第4話:結婚契約
「ステラ様、旦那様がお呼びです」
しばらくして侍女がステラを呼びに来た。
ステラは案内されるまま廊下を歩き、階段を上がり、執務室へと向かった。
「失礼します。ステラです」
ドアを開けると、広々とした執務室のデスクの前にローワンがいた。
まったく感情の読めない目が向けられる。
「来ましたか。お疲れでしょうが、さっさと結婚誓約書を書いてしまいましょう」
結婚誓約書にサインしなければ、正式な妻とは認められない。
ステラも客人という立場のまま屋敷にいるのは気まずいので望むところだった。
「条件はお伝えしたはずですが……もう一度確認しますか?」
「ええ」
継子についてもそうだが、ステラには何も伝えられていない。
ステラは渡された誓約書の条件をざっと確認した。その中身は想像以上に他人行儀なものだった。
(ざっくり挙げると、こんなところね)
お互いの私生活について必要以上に干渉しないこと。
嫡子について、強要しないこと。
公爵夫人としてふさわしい振る舞いをし、最低限の社交をこなすこと。
以上を守れば、毎年百万ギニーを渡す。
お互いの尊厳を損なうような言動があれば、すぐさま婚姻を破棄することができる。
ローワンから申し出た場合、離婚時に手切れ金として百万ギニーを渡す。
(お互い干渉し合わず、公爵夫人としてそれなりに振る舞っていれば、お小遣いを渡す)
(尊厳を損なったと言えば、いつでも婚姻を破棄できる。ほんと形だけの結婚というわけね)
嫡子も不要ということであれば、やはり適当なタイミングで離婚することを考えているのだろう。
(幸せな家庭を作りたいと思っていたけれど儚い夢だったわね)
「いかがでしょうか?」
しょんぼりと視線を落とすステラを、ローワンが観察するようにじっと見つめてくる。
「はい。結構です」
ステラは背筋を伸ばし、毅然とした態度でうなずいた。
もとより交渉の余地はない。圧倒的にステラの方が立場が弱いのだ。
(でも……私にも譲れないものがある)
ステラは思いきって口を開いた。
「一つだけお願いがあります」
「なんでしょう?」
警戒したのか、ローワンの目が鋭く光る。
「仕事を邪魔するつもりはありませんが、私も公爵家のお仕事に関わりたいです」
ローワンが探るように見つめてくる。
「あなたはただ公爵夫人として屋敷にいるだけで、遊んで暮らせるんですよ? 百万ギニーでは足りませんか?」
「ありがたいお申し出ですが、結婚する以上、私は公爵夫人として己の責務を全うしたいと思います。領地経営や家政に関わりたいです」
「なるほど。お飾りの妻にはなりたくない、と」
「はい!」
ローワンの冷ややかな眼差しにも、ステラは一歩も引かなかった。
「お金だけでなく、公爵家の実権を握りたいのですね」
どうやら権力を欲していると思われたらしく、ローワンの声音が更に冷たさを増した。
ただ自立するためのスキルがほしいだけのステラは慌てた。屋敷内で権力争いをする気など毛頭ない。
「とんでもない。ただ、女主人として働きたいんです。何もできない妻ではなく、胸を張って公爵夫人と名乗れるようになりたいんです」
(これだけは譲れない。いつまでも無力なままでいたくない)
(いずれ離婚されるなら尚更)
しばし、二人は見つめ合った。
ローワンが指を絡めた上に顎を載せてステラを見やる。
「なるほど……。いいでしょう。あなたの立場を尊重します。ただし、公爵家やその領地に関して、すべて私の目が光っていることをお忘れなく」
「もちろんです。ローワン様はお忙しいようですし、少しでもお力になれるよう精進いたします」
「ありがたいお言葉ですね」
ローワンの口調は淡々としていたが、まったく気を許していないのが伝わってきた。
(迷惑に思っているのかもしれない)
(でも、実際あなたの負担は相当なものでしょう?)
(一人で広い領地を管理し、様々な業務を行い、屋敷の家政も……)
本来なら、公爵夫人が担うべき仕事を一手に任されているのだ。
(王の顔を立てるだけの結婚……彼の中では期限を切っているのかもしれない)
(出しゃばれば、それを理由に離縁されるかも)
だが、ステラも引くわけにはいかなかった。
(一刻も早く自立できるような実績を立てなくちゃ)
(ローワン様の信頼を得られるように頑張らないと)
王命によって降ってわいた縁談。だが、自分にとっては自立できるまたとない機会だ。
「ふつつか者ですが、全力を尽くしますのでよろしくお願いいたします」
頭を下げるステラに、ローワンが少しひるんだ顔でうなずいた。




