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Episode1-3

 環が小さな建物の扉をそっと開けると、部屋の奥には年老いた男性が座っていた。扉の音に反応し、顔を上げた彼はゆっくりと目を細め、その表情には怪訝そうな気配が浮かぶ。その隣には手帳を抱えた秘書らしき人物が控えるように立っている。


「ふん……使用人がこんな場所に踏み込んでくるとは。どういうことだ、目的は何だ?」


 老人の鋭い声が室内に響いたが、環は微動だにせず、ただ静かに彼を見つめた。その目の奥には、何かを深く見極めようとする鋭い光が宿り、その視線は一瞬の揺らぎもなく老人の存在を捉えている。

 その視線に気づいた老人は、わずかに眉を寄せ、居心地の悪さを隠しきれない様子を見せた。


「おい、聞こえないのか? 貴様、何をしに来た!」


 その声に円が慌てて環の後ろから小さく声をかける。


「お兄ちゃん、どうしたの? ここに誰かいるの?」


 円の声が環に届くと、環は振り返ることもなく老人に向けて言葉を告げた。


「あなたに選択はなかった」


 その落ち着いた声に、老人の顔は一瞬こわばった。戸惑う秘書が老人を見やり、次の動きを探る中、老人の瞳に一筋の閃きが走る。そして、震える声で漏らした言葉は、室内の空気を僅かに揺らした。


「お前……まさか、異能者か。いや、それにしても……」


 環はその言葉に全く反応せず、視線を外した。老人に対する興味を完全に失ったように見えた。

 背後で控えていた芹沢が険しい表情を浮かべ、素早く環のそばへ歩み寄る。


「環様、ここはお控えください。退室なさりましょう」


 その提案に、環は一瞬の迷いもなく頷き、静かに踵を返した。その動きには、老人への未練や興味の欠片も感じられない。

 老人はそんな環の態度に眉をひそめ、次第に視線を芹沢に移し、驚きを含んだ声でつぶやいた。


「……待て、芹沢がついているということは……お前、四条家のご子息なのか?」


 その言葉が放たれると、円は動きを止め、困惑した面持ちで環と芹沢を交互に見つめた。不安に揺れる瞳は、状況を理解しようと必死だった。

 秘書は体を前に傾けながら、老人に視線を向けた。その目には、動揺とともに、主人の真意を見極めようとする緊張が漂っていた。

 芹沢はすぐに環の肩に手を添え、環を一歩引かせるようにしながら、低く抑えた声で進言した。


「環様、田中がお部屋にご案内いたします」


 芹沢の言葉に応じて、田中が一歩前へ進み出た。環の隣に立つと、片手を胸の前で軽く差し出しながら、穏やかな声で促す。


「こちらへどうぞ、環様」


 環は彼らの言葉に応じるかのように、わずかに身体を動かしかけた。しかし、その動きはすぐに止まり、視線を床へ落としたまま、微動だにしなくなった。その背中から放たれる静かな圧力は、場の空気にじわりと染み渡り、言葉や動作を超えてその場を支配していた。

 室内には冷たく張り詰めた空気が広がり、田中がわずかに眉を寄せながら、緊張した面持ちで芹沢の方へ視線を送った。芹沢はその場の空気を鋭く察しながらも、冷静な態度を崩さず、環の静止した姿をじっと見守る。その場はまるで時間が止まったかのように動きを失っていた。

 その沈黙を破るように、老人が突然膝をつき、両手を環の方へ差し伸べた。彼の目には焦りと切迫感が滲み、その震える声が低く室内に響いた。


「どうか……どうか四条家の癒しの力で私の病を治療してください! お願いです、環様!」

「会長!」


 秘書はその突然の行動に息を呑み、慌てて膝をついた主人を立たせようと手を伸ばした。しかし、老人はその手を力強く振り払い、荒々しい声で怒鳴った。


「邪魔をするなっ!」


 その勢いに押され、秘書はふらつきながら後ろへよろめいた。その瞬間、芹沢が環の前へと素早く立ち、鋭い眼光で老人を睨む。その動作には一切の迷いがなく、環と円を守る体制を整えるように身構える。一方、田中も円の隣へとすばやく移動し、彼女を庇う形で腕を軽く広げた。


「お兄ちゃん……」


 円は老人の荒々しい声とその場の緊張感に怯え、環の腕を掴んで身を寄せた。その小さな声には、不安と恐れが滲んでいる。


「浅間様、これ以上、環様と円様に無礼を働くことは許されません」


 芹沢の低く鋭い声が室内に響き渡り、その言葉は浅間と呼ばれる老人の動きを一瞬だけ止めた。彼は目を見開き、歪んだ笑みを浮かべながら震える声で返した。


「無礼だと? 貴様らにそんな言葉を言われる筋合いはない! 四条家は私に従うべきだ。散々世話になった癖に、力を惜しむなどあり得ない!」


 浅間の狂言染みた言葉に円はさらに怯え、体を縮こまらせながら環の袖を握り直す。その動揺を見た田中がそっと円に声をかけ、安心させるように優しい言葉を添えた。


「大丈夫です、円様。我々がここにおります」


 円は田中の言葉に少し安心したものの、環の腕を掴んだ手を離すことはなかった。怯えた瞳で彼を見上げるその様子は、不安を隠しきれない。

 環はその様子を静かに受け止め、掴まれた手に片手をそっと添えた。そして、円が安心できるようにその手をポンポンと優しく叩いた。


「円、大丈夫だ」


 環の短い言葉と柔らかな動作が、円の不安を包み込み、手の力が徐々に緩んでいった。

 その時、建物の外から深く落ち着いた声が聞こえてきた。年配の男性の声には、どこか厳かで威厳のある響きが含まれていた。


「大奥様、環様たちはこちらにいらっしゃるようです」


 その声と共に足音が近づき、扉が静かに開かれた。室内に入ってきたのは、堂々たる佇まいの女性と、その後ろに控えた白髪交じりの年老いた執事だった。

 大奥様と呼ばれる女性は、存在だけで場の空気を一変させるほどの威厳を纏っていた。まるでこの空間全体を掌握しているかのように、ゆったりとした動きで視線を巡らせた。

 彼女の後ろに控える執事は、物静かながらも鋭い眼差しで室内の隅々までを見渡している。

 室内は一瞬で静まり返り、全員の視線がその二人に注がれた。

 大奥様は一歩前に進み出ると、視線を環と円に向け、一言、堂々とした口調で言葉を発した。


「環、そして円。この騒ぎについて説明を伺いましょうか」

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