇っていった。
空中でよろめき、失墜していくふたつの影。
「お前……なぜ……?」
「あ……貴女は」
レオナールはくぐもった声で、告げる。
「我々の希望なのです……女王……ぐぁっ!」
その、肉体が、細かい塵と化して飛散していく。
「神を……倒す……希望……死なせは……し……な……―――」
――レオナールの傷から、炎が噴き上がり、全身を燃やし尽くしていった。
「さらば、女王よ」
「レオナール!」
脇腹を押さえ、かのんは落ちていく。
その瞳に、彼女を魔界に導いた悪魔が消滅していく様が映る。
××××××××××
……流星のように。落下する、かのんの身体が、古い神社の境内に叩きつけられたと同時に。
夜空の彼方――星天の高みで新星もかくやと思われる光の爆発が、起こったのであった。
××××××××××
もう、身体は言う事を聞いてはくれない状態だった。
「はぁはぁ……はぁはぁ……ぁぁ……」
森の木陰に見下ろされて、四肢を投げ出して二階堂 辰魅は横たわっていた。
荒い呼吸を絶え間なく続ける。
筋肉がぴくぴくと、痙攣するのが、まるで自分の身体でなくなったみたいに感じられた。
(どうにか、やっつけられたわね……)
あの、すさまじい熱量を持つ超攻熱気光弾を、易々と、防いだとは思われにくい。
例え助かったとして――相当のダメージを追わせたはず……。
もはや戦う力は残っていない。
体力、気力とも使い果たしたのである。
いま、この瞬間に攻撃を受ければ、全ては終りだ。
巨杖もまた、力を使い果たし、機能を停止させていた。
(オーバーロードしたのね……)
杖は、しゅうううと、白い蒸気のような煙を各部から漂わせていた。
(眠りなさい、龍杖よ――)
辰魅は瞳を閉じた。
……さぁぁぁぁ……と、涼風が吹き、火照った膚を優しく撫でていく。辰魅は、それを心地よく感じた。
(あーあ、ボロボロじゃないあたし……)
自分の姿の惨状を見て、へこんだ。
(カッコ悪い…これじゃ――)
彼に笑われちゃうわね。
「――あの娘、たぶん、あの子の事を……」
星空に、頼りない少年の笑顔を重ね合わせる。
「大丈夫かい?」
そこへ、青いヌイグルミがやって来る。
「えぇ。だけど、動けないわ。立ち上がるの、手伝ってもらえる?」
苦笑しながら、辰魅はリュウくんに言った。
彼は、倒れた辰魅の上に、短い手をかざす。
「――その前に」
キラキラと、青白い蝶の鱗粉にも似た光る粒が、辰魅に降り注いだ。
燐光に反応するかのように、光を浴びた破損したメイド服が、青光の粒子と化して消えていく。
夜空の下、美しい裸体を曝す辰魅は、未だ、呼吸が整わずに荒い息を吐き続けていた。
疲労感と脱力感が全身を支配している。
そして、巨杖も、その姿を霞ませ、消滅した。
一瞬の後――戦闘用メイド服と入れ替わる様に、屋敷で着ていたメイド服に辰魅は覆われていた。
リュウくんの転送術によるものだ。
「さぁ、帰ろう」
「一人じゃ無理。だからリュウくんに頼んだんじゃないの」
「判ってる」
霊力を用いて、辰魅の身体を持ち上げる。樹の幹に寄りかかる形で立ち上がる辰魅。
「協会に連絡しよ。車で運んでもらったほうがいいわ」
気だるい表情で言った。
もう、体に力が残っていない。
気がついてみれば、空腹感が完全に消えて、眠気だけがあった。
××××××××××
――同じ頃。
傷つき、身体に力が入らなくなっているのは、なにも辰魅だけではなかった。
……神社の境内にめり込んだかのんは、痛みに神経を、打ち砕かれていた。
(全身打撲の上に肋骨が折れている……内蔵も出血多量だな)
片腕は完全に大破している。
敗北の味はあまりに苦すぎた。
かのんは、かろうじて動く左手の指を動かし、召喚の円を描いた。
「召喚に応え出でよわが従僕よ」
呪文詠唱。
「ギキッ!」
彼女が呼び出したのは、小さな人型の妖魔――インプであった。醜悪な顔に黒い無毛の皮膚、蝙蝠の羽を生やした小鬼である。それが二匹、現れた。
「来い」
倒れたままのかのんに、インプが一匹、無造作に近づいた。
「ギギィ!?」
そのインプの頸を、おもむろにかのんの手が掴む。
悲鳴を上げるインプを顧みず、かのんは指に力を入れた。
喉に指が食い込み、インプは苦痛に顔を歪ませる。
――ドギュン、ドギュン……!
ぶるぶると痙攣する小鬼。その身体が、空気が抜けていく風船の様にしぼみ、縮んでいく。
その光景を、もう一匹のインプが、戦慄の表情を浮かべて見つめていた。
――パギャァァッ!!
「!!」
炭化した木材の如く生命力を吸い付くされ、砕けて黒塵の粒子と化すインプ。
かのんはなんら憐れむこともなく、無表情に立ち上がる。
「……ぐはっ!!」
唇から赤い液体を飛ばしながら、かのんは石畳の上で足を踏みしめた。
「〈ガルガンチュア〉の風水使い……」
血を拭う。
「次は――必ず、殺す」
よろめきつつ、つま先を踏み出す。
「貴様、塞に還るのを手伝え」
「ギッ!」
その言葉に、インプが逆らうことはなかった。
夜の帳は未だ上がらない。