第三章 魔族の女王
………しゃぁぁぁんっ
破砕の高音と共に、辰魅の身体はビルの内部に転げ落ちた。
「がっ…!」
薄暗いオフィスの中。無人の、静寂。
「くっ――他に敵が……」
起き上がろうとしたその時だ。
「ぐああっ!?」
腹に重い衝撃が走る。
何者かに踏みつけられ、辰魅は息を肺から押し出された。
「……っゅあああっ!!」
首を動かし、敵の正体を見てやろうとした。
「あ、あん……た……は………っ!」
娘が一人。
辰魅の腹部に足を置き、立っていた。
「……はじめまして、〈ガルガンチュア〉の」
女の低音の声が聞こえた。
「魔法使いさん」
「悪魔か!?」
「我は――」
長い黒髪を掻き揚げ、女は宣べた。
「魔王バァル・フェゴルの血を受け継ぐ者……」
「!」
「魔族の女王なり」
「……」
戦慄に、辰魅は四肢を震わせた。
「貴女には……ここで死んでもらう」
冷たい宣告を、魔王の末裔は下した。
「誰が……あんたに……殺られる……」
辰魅は未だ手放さずにいた龍杖を、起動しようとした。
「そうはいかない」
女――桜留かのんは、長剣を、辰魅の喉元に突きつける。
「一撃であなたの喉は串刺しだ……先ほど、私の部下にしたように」
「……」
辰魅は迷う。
――しかし。
「どうせ、殺すつもりでしょ…ならば」
にやり、と皓歯を見せる。
「――貴女は!」
怒りの声が初めてあがった。
剣が、辰魅の喉に刺さる、瞬間。
「焔撃モード!」
龍杖が唸る。
かのんは、辰魅の腹から足をどけ、杖を踏み砕かんとした。
「焔麗礁飃!!」
紅き光が、オフィス空間に満たされる。
爆焔。
「――魔法使いめ!!」
激昂するかのん。
二人の娘は、爆発点を挟んで飛びすさっていた。
ビルは真ん中が衝撃で吹っ飛び、積み木が崩れるが如く、上階が折れて落下し大破する。
幸いにも無人のビルであり、ガードマンは地下にいて助かった。彼は翌日、レスキュー隊に救助される事になる。
××××××××××
辰魅は龍杖を手に、ビルの向かいにあった工事現場の鉄筋に降り立つ。
かのんは、古いアパートの屋上に降った。
「やるではないか――この魔力は……」
「――魔王の子孫とはね……」
しばし。
空間を挟んで、両者は対峙する。
「なぜ、あんた達は“聖宝”を狙う?」
辰魅は問うた。
「我々の世界を造るためだ」
「なんですって」
「長らく封印されていた我々の苦悶を貴女は知るまい――」
月夜に、冷たい風が吹き、流れていく。
かのんは、かつて『悪魔』たちが人々に文明を与えたことを語った。
「――日本で言えば、いわば悪魔は国津神にあたる存在。人間は魔の眷族による恩恵で、高度な社会を築いた……然るに」
人間は、彼らが邪悪な魔神なのだと気づき、神の力によって封印を施した。人間のいわば反逆に、悪魔は憤り、凄惨な戦いが起こったとされる。
結局、悪魔は魔王クラスから妖魔にいたるまで、堕地獄を神に宣告されたのだった。
「我らはいつか人間と神に復讐することを誓った。……世界を滅ぼして、な」
「……な」
「神の創造に係るこの世界を破壊することで、新世界への浄化が完了する」
「何を考えて――」
「バァル・フェゴルは神の力を受け、動けない。故に私が魔神の指揮をとっている」
「あんたは人間なのに悪魔に荷担すると――」
「我が血の半分は魔族なのだ」
辰魅は、拳を固めた。
「我々がこの国を手に入れるためには、〈ガルガンチュア〉の護る“聖宝”が必要なのだ」
