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第四章 蒼き龍



××××××××××



少し大きめのテディベアほどのサイズだった体が、一瞬で膨れ上がった。


(なんだ……これは)


かのんは瞠目した。

眩しい、蒼光が彼女たちを包み込む様に、閃いた。


「あぁっ!!」


光に圧されて目を瞑ったかのんが、再び目を開いた時、その瞳に映ったのは――


「な、なにぃ〜、これは……?」


巨大な龍が、天を舞っていた。


ぬいぐるみ等ではない、本物の龍が。


蒼い鱗と白い毛が体表を覆う。


“ふぅぉぉぉぉぅ…………”


蒼い鱗体を持つ龍は、深く、吐息した。


「馬鹿な――こんな……」


呆然と呟く、かのんであった。


辰魅は笑みを浮かべ、己れの持つ巨杖を見た。

杖は微かに震えていた。

蒼い龍に反応し、共鳴を起こしている。


(――それもそのはず、だわ)


天空を泳ぐ龍は、吸血鬼に頸をもたげた。


「なんだ……この龍は。――ものすごい霊気を感じる……まるで、これは――」


かのんは、戦慄を覚えた。


「――神……?」


「その通りよ」


不敵な辰魅の声に、かのんはハッとなった。


「どういう事だ……」


「リュウくん――いいえ、あの蒼龍こそ、古の四神として名高い東方の守護神なのだから…」


「な……!!」


――まさか。


巨杖をかのに向けて、辰魅は語りだした。もはや、吸血鬼など恐れる心配はない。

そう、蒼龍が真の姿を見せた今なら――


「風水において四方を司る四神のなかで、青龍は東を護る霊獣。――彼は五年前、この地を護るために邪悪な鬼神モノガミと戦ったの。――即ち」


「五年前……〈大洪水〉か!?」


かのんは、忌まわしい記憶と共に、あの惨事を思い出した。


「そう――地上に封じられた悪しきマガツカミたちが蘇ったあの〈大洪水〉の時よ。邪神からこの東のくに――日本を護るために、青龍は戦ったの……」


(〈大洪水〉の時に? そんな……)


かのんは唇を戦慄わななかせた。



××××××××××



――全ては、二〇〇五年三月に起こった事がきっかけで始まった。

三月半ばの、春の訪れを感じさせる風の中。突如、世界各地の都市が―――いや、村や町、田畑や森や丘もなにもかもが、波濤のなかに呑み込まれた。

すなわち、地球規模の洪水という事態が発生したのだ。


当時から、地球温暖化により南極の氷が溶け、海水の上昇によって東京をはじめとする都市が水没する可能性が、学者により懸念されてはいた。


だが、それにしてはこの洪水は異常であった。南極の氷がこれほど早く溶けるとは思えず、また、その兆候もなかったのだ。

科学的な調査結果により、南極の氷は溶けていなかったと判明した。どこからともなく、大水が生まれ世界を覆ったのである。


まるで、異次元から水を汲みあげたかのような大水は、地球各地に凄まじい被害をこうむらせた。


日本は地震の被害に逢うことは度々あった。しかしこのような洪水による災害は初めての経験であり、日本の主要地はほとんど水没していったのだ。僅かな数時間の間に……。


多くの犠牲を生んだ大水は〈大洪水〉として、人々の脳裏に刻み込まれた。忌まわしい災厄の記憶として。


「―――〈大洪水〉は、邪龍王リヴァイアサンの復活によるもの……」


かのんは、〈大洪水〉の生まれた原因を知悉していた。


「――そう。聖書に記された、神の創造した最強の生命体……それが何らかの原因で目覚め、あの大水が召喚されたの……まぁ、再びリヴァイアサンは封印されたけどね」


邪龍王の再封印により、水は消滅した。


だが――その影響により、地球各地に封じられていた〈タタリガミ〉や〈マガツガミ〉が復活してしまった。水が退いた後の地上は、こうした“負”の存在により滅びに向かいつつあったのだ。


そして、世界中にいる全ての退魔師たちは、地球を護るためにこれらの“負”の神々と激しい戦いを繰り広げた。これを第二次〈祓神擾乱〉という――


「――我々もまた、その時に蘇った禍津神のひとつ……」


「青龍は私たちの為に力を貸してくれた。日本最強の禍津神〈オオマガツヒノカミ〉を封印したの。だけど、力を使い果たして眠りについた」


「――では、この龍は!?」


困惑したかのんが訊ねる。

辰魅は、静かに答えを言った。


「――彼は、青龍神の欠片なの」


「なっ……?」


「青龍のその鱗の一片が化したもの」


(……!?)


