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第8話:家庭教師

「何をしているの!」


 ステラが急いで部屋に入ると、家庭教師がハッと振り向いた。

 険のある表情をした家庭教師は四十歳くらいの女性だった。


「ノエル! 大丈夫?」


 ステラはノエルのそばに屈むと、そっと小さな手をとった。


「こんなに赤く腫れて! 痛かったでしょう?」


 そう言うと、ノエルは目にいっぱい涙をためてこくりとうなずいた。


「もう大丈夫よ。私が来たから」

「どなたですか? 今は授業中ですよ」


 苛立った家庭教師の声が降ってくる。

 ステラはすっと立ち上がると、真っ向から家庭教師を見つめた。


「私はステラ・アトキンス。アトキンス公爵夫人よ!」


 こういう時、公爵夫人の肩書きは効く。

 家庭教師は(ひる)んだ表情になり、慌てて頭を下げた。


「初めまして、奥様。ヒラリー・バーンズと申します」

「あなたがノエルの家庭教師? なぜ、ノエルを教鞭(きょうべん)でぶつの?」


 ステラはヒラリーが手にした棒状のしなやかな教鞭をにらみつけた。


「集中できていないからです」

「ノエルはまだ五歳よ?」

「旦那様から公爵家にふさわしい教育を、と言われておりますので」


 ヒラリーは堂々と言うと、つんと顎をそらせた。

 自分の言い分に自信があるのだろう。


 ステラはすっとドアを指さした。


「出て行きなさい。クビよ」


 ヒラリーの口がぽかんと開いた。


「聞こえなかった? あなたは今日限りクビって言ったの」

「な……!」


 ヒラリーがわなわなと唇を震わせ、キッとステラを睨む。


「私を雇ったのは旦那様です! 旦那様に許可は取られたのですか!?」


 しばし、ステラとヒラリーはにらみ合った。

 ヒラリーもプライドがあるのか、一歩も引かない。


(いえ、私が軽んじられているのね)


 ローワンが望んだ結婚ではない、と使用人たちも知っているのだ。


「わかりました。では、勝手にどうぞ。ノエルは連れていきます」


 ステラはそっとノエルの手を取った。


「今日は私とお出かけしましょう」


 ノエルが困ったように、おろおろとステラとヒラリーを見る。


「で、でもお勉強が……」

「今日はお休みにしましょう。私が許可します」


 ステラはにこっと笑いかけた。


「美味しいものを食べましょう。帰りに町に寄るのもいいわね」


 そう言うと、ノエルがぱっと顔を輝かせた。


「ぼ、ぼく……アイス食べたい!」

「ええ、いいですよ。何でも買ってあげます」

「やったー!」


 無邪気に喜ぶノエルを、ヒラリーが苦々しい表情で見つめる。


「旦那様にご報告しますから!」

「ええ、どうぞ。私からも話しておきます」


 きっぱり言い切ると、ヒラリーはぐっと詰まった。


「行きましょう、ノエル」


 そっとノエルの背を押し、勉強室から出た。


「では、侍女に着替えさせてもらったら、お出かけしましょう」


 子守の侍女を呼ぶと、ステラはふうっと息を吐いた。

 両手で顔を覆い、天を仰ぐ。


「ああ、また出しゃばってしまった……」


 こんなはずではなかった。

 ローワンとは適切な距離を保ち、徐々に信頼を得る予定だった。


 だが、ノエルこととなれば冷静でいられない。

 あの幼く孤独な少年を守ってあげられるのは自分しかいないと思ってしまっている。


「来て早々、いろいろ文句をつける口うるさい妻になるなんて」


 これは離縁されるのも時間の問題かもしれない。


「でも、仕方ないわね」


 ひとりぼっちで食事を取るノエル。

 当たり前のようにノエルを教鞭で打っていた家庭教師。


 あの様子では、長い間その状況が放置されていたということだ。


(許せない)


 ローワンはノエルに無関心。

 それどころか、意図的に避けている(ふし)すらある。


 当主がそんな態度では、使用人たちもノエルに関わろうとしないだろう。

 ノエルが孤立している今の環境を変えるのは、やはり自分しかいない。


(今晩、ローワン様の部屋に行って、新しい家庭教師を雇いたいと直訴しないと)

(子守の侍女もノエルを可愛がってくれる人がいいわ)


 これからどんどん忙しくなる。

 自分の目が行き届かないときにノエルを守る人が必要だ。


「ケンドリック、使用人のリストを私の部屋へ」

「はい、奥様」


 忠実な執事は、いつも陰のようにそばにいてくれる。


「あなたは使用人について詳しい? ノエルを守ってくれそうな子に心当たりは?」

「幾人か」

「帰ったら教えてちょうだい」


 ケンドリックの淀みのない口調にステラは密かに舌を巻いていた。

 ローワンは人を見る目は確かなようだ。


(無能な人間を私に付けることもできたのに、ケンドリックを付けてくれた)

(思ったより公平な人なのかもしれない)


 ステラはふっと微笑んだ。


(鉱山への視察、家庭教師と子守の新たな選定……やることがどんどん増えていくわ)


 考えるだに胸がわくわくしてくる。


(想像以上に大変だけど楽しい)

(自分の無力さをかみしめるだけよりもずっといい)


 着替えたノエルが駆け寄ってくる。

 ふくふくの白い頬が揺れている。


「おいで! 私の可愛いマシュマロちゃん!」


 ステラは大きく手を広げると、笑顔でノエルを迎えた。

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