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第11話:交渉

 夜になり、出かけていたローワンがようやく帰ってきたとケンドリックが呼びにきてくれた。


 ステラは背筋を伸ばし、ローワンの私室のドアをノックした。


「どうぞ」


 ローワンはジャケットを脱いでソファに座っていた。

 疲れているのかどこか気怠げだ。


 テーブルに上には飲みさしの赤ワインが置かれている。


「お疲れのところ申し訳ございません。お願いがあって参りました」

「なんでしょう」


 相変わらずの素っ気ない口調に鼻白みながら、ステラは口を開いた。


「まずはノエルの家庭教師についてです」

「何か問題が?」

「ノエルへの体罰が見過ごせません。解雇して新しい家庭教師を雇いたいのですが」


 ローワンが無言でグラスの赤ワインを飲み干す。

 ステラはドキドキしながらローワンの様子を見守った。


(彼が雇った家庭教師を解雇……それは彼に対する侮辱と取られる可能性があるわ)

(もしかしたら離婚を言い出されるかも)


 ローワンが空になったグラスをテーブルに置いた。

 鋭い視線がステラを射る。


「彼女は優秀な家庭教師ですがね。経歴も申し分ない」

「で、ですが五歳の子を教鞭で叩くなんて!」


「甘やかすのが子どものためになるとは限りません。厳しく躾するのも保護者の義務では?」

「体罰が躾とは思えません!」


 ローワンと敵対することになったとしても、これだけは譲れなかった。


「ましてやノエルはまだ五歳です! 愛情をたくさん受け取るのが、彼のこの後の健やかな成長に必要です!」


 ステラは勇気を振り絞って言いつのった。


「差し出がましいことは重々承知です。でも、次の家庭教師は私に選ばせてください!」


 ローワンが小さくため息をついた。


「なんでそんなに必死になるんです? 会ったばかりの継子ですよ?」

「そんなこと関係ありません! ノエルは大事な私の義息子です!」


 ローワンの青い目が冷ややかな光を帯びた。


「公爵夫人としての点数稼ぎですか? だが、私はそんなことでほだされたりしませんよ」


 ステラはカッとなった。


(ノエルを公爵夫人としての地位を盤石(ばんじゃく)にするための布石(ふせき)だと思っているの!?)


「ふざけないでください!!」


 思ったより大きな声が飛び出して、ステラは自分にびっくりした。

 ローワンも意外だったのか、目を見開いてステラを見つめている。


 ステラは心を落ち着かせるため、大きく息を吸って吐いた。


(冷静にならなきゃ……喧嘩をするために来たわけじゃない)


 実家でどんな仕打ちをうけようとも、こんなに激高したことはない。


(自分のことなら我慢ができるわ)

(でも、無力で孤独なノエルに対する暴力は、絶対に見過ごせない!)


 揺るぎない強い思いが胸に湧き上がる。


「あの子は可愛くていい子です。大事にして守りたいんです!」


 きっぱり主張するステラを、ローワンが奇妙な生き物を見るような目で見つめてくる。


 しばらくして、ローワンがようやく口を開いた。


「……いいでしょう」

「ありがとうございます」


 ステラはホッとした。

 プライドの高すぎる男性なら、決して譲ってくれなかっただろう。


(いい人……というより、ノエルに興味がないから了承したように見えるけれど)


 とにかく、暴力家庭教師からノエルを引き離せそうだ。

 ローワンが顎に手を当て、思案するように宙を見た。


「新たな家庭教師ですが、こちらで候補を探します。少しお時間をいただきますが、選定は貴方にお任せします」

「はい!」


 家庭教師にふさわしい人物に伝手(つて)などない。

 候補を見繕ってくれるのはありがたかった。


 胸をなで下ろしたステラを、ローワンが冷徹な目で見つめる。


「継子を気にかけてくださるのは結構ですが、貴方には女主人としての仕事もあるのをお忘れなく。私の希望で結婚式やお披露目パーティーは行いませんが、公爵夫人となった挨拶状は各貴族宛に送っていただかなくては」


 ステラはハッとした。

 ノエルのことで頭がいっぱいだったが、今公爵夫人として最も優先させるべきは女主人としての仕事だ。


 貴族の大事な仕事の一つが社交。

 最初の挨拶は今後の付き合いを左右する大事な事柄だ。

 無名の貧乏令嬢のステラにはなおさらだ。


「鉱山にも行かれたとか」


 ローワンの言葉にステラはびくっとした。


(もう報告済み……当然よね)


「すいません、勝手に。いけませんでしたか?」

「いいえ。貴方の領地でもあるので視察はご自由に。ただ、優先順位をお間違いなきよう」

「はい!」


 ステラは姿勢を正した。

 焦るあまり、広い視野が持てなくなっていた。


(そうよ、女主人として大事な社交がある!)


「あなたの公爵夫人としての初仕事となりますね。挨拶状を出せば、今後ご婦人方のお茶会などにご招待もされるでしょう。難しいようなら私が対応しますが」


 試すような視線だった。

 それもそのはずローワンは家にこもっていたステラに、ろくな社交の経験がないのを知っている。


(手腕を疑われている! でも、それも当然ね。私は社交の経験がない)


「精一杯やらせていただきます!」


 気合いを込めて言うと、ローワンが首を傾げた。

 しげしげと青い目で見つめられ、ステラは気まずくなった。


「あの、何か? ローワン様」

「いえ、書類での印象と実際の貴方がまるで違うので驚いて」


 ステラはぐっと拳を握った。


(きっと私のこと、無能で気弱な引きこもり令嬢だと思っていたのね)


 ステラはにっこりと余裕の笑みを浮かべた。


「確かに私には経験がありません。ですが、努力は惜しまず学んでいきます」

「頼もしい言葉ですね」

「では、失礼します」


 部屋を出るとき、ステラはちらっとローワンを見た。


(冷ややかな態度だけれど、毎回きちんと話を聞いてくれるわ)

(仕事だって、任せてくれる。この人、そこまで嫌な人じゃない)

(なのに、なぜノエルには無関心なの?)


 気になって仕方ないが、きっと今は聞いても答えてくれないだろう。


(いつか……知りたい)


 ステラは静かにドアを閉めた。


「さて、ノエルの部屋に行かなくちゃ」


 今日も本を読んでくださいと頼まれているのだ。

 ステラはウキウキと廊下を歩き出した。

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