『いわば、分身だな』


青龍は口を開いた。低く豊かな声量が耳朶に響いた。


『私は本体の一部分だが、その意志と力を受け継いでいる』


「一欠片の鱗とはいえ、神の力を舐めないでね――」


辰魅はにやりと、口許を吊り上げた。


「――く……それ程の存在が……」


かのんは、神の姿を前に、たじろぐ姿勢を見せた。


だが――!


「負けられぬ―――〈ガルガンチュア〉には!あなたたちを潰すまでは……!!」


かのんは剣に魔力を籠めた。



(私とて無下に倒されるわけにはいかぬ!)



かのんの脳裡に、幼い頃の記憶が蘇ってくる。


〈大洪水〉の記憶が。



××××××××××



その当時――桜留かのんは、まだ十三歳の無力な少女であった。彼女は、桜留財閥の令嬢として、何一つ過不足のない生活をしていた。

しかし――あの日を境に、彼女の境遇は一変する。


あの日――かのんの父、桜留総司は〈大洪水〉の犠牲となり、帰らぬひととなった……。かのんと母はかろうじて一命をとりとめ、救い出されたが、気付けば家も土地も財産も……愛する父も全て失っていた。母娘は父の旧知に引き取られ、一応の安定を得た……。 しかし。〈大洪水〉の被害の爪痕が、彼女に恵まれた暮らしを享受させなかった。


母は娘を養育するため勤めに出た。後見人となった男性はなるべく様々な便宜を図ってくれたが、以前の様な楽な暮らしは望むべくもなかった。


この〈大洪水〉に対し、日本政府や国連は全く後手に回っていた。人知を越えた災害だったとはいえ、彼らの――特に日本政府の対応はあまりにお粗末だったのだ。

かのんはこのとき、大人の力を頼れない――頼るに値しないと見きりをつけた。


父をすら救ってくれなかった国家に、かのんは不信と憎悪を抱いたのである。十三歳の少女には、「政府」は役にたたぬ木偶にしか見えなかったのだ。


かのんは後見人の庇護の下にぬくぬくと甘んじているつもりは毛頭なかった。


彼女は、人一倍勉強した結果、独力で都内有数の進学校――清流館高校に受かった。


そして三年間、常に学年トップの成績をキープしてきたのである。


内なる野望に到達するために。


そう、この国を自分の手で変えるために――



『……そうだ、私は誓ったのだ。必ずこの国を変えてみせると! 自分の手で!!』


燃える瞳で、天を仰いだ。

清流館に入学し、国権を左右する地位に就くのを望む彼女は、自ら率先して生徒会の役職に専心した。いわばリハーサルだと、自分に言い聞かせて……。


成績の優秀さばかり目立つかのんだが、生徒会においては絶大な指導力を発揮し、二年、三年と連続で生徒会長に当選するなど、高い人望を示した。


一方で、峻厳な性格の彼女は、他人にも厳しい態度で接した。その言動には一つの隙もなく、遅滞もない。


周りの人々は、そんな彼女に、いつしか畏れを抱くようになっていた。そして、親しく近寄る者が皆無となり……気付けば一人ぼっち。


――清楚で優雅。完璧な美しさを持つ孤高の女帝。


その姿を遠巻きに眺める者はいても、心を分かつ『朋友』はいなかった。


かのんには、「部下」や「クラスメート」はいても「友」はいない……その事実が、氷の如き心魂の少女にも、ふとした時に孤独を覚えさせた。

ひとを恋い慕い、求める心がある。

そんな彼女の前に現れたのが、かのんが二年生の時に生徒会に入ってきた、西豪寺京一であった。


京一は、学校で唯一、かのんに暖かな手を差し伸べてくれた少年だったのである。


非常にお人好しな京一は、誰にでも偏見を持たずに接した。

彼が生徒会の仕事をし始めた頃。解らない事があると何かとかのんに訊いてきたものだった。


『――先輩は何でもよく知ってるから……』



照れながら、かのんに話しかけてくれた。


(この男、私を畏れないのか? 他の者の様に……)


母鶏の後ろをついて回るヒヨコのような京一に、初めは鬱陶しがっていたかのんだったが、純朴な京一と一緒に仕事をこなすうちに、次第に彼に惹かれていった。



権力を志向してきた少女の胸に、初めて“恋”が芽生えた瞬間だった……。



初めての恋心に戸惑いつつも、かのんは表面的には普段と変わりなく、京一に接した。

野望を邁進するのに忙しいからと、自らの恋を自制しようとすら考えた。


そして。『悪魔』が彼女を迎えにきたのは、秋が終わりを告げる頃だった。



××××××××××



深夜。学校の寮の自室で、机に向かいノートにペンを走らせていた時だ。


(――?)