かのんは風の中で、剣を構えた。
「さぁ――始めようか……我らと〈ガルガンチュア〉、世界をどちらが支配するか、の戦いを。そして――」
かのんの“気”が膨れ上がる。
「貴女を倒して、“聖宝”ムラクモをいただく」
「こんな場所で戦ったら……」
ちらり、と。眼下を覗きみる。
サイレンの音と人の叫びが耳に入ってきた。
倒壊したビルの周辺に、消防車や救急車、パトカーなどが群がりつつある。
騒ぎはだんだんと大きくなってきていた。
「死傷者が出るかもしれない――」
危惧を抱いた辰魅は、
「こっちよ!」
かのんを誘うように、戦場を変えるため移動した。
翔ぶ。
「む……」
かのんは風を巻いて、辰魅を追う。
二人の女性が夜空を高速で飛翔する。
辰魅は人気のない森の上空に跳んだ。
そこは首都郊外に拡がる森で、公園の一角を成していた。
ここなら――
辰魅は龍杖の起動準備にかかった。
龍脈からエネルギーを汲み取る。それと、先の戦いで失った霊力と体力を取り戻すため、“マナ”を噛む。
「鋼撃モード!」
金行の気を溜める。
かのんは木々の間を縫うように、こちらに翔けてきた。
「他の人間を巻き込みたくないとは、殊勝だな」
皮肉っぽく、かのんが言う。
「行くぞ」
かのんは、厳かに宣する。
「望むところ」
辰魅の語気はいささか荒く響いた。
「金驟霖斬!!!!」
龍杖を横薙ぎに一閃。
破壊の刃がかのん目掛けて翔ぶ。
「裁!」
かのんは長剣で以て、黄金の光刃を受け流した。――が。
「く……! この腕の痺れは……」
何と重く速やかな一撃だ――!
「危うく剣を落とすところだった……だが!!」
かのんは剣に魔力を籠めた。
「はぁぁぁぁ!!!!」
「仕掛けてくるか!」
それならば、あたしも。
辰魅は攻撃モードを変更する。
二人の呪者が選んだ力は、“火”の力。
火は破壊の力の象徴だ。
辰魅は素早く、南の方角に移った。
「はぁぁぁっ!!」
二人の間の間合いを縮めるべく、かのんは幹を蹴って飛び出した。
瞬速で辰魅の前面に移動する。
「…な!?」
その懐に入ってしまえば、すぐに巨杖を起動できまい。
かのんはそのように計算した。
「食らえ!」
「くっ――!」
剣刃を杖で受け止める辰魅。
巨杖は盾としても使える。
間合いを埋め、巨杖の機動力を殺いだかのんは、神速の動きで攻撃した。
「……はやっ……!?」
剣撃は回避するので手一杯だった。龍杖を起動するタイミングを掴み損ねたままだ。
斬撃が彼女のスカートに裂け目を造り、紺色の布が破けて純白のフリルが舞散っていった。
さらに。
「――痛っ」
白い太腿に、一筋の赤い傷がついていた。
鮮血が肌を濡らす。
「風刃よ!」
巨杖のガードを掻い潜って、かのんの剣尖は辰魅の胸元を切り裂いた。
「 ! 」
ボタンが弾け、右の胸元に真紅の痕を遺す。
「――この服は防刃防弾性なのに……!」
辰魅の着込んでいるメイド服、これには、製造途中で口訣と呪紋とをあらかじめ織り込んでおり、衝撃や物理的ダメージに対する耐性が与えられている。
――それが。
「〈ガルガンチュア〉特注の服を易々と斬り裂くなんて……その剣、ただの剣じゃないわね」
「ふっ」
かのんは剣刃を掲げてみせた。
「この剣は、魔神の王が鍛えし武器だ。かつて――バァル・フェゴルが天界の戦士に振るった、覇者の剣よ」
辰魅の額に汗の珠が浮いた。
「――貴女を斬る!」
かのんが斬撃を射つ!
