Episode1-4
「環、そして円。この騒ぎについて説明を伺いましょうか」
大奥様の威厳ある言葉が発せられると、円はほっとしたように肩を落とし、どこか泣きそうな表情を浮かべた。そして、ついつぶやいてしまった。
「おばあちゃん……」
一瞬、室内の空気が張り詰めた。円のつぶやきに、大奥様の顔には微かに影が落ちる。目を細め、すぐに鋭い視線を田中に向けた。
「田中、状況を説明しなさい」
その低く抑えられた声に、田中は冷や汗を滲ませながら一歩前へ進み出た。しかし、彼が言葉を紡ぐより先に別の声が響いた。
「和子様、ご無沙汰しております。浅間一郎でございます」
浅間の声が割り込むと、室内の緊張感が一気に高まった。大奥様は冷たい目で浅間を見据える。
「浅間……」
その名前を反芻するようにつぶやき、彼女の眉がわずかに寄せられる。視線が浅間に定まると、冷ややかに彼の姿を確認する。
「義昭の客人がなぜここにいるの?」
確信と不快感が絡み合った声色に、浅間の動きが一瞬止まる。その言葉に浅間は身を正したが、手が無意識に衣服の裾を握りしめ、小さく震えている。額にはわずかな汗が浮かび、視線を床に落としたが、すぐに顔を上げて話を続けた。
「そうです。浅間一郎です。和子様。私が小さいころ、父と一緒に一度お目にかかったことを覚えておりますでしょうか」
その時、後ろで控えていた白髪の執事、田中が、大奥様のそばへ歩み寄り、耳元で何かを囁いた。その間も、浅間は声を止めることなく続けた。
「それにしても、和子様はお変わりありません。まるで時が止まったかのようにお美しい。この力の一部でも、私に分けていただけたらと心より願っております」
浅間は丁寧な口調を保ちながらも、どこか図々しさを含んだ声音で話し続けた。その視線が大奥様にしっかりと向けられ、薄いながらも挑発的な笑みが浮かんでいる。
白髪の執事田中が最後の一言を和子に伝えた終えた瞬間、その目に冷たい厳しさが宿った。彼女は短く息を吸うと、静かに口を開き、浅間をまっすぐに見据えた。
「あなた今朝、ご子息が亡くなったというのに、なぜここにいるのかしら」
浅間はその冷ややかな問いかけに小さく肩を竦め、微笑みを浮かべた。その表情には、悲しみを見せる気配すらなかった。
「はい、息子が急遽亡くなりましたこと、大変残念に思っております。しかしながら、悲しみに浸ってばかりでは、息子の努力を無駄にしてしまいます。本日私が息子の代わりに義昭様にお会いしに参りました」
浅間は膝をついたまま、背を少し丸めながら両手をもみ続けた。
「浅間グループの繁栄にご協力いただくため、そして四条家との絆を深めるため、癒しの力の恩恵を少しでも賜れればと願っております」
浅間の態度からは、意図的に隠しきれない狡猾さが垣間見え、聞く者の心に不快感を生じさせた。
しかし、和子は表情一つ変えず、白髪の執事田中を一瞬だけ見やり、低く静かな声で答えた。
「癒しの力ですって? 浅間家がそれを語る日が来るとはね」
浅間は微かに目を細め、柔らかい笑みを保ちながらも、どこかぎこちなさが漂った。
「いかなる関係も、時の流れと共に深化するものと考えております、和子様。特に、両家の長き伝統を守るために、私に癒しの力を……」
浅間の訪問理由を耳にした秘書は驚きを隠せなかった。異能の力について何も知らない彼は、明らかに戸惑いながら浅間に声をかけた。
「会長? どこか頭でも打たれたのですか?」
その言葉に、浅間は怒りを露わに顔を歪めながら恫喝した。
「お前は黙っていろ!」
浅間は秘書を睨みつけながら、拳を握りしめた。その場の緊張が高まる中、和子が環に視線を向け、冷静に問いかけた。