ふと、気配を後ろに感じて振り向いた先に。

異形の影が立っていた。


「……!?」


悲鳴を飲み込み、彼女は表情を固まらせた。


山羊の頭と蹄を持ち、裸の女性の上半身に、毛深い獣の下半身。 頭部の横から二本、角を生やし、額からは短い直立した角が伸びている。その角の先端は、ヘブライ語の「シン」の字に似た形をしていた。角は蒼白い炎を蝋燭の様に浮かび上がらせていた。


「化け――」


「女王さまを迎えに参上いたしました」


「え?」


山羊は唐突に、人語を話した。


かのんは驚いた。


「な……何者なの?」


「私はレオナール。魔族の使いにして夜宴の主宰者」


恭しい口調でレオナールは答えた。


「貴女には、我が軍の指揮官となっていただく」


「私が? どういう……」


困惑する少女に、


「貴女には、我が主君たるバァル・フェゴルの血が流れておりますれば―――」


「?」


「貴女は、魔王の血脈に連なる者ですよ」


「なんですって……私が、魔王の?」


これは悪い夢なのだろうか……だが、目の前にいる『悪魔』の姿は、あまりにもリアリティが在りすぎた。



「七十二柱の魔神王のうち、バァル・フェゴルは東方の海に封じられ、今は動きが取れませぬ。その為に貴女が我々の指揮官となってもらいます」


レオナールは腕をかのんに伸ばした。


「――さぁ、目覚めるのです!魔族の将として!」


――カッ!!


山羊の額の角が、光を放つ。


「あぁぁぁっ!?」


かのんは光の渦に飲み込まれた。


魔王の力が、いま覚醒する!


「これは、聖なる復讐なのです。神は我々を見下し、人間は我々から受けた恩恵を忘れ我らを封印した!裏切りも甚だしい行為だ!

……だが我々は今一度この世界に復活する機会を得ました。今こそ復讐の刻!!神々を打倒し、人間共をひれ伏させる。そう、我々が世界を変えるのですよ!!神に代わって!!」


「世界を…変える……」


「ええ、その通りです。神々の間違った教えを払拭し、我々による理想社会を建設するのです。この地上に! そうすれば、貴女の夢も叶うのですよ」


「私の、夢……」


脳裏に、一人の少年の顔が浮かぶ。


「私には、世界を変える力が、あるというのね?」


「それこそ、貴女は魔王の力を受け継いでいますれば―――」


「力―――」


じっと、己の掌を見た。

何か。今まで感じた事のない

脈動を、そこから感じた。


「……力」


「さぁ、行きましょうか。我等のとりでへ――」


「何をするの?」


「儀式です。――王位を継承する為の」


「連れていって――」


かのんは、即応する。


そして。彼女は悪魔たちによって戴冠式を挙げ、女王となった。


世界を変える。


その為には、〈ガルガンチュア〉が日本風水協会に保管を託した“聖宝”ムラクモが必要であると判断したかのんは、部下の『悪魔』を刺客として指し使わせる。


その一方で、普通の高校生としても過ごしていた。


世界変革の野心を抱く彼女の胸に、唯一、淡い光を灯すものがあるとしたなら、それは京一と共有する時間だった。魔族の女王ではなく、一人の少女として生きていられたから。


彼に対しては、かのんは冷たい態度を取ってしまう場合が多かっただろう。

もう少し、親しく彼に話しかけられたら――と、内心、忸怩たる思いでいた。



――それなのに。



昨日のあの時。


京一が放課後も残って、彼女の仕事を手伝ってくれた後で。

会議室の窓からブラインド越しに見えた光景。


京一を迎えにきた、メイド服姿の女性。


少年は嬉しそうに、その女性に話しかけていた――


(これが――嫉妬、か……)


胸中に沸き起こる感情。黒く昏い魂の炎。


(魔法使い――)


かのんは、狂気ともつかぬ情動に突き動かされて、二階堂 辰魅に戦いを挑んだ――



××××××××××



「貴女を倒してムラクモは貰う!!」



青龍を気にしつつも、かのんは剣を向けて辰魅に襲いかかる。

同時に、吸血鬼も攻撃の体勢をつくった。


『来るか!?』


「グガァァァ!」


眼を血走らせ、牙を剥き出した吸血鬼は、龍神に挑みかかっていった。


『……愚かな』


躍りかかる妖魔に、青龍は憐れみを込めて呟いた。


……ガッ!!


鉤爪の生えた手で、吸血鬼の拳撃を受け止める。


「ハギャァァアァ!?」


龍はそのまま、掌中に妖魔を包み込む。


巨人に捕まったガリバーよろしく、吸血鬼は苦しみもがいた。


「――グゲェェ!?」


ぐしゃぁっ!


吸血鬼の身体はいとも容易く握り潰され、四散した。

その、欠片は、黒い粒子と化して空間に霧消してしまうのだった。


「“聖宝”を何に使うつもりよ?」


「封印された七十二柱の魔神王を甦らせるためだ!!」



――ギンッ!!



剣と杖が激しく火花を散らした。




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