辰魅はかろうじて真空の刃を避けた。
代わりに樹が二、三本切断され、鈍い音と共に倒れた。
××××××××××
陰陽思想において 南方は“火”を司る方角である。
『焔撃モードにシフト――』
龍杖を構え、攻撃の隙をうかがう。
かのんは、長剣で火の呪紋を描いていた。
正三角形の中心に、火星を表すシンボルと獣帯・白羊宮の記号を刻印する。
虚空に赤い残光が飛び散った。
「躍れ!紅刃よ」
かのんは下段から、一気に辰魅に向かって振り上げた。
赤焔の軌跡が、風水使いに飛ぶ。
辰魅は龍杖を起動。
「炎跋蹌烈!!!!」
蒼龍の顎が、光を放つ。
―― 空間の一点で、炎が弾け、爆音を轟かせた。
互いの呪力がぶつかり合い、両者に膨大な熱と衝撃波が襲いかかってきた。
『……くっ』
二人は大きく飛びすさって、間合いを開け、対峙した。
―― しゅん!
(はっ!)
辰魅は咄嗟に龍杖を、真後ろに向けて突き出した。
ガシィ!!
「なっ!?」
辰魅の背後には、見知らぬ男が抜き手を打たんとしていた。その初撃を杖は阻んだが――
「妖魔?」
赤い眼。土気色の皮膚。口から覗く鋭い牙。黒衣をまとった痩身の男。
巨杖を男の手が掴んでいた。
「こいつは――」
「――私の召喚した下僕」
「妖魔の眷族?」
「ヴァンパイア――即ち吸血鬼よ。貴女には闇の住人にでもなってもらう」
かのんの冷笑に、辰魅は激昂した。
「だ、誰が!」
「ウケケケケ―――!!!!」
バンパイアは奇声を上げながら自由な方の拳でもって突いてきた。辰魅は杖を持たぬ左腕で拳撃を捌く。
そして、吸血鬼の男に膝蹴りを放った。
彼は衝撃を腹に食ら
い、やや後退する。さすがに杖も掴んでいられずに手を離した。
「……ぁぁぁ!!」
一瞬の隙を突いてかのんが刃を見舞ってくる。
巨杖で防御を試みるが、刃は辰魅の身体に達して、無事だった方の胸元と白いエプロンとを裂いていた。 エプロンの切れ端と紺色の布片が夜空に散って漂う。
傷を肉体に附けられることは免れたが、彼女の胸は純白の下着姿を曝けだした状態だ。
(このままじゃ埒があかない)
胸を手で隠しながら、必死で考える。
(龍杖を起動させなければ――でも……)
相手は、挟撃の態勢をつくりだしていた。
双方からの攻撃を完全に防御する自信はない。
だけど――
「負けられない!」
辰魅は、“マナ”をひと欠片、口に放り込んだ。
「――リュウくん!」
“マナ”の詰まった缶を、宙高く放り投げる。
「なんのマネだ!?」
「グゲゲ?」
辰魅の行動を警戒するかのんたちに構わず、彼女は叫ぶ。
「――それを全部あげるから!……だから!!」
『――判ってる!』
“リュウ”くんの声が夜の風を破って響いた。
「……!?」
かのんは信じられぬ光景を網膜に焼き付けることになる。
「頼んだからね!リュウくん」
辰魅は希望を信じて、龍杖を握る手に、力を籠めた。
いつの間にか、辰魅の周囲で赤い輝きが爆ぜていた。
――戦いの余波で散った火が、樹々に引火したのだ。
森の一部が燃えている。火勢は徐々に激しさを増し、焼き尽くそうとする。
――そんな中。
「ムガァァァ!?」
吸血鬼は、突如現れたぬいぐるみの様な存在に、困惑の呻きを上げた。
ふわり、と浮く、丸っこい物体。
ドラゴンを模した愛嬌のある造型。
その手には、小さな缶が握られていた。
“マナ”の結晶の入った缶だ。
彼は、口を大きく開け、白く煌めく“マナ”のドロップをザァーと、その内へと流し込んだ。
「……これは!?」
さしもの冷静なかのんも、声を上げずにはいられなかった。