「それで、どうだったの」
環は短く答えた。
「選択はありませんでした。おそらく……二カ月以内に」
環は言葉を濁ししつつも、視線を少し落として具体的な説明を避けた。その答えを聞いた和子は目を細め「そう」とだけ返した。そして続けて問いかける。
「環はなぜここに来たの」
環は即座に答えた。
「田中さんに色が見えました」
若い田中は肩をピクリと震わせ、目を見開いた。その顔には動揺と困惑が混じり合っていた。環は間を置かずに続けた。
「本邸に入ると、その色が薄れていき、今はほとんど消えています」
それを聞いた若い田中は、ふっと息を吐き、肩の力を抜いた。顔には安堵の色が浮かび、わずかに頬が緩んだ。
「そう、それで? ここに長居した理由は他にもあるのね」
和子が問いかけると、環は静かにうなずき、秘書の方へ目を向けた。
「あの人にも色が見えます。徐々に濃くなっているようです」
環の説明を聞いた和子は一瞬目を閉じ、短く息を吸った後、確固たる口調で命じた。
「わかったわ。田中、状況を説明しなさい」
その言葉が響くと同時に、浅間が口を開きかけた。
「和子様、私は――」
「黙りなさい」
和子の鋭い声が浅間の言葉を遮り、室内の空気が再び張り詰めた。浅間は一瞬口を閉じたが、不満げな表情を浮かべ、唇をわずかに噛みしめた。
若い田中は緊張した面持ちで視線を揺らし、小さく息を吐いてから、声を絞り出すように経緯を説明し始めた。
「本日、環様たちをお迎えするため、いつもの待ち合わせ場所まで車を走らせました。そこには芹沢さんを乗せたお車が待機しており、義昭様のご命令により、環様を本邸にお招きする旨を承りました。その後、私どもは芹沢さんと共に学校前まで参上し、環様をお迎えいたしました」
田中の説明を聞き終えた和子は、後ろに控える白髪の執事田中に視線を向けた。
「お前の息子はああ言っているけど」
白髪の執事田中は一歩前に進み出て、深々と頭を下げた。
「大奥様、何卒お許しくださいませ。すべては私の教育の至らなさゆえと存じます。四条家に仕えておりますが、我々が忠誠を誓うべき主は、大奥様でございます」
その言葉はどこかわざとらしく響き、室内の空気に微妙な緊張感を残した。
「まあ、いいでしょう。環の話から察するに脅しを受けたのでしょう」
和子は静かにそう言いながら、一瞬視線を周囲に巡らせた後、芹沢に目を向けた。
「芹沢、脅迫染みた行為は四条家の品位を落とします。今後は控えなさい」
芹沢は静かに頭を垂れ、その姿勢を崩さぬまま低い声で応じた。
「承知しました、大奥様」
和子は続けて冷静な口調で命じた。
「義昭に、私の客人を奪う行為はやめるように伝えなさい。もっとも、もう目的は達したようですけど」
そう言い終えると、和子は環と円の方へ体を向けた。
「私は帰ります。環、円、行きますよ」
その言葉に浅間が激高したように声を上げた。
「和子様、お待ちください! どうか私の話をお聞きください!」
和子は浅間を冷ややかな目で見つめ、軽蔑の色を隠さずに言い放った。
「芹沢、あとの始末を頼みます。巻き込まれた彼の補助もしなさい」
芹沢が深く頭を下げるのを確認すると、和子は環と円を引き連れ、小さな建物から静かに出て行った。
その場に残された浅間は、和子の言葉を自分の意見が通ったと勘違いし、感激したように頭を床につけた。
「和子様、ありがとうございます!」
浅間は、頭を床につけたまま満足げな表情を浮かべた。その滑稽な姿に誰も口を開くことはなく、建物には静寂が広がった。
Episode1はこれにて終了です。Episode2も近日中に公開予定です。評価、応援のほどよろしくお願